#3

「この間さあ、花京院から手紙が来たんだけどよ。ずるいずるい二人に会いたいって、そればっかだぜ。おれの事とかなんもねーの、笑っちまうよな」
 ソファからだらしなく両足を投げ出したポルナレフが目元を紅潮させて笑った。ワインは慣れているから自分にとっては水のようなものだ、そう豪語していたのはどの口なのか、すっかりアルコールに振り回されているようだ。精悍さを宿している瞳もへろへろと蕩けてどこか遠くを見据えているのが気に食わない。承太郎は誤魔化すようにビールを呷った。
「てめーに文通するようなマメな所があったとは驚きだな」
「うっせ!几帳面そーな、ヤツらしい字だったぜ」
 他愛のないことを話題に酒を飲み始めてから、もう随分時間が経つ。そろそろ朝日も昇り始めるだろうか。ポルナレフが気に入っているチーズも今日の分は食べ尽くして、母親から送られてきたおかきをつまみながらちびちびグラスを傾けている。
 日本で学業に励んでいる友人への愚痴はとまらない。あの時は文句を言われた、融通がきかない、きっと今につまらない大人になる。そうぶちぶち並べる口元は微かに笑みの形をしていて、本心からではないことを物語っている。もうろくに飲めていないワインを舐めて、手持ち無沙汰にグラスを回していた。
「あー、ダメだ……ねみい」
 とうとうポルナレフがグラスをテーブルに置いて肘置きに突っ伏す。耳たぶまで真っ赤にしている男を抱きかかえてゲストルームまで行くのは遠慮したいところだ。主に彼の貞操の危機だとか、重たい体を運ぶにはきっちり抱きしめるハメになるのが目に見えている。十代男子の理性の脆さなんて障子よりも薄い。面倒にならないうちに酒と煙草で掠れた声を掛けてベッドへと促す。
しかし彼は言葉になっていない声をソファに沈みこませながら、ついにピクリとも動かなくなる。何度か大きめの叱咤を投げかけても返ってくるのは呑気な寝息のみで、隠せないため息と共にうなだれた。まだニューヨークは寒い。良い具合に酔いが回っている身としてこのまま放っておきたいところだが、暖を求めて承太郎のベッドに潜り込んでくる前科を持つ相手なのでそれもできない。もう一度深く深く、はあ、とため息を吐き出して、それでも億劫な足取りで、承太郎は立ち上がった。
 意識のない人間は重い。逞しい肩に、だらりと投げ出された足に腕を回して何事かブツブツ呟いているポルナレフを持ち上げた。重量感のある男を星の白金に任せずわざわざ抱き上げるのは、もちろん下心あってのことだ。酩酊している本人は気づくことのないことだしこれくらいの報酬はあってしかるべきだろう。密着している体は温かく、筋肉のせいでごつごつしているものの抱き枕に丁度良さそうな具合だ。底冷えする廊下を通って整頓されたゲストルームへの扉を行儀悪く足で開けた。
 掃除も片付けもする本人専用と化しているその部屋は、ポルナレフの少しの着替えが常備されている。そのまま眠ってもいいようにとお互いラフな格好で飲み始めることばかりなので着替えさせてやることはない。それでも捲れ上がった服から覗く素肌は目に毒で、薄く色づいている腹を積極的に脳裏から押しやった。
 体をシーツに転がして布団もかける。もぞもぞと動いて寝やすい位置を探す様子が犬のようで頬が緩んだ。だらしなく緩んだままの頬をそっと撫でれば何かを呼ぶように喉を鳴らしたポルナレフが緩慢な動作で承太郎の腕を掴む。枕に散った銀髪が妙に艶かしくて目を逸らせない。理性が正常に機能していない今、これ以上同じ部屋に留まるのは危険だ。ゆっくりと瞬きして後ずさる。
「じょ……たろ、…」
 無防備な唇が自分の名前を紡いでいると理解したのは数秒の合間をおいてからだった。心臓が大きく跳ねて、思考が乱される。
