#2

 慌ただしく仕事を片付けて店を飛び出ると時間は午後8時になろうとしていた。腕時計と睨めっこしながら帰路を急ぎ、用事が入ったからと穴埋めを頼んできた同僚が少し恨めしい。時間に追われて走るなんて、それこそ日本人でもあるまいし。
 職場は大通りから少し外れたところでひっそりと営業している。やかましいティーンはいないが、昼時ともなれば席が満杯になるほど繁盛しているカフェなのだ。鬱陶しいのを好まない承太郎は雰囲気がお気に召したようで、客足の少ない開店直後なんかを狙って週に一度はひょっこりと現れ、コーヒーブレイクを楽しんでいる。余談だが、ポルナレフの雇主――店のオーナーと音楽の趣味が合い、古めかしいレコードを貸し合っているらしい。
 階段を踏み鳴らして駆け上がると靴が床を叩く音がアパートに反響していく。お目当ての扉の前に立って、跳ねあがる肩を落ち着かせるためにゆっくりと肺に酸素を満たし、
「もっと静かに上がって来れねえのかよ、足音、響いてる」
「うぉあ!?…おどかすなよアホッ」
 無愛想に開かれたドアから覗いた少年に、大人げなくがなった。見透かすような翡翠の眼差しが強くなってポルナレフは唇を引き結ぶ。お前の為に急いだのに。けれどそれ以上は口を開かずに、承太郎を押しのけるようにして部屋へと上がり込んだ。
 こざっぱりとした室内は半分くらいポルナレフの功績とも言えるものだ。渡米してから数週間、時間はあったろうに高々と積み上がっているダンボールと既に山を成している洋服を目にしたときは世話焼きの彼の母を少しだけうらんだ。自分だけでなく彼の祖父や祖母を新居に招待してくれなかったのも道理だ、とため息をつきながら荷物を持て余す家主のケツを引っ叩いて、ようやく『部屋』に仕立て上げたのだった。
「承太郎!服脱いだらカゴに突っ込めっつったのもう忘れたのか?おめーアホなの?」
「……、…やかましい。頭から抜けてただけだ」
「そおいうのを忘れてたっていうんだよ」  このスカタン、と罵りながらソファに放置されていたシャツやスラックスを定位置へ運んで肩をいからせる。勉強はできると聞いているのに肝心の生活力がこうでは将来困るだろうに、承太郎はなにを考えているのか、家事を覚えようとしない。鼻息荒く端正な顔を睨み付けても微かに首を傾げている。かわいこぶってんじゃあねーよと毒を吐けば、やけに絡むなと疑問符を浮かべて見せた。  ポルナレフの手は止まらない。苛立ちというか、心がささくれ立つ理由は分かっているのだが制御しきれなくて、それでも腹を空かせているだろう育ち盛りのための夕食作りに励んでいる。ちくちく嫌味を放っていた小姑がだんまりとすれば決まりが悪いのか、承太郎は台所を手持ち無沙汰に出入りし続けた。


「ご馳走様、…美味かったぜ」
 手料理を振舞った際に賛辞を欠かさないのは両親がしっかりしているお蔭だろうか。形式的なものだとしても、作った身としては喜ばしい。悟られないようフローリングに視線を落として、ポルナレフは世辞を受け取った。
「明日は仕事休みなんだろう、泊まっていくか?」
「………」
 きた。
 動揺を悟られないように食事をする手は止めない。少しだけ視界を上げて涼しげに爆弾を投下する張本人を見遣って心の中でため息をつく。一方的に承太郎を責めるのはお門違いなのだろう、彼からすれば自分は仲間で同性なのだから。都合が悪いか?と顔色を伺う追撃が聞こえてくるといっそう焦りが露わになる。
「…掃除やらせる気だろーがてめーわ」
「それもあるが」
「おめーなぁ!」
「聞けよ。…学校で専門書が必要なんだが、生憎でかくてな。おまえがいるうちに置き場を作りたい」
「……、やっぱり顎で使う気じゃあねーか…」
 ふらふらと視線を彷徨わせているのは多少なりとも申し訳ないと思っているからなのだろう。広い肩幅がどことなく小さい。頼られるのは――嬉しいかそうでないかといえば?―嬉しいわけだが、これではママンにでもなった気分だ。求めているのは親愛ではなく恋情だ。
 そこまで考えて、ひどく貪欲になっている自分に戦慄した。想っているだけで幸せと嘯くつもりはないにしろ、告白もアプローチもしていない身でなにを望んでいるんだ。ばかばかしい。知らずのうちに溜めていた酸素を吐き出す。大きな吐息はさらに承太郎の肩に伸し掛かったのか、諦観すら秘めたグリーンの目がポルナレフを伺う。にっと頬を持ち上げた。
「今回だけだぜー承太郎。次は対価を要求する!」
「……何がほしい」
「頼る気満々かよッ?!仕方ネー坊ちゃんだな。そこはほら、アメリカンギャルの電話番号とかさァ」
「却下」
 不満げな声を上げて唇を尖がらせるポルナレフにようやく承太郎は口元を緩めた。


******

 一緒に晩御飯をつついて食後に口当たりの良い酒が食卓に上れば、あとはお決まりのコースだった。とりとめのないことをぐだぐだと肴に、どちらかが眠いとこぼすまで口を動かす。普段はたいしてべらべら喋るほうではない承太郎も酒の力なのかほんの少し饒舌になり、ポルナレフの話に茶々を入れては静かに笑う。
 幸い二人とも二日酔いだとか、悪い酒の残し方はしない方だからこその遊び方だ。一度飲ませたら次の日まで頭を抱えていた花京院などが相手ではこうはできない。しかもやつは見かけに寄らずオオトラだ。若者三人で寄ってたかって酒盛りをして、おまけにばれて、大目玉をくらったありし日を思い出す。甲斐甲斐しく朝ごはんを作りながらポルナレフはふふっと小さく声を漏らした。
「なににやけてる」
 廊下からにょっきりと黒髪が生える。形の良い眉が顰められているのは朝日のせいだろう。おはようと声を掛ければ同じように返され、なんだかくすぐったい。旅の道中は気を張り詰めていたんだろう承太郎は、意外にも寝起きが悪かった。あの旅の中では知れなかったことが嬉しい。
「そっちこそ珍しいじゃあねーか。いつも起こしに行くまでぐーすか寝こけてるくせによォ」
「………、ポルナレフ。おめー覚えてないのか?」
「は?なにが?」
 問い返せば、躊躇するように唇が閉ざされた。うろつく視線が不安を煽る。
 覚えてない?なにか口走ってしまったのか。寝ぼすけの承太郎がわざわざ自分の様子を伺いに来るほどのことを?――まさか。ざっと体中から血の気が引く音が耳の後ろで響いた。
 酒を持ち越さないとはいえ、それは翌日の話だ。酒盛りの最後の方は、いつだって記憶が曖昧だ。アルコールが回って睡魔が襲い来れば意識も混濁していく。アルコールは陽気さをくれるが、理性をも奪う。昨夜根を上げたのは自分の方だ。もうベッドへ行くのも億劫になっていたのを引きずっていったのは間違いなく承太郎で、半分くらい眠っていたから記憶は途切れ途切れで。その時だろうか、とんでもない――秘めていたはずの気持ちを、つい暴露してしまったのか。
 ポルナレフは固まったまま動けない。火にかけた鍋がごぼごぼと吹き荒れて乱暴な音を立てている。それだけが広くない台所に響いていて、承太郎の顔を見るのも恐ろしくて、焦点も合わせられない。
「…いい。わかった」
「 、じょ」
「もういい、いいんだ。大したことじゃあない」
 顔、洗ってくる。そう付け加えてまた廊下に消えていった足音。一度も視線は交わらなかった。


 一刻も早くここから逃げ出したい気持ちになっているが、それでもポルナレフは朝食を作り終えた。煮込みすぎたポトフはなんだか妙な色になっているがそれでも他は概ねいつもと変わりのない朝食。二人分の食器を並べ終えて、ポルナレフは再び空中に四肢を絡めとられる。
 ざあざあと水音がしている。承太郎はシャワーを浴びているのだろう、この内に出ていくべきじゃあないのか。おそらく顔を合わせれば普段通りに振舞ってくれるだろう、それだけの度胸と甲斐性はある男だ、承太郎は。しかし。大の男に酔っ払って告白されて、あまつさえ片付けやらを(不可抗力とはいえ)やらせ、その上顔を突き合わせて朝食を楽しむなんて気にはならなかった。ずうずうしいし、自分が逆の立場ならケツを蹴っ飛ばして外にポイだ。
 ざあざあと水音がしている。未練がましく動かない足。罵倒を受けなかっただけましだというのに、だからこそ、一抹の希望を捨てきれないのだろうか。
 淹れたばかりのコーヒーが良い薫りをあたりに振りまいている。ポルナレフは水音が止んでも立ち上がれなかった。

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