百物語五ノ話「逆柱」



常日頃から長屋の家賃を滞納する銀時に、家主のお登勢は堪りかねたのか仕事を持って来た。お登勢の知り合いである山間の村長からのその依頼は、山の中腹にある民家に冬の間住んで欲しい、というものだった。

げえ、と銀時は心の中で青ざめる。けれども銀時に拒否権はなく、早々に荷造りをさせられ長屋を追い出されてしまった。



村に着くと早々に村人から民家に案内され、彼らは不自然なくらいそそくさと立ち去る。

茅葺の屋根には雪が厚く積もり、引き戸を開けるとバサリと滑り落ちて来た。

中に入ると、もう何年も人が住んでいる気配はない。蜘蛛の巣を掃いなんとか荷物を引き入れ、ぐるりと辺りを見回し、違和感を覚えた。

中央の囲炉裏の奥はもう壁しかないのだが、その支柱が何か他と違う。近寄って、他の柱とまじまじと見比べ気が付いた。



「ああ、逆柱か」



以前、納屋作りを手伝う仕事をしていた時に大工が言っていた。くれぐれも基礎柱となる木の上下を間違えるなと。それは災いを起こすから、と。

銀時は何気なく柱に触れた。

瞬間、どっと辺りが白くなる。雪が降り込んできたのかと思ったが違う。

何度か瞬きをしているうちに“それ”が見えた。



白の死装束、たゆたう髪、手足に巻き付く枝葉。

逆さになった、男の顔。



派手に後ずさりしたせいで囲炉裏に片手を突っ込み灰が舞い上がる。

咳込みながらそれでもなんとか逃げ出そうとすると、



「俺の家で暴れるな」



声がした。



銀時の想像は当たっていた。

それは確かに逆柱で、村人がこの民家に立ち寄らないのもそれが理由なのだろう。

けれども予想外だったのは、それが人に似た姿を持って、そして喋り出すことだった。

情けなくも悲鳴を上げてしまった。

だが“それ”は至って落ち着き払っていて、心底呆れるような溜息をひとつ。

予想外の返しに銀時は驚くと同時にだんだんと腹が立って来た。

突然現れて死ぬほど驚かせておいてその態度は何だと言いたい。だがやっと出た言葉は、とりあえず現状確認だった。



「…俺、夢見てる?」



「何ならひっぱたいてやろうか?」



「やだ、怖いし」



「冗談だ、どう見ても身動き出来んだろうが」



その得体の知れない存在が冗談を言う事にまた驚きつつ、銀時はまじまじと相手を見た。

逆さにされ、手足を柱に縛り付けられている。まるで磔のようだ。



「俺は逆柱。逆柱の桂だ」



それが桂と過ごす冬の始まりだった。













「おい銀時、朝だぞ起きろ」



早朝からそれはやかましい。

布団を頭から被って聞き流そうとすると、まったく軟弱な若者だなどと小言をもらう。

何で妖怪にそこまで言われなくてはいけないのかと布団をはねのけると、逆さの顔がしてやったりと言った風に笑う。

初日こそ逃げ出さんばかりの勢いで驚いた銀時だったが、この民家で逆柱と過ごし始めて三か月が過ぎていた。



「日がな一日仕事もせずにその上朝寝坊など」



「言いがかりやめてくれる?俺はここに住むのが仕事なんですー」



「楽な仕事もあるものだ」



慣れてしまえば実際に楽だった。凍てつく寒さは堪えるが、食べて寝るばかりですることもない。食料も暖を取る薪も週に一度村人が届けに来る。それは銀時が無事でいるかの確認でもあった。

逆柱は災いを起こすと言われている。取り壊したいが祟られると恐ろしい。だから誰かをしばらく住まわせて、何事もないのを確認しておきたいというのが村の本当の依頼だった。

