誰も居ない旧校舎に足を踏み入れる。しんと静まり返ったこの木造の校舎は、今はもう使われていない為に整備がされておらず、歩く度にギシギシと音を鳴らす。太陽の光が窓から差し込んでいるのに、何故だか校舎の中は暗く沈んでいる。窓の付近だけが明るく、斜めに差し込んだ光に、埃がきらきらと白く舞っている。

階段に足を掛けた女生徒は、ごくりと唾を飲み込んだ。








昔、まだ旧校舎が使われていた頃の話である。二階から三階へ上がる西側の階段の踊り場に、立派な姿見があった。その大きな鏡は、とある理由で撤去されてしまい、今はもうない。

だが、ある特定の条件が揃った時、そこに金縁の姿見が掛けられているという。そしてそこに写った者は、


「どうなるんだよぃ」

「…さあ。ここからは全員意見がバラバラでな」

「でもさすが情報早いね。俺ガセネタっぽいものばっかだった」

「俺もー。トイレの花子さんとかぜってーねえわ」


昼休み。俺たち男子テニス部は、晴れていれば基本的に屋上庭園に集って弁当を食べる。何故俺たちがこんな怪談をしているかというと、時は昨日の部室内へと遡る。





「俺も岡野さんに近付いてみようかなー」


人面犬を見た、という丸井と赤也の盛り上がりに興味がわいたのか、精市が突然そう切り出した。こうなっては恐らく、興味がなくなるまで追求しようとし出す確率87%。


「でも、いつもあの犬がいるとは限んないっスよ」

「うん。だからさ、俺いいこと思いついたんだ」


にっこにっことおもちゃを見つけた子供のような笑顔を貼り付けて、精市が指を組む。全くいい予感がしない。…と、仁王は言う。


「いい予感がせんのやけど」

「仁王うるさい。…割とどんな学校にも、嘘かホントか七不思議ってあるじゃない?」


仁王を無視して、精市は不気味に呟いた。わざわざ声をハスキーにしている。…その稲川的演出やめてくれ。


「それをさ、俺たちで解明しよう。その噂の彼女を連れて」


精市が言い出したら引かないのをわかっている俺たちは、飽きるまで付き合ってやるしかないか、と半ば諦めて、それぞれ一つ、七不思議について調べてくることになった、ということである。








「なぁ、岡野…だよな?こないだはビビらせて悪かった」

1人でトイレに向かって歩いていれば、強めのパーマの男子にすれ違い様に声をかけられた。こないだ…?あ!集会の時のヤンキー!?

「ひぃっ…!お金持ってません!」

「いやだから、ビビらせて悪かったっつってんだよ!謝ってんの!あと別に俺ヤンキーじゃねぇからな!」

「はぁ…?そうですか…」

わざわざそのために引き止めたの?案外律儀な人なのか?それじゃ、と去ろうとしたところ、「待てって」と腕を掴まれた。周りにいた女子がこちらを見ながら皆眉間にしわを寄せてヒソヒソと囁き合っている。大丈夫、泣かない、私慣れてる。

「これ後で読んどけよ」

きゃあっと、周りから甲高い悲鳴が小さく上がる。何?女の子達は何がそんなに怖いの?そしてどうして私は睨まれてるの!?

「絶対読めよ!じゃあな!」

黒髪のパーマ少年は指をさしながらそう言ったと思えば、猛スピードで走り去った。なんだったの…。1人取り残された私は、いつも以上に痛い周りからの視線に縮こまりながらトイレへと走った。

個室に入って鍵を閉め、他に握らされた小さな紙を恐る恐る開く。ノートの切れ端らしいそれには、男子特有のざざっとした筆跡で文字が書かれていた。スッと目を通したその一文に、私の体の全ての血液が足先から抜かれたような、そんな感覚を覚えた。



"こないだの人面犬、あいつ何?"