#4



 没頭できるものがあって良かった、と承太郎はソファに身を投げ出す。つい一週間前、彼が寝そべったり掃除していた場所。渡米してからの彼との思い出のほとんどがこの家のものだった。学業に打ち込んでいなかったらそこかしこに彼の影を見出して、感情の整理も付けられず、とっくの昔にここへ連れ去っていただろう。おれは結構危ないヤツだったのかと自分にショックを受けたりもしたが、うまい口上も見つからず、連絡できずに月日は流れていった。
 以前はアポなんてなしに向こうから顔を出したし、会いたいと思えば彼のバイト先へ足を向けて冷やかしていた。思えば、このあと会おうと切り出していたのも彼だった。こんなところで経験値というか、コミュニケーション能力に差が出ている。家を訪ね合うような友人がいなかった承太郎にとっては、いつ誘えばいいかなど検討もつかない。
 だいたい、最初の頃は祖父に言われて訪れていたようだし。あんまりにも家事へ口出しされるものだから、承太郎はどこに何を片付ければいいかもよくわからない。八つ当たりしながら靴を脱ぎ捨てる。ふかふかのソファが心地良い。
 荒れに荒れたあの日から時間が経って、いつものように訪ねてくることもない彼に段々苛立った。想いを伝えたというのに逃げ出すわ、青くなるわ、男同士が受け付けないにしてもハッキリと返事が欲しい。間抜けではあったが告白だってしたのだし。どろどろとした感情はどうにも消えてくれなくて、自分から会いにいくのも負けた気がして、妙な意地を張ったままの一週間。二日と開けずに会っていたことを思うと胸が痛む。
 けれども今はただ、彼に会いたい、承太郎の心はそればかりだった。

 ジー、と訪問者を告げるベルが鳴る。片足を突っ込んでいた夢の世界から飛び起きると心臓がばくばくとやかましく脈打った。
 靴を履くのも忘れて玄関に向かう。この部屋を訪ねてくる人物なんて限られている。はやる気持ちを抑えて少し大きめの音を立ててドアを開けた。
「久しぶり…って程でもねえか」
「…おう」
「ちょっと入ってもいいか」
 少し控えめな声は軽蔑も嫌悪も含んでいない。そのことに少しだけ安心して体を引いて室内へと招いた。後ろからついてくる足音もどこか小さくてぎこちない。
「なーんだ、意外と片付いてるな」
 部屋を落ち着き無く見回したポルナレフは立ったまま呟いた。そうは言っても服を洗濯カゴに突っ込んでいるだけなのだが、この男の中で自分は面倒を見なくてはならない弟分か何かなのだろうか。少しだけむっとして、答えないまま顎でテーブルを示した。
 心の内に溜まっていた苛立ちは、顔を合わせたら驚く程に霧散した。笑ってしまうほどの単純さだが、それほどポルナレフに会いたくてたまらなかったんだろう。気持ちが高ぶっているのか、指先がそわそわと何かを掴みたがって仕方ない。
  「物置みてーになってるんじゃあないかって不安だったんだぜ」
 ポルナレフが腰を掛けたのは定位置だった。晩酌中つまみを作ったりといそいそ忙しない彼がいつも座っていた、台所側の席。
 やはり拙さが残る口からは存外優しげな音が紡がれる。キッチンに向かうタイミングを失って正面に腰掛けると、透明感のある瞳が少し弧を描いた。テーブルの端に寄せてある灰皿をたぐり寄せる。緊張にか、高揚にか、震えてしまいそうになる手を隠すように俯いて煙草へ火をつけると煙が目に染みた。
 ライターの安っぽい火打石が弾けたあとには静寂が広がった。ズキズキ痛む眼球を瞬きで誤魔化して、タイミングを図るように不自然な呼吸を続けるポルナレフを待つ。勘というほど大層なものを使わなくても、彼が自分にとって嬉しくないことを言おうとしていると察した。受け止めなくてはならない、と怖気付きそうになる自分を諌めた。
「おれ、フランスに帰ろうと思うんだ。ジョースターさんには長いこと世話になってるし、そろそろケジメ付けなくっちゃあな、って思ってよ」
 顔も合わせたくないほど嫌か。口を突いて出そうになった言葉を飲み込む。
「…金はじじいに渡してるんだろ、気を遣う理由なんてないだろうが」
 背中から全身へ、鳥肌が広がっていく。掻きたくもない汗が項を落ちていくのがわかる。どうしてだと叫びたいのを抑えて、知らずの内に声が低く詰問するような物騒さを孕んでいた。ポルナレフは気づかない。
「家族でもないのに二ヶ月も置いてもらえたんだから上等だろ。水入らずで過ごしたいだろうしな」
「そう言われたのか?」
「まさかだろ!スージーさんなんていつまでも居ていいのよ、って」
「じゃあ、構わねえんだろ」
「言葉は嬉しいけど、それに甘えるほどアホじゃねーぜ。ティーンの頃ならともかく」
 ムキになって返した言葉は軽くいなされてしまった。断られることは想定の範囲内ではあっても遠く離れることは我慢ならない。全員で旅したあの日のこともすべて過去にされてしまいそうな恐怖。お互いスタンド使いでもなければ出逢えなかったような距離を、再び広げられそうな恐怖。じわじわと侵食していくそれに足先がひどく冷えていく。
「今日はそれを伝えに来たんだ。おめーにも世話になったな」
「……おれが世話になった記憶しかねえがな」
「そーいやそうだった!」
 からからと快活に笑うポルナレフはようやく自分のペースを思いだしたように、いつもの笑顔だ。なにもなかったように、いつもの『仲間』の顔。おれの気持ちも何もかも、そうやって置いていくつもりか。心が軋むのと同じように顔が歪んだ。
「…行くな」
「行くっつーか、帰るんだよ。祖国にな」
「じゃあ帰るな」
「駄々っ子か!まあおめーの生活力は心配だがよぉ、アレコレ言うおれがいなくなれば自然と家事も身に付く――――」
「そうじゃねえ」
 遮ると、ようやくへらへらとした表情が引っ込む。思ったよりも大きな声が部屋を支配した。彼の面持ちは音信不通になった朝と似ていたけれど、引き返せない。いや、引き返したくないのだ。面と向かって伝えなければ後悔する。仲間の枠組みを超えて、意識させて、できるならこの腕に捕まえておきたい。
「掃除だって、本当はできる。料理の経験は多くはねえが、一人でやっていけるくらいには作れる」
 凍りついたようにこちらを眺めたまま動かないポルナレフ。改めて言われるなんて思っていなかったのだろうか。灰ばかりになっていた煙草を灰皿に押し付けて、何か理由を付けて共に過ごす時間を増やしていた日を思い出す。文句を言いながらも投げ出すことなく世話を焼いてくれたことが嬉しくて舞い上がってばかりだった。
「……、…べつに、おれ相手にかっこつけなくってもいいだろ、そんな、いまさら」
「家事なんて口実だ。お前はおせっかい焼きだから、できないと思わせりゃあここへ呼べる」
「じょうた」
「ポルナレフ、お前が好きだ。だから、帰るな」
 ここにいてくれ。
 哀願に近い響きを持った言葉は震えずに、焦りを孕んで食い気味にだが、吐き出せた。それでも青色を見つめるのは少し怖くて、テーブルへ視線を落としたままだった。表情を隠してくれる帽子を寝室へ置き去りにしたことを後悔する。
 知らずに拳を作っていた手のひらにじっとりと汗が滲む。視界の端に映るポルナレフの指先がびくりと跳ねて、ようやく事態を理解したように唇を開閉しはじめた。何事かを言おうとして失敗した吐息が漏れている。承太郎の心臓は先程から疾走し続けていて落ち着く気配もない。
「っ…お、まえ……なん…」
「……」
「すきって、……うそだろ」
「んなわけねえだろ」
 混乱しきりの声をぴしゃりと否定した。この期に及んでそんなことを口にするのかとポルナレフをうらめしく睨む。驚愕一色に染まっていたその表情は徐々に歪んで、泣きそうにくしゃりと顰められる。そんな表情をさせたい訳ではないが、若気の至りだと在り来りな言葉で誤魔化される気もなかった。投げ出されたままの腕が引っ込められると反射的に掴んでしまう。体を竦められた気がした。
「好きだ」
 言葉を重ねれば、決して細くない手首が震えた。今度は逃がさないようにとしっかり掴んでいると、抵抗するように強ばっていた腕から力が抜けていく。そしてそのままずるずると机に突っ伏してしまった。ごん、と真剣なこの場には不釣り合いな間抜けな音が響いて緊張が少し和らいだが、予測していなかった反応に片眉を跳ねさせた。
「ポルナレフ?」
 それでも手は離さないまま訝しげに観察する。特徴的な髪型のせいで細かい表情は分からないが、垣間見える耳は赤く染まって見えた。掻き消えそうな小ささでテーブルに何かを言っているようだが、いまいち不明瞭で。透けるような瞳がこちらを見ていないのも気に食わない。だらりとした手を引いて起き上がるよう促した。
 緩慢な動作で顔を上げたポルナレフの額は少し赤くなっている。むしろ顔全体が真っ赤だ。頬も、目元も、なんなら首元まで。ゲームに負けた子供染みた悔しさを滲ませている。
「…、……」
 がたん、と音を立ててポルナレフが立ち上がると勢い余って灯具が髪にぶつかって激しく揺れた。呆気にとられたままこちらへ歩み寄ってくる泣きそうで怒ったようなポルナレフ。状況も忘れて恋心が疼くが、派手な音を立てながら両頬を掴まれる。
「おれのほうが、好きだってのッ」
 なにか口を挟む間も承太郎には与えられず、色気もなく唇が重なった。ぶつけられたという方が正解だろう乱暴さだった。ぎゅっと固く閉じられた目蓋がとても近い。嗅ぎなれたコロンが鼻腔を擽る。そういえば初めてキスしたのも突然だった。あの時は劣情のまま過ちを犯さないよう必死でろくに頭が回らなかった。
 どれくらいそうしていたかは分からないが、ポルナレフが顔を離そうとしているのに気づいて咄嗟に後頭部を掴んだ。んう、と不満げな声も気にしないまま、今度は自分からもう一度口付ける。今度こそ、柔らかさを堪能する為に、優しく触れる。行き場を失ったらしいポルナレフの腕が困ったようにあちこち彷徨って、最終的には首を抱き込む。銀髪と対照的な肌の赤みが面白くて目を閉じることはしなかった。
「……」
「……」
「の、飲みもん、取ってくる」
 至近距離で、改めて向き合うと気の利いた言葉なんてものは出てこなかった。ただ見慣れているはずの彼に見惚れて、息を止めた。するりと腕から逃げていったポルナレフが来たときとは違ったぎこちなさを醸し出していて、二人してなにをしてるんだと笑みが漏れた。


 どうせならソファにいこうとコーヒーを手にしたポルナレフの手を掴んだ。二人がけとはいえ大の男が並んで座れば少し狭いが、これはこれでいいものだった。身じろげば足が当たって温かい。さっきまで挙動不審だったポルナレフはもう吹っ切れたのか、隣から体重を掛けて承太郎を背もたれにしつつ寛いでいた。
 実のところ承太郎は困っていた。
 告白の返事を貰おうとは思っていけれど、受け入れられ恋人になるとは到底思ってもみなかった。断られて落胆する己を隠すことばかり考えていたので、真顔でコーヒーを啜りながら今までどんな風に会話をしていたか必死で思い出している。やかましいほどに口が回るポルナレフがだんまりを決め込んでいるのが余計に自分を焦らせた。ふわふわと思考が纏まらないのは浮かれているせいもあるんだろうか。
「おめーがおれを好きだなんて、思ってもいなかった」
 落とされた呟きは小さかった。気恥ずかしくて外していた視線を向けると、赤面はしていなかったが頬がまだ色づいていた。ポルナレフの独り言は続く。
 気を許してくれてんなあとは思ってたけど、承太郎、ゲイでもねーだろ。いつか彼女ができて、部屋の掃除とかしてもらって、そんな日が来るまででも、小姑でもいいから、一緒に居たかった。なんか女々しいな、おれ。
 ぼやきながら腕に擦りつけられる頬が愛おしい。抱き寄せればしがみつかれる。与えられる温度が心地いい。
「おれはこの一週間……会えなくて、くるしかった」
 言葉にすると途端に陳腐に聞こえたが、ポルナレフはこちらを見上げて驚いている。ほとんど毎日会っていたのにお互い必死になって本心を隠して悩んでいたなんて、滑稽で、けれどもくすぐったい。思わず口元が緩んだ。
 うそつけ、と茶化す瞳を黙って見下ろす。血色の良くなっている頬に触れて、何度か目元を撫でるとポルナレフは口を噤んだ。いつもはぐいぐい人を引っ張り回すくせに押されると弱いらしい。
「だから帰るな。じじいのところにいたくねえなら、ここに住めばいい」
「…意外と大胆なのな、承太郎。んー…」  じっと見つめると何度か瞬きしてぐりぐりと手のひらに顔を押し付けてくる。動物のような仕草が可愛らしい、そんなことを口にしたら怒るだろうか。でもさあ、と足を揺らしながら言葉を続ける。
「シェリーたちを待たせてるから近いうち、墓参りはしたい」
 三年前に飛び出して以来、故郷には帰っていないのだという。ここに住むことへの否定が含まれていなくて少し安堵する。歯切れ悪く切り出されて思い至ったが、離れていた年数を思えば家族の傍にいたいのだろう。それを無理に引き止めても良いものか、肉親を亡くしたことのない承太郎には最良が推し量れない。抱き締めた腕の筋肉が緊張した。
「おめーが良けりゃあ、一緒に来るか?その、紹介とか、したいし」
 へへ、と照れくさい笑みで提案するポルナレフは体重ごと全身を預けてくる。負けじとたくましい体を圧縮するように抱きすくめて苦しい!と喚く声を唇で塞いだ。
 シャツを爪で引っ掻かれても力は緩めずに目の前のご馳走を啄んだ。合間に開かれる唇に吸い付いて、頬に触れる。なんなの、と問われても承太郎自身どうしたら良いのか分からない。溢れてはち切れそうな愛情の示し方なんて。
 どう返事をしたものか。素直に口にするのはまだ恥ずかしくて、もう一度キスをした。
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