#1

茹だるようなエジプトの太陽が恋しくなるほど、ここ数日のニューヨークは寒々しかった。あれほど注意されたのにマフラーも巻かず飛び出してしまった数分前の自分を呪う。行き交う人々は手袋やカイロを片手に、足早に帰路を取って、人混みに紛れながらポルナレフは踊るような足取りで居候先へ急いでいる。
もう血の繋がった家族がいないのだろう、家に来ないか?せめて傷が癒えるまででも、気に入ったのなら住んでくれていい。――そんな申し出を受けて早くも2ヶ月が経とうとしている。母国を飛び出してからというもの『腰を据える生活』とは無縁でくすぐったいような気分にもなったが、快活で遠慮のないジョースター家の人々に揉まれながら日々を過ごしている。
敵討ちに費やした3年は短いようで長かった。その日々を後悔はしていないけれど、がむしゃらに世界を回っていた自分は未来の事なんて想像もしていなかった。むしろ、全てを終えたら妹や両親の元へ旅立とうと、心のどこかで考えていたのかもしれない。彼女を無惨にも死に追いやった犯人を憎み、無垢な少女一人生かしておかない世界をも憎んで。復讐の誓いは知らず知らず自身をも追いつめていた。
そんな自分を繋ぎ止めたのは仲間の存在だった。いやにベタつくでなく、かといって薄情に突き放すのでなく、自然体で接して全力でぶつかってくる他人たち。ただの同行者から心を許せるようになったのはいつの頃からだったろう。ほんの数か月前の記憶をこうして呼び起こしてはポルナレフの頬は緩んだ。冷たい風が頬を撫でていく。自分を迎え入れてくれる家はもう見えていた。


「ひっさしぶりだなぁ〜承太郎!外寒かっただろ、コーヒーいれっから上がれよ!おまえ身長伸びた?つーか逞しくなった?成長期ってすげえな」
「……そっちは相変わらずだな」

 畳みかけるように訊ねた質問は一言で流されてしまったが、クールな口元には小さく笑みが広がっている。学校の制服ではないラフな姿をした彼はどうにも新鮮でじろじろと観察してから、2ヶ月の間に慣れてしまった広い廊下を通り過ぎて、日の光が差し込むダイニングに案内する。承太郎から見れば祖父の家なのだし案内は必要ないようにも思えたが、黙って歩く少年を先導して恭しく手荷物を受け取った。

「ずいぶん身軽だな。勉強する気あんのか〜お前?」
「嵩張るモンはアパートに送ってあるんだよ。今日はおばあちゃんがどうしてもって言うもんでここへ寄ったが……荷解きが億劫だ」

 コーヒーメーカーをセットしながら軽口を叩くと存外近くから反論が飛んでくる。勧めた椅子に落ち着かずキッチンに立ち入ったかと思いきやポケットから煙草を取り出しているのを視界に入れて、シンクに体重を預けた。淀みのない動作で火を付ける横から手を伸ばして、制服の裾を引っ張って一本ねだる。旅の道中ではよくした仕草だ。承太郎も察して、驚いたふうでもなく差し出した。

「…ん、アパート?ここから通うんじゃあねえの?」
「毎朝電車に乗りたくないんでな…、学校の近くに部屋を借りた。」
「なんだ、宿題とか手伝ってやろうと思ってたのによォ」

 余計なお世話だ、と嘯く声が楽しそうに跳ねている。随分と心を許してくれたものだとポルナレフの心が浮き足立って、意味もなくつま先で床を蹴った。並んで煙を吐き出すゆったりとした時間の中でふと瞼を閉じる。ほどなく立ち上ってくるコーヒーの薫り、何とはなしに零れる言葉を拾って応じてくれる相手、雲の切れ目から差し込んでくる陽光が室内を明るくする。けれども何より自分を暖かな気持ちにさせてくれるのは他ならない承太郎が隣に居るからなのだろう。
 誰と一番仲が良いとかは考える暇もなかった道中だったが、気が付くと承太郎とつるんでいる事が多かった。年上ばかりで気詰りなこともあるのか花京院が混じることもあったり、砂漠を超えてからはイギーも時折足元で丸くなっていたっけ。進路や交通手段でジョセフとアヴドゥルが一部屋に籠ってしまえば自然と誰かの部屋に集まって、煙たいと喚く真面目っ子の為にわざわざベランダで一服したりもした。文句言うなら戻りゃあいーのにな、と唇を尖らせて呟くとああ見えて寂しいんだろうよと低い声が笑った。穏やかな表情に見惚れて、見惚れている自分自身に驚いて、二の句が継げなかった。
 思えばはっきりと意識したのはあの頃からかもしれない。頭を空っぽにしていると意味もなく承太郎の姿を追ってしまうのに気付いて頭を抱えては悶々と自問自答して、頬をだらしなくさせるこの気持ちが恋だと認めることにそう時間は掛からなかった。

「…ポルナレフ、立ったまま寝てるのか?」

 座ろうぜ、と促す承太郎の手にはマグカップが2つ。礼を告げる前にさっさとくつろぎ始める背中を追って向かいに腰かけた。言葉の代わりにウインクしてみせるとふいっと顔を背けられてしまう。ポルナレフはというとまた唇を尖がらせて不満を露わにした。

「おめーは…こっちの生活はどうなんだ?」
「おう!スージーさんも優しいしよ、ジョースターさんもいるしで楽しいぜ!」

 行儀悪くテーブルの下で揺れる足が時折すらりと組まれた承太郎のものとぶつかって楽しい。咎められないのをいいことに爪先で爪先を悪戯につつく。緑色の瞳が呆れたような色を宿して向かいに座る男を眺めるがマグを傾けて逃げた。ジョースターさんは気にすんなっていうけどさあ、と口を開いて背筋を伸ばす。

「タダで世話になるのも悪いからさ、ここから二駅先のカフェでバイトしてんの。今度遊びに来いよ」
「……二駅先?」

 真っ黒な水面を見詰めていた承太郎が顔を上げた。そうかと頷かれて終わるだろうと思っていたので一瞬心臓が跳ねたが表情には出さず、椅子の背もたれに上半身を預けてポルナレフは首を傾げる。次いで告げられた言葉には前のめりになって喜びを表した。

「同じ場所?!まじかよ、ご近所じゃあねえか!二駅くらい我慢しろよな!」
「やかましい。…近いうち顔を出してやる、サービスしろよ」
「雇われてる身でそんなことできっか!」

 ケチくせえな、なんて軽口を叩きあう内にどちらのものともつかない笑い声がダイニングに響いていた。思いもよらない偶然に心が浮ついて、純粋な嬉しさと想いを寄せる相手の傍にいられる幸福で、自然と笑いは止まらなかった。

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