今のところ銀時には何もない。

一度桂にお前は悪さをするのかと聞いたが、微笑むだけで返事はなかった。

女と見まがう程の姿形はなるほど物の怪だなとは思うが、口を開けばまるでお登勢と変わらぬ所帯じみた物言い。だからこの類が大の苦手な銀時でも住み続けることが出来た。



銀時と桂はあれこれとよく話した。と言っても桂からの質問がほとんどで、彼は外の世界のことや銀時自身について知りたがった。自身については多くを語らない。

なので銀時が桂について知っているのは、彼がここに憑いて五十年余りで、逆さのまま身動きもとれず、そして触れることも出来ないということくらいだった。



今日もまた村人が野菜や薪を届けに来た。ここ最近めっきり雪は降らず、村の方では積もってもいないらしい。茅葺からも雪解けの滴がいくつも滴っていた。



「あと少しの辛抱ですから、銀時さん」



村人はそう言って去っていく。銀時の背後にいる物の怪に気付きもせずに。



「あと少し、とは?」



彼が帰るなり桂は聞いた。

肌は抜けるように白く、その表情は硬かった。



「ここに住むのは冬の間だけって話だからな、春が来たら家に戻ることになってんの」



たくさんのことを桂に聞かれながら、何故かこの話を銀時はしていなかった。自分でも理由はよく分からなかった。ただ、胸がひりひりと痛かった。

桂は無言だった。いつもよく喋る逆柱がぷっつりと口を閉ざしたので、その夜はすることもなく、銀時は早々に寝入った。





銀時は真っ白な世界にいた。

仰向けに寝そべっていて、気持ちよさにそのまま目を閉じようとするのを、何かが覆いかぶさって遮った。



「銀時、」



「…桂?」



桂の指が、銀時の髪を撫でる。



「お前、動けるようになったの?」



「今日は特別だ」



「逆さじゃないお前って、新鮮」



「俺もだ」



桂は微笑む。

初めて真正面から見たその顔は、ただ美しかった。



「銀時、眠るんじゃないぞ。俺の話を聞いていてくれ」



「お前自分のこと話したがらないじゃん」



「今夜は特別だと言ったろう。…俺はずっと孤独だった、何故生まれたのかもよく分からず、疎まれて…だからお前が来て、居ついてくれて、楽しかった、嬉しかった」



途中何度も言葉を詰まらせながら、桂は話した。

銀時は桂の頬に触れる。冷たいのか温かいのかよく分からない、けれど心はじんと熱くなり、そのまま抱きしめた。



「銀時、銀時、ありがとう」



何度も桂が名前を呼ぶ。繰り返す。

やがてそれは音を替え、切迫した色に変わる。



「銀時、銀時ったら!!」



少し懐かしいお登勢の声だった。

いつの間に長屋に戻って来たんだっけ、それにしても頭が痛い。二日酔いだろうか。

体を起こそうとしたが、かなわなかった。

指一本自由にならず、ようやく銀時は自分のおかれた状況を理解した。





夜のうちに雪崩があった。

ここ数日温かく、急速に雪解けが始まったせいらしい。

古民家はあっという間に押し流され、村人たちが駆け付けた時には家はバラバラになっていた。

それでも銀時が生き延びていたのは、雪とその他の木材を遮るように大きな柱が支えになって銀時を守っていたからだった。

柱は半分に折れ、残りは麓まで流されていた。

桂が両手両足の拘束を解かれていたのは、そのせいだった。

そうして銀時を守った。銀時に触れ、語りかけた。それが桂の最期だった。





春が来る前に民家の残骸は燃やされた。桂が宿った逆柱も燃えて灰になった。

雪崩は逆柱の祟りだったと村人は話す。その中で銀時が生き残ったのは奇跡だったと。

そうじゃない、と怒鳴りつけたいのをこらえて、銀時は救出から養生まで世話をしてくれたお登勢と共に長屋へ戻った。

逆柱は、桂は、何ももたらさなかった。幸せも不幸も、人間に与えようとしなかった。自分の存在意義も分からぬまま生まれ、恐れられ、ただそれを黙って受け止めていた。

雪崩は自然発生したものだ。あそこで銀時は死ぬはずだった。けれど桂は身を挺してそれを防いだ。



報酬の代わりに、銀時は桂が燃やされた灰を貰い受けて来た。

春になったら、温かな土に還してやろうと思う。芽吹いて育ち、健やかな木になってくれたらと思う。



またいつの日か、会えたらと思う。

その時は、言いたい。

俺の方こそ、ありがとう、と。


***


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