△原作沿い、五部ポルナレフの独白
△承←ポル


 あいつはまだまだガキだった。
 尊大な態度で胸を張ってでかい図体でおれを少しだけ高い位置から見下ろす。冷めた目付きが全てを悟っているようで苛立ったこともあった。かと思えば挑発には乗るしカッとなって手を上げる場面も少なくない。口から出る言葉は捻くれてるのに根は馬鹿みたいに真っ直ぐで、純粋だった。
 あいつは不器用だった。
 黙ってると氷のように冷たい表情になる癖して口数が少ないもんだから、その性格を知らない人間には誤解されやすい。心配してるなら声を掛ければいいのにじっと見つめるばかりで、今思えばかける言葉を探していたと分かるけれど。周囲を気遣う余裕なんてなかったおれはあいつなりの優しい感情に気付けず随分と的はずれなことを言っていたと思う。
 あいつは家族思いだった。
 家族について語ることは少なかったが、忌まわしい吸血鬼を斃すのだと言い切った言葉の裏には故郷に残してきたという母への思慕があった。年頃特有の恥ずかしさが邪魔をしてか実の祖父にもそっけなくしていたけれどため息や表情の些細な変化には敏感で、ばれないよう横目で様子を窺う様子を何度か見た。
 少年らしからぬ落ち着きを持ってはいたが、他人に甘える術すら知らない子供。死を覚悟することも一度や二度ではなかった旅路で虚勢を張っていた。家族を失うかもしれないという不安を押し殺していた。
 あいつは、まだまだガキだったのだ。

 不器用で、自信家で、ちょっと傲慢で。
 強くて、繊細で、生命力に満ち溢れていて、感受性が高くて、優しくて。
 そんなあいつが、すきだった。魂ごと愛していた。


 石畳が冷たい。空気は肌に絡みつくように湿っていて今にも雨が降りそうだ。
 どくどくと流れ出ていく生命の証。不思議と痛みはなかった。体の端から感覚が抜け落ちていくのに寒さが全身を包んでいく。眠りに落ちるように倦怠感が襲い来る。
 これが死か。脳裏に浮かんでは押し流されていく記憶は楽しいものばかりではなかったけれど、この結末はおおむね受け入れられるものだ。悔しさと憎しみに焼かれた夜も、静かに世界を睨みつけた朝も、自分の人生の一部だ。独りで耐えた日と引き換えに彼らと出会えたと思えば悪いものでもない。それだけのものを彼らにもらった。
 目の前が暗くなっていく。もはや目蓋を閉じる力も残っていない。
   最後の一手は打った。矢の行く末を見届けられないのは無念だが、後はあの少年たちに託すのみ。やくざな道を歩みながらもあの悪魔に立ち向かう少年たちが、在りし日の彼らと同じように、やつを倒すと信じて。

じょうたろう

 ひび割れた唇であいつの名前をなぞる。声は吐息にすら出来ない。自分という輪郭がぼやけて、ほどけていく。
 家族への思いも仲間との思い出もすべてから解き放たれて、残るのはあいつだけ。
 二ヶ月にも満たない時間を鮮烈に駆け抜けた友だった。元気でと言ったあいつはこの結末をどう思うのだろう。よくやったと労ってくれるだろうか。それとも置いていったことに怒るのだろうか。責任感の強いやつのことだからおれを救えなかったと後悔するのか。


シトシト。ついに雨が降りだした。
シトシト。これは誰かの涙なのか。


 ………いやだ。
 ガキのくせに強がっていたあいつに、これ以上喪失感を覚えてほしくない。あの吸血鬼さえいなければ友人を失うこともなかった。身を削って戦いに身を投じることもなかったんだ。クソ生意気で家族を大切にするただのガキでいられた。もう失う必要なんてないのに。
 会いたい。
 敵の脅威もない場所で下らない話がしたい。十数年前出来なかったことをしたいんだ。先に逝ってしまった薄情者たちの悪口を言いながら、ついでに墓参りもしてやろう。何も言わずにさよならなんて嫌だ。おれのエゴでもなんでもいい、あいつに会いたいんだ!
 もうとっくに体なんてないはずなのに、抗えない力に浮遊していく感覚。横たわる自分の肉体が視界に飛び込んで、遠ざかっていく。待ってくれ、まだ、やりたいことも、伝えたいこともあるんだ。もがいても吸い寄せられているように意識とは真逆へ向かう。見下ろす街はぼんやり光ったものが出入りしていて、最後の賭けがうまくいったのだと知る。数年前見たのと同じ異様な光景。ただ一つ違うのは自分の魂がぐんぐんと遠ざかっていくことだけ。
「まだ…」
 視界が水分で歪む。肉体から抜け出たのに沸き上がる涙に邪魔されて世界が滲んだ。抗えない力から逃れようとがむしゃらにもがいた。
 ――ふとどこからか乾いた砂の音が耳元で聞こえる。サラサラと軽やかなそれはゆっくりと体に巻きついて、性急にだが確実におれを地上へと押し戻していく。覚えのある感触だった。
 持ち主を確認する前に狭苦しい場所に押し込められる。体が上手く動かない。呼吸をするので精一杯だ。無理矢理目蓋をこじ開けると人々が目覚めようとしている。記憶を探るのはあとにして、もたらされたチャンスを掴もうと声を上げた。


 金色の髪の少年がしっかりと矢を手にしたのを見て、細く長い息をついた。
 ようやく、終われる。
 矢は持ち主を選んだ。これからはあの少年が矢を守り、仲間を守り、未来に進んでくれるだろう。あいつと同じように。
 どっと体から力が抜けていく。死してなお機会を与えてくれた神の加護もここまでだろう。そういえばあの乾いた音は、一体どこで聞いたのだったか。今度こそ遠ざかっていく街を眺めてぼんやりと思った。
「なに格好つけてるんだい」
 またしても聞き覚えのある、今度は若い声。いつの間にか上昇していたはずの体が中途半端な位置で止まっている。背中にはぬくもりがあった。
「会いに行けよ。彼も君を待ってる」
 弾かれたように振り返ると懐かしい顔が不機嫌そうに歪められていた。花京院、と小さく呟くと、少年は打って変わって嬉しそうに笑った。
「ぼくだけじゃあない」
 曇り空から差し込む光に、アヴドゥルとイギーも照らし出されていた。思考が追いつかなくて、口を馬鹿みたいにパクパクと開閉することしかできない。
「できるだけゆっくり来ることだな」
 低く落ち着いた声に同調するように犬の鳴き声が重なった。じわりじわりと、先ほどとは違う涙が溢れ出る。怒鳴ってやりたいのに喉も体も震えて上手く喋れない。
 とん、と優しく背中を押されて急激に空が遠ざかる。
「…っばか、やろう……!」
 さざなみのような笑い声と共に届いた声が届いた。
 しあわせに。


 うららかな日差しを浴びながら紅茶を楽しんでいた少年は、ふと顔をあげて男を見つめた。宝石を埋められた亀からにょっきりと顔を出したその男は片手を上げて挨拶する。穏やかに笑い、過去を語らない、どこか影を帯びたその人が口篭っているのを見て、少年は笑顔で続きを促す。
「会いたい人が、いるんだ」
 少年は目を細めて、満足げに頷いた。


(2014.11/25)
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -