※ほんの少しですがモブが承太郎と会話してます
※全体的に下品
ご注意ください

 トン、トン、と手にしたペンで一定のリズムを取る。自分が立てているその音にすら苛立ちは沸き上がって、抑えることができない。大きく息を吸って、盛大に吐き出す。胸に渦巻く感情の原因は痛いほど分かっていた。

 同棲している恋人と喧嘩をして、もう五日も触れてない。会話も必要最低限しか交わしていない。同じ場所で寝起きしているにも関わらず、だ。
 喧嘩の発端は些細なものだった。専門書と睨み合いながらレポートを纏めている中、ポルナレフは机にかじりつく承太郎を気遣って軽食と飲み物を持って書斎を訪れた。温かなコーヒーの香りに肩が強ばっていた承太郎もふっと力を抜いて恋人を迎え入れる。互いを労う言葉とキスが交わされる。――この時にリビングで小休止しようと言えば良かったのだと、今更振り返る。
 一服しようぜ。これが一段落したら。そんな応酬をすれば、放っておかれたポルナレフは寂しかったのだろう、膝の上を陣取ってぶすくれた。今がいい、と顔を覗き込んで離れようとしない恋人は可愛らしかったが、その時はさっさと目の前の敵を倒してしまいたかったので、肩を押し返したのだ。
 ポルナレフはというと承太郎が甘えられるのに弱いと知っていてわざと体を寄せたので、恐らくは拒まれると思っていなかった。だからこそ簡単に体勢を崩して、―――――持ってきたコーヒーを、パソコンにぶちまけた。
 熱さに飛び退いた恋人と、嫌な音を立てた電子機器と。ベクトルは違えど承太郎にとってはどちらも大事なものだったので、ぽかんと間抜けに口を開けたまま、思考回路が停止してしまった。
 火傷した腕を振りながら呆然としている承太郎を数秒見つめて、心配する素振りを見せなかった恋人にポルナレフは腹を立てた。
 売り言葉に買い言葉、意地っ張りと頑固者がやり合えば舌戦は白熱した。
 そして今日に至る。大事な論文の途中だったのは確かだったが、大丈夫か、という一言がなぜ出てこなかったのか。思い返せば我ながらため息が漏れる。ちなみにパソコンは一時ブラックアウトしたもののデータに破損はなく、論文は無事に提出できた。
 ちっとも読み進められない本から目を背けて、承太郎は目蓋を閉じた。
「あのさあ、さっきからどうしたの。落ち着き無いね」
 からかう響きを持った声は背後から掛けられた。
「何でもない。耳障りだったのならすまねーな」
 誰かと話したい気分ではなかった。視線だけで相手を見て適当に流すが、男は隣の席へどかりと腰を下ろすと気安い笑顔で肩を叩く。椅子が嫌な音を立てて抗議した。
「そうつれなくするなよ!むしゃくしゃしてる時は誰かに話した方がすっきりするって」
 少しくすんだブロンドの青年には何度か話し掛けられた事がある。噂好きで女好きでお喋りで、鬱陶しい男だった。ポルナレフと暮らすようになって浮かれていた頃、彼女でも出来たのかとしつこく聞いてきたのもこいつだった。隠すつもりはなかったのでその質問は否定しなかったが、翌日その男から話を聞いたと涙を浮かべた女子たちに詰め寄られて流石に閉口したのだ。
 口車に乗せられてはまた面倒な事になる。立ち去るのも癪なので徹底的に無視だ。そう決めて分厚い本に視線を落とした。
「JOJO〜、あれから彼女とはどうなんだよ?何かムカつくことがあっても愛しのハニーが癒してくれるんだろ?…あ、もしかしてムカつきの原因はそのハニーか?ヤらせてくれないとか?」
「…向こうへ行け」
 語尾上がりの軽薄な口調に頭痛がした。つい乱暴な言葉が口を突いて出るが男は怯まない。
「そういうことなら一発抜いてスッキリすれば解決だな!貸してたお気に入りが丁度返って来たところだからさ、JOJOにも貸してやるよ」
 鞄を漁り、取り出したものを男は無造作に机へ投げた。美しい女性が胸部を露わにして、挑発的な視線でこちらを見ている。初めて見たわけではないにしろ手にする機会がほとんどなかったそれに困惑して硬直してしまった。ともあれ公共の場で大っぴらに置くものではない。はっと振り向くと男はとっくに背を向け、片手を上げてまたなー、等と勝手な事を言っている。
「おい、待て…ッ」
 泡を食って立ち上がれば椅子を倒した音と室内に不釣り合いな大声で周囲の注目を集めてしまう。そして自分の机にはアダルトビデオ。私物ではないと弁解したくても、意味のない事に思えた。
「………」
 承太郎は本日何度目か分からない、大きく深いため息を吐き出した。


