承太郎が暑さに負けてとうとう冷房のスイッチを入れた。
 太陽が遺憾無く猛威を奮う中、それでも申し訳なさそうに縮こまってお伺いを立てたのはおれに遠慮して、らしい。
 冷蔵庫を無駄に開け閉めしているのを叱ったり、電気を付けっぱなしにすればすっ飛んでいったり。母親かよと零した承太郎と派手に口喧嘩したことは記憶に新しい。思春期の承太郎にはちっとばかり口うるさく聞こえたんだろう。まあ、翌日にはなんであんなにムカついたか分からなくて、謝り合って事無きを得た。
 ていうか承太郎のヤツ、おれが怒る理由を全然理解してねえ!無駄遣いはダメだが、汗だらだらになりながら我慢することねーのに。
 日中は地獄でも夜中にはもちろん気温が下がる。しかしお互い寝付いてもおれをしっかり抱きかかえて密着して、暑さに魘されながら夜中も我慢していたらしい。ベッドは広いんだし暑くて目を覚ますくらいなら離れりゃあいいのに。お陰でヤツは現在快適な温度を保つ室内で熟睡中だ。あいつアホだろ。
 一通り家事を終えて、ソファを占領する恋人をそっと覗き込む。額にはうっすらと汗が光っている。ああ、寝ているからって冷房を弱めたのがいけなかったか。床に放り出されたブランケットを拾ってつい頬が緩む。シャツから見える腹の無防備さといったらまるで飼い犬のそれだ。
 苦しそうには見えないので風量はそのままに、滲んでいる汗を拭う。触れた肌は熱い。
「なーにしよっかなぁ…」
 ラグに座り込んで冷風を享受する。仕事も学校もちょうどよく休みが重なって、暑いし出かける気もなくなって二人して家でゆっくりする予定だったのだ。やるべきことを済ませている内に承太郎は眠ってしまったので手持ち無沙汰だ。起きないかと期待しながら呑気な寝顔を覗き込む。
「承太郎」
 頬をつついても柔らかくはない。少年から青年に変わりつつある肌はまだ綺麗な卵のよう。小憎らしい顔にキスを送る。目蓋や鼻頭、額と頬、顎の先。じろじろ端正な顔を眺めて、菓子でも作ろうかと閃いた。甘さ控えめのコーヒークッキーはこいつの好物だし、起きる前に作って全部食ってやろう。
 イシシと悪戯に笑って台所に駆け込んだ。材料を確認して、優雅な午後のひと時を脳裏に思い描く。承太郎と暮らすようになってから心を乱されることばかりだったし、ちょうどいいだろう。嘯きながら生地と格闘しはじめた。
 がしがしと生地をあらかた混ぜてそっとソファを窺う。寝返りを打ったらしい承太郎の長いおみ足がラグに投げ出されている。緊張感のない姿がおかしく思えて溢れてしまう笑みを堪えながらトレイにクッキーを並べる。食べるのは自分だし丁寧に形を整える必要はないとばかりに歪なものばかりになったが、要は美味ければいいのだ。うん。
 オーブンに突っ込んであとは待つだけ。指に付いた生地の切れ端を舐めながら、すっかりソファから落ちてラグに転がる恋人にそっと歩み寄った。くしゃくしゃのブランケットを腹に掛け直しながら、こいつこんなに寝相悪かったっけなと首を傾げた。
 そうだ。いつ起きてもおれを抱き締めたままだから妙に思ったんだ。ふと思い至ってだらりと投げ出された手を握るとやんわりと握り返される。それが甘えているように思えて心をくすぐられる。頬に何度か唇を触れさせると承太郎の瞼が震える。起きたのかと顔を覗き込むとそのまま抱き寄せられてごろりとラグに転がされた。
「びっくりさせんな!」
「起きて欲しかったんだろ?」
 得意げに笑いながら図星を指されたのが悔しくてべっと舌を出してみせる。可愛くない恋人は放置してクッキーのご機嫌を窺いにいこうと肩を捻る前に寝起きとは思えない力に阻まれ舌に吸いつかれた。そういう意味じゃねえよ!
「んんん!」
 毛足の短いラグはフローリングの固さが伝わってきて骨が痛い。薄いシャツ越しにがりがり爪を立ててもお構いなしに唇は密着したまま。少しだけ残っていたコーヒーの薫りを舐め尽くさんと口内を荒らしていく舌に歯を立てると、思う様蹂躙していたそれが渋々とでもいうようにゆっくり離れていった。
「甘い」
「クッキー作ってたんだよ。そろそろ出来上がるからオーブン見ねえと」
 本当は一人で食べる予定だったけど。
「ならコーヒーいれてくれ」
 くあ、と大きく口を開けて承太郎が立ち上がった。もっと駄々を捏ねると思ったのにフローリングをぬしぬし言わせながら廊下に消えていく背中を見送って、台所に戻る。オーブンを開けると良い香りが部屋を包んでたちまち胸いっぱいになった。熱々のその欠片を口の中に放り込んで噛み砕く。ほろ苦さと甘味がちょうど良い。さっすがおれ、と頷いている間も手は休めずに飲み物を用意する。
「うまそうだな」
「当たり前だろー?ホレ座れよ」
 外は随分と暑そうで、カーテンから差し込む太陽は眩しいくらいだった。ごう、と重苦しい音を立ててクーラーが冷風を吐き出す。項や肩を撫でていく人工の風はなんとも心地よく、手にしたコップの中で氷が軽い音を立てて溶ける。隣に座った承太郎はコーヒーにせっせとミルクを放り込んでいて、さっきまでの底意地悪い表情は消えている。まだ熱いクッキーをかじってグリーンの瞳は少しだけ嬉しそうに細められた。お気に召したらしい。何も言わずに咀嚼する横顔が愛おしくて頬に唇を寄せた。肩を抱き寄せる腕は寝ていた名残か、普段よりも熱い。
「悪かったな」
「なにがだよ?」
 さっきと同じ味のキスをしながら、また性格の悪そうな雰囲気を唇に乗っけた承太郎が笑う。
「こんなもん作るほど寂しかったんだろう」
「……、はあ!?」
「わざわざ好物作らなくたって今日はお前の傍にいる。さっさと叩き起こしたって良かったんだぜ」
 固まったままのおれにリップノイズを残してうっとおしいほどキスする承太郎は、なにか、勘違いしている。カッと頬が熱を持った。
「ちっげーよバカッ!暇だったからてめーの好きなもん作っておれだけで食おうとしてたんだよ」
「血管浮き出るほど恥ずかしがることか?」
「恥ずかしがってねー!話聞けよ!」
 どついてやりたくても抱き寄せられればうまく身動きがとれない。可愛いだのと不本意な言葉が聞こえて、耳たぶに噛み付いた。背中をぽんぽんあやすように叩かれる。―――むかつく!
「そういうところも好きだぜ」
 なんてことのないように囁かれて、攻撃の手が止まる。
 普段はせがんだって言わないくせに、ずるいヤツだ。わざとおれを翻弄するためなんだろうか。やっぱりむかつく。だけれども嬉しくって、怒りも萎んだ。悔しいから言葉で返すのはやめて厚い唇にやんわり歯を立てる。
 こんな一言で宥められちまうおれも、大概バカなんだろう。


(2014.08/03)
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