「ポルナレフ」
 絞り出した名前は思っていたよりも恋情まみれで切羽詰っていた。いつの間にか口がからっからに乾いている。自分を御する為にあれこれこねくり回していた言葉が感情に塗りつぶされていく。目を閉じたままのポルナレフは恐らく夢でもみているのだろう、自分の息遣いだけが部屋に響いている。己を止める術はもうなかった。
 物憂げに吐き出された吐息ごと衝動的に唇を塞いで、承太郎は目を閉じることもしない。
 思っていたよりも柔らかい、と色気もない感想を思い浮かべて脳が働きはじめる。目前の白い肌はほんのり赤く染まっていて艶めかしい。銀色に縁どられた瞼が微かに動いていて、早く離れなくてはと焦燥する反面、まだ平気だからもう少し口付けていたいと本心が囁く。押さえつけていた恋心はとどまることを知らずに膨れ上がっていく。
 悩める青少年をよそに、ポルナレフはぱかっと目を開いた。つい先ほどまでの酔いに飲まれていた色ではなく、しっかりと理性を湛えて。
「ポル……っ」
「ん」
 慌てて浮かせた口から飛び出した名前を呼び切る前に、再び唇が重なった。承太郎の腕を掴んでいたはずの白い腕が項に伸びて、屈んでいた上体を引き寄せる。ぶちゅっと間抜けな音が聞こえてきそうなキスに目を白黒させる。喜びよりも困惑や動揺が全身を支配して承太郎はなされるがまま、数秒間固まっていた。
「は、ぁ……」
 唇の隙間から漏れた吐息は低い。徐に離れた顔が熱を持っているのが自分でもわかる。血流が勢いよく巡って頭が重い。ずれていた焦点が合って、慈しむような笑みを浮かべたポルナレフの表情が視界いっぱいに広がっている。
「……好きだ」
 あの旅のさなかからずっと秘めていた言葉がこぼれ落ちる。空を切り取った瞳は逸らされない。
「……、…すき……」
 眠気も混じった声が恋を紡げば、全身が心臓になって脈打っていると錯覚するような感覚に唇が強ばる。それでもはっきりと、小さな告白を聞き取ることができた。何か言おうとして開いた口から漏れ出るのはああともおおともつかない吐息のようなものだけで、ゆっくりと隠れていく青い瞳を呆然と見つめていた。首に回されていた腕がずるりと落ちてベッドに投げ出される。
 叶うはずのない、叶わなくても良いと思っていた想いが、満たされた。歓喜に震える指先に力を入れて布団から出ているポルナレフの腕を内側へとしまってやる。すうすうと聞こえる呼吸音が安らかでいつも通りで、今しがたの出来事が嘘のように思えた。けれどはっきりと焼きついている感触と言葉。酒と熱情に煽られた体が冷え切っても尚、承太郎は寝室に向かおうとしなかった。


 アルコールの臭いを飛ばすべくガシガシと後頭部を掻いてシャンプーを散らす。規則的に流れ落ちていく温水は汗なのか汚れなのか判別が付かなかった。それでも水流を止めてしまえば対面しなければならない現実があって、承太郎は動けない。
 目を閉じなくても思い出せる体温。それ自体はこれまでの熾烈な戦いの最中に幾度か触れた。傷を負った男の手当てをする時でもあったし、薄着で寒いと駄々を捏ねる冷えた肌に温もりを分けてやるときもあった、仲間としての些細な、触れ合いともいえないもの。
「……ポルナレフ…」
 それだけで満足していた。想いを言葉にするのは生来苦手だし、何も語らずとも信頼を肌で感じ取ることが出来た。それだけで満足だと、自分に言い聞かせていた。
 その枠組みをこえた、昨夜。あれから寝室に戻ってもぐっすり眠ることもできずに朝日を浴びながらポルナレフが起きるのを待っていた。寝起きの良い彼は目を覚まして朝食を作ってくれる。その心地よい物音を聞きながら、突如として不安が過った。もし彼が何も覚えていなかったら?それどころか、自分に向けての言葉でなかったとしたら?ぐるぐると回りだした思考が制御できなくて、ちぐはぐの態度になってしまった。