 玄関の灯りを点けて肩を落とす。結局淫猥なものを放置するわけにもいかず、持って帰る羽目になってしまった。あの男と次に顔を合わせたら顔面に一発くれてやると決意する。どことなく重い足を引きずってソファに腰掛けても疲れは取れない。
 ぼんやりしていると、意地っ張りな恋人に対してふつふつ怒りが沸き上がった。人が好きで勉強しているものを『こんなの』呼ばわりしてきたことだとか、三日に一度は「練習だ」といって作っていた日本食を頑なに作らずにフランス料理攻めしてきていることだとか、靴下や下着をわざわざ裏返しに畳んでくれやがったこととか。
 鞄の中をのぞくと、名前もろくに覚えていない男に押し付けられたエロビデオが鎮座している。口車に乗せられたわけではない、これは当て付けなのだ、分からず屋な恋人への。そう結論付けると普段は恋人専用と化しているビデオデッキに問題のブツを突っ込んだ。
 ブラウン管の中からブロンドの美しい女性がにこやかにこちらを見詰めている。リモコンを手にして早回しすれば卑猥な水音と高い声が部屋に響きはじめた。いつも触れる恋人とは違う、柔らかそうで丸みを帯びた体と膨らんでいる乳房。
 純白の下着が剥ぎ取られ、着々と行為は進んでいく。そうして眺めていても、承太郎は自分が少しも興奮していないことに気付いて愕然とする。男を恋人にしていても自分はノーマルだと思っていたのに、いつから同性愛者になっていたのだろうか。ポルナレフと恋人になった時点で、いや、好きになったときから同性愛者であると言われれば否定はできないのだが、それでも元々の自分は女性に性的欲求を抱いていたはずだった。彼に出会うまではそういった『普通』の本で処理をしたこともあった。なのに。
 混乱しそうになる脳内を回転させて、テレビをもう一度、おそるおそる見る。女優と一緒に映り込んでいる男の裸体をじっくり眺めても反応しない自分に、承太郎は少し安堵した。
 落ち着きを取り戻しつつある脳内で、ゆっくりと恋人を思い描く。白い肌や抱き心地がいいとはいえない、筋肉に覆われた体。組み敷くと頬を染めて視線を逸らす仕草や、たどたどしく名前を紡ぐ上擦った声。柔らかい唇と、抱き付いてくる硬い腕―――。
 記憶にある姿をなぞればあっという間に性器は熱を持った。あっけないほど簡単に。ようやく自分で自分を理解してソファに身を沈めた。
 ポルナレフが好きだから勃起するんだ。身も蓋もない言い方をすれば、惚れた相手を孕ませたいという本能がそうさせている。男だからどうとかそういうものの前に、もっと単純な話だった。
 そう経たないうちにポルナレフは仕事を終えて帰ってくるだろう。謝って、やけどは大丈夫だったか改めて聞いて、キスをしたい。下半身は硬くなっていたが不思議と穏やかな気分だった。自分の腕から少しはみ出てしまう体を抱きしめたい。きっと歯型やキスマークは薄くなっているだろうから、外へ出れないと抗議されるくらい新しい印をつけよう。
 いつものように笑いあっている光景を思いながら、承太郎はいつの間にか目を閉じていた。

 心地よい眠りの最中、突如ボスッと腹部に衝撃が走る。がばりと上体を起こして、ポルナレフを待つつもりだったのに自分が寝ていたということに気付いた。床に転がっているのは恋人が愛用しているスリッパだ。リビングの扉は中途半端に開けられていて今まで誰かがそこに立っていたと示していた。カンカンカン、と乱暴に階段を駆け下りていく音が響いている。
 頭の中がクエスチョンマークで埋まったがひとまずポルナレフを追いかけようと立ち上がって、ようやくエロビデオが再生されっぱなしだということに気付いた。あられもない声で乱れる女優の姿が映し出されている。
 誤解された!と瞬時に理解して眠気も吹き飛んだ。どうみたって一発抜いてすっきりしたから寝ていたようにしかみえない、いわば犯行現場そのものであるリビングから飛び出す。(本当にあてつけてやろうとしていたことはこの際置いておく)
 ポルナレフに追いついたのはアパートの近くの公園だった。脇目もふらず逃げようとする背中に奥歯を噛んで、秒針を止めた。そよ風に揺れていた木々も追いかけていた恋人も示し合わせたようにピタリと動かなくなる。自分の足は止めずに走り寄るとしっかりと腕を捕まえて、何事もなかったように風が吹き始めた。大げさにポルナレフの肩は跳ねたが有無をいわせず振り向かせる。目に涙が溜まっていた。何かを叫んでやろうと思っていたのに今度は自分が怯んでしまって手首を強く握りしめることしかできない。
 しかしポルナレフはそんなことでは収まらなかった。日も落ちた公園に涙声の怒声が響く。
「嫌がらせかよ!喧嘩してるからって!」
「違う」
「女の子の方がいいんだろ!おれだってそうだよバカッ」
「ポルナレフ」
 なんとか口を挟もうとしても感情が昂った相手にはなしのつぶてだ。ギラギラと怒りを湛えた青い目が薄く張った涙に揺れながら鋭く睨み付けてくる。
「AVでシコって満足ならもうおめーとはセックスしねえ!」
「抜いてねえって言ってるだろうが、話を聞け!」
 距離を取ろうとして暴れるポルナレフの肩を両手で捕えて揺さぶると、ようやく視線が交わった。走ったせいか怒鳴ったせいか、ポルナレフは肩で息をしている。
「惚れてもいねえ奴に勃つか!溜まってるからするんじゃあねえ、てめーが好きだから抱くんだろうが!」
 瞳がこぼれ落ちそうなくらいに見開かれたポルナレフの目尻からぽろりと涙が落ちる。大声で叫んだ内容を理解したのか驚愕に染まっていた表情がみるみる内に歪んで、頬を赤くしていく。何かを言いたげに赤い唇が何度か開閉するが漏れてくるのは小さな吐息ばかりで言葉は吐き出されない。
 おずおずと伸ばされた腕が背中に回って肩口に額が押し付けられると、耳元でぐずぐずと鼻を啜る音が聞こえた。
「あらあら、若いわねえ」
 意識外から突然投げ込まれた呑気な声の方へ、咄嗟に振り向く。人の良さそうな老婆がひしりと抱き合う自分たちを見てころころ笑っていた。ポルナレフを説得することばかりを気にしてすっかり頭から飛んでいたが、そういえばここは外だった。しかも家から目と鼻の先にある公園だ。
 腕の中のポルナレフもようやくその事実を思い出したのか承太郎の胸板に顔を押し付けたまま固まってしまった。承太郎だって出来れば顔を覆い隠したいくらいの気持ちだというのに頼みの帽子はリビングに置いてきたのだ。なのにポルナレフときたら自分だけ顔を見られないように動かない。しかし耳まで真っ赤にして震えているのはそれなりに可愛らしいので口に出して批難はせず、恨めしさを込めて眼下の銀髪を睨み付けるだけに留まった。
 邪魔してごめんなさいねえ、と少女のように笑っていた老婆が軽快な足取りで去っていく。その足音が聞こえなくなってから数秒後、薄情者がようやく顔を上げた。
「…おれたちも帰るか」
 最早何のせいなのかわからないほど赤くなっている目元を親指で撫でてやるとポルナレフはピアスを揺らして小さく首肯した。その仕草が小さな子供のように見えて、離れていく手のひらを掴む。ぎゅっと握り込んだまま足早に階段を登っていく。ポルナレフは混乱しきりなのだろうか、何も言わなかった。
 立て付けの悪い玄関を開くと広くもない廊下を伝ってリビングから女の嬌声が微かに漏れ聞こえた。不愉快な雑音にしか聞こえないアレの存在を、慌てていたのですっかり忘れていた。背後から投げられる視線が少しばかり剣呑さを孕んだ気がしたが、手を離さずにリビングまで引きずる。
 ぶつんと音を立ててテレビを消し、改めて静かな恋人に向き直る。怒りも羞恥もポルナレフは浮かべていなかった。
「ポルナレフ、おれは」
 言いかけた台詞が、唇に吸い込まれる。
「好きなんだろ?……抱けよ。オナニーなんてする暇ねえくらい、搾り取ってやる」
 苦しいくらいに絡みついてくる腕と寄せられた体温のおかげで必死に組み立てた科白もどこかへ吹き飛んでしまった。赤くなっている口に噛み付いて体をまさぐって、あとはひたすらポルナレフに溺れていった。


 触れ合えなかった日々の分を埋めるように睦み求め合って、思う存分ここ数日の隙間を埋めたあと。
「おれもお前もゲイじゃあねえし、承太郎も女の子を見たいときがあっても当然だよな、ごめん。でもおれ、見つけちまったらまた騒いじまうから、バレないように隠しとけよ」
「てめー……おれの話を聞いてなかったな」
「あ? なんだよ、気ィ遣ってやったんだろーが」
「だから、……」
「なに?」
「……溜まってるからヤるんじゃなくて、てめーに惚れてるから触りたくなるって話だ」
「それとこれとは別だろ」
「同じだ、あれじゃあ勃たなかったしな」
「えっ、お前大丈夫なのかよ機能的に」
「…さっき身をもって確認しただろーが」
「そういえばそうだった」

いつものようにベッドでだらだらと微睡んでいるとどことなく情事の余韻を残した表情をしたポルナレフはもじもじと口を開いた。
「女の子じゃなくておれにだけ反応するってのは…なんかちっと嬉しい」
 前髪がおりて少し幼い表情をした恋人のほんのり赤くなった頬を撫でながら、ため息が漏れる。温かくごつごつとした体を抱き寄せて額に唇に触れた。
「……こんなこと言わせるんじゃあねーぜ」
「照れてんのかよ」
「やかましい」
 くすくすと押し殺した低い笑い声が耳朶を打つ。羞恥心を擽られるものの耳に心地良いそれが愛おしく、反論を頭の中でこね回しているうちに意識は夢の中へと引き込まれていく。
 部屋にはふたつの寝息が穏やかに響いていた。
(2016.6/27)

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