「またオメーだろ!名字!」

背後から低く大きな声で呼ばれ、急ぎ振り向く。そこには大曲が鋭い目を殊更に強調して私を見ていた。

「あー、今度は何?また私なんかした?」

そう、こんな風に怒りと呆れを含んだ声で、彼に呼ばれるのは初めてではなかった。もう何度目になるか、わからないしわかりたくもない。

「また棚の配置が変わってんだよ。元の場所に戻せっつってんだろうが」

口調はかなり冷たいが、もうそこまで怒りはないらしい。代わりに、はあ、とわざとらしいため息が漏れる。

「だって出したの私じゃないし。むしろちゃんと片付けたんだからいいじゃん」

「オメーよ…」

「お前って言うのやめてよ!」

ムスッと怒って見せれば、やれやれ、と呆れたように息を吐いて、「名字」と小さく呼ぶ。

大曲竜次という男は、見た目はまるで輩の様だが、実はかなり几帳面で優しく、素直で面倒見の良い男である。一見怖そうなその見た目や言動の端々に、育ちの良さが見て取れる。

「まあとにかく元の場所に戻してなかったならごめん。ただ、私そういう片付けとか凄い苦手だから期待しないでって、毎回言ってるじゃん」

「っつってもよ。もう高3だぜ?いい加減ちゃんとしようや」

"いい加減ちゃんと"

その言葉は、私の浅い浅いプライドの様なものを深く抉った。片付けなかったのは私じゃない。片付けたけど場所が違っただけだ。そこまで言われる筋合いはない!

「ちゃんとって…!ふん!私には一生無理だもん!片付けなかったわけじゃないんだからそこまで言わなくていいじゃん大曲のばあああか!」









べーっと舌を出しながら駆けて行った女に呆気にとられる。そして一拍置いて笑いが込み上げてきた。手で口元を隠しながらくつくつと笑いを漏らす。

女は名を名字名前という。明るく気さくで、そして一見大人しそうな見た目に反し、案外物怖じしない性格で、初対面には大概ビビられるこの俺にですら意見した女である。

「大曲君いつもパンばっかり!栄養偏るからダメだよ!ほらこれ食べて!」

高3になって初めて同じクラスになった名字が、1ヶ月経った頃に初めて俺に向けて発した言葉である。ちなみに「これ」とは、どう見ても名字が食うにはデカすぎる黒い弁当箱のことである。

「大曲君テニス頑張ってるでしょ?日本代表に選ばれるなんて本当に凄いよね。でもそれなら余計にちゃんと栄養に気を付けないとダメだよ」

朝、夜は母親がそこら辺は考えて作ってくれる為、正直そこまで言われるほど栄養が偏っているわけでは無かったが、俺は名字の勢いに飲まれて弁当を受け取っていた。

「どう考えても初めてするような会話じゃねぇし…」

「うん、友達からもお節介だからやめろって言われたんだけどちょっと我慢できなくて!」

ボソリと本音を呟けば、満面の笑みであっけらかんとそんな答えが返ってくる。世話焼きな性格なのだろう。名字が自分の席に戻ったのを横目に蓋を開けると、色とりどりの綺麗なおかずが現れた。その飯が想像以上に美味かったもんだから、俺の中には名字の名前が深く深く刻まれたわけである。

関われば関わるほど、彼女がどれだけお節介で世話焼きな性格かわかっていった。少しでも困った人を放っておけず、何にでも手を貸そうとする。この間も登校中に、腰の曲がったばあちゃんの手を引いているのを見かけた。(その日は案の定遅刻していた)

「おっおまっがりー!」

ブンブンと俺に向かって手を振りながら俺の方に向かってくる名字の手には、黒くてデカイ弁当箱が握られていた。あの日、「美味かった。ありがとうよ」と家庭科室で洗った弁当箱を返すと、名字は腹を抱えて笑った。

「大曲君、律儀すぎ!まさかわざわざ家庭科室まで行って洗剤で洗ってくれるなんて…っ!あっはははははダメだお腹痛い」

目尻に溜まった涙をヒーヒー言いながら指で拭う。何がツボに入ったか分からなかったが、とりあえずその日からほぼ毎日、名字から弁当をもらっている。

「はい!今日のお弁当!」

「おう、いただきます」

「出た!名字からの愛妻弁当!」

友人達が囃し立てるが、名字はニヤリと笑って俺の腕にしがみつく。

「今日も美味しく食べてね。あ、な、た」

勘弁しろし。














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