 あの表情が承太郎の踏ん切りを悪くさせている。穏やかな雰囲気を纏っていたポルナレフの肌が青白くなっていくのがはっきりと見えた、数秒の会話。なんなら血の気が引く音も聞こえてきそうな。まるで、忘れていてくれればよかったのに、と言わんばかりに見開かれた瞳。
 もう一度尋ねるのが恐ろしかった。叶ったと舞い上がっていたところに、鉛のような真実をぶつけられるのではないか。
 吐息に乗せた名前は思っていたよりも弱々しい。
「…ポルナレフ」
 叩きつける水しぶきが恋に揺れる声をかき消していく。自分がこんなにも根性なしだとは思わなかった。なじっても、承太郎はしばらく瞬き一つ満足にできなかった。


 バスルームを出てリビングの方へと聞き耳を立てた。体を拭きながら、あくまでさりげなく。生活音は聞こえなかった。立て付けの悪い窓ががたがたと喚いているくらいで、静寂と言っても過言ではない。まさか部屋を出て行ってしまったのだろうかと慌てて手早く水滴を拭っていく。
 顔を合わせて何を言えばいいのかなんて思いつかなかった。いっそ何もなかったふうに振る舞えば表面上は丸く収まるのかもしれない。けれど今までのようにポルナレフがこの部屋に足を運ぶとは到底思えない。もう引き金は引かれてしまった。後悔しても遅い。
 がたん、と不意に椅子がフローリングで派手に跳ねる音が室内に響いた。一拍の後、乱暴な足音が玄関へと向かっていく。――出て行く気か!狼狽して満足に服を身につけないまま、廊下へと飛び出した。
「待て!」
「……っ!」
 まさに玄関を開けようとしていた腕を咄嗟に掴む。ポルナレフの肩は大げさなほどに震えて、こちらを振り返ろうとはしない。何もかも放棄して逃げようとするのが許せなくて口から突いて出る言葉は剣呑なものになった。
「どこへ行くんだ?」
「オ、オーナーにさ…突然呼び出されたんだよ。忘れ物してるってさ、だから……」
「そうか、それにしちゃあ随分顔色が悪いぜ。少し休んでいった方がいい」
「ただの二日酔いだっての……」
 決して目を合わせようとしない仕草が苛立ちを募らせた。問い詰める声はとげとげしさを増していく。腕を捕まえている手に力を入れて、逃がすつもりはないと言外に主張しても焦燥を浮かばせた碧い瞳はゆらゆらをと彷徨うだけ。悩んで怯えていた自分を棚に上げて、承太郎は舌打つ。それでも真実を求めて継ぎ接ぎの虚構を暴こうと言葉を続けた。
「――――――嘘つけ。誤魔化すんじゃあねえ」
「……とにかく急ぐからッ」
 弱々しかったポルナレフが拒絶するように語調を激しくした。乱暴に振り乱された腕を掴み直せず、音を立てて扉が開かれる。来たときと同じように耳障りな騒音を立てながら階段を駆け下りていく背中を、感情のまま罵倒した。
「てめえ、何も説明しないまま逃げんなッ」
 それでも戻ってこないポルナレフに苛立ちは募る。腹も減っているし、胸のあたりがむかむかして感情のまま扉を殴りつけた。ふと向かいの住人が窓を開ける音がした途端に決まり悪くなって、部屋の中へと引っ込む。
 思い出したように全身が冷え込む。けれどももう一度シャワーを浴びる気にもなれず、ずるずるとその場に座り込んだ。無性に煙草が欲しくなってズボンを探っても出てくるのは糸くずばかり。ごん、と鈍い音を立てて扉に頭を預ける。何もする気が起きず、ただぼんやりと天井を見つめた。

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