え、なんで黄瀬がここにいるの。汗かいてるってことは走ってきた?何のため。わたしに何かを話すため?いい加減、笑うのやめたらどうかな。きみの本当の笑顔なんて見たことないから。これから見るつもりもない。
「はっ…、名前ちゃん逃げ足速すぎんでしょ…」
「…逃げてないよ」
「嘘。あれから俺のことびくびくしながら見てた」
「…」
図星なのかもしれない。ずいぶん視野が広いこと。
「ほら、やっぱり。…てか、俺が言いたいのはこんなことじゃなくて、名前ちゃんって意外と性格悪いんすね」
「は?」
むしろお前だろ。
「自覚なしってとこも。まあ俺も人のこと言えねーけど」
あれ、黄瀬って口調がコロコロ変わる。いつも語尾にはッスとかついてるのに。ほう、口が悪いのね。どうやら睨んでたことが不服だったのか急に手を掴んで歩き出した。何故に手。
「ここじゃまた逃げられそうだからその繋ぎとして、ね」
わかっててやってる。こういうことしておけばどの女でもホイホイ着いていくとか思ってんだ。残念ながら、そんな尻軽でもないし。アンタの思惑に乗るつもりもないね。
「…自分で歩けるし」
「じゃあ、演技だと思って」
掴んでいた手はするりと動いて絡み合うわたしの手と黄瀬の手。無理あるだろ…!どきっなんてしない!鳥肌たつ。調子狂うなあ。
「わかった」
切り替えればいい。違う自分になればいい。大人ぽく黄瀬という男に見合うような綺麗な女性。
大丈夫、相手が誰であってもわたしはできる―
「……!」
「行かないの?」
「あ、ああ…」
一度役に入り込んでしまえばそれまでだ。やりきって、黄瀬を驚かせてやろう。主導権は渡さないとでも言うように強引に手を引く黄瀬。その隣を歩くわたし。死んでも現実にはしたくない。そう、これは演技。仮面を被った男と女でしかない。それ以上もそれ以下もない。
黙って着いていったのが間違いだった。
「ちょ、…ここ何処」
「俺の家っす」
いいから、入って。
後ろに足を引くことができない。それは繋がれた手という肩書きの鎖があるから。
「何で?」
「もっと名前ちゃんと話してみたいし。あー別に他意は無いから、安心して」
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