百物語七ノ話「野槌(のづち)」


『野づち』

ひゅるひゅると風が吹く。 温かな、春の訪れを知らせるような。

「神隠し?」

桂が寺に着くなり、住職はそう打ち明けた。 曰く、この村近辺の子供が次々といなくなるのだと言う。一人目が消えたとき、山で迷ったものと大人たち 全員で捜したが見つからない。失意のまま村に戻ると、また一人子供が消えている、といった風である。 人攫いではないかと桂は聞いた。だが住職は首を振る。いなくなった子供の中は十二、三歳と人攫いが連 れ出すには大きすぎる子もいたからだ。第一そういう輩は一か所に長居しない。子供が消え続けて一か月になろうとしている、と言う。 虚無僧として旅を続ける中で、このような話を聞かな いか、また解決策を知らないかと住職は問う。桂が黙ったままでいると、大きく溜息をついた。

「村をひとまわりしてきます」

再び編笠を被り寺を出ると、風が桂の頬を撫でた。 ここ最近はめっきり春めいてきたというのに、風は刺 すように冷たい。 花冷えだろうかと空を仰ぐと、日が陰った。鳥かと思ったが、それは桂の目の前に舞い降りてきた。

「お前、見ない顔アルな」

白い肌、桃色の髪。瞳は晴れた空の色。 春の兆しにふさわしい、花から生まれたような少女 だった。

「たった今この村に来たところだ。この辺の子ども か?」

「人に聞く前に名を名乗るネ」

「ああすまん、俺は桂だ。…君は?」

不思議な抑揚で話すその少女はふんと鼻を鳴らして、 神楽、と名乗った。 子どもはいなくなったと住職は言っていた。では少女は何なのだろう。 髪の色や目のそれは明らかに普通ではない。だが桂はここに来たばかり、何か特別な事情がある娘なのかもしれない。 とりあえずは様子を見ようと桂は少女に村の案内をして欲しいと頼み、後をついていくことにした。

「神楽殿のご両親はどこに住んでいるんだ?」

「父ちゃんのことは知らないネ。母ちゃんはこの間死 んじゃった」

「そうか…」

小川を渡ろうと飛び石をひょいひょい飛び越えながら、何気なく神楽は言う。 では今は誰の世話になっているのかと聞く前に、早 く、と急かされた。

「俺は村を案内して欲しいと頼んだんだが」

「私と遊ぶのが先アル」

まあそれもいいか、と桂は彼女に手を引かれるがまま、あちこちを歩き回った。 彼女は見知らぬ大人の男にちっとも警戒心を抱いてい ないようで、住職は否定していたが人攫いであったらいとも簡単に彼女を連れ出すことが出来るだろう。だが神隠しという言葉も忘れてはいないので、彼女が忽 然と消えてしまわぬよう、注意深く見守っていた。

綻び始めた花を摘んだり、虫を捕まえたり、神楽の遊 びに付き合っているとあっという間に夕方になる。 そろそろ戻らなくていいのかと言いかけて、ああ彼女 の両親は、と思い出す。 だが子どもなのだからどこかに身を寄せているはずだ。そこへ送り返して今日は寺に戻ろうと、桂は立ち 上がった。

「神楽殿、そろそろ行こうか」

「どこに遊び行くアルか」

「遊びに行くんじゃない、帰るんだろう」

「…帰っちゃうアルか」

「送ってやるから」

さあ、と手を差し伸べた。 だが神楽はその手を取らず、代わりに口を開けた。 一瞬、分からなかった。痛みもなかったせいだ。噛み 付かれたのとは違う、飲みこまれている。 指先から手の平、手首、桂のそれが順番に神楽の口の 中へと消えて行く。 神楽の青い目はまっすぐに桂を見上げている。だだをこねる子供のように、悲しそうに。

「神楽殿!」

右手を力任せに引き抜こうとしたがかなわない。既に 肘の手前まで神楽の口の中に消えていた。 なんだ、これは。早鐘のように心臓が鳴る。 消えて行ったこどもたち。異形の少女、飲みこまれ る…

「……野槌(のづち)」

ピタリと、神楽の唇が止まった。

「お前は野槌か?しかし人間に身をやつすなど聞いた ことがない」

桂がそう呟くと、神楽は怒ったように睨み上げ、それからもっと大きく口を開いた。 ずるりと桂の腕が出てくる。噛まれた後もなく、溶けているわけでもなく、ただ濡れていた。

「失礼ネ!私はずっとこの姿アル!母ちゃんはちょっ と違うけど…」

「…母君の絵を描けるか?」

桂を飲みこみかけたことなどまるでなかったのように神楽は笑顔で頷くと、木の枝を使って地面に絵を描き始めた。 巨大な蛇のような体躯、違うのは体毛がびっしりと生えていること、頭には目も鼻もなく、ただ大きな口があるだけ。 桂の知る野槌の姿と足元に書かれた“母”の絵は、綺麗に特徴が合致していた。

「母君は亡くなったと言ったな」

「山には食べるものがないアル。どんどん人間が入ってくるネ。だから母ちゃんは神様にお願いして私をこの姿にしてくれた。人間に似てたら、生きていけるか もしれないからって」

野槌は山の精霊とも言われるが、野槌自身にはっきりとした意志はなくただ大きな体で何でも食べてしまう。時には人間が飲みこまれることもある。 母が死んで山を下りたと、神楽は教えてくれた。 この村の背後にある岩山は、よい石材になるとしょっちゅう人間が入り岩肌を削り取っている。 住処を失うと野槌は恐れたのだろう。このままでは母子共に力尽きる。母は娘を逃がした。 意志を持たないとされていた野槌にそこまでのことが出来るのかは疑問だったが、ともかく少女はここにい る。その能力を受け継ぎ、制御することを知らぬまま。

「みんな私と遊んでくれるネ。でも夕方になったら帰るって言う。私には帰る場所がない。だから、お腹の中に入ってもらって一緒にいるヨ」

「みんなを出してはくれないか?」

「いやヨ!そうしたら私またひとりぼっちネ!」

神楽の瞳の縁に涙が盛り上がる。 それでも必死に堪えているのは、親を失った孤独からだろうか。

「…それでは、こういうのはどうだ?」

桂は神楽に耳打ちをする。少女がひとつ瞬きをすると、ぽろりと涙が一粒零れた。

翌朝、陽も昇りきらぬうちに、子どもたちが帰って来た。 いなくなっていた間のことについては、皆一様に覚え ていないという。 ただ桃色の髪の少女と遊んでいたのだと。だが大人は 誰一人としてその少女を見たことがない。 山神だ、と住職がいった。住処を荒らされた山神が怒って、子ども達を取り上げたのだと。 村では過度の石材取りをやめ、祠を立てて祀ることを決めた。 同時に、来たばかりの若い虚無僧も消えていた。そちらは住職しか顔を合わせたものはおらず、気に留める者はほとんどいなかった。

「ねー、どこに行くアル?」

「そうだな、神楽殿は海を見たことがあるか?」

「なにそれ?」

「池より湖より大きな水の塊だ」

「知らないアル!見たい!食べたい!」

「いくら神楽殿でも、海は食べきれぬだろうな」

「そんなに大きいアルかー!」

神楽は興奮して飛び上がる。 じゃれつくように桂の腕にしがみつき、きらきらとした顔で見上げた。

あの日、桂は約束をした。 子ども達を皆返してくれれば、自分がずっと一緒にいる、と。 神楽は二つ返事でそれを了承してくれた。 無邪気に笑う少女は、人間のそれと何ら変わりない。 違うのは大食漢なことだが、野槌と思えば可愛いものだった。 母親が彼女を人間にしたかったのか、本当のところは 分からない。いずれ野槌の力も失っていくのかもしれないし、残り続けるのかもしれない。 ただ分かるのは、母が娘に幸せでいて欲しいと、そう 望んでいたことだ。

「いろんなところに行きたい。いろんなものを見て、 食べて、知りたいネ!」

花が咲いたように笑う。 母の望み、そして神楽の願いを叶えてやろうと、桂は 思う。 小さな指で握られた手を、そっと握り返した。

ひゅるひゅると山から風が吹く。 温かな、春の訪れを知らせるような。 そうして二人の旅を見送るような、優しい追い風だった。


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