ふわふわしている、と僕は思った。どこが、何が、とかじゃなくて、全体的にふわふわしていて、少しでも風が吹けばどこかに飛ばされてしまうのではないかというくらい、重さをまったく感じないそんな子――それが僕が苗字名前さんに対して思った第一印象だった。
兄さんは、そんな苗字さんにあいつはむちゃくちゃいいヤツなんだよと力説して、誤って自分が魔神の落胤であることを喋ってしまったのに、俺は俺だと言ってくれたのだという爆弾を笑顔で投下した。一体今、何を口にしたんだと聞き返せば、やっぱり耳に入ってくる言葉は、とてもじゃないが聞き流せるものじゃなくて思わず頭を抱えたくなったのは言うまでもない。そしてすぐに旧男子寮に苗字さんを呼んだ。
「なんですか?奥村先生」
「今は祓魔塾の時間ではないので、先生じゃなくても大丈夫ですよ」
「え?じゃあ、奥村くん?」
「はい。しかし、それだと兄と被るので、出来れば名前で呼んでいただけると」
「じゃあ、雪男くん!」
名前で呼ばれて、はいと返事をする僕に、なんのお話で呼ばれたの?と聞く苗字さんはほんとに何も分かっていないらしく、不思議そうに小首を傾げている。僕が兄さんのことでと口にすれば、はっと息を呑むのが分かった。
「だ、だれにもっ、何も言わないよ!奥村くんが、何者でも気にしないし、雪男くんが黙っててって言うなら黙ってるし、理事長先生にも言わないから」
「フェレス卿が何故、出てくるんですか?」
「え、だって…正十字騎士團の名誉騎士でしょ?知られたら退治されちゃうかもしれないし」
「……苗字さん、いえ…名前さん。フェレス卿は兄さんの件は知ってるんです。いずれ魔神を倒す武器にするのだと言っていました」
だから大丈夫ですよと口にすればほっと息を吐いて、良かったとふにゃりと柔らかな笑顔を浮かべた。その時、志摩くんが前に勝呂くんたちと話していたことを思い出した。
――「坊、いいですか!名前ちゃんは天使なんですって」
「はあ?お前はまた、そういうこと言うて……」
「やって、あの肌の白さ!栗色の髪に光る天使の輪!そして慈愛に満ちたあの表情と優しさは、まさしく天使やないですかっ」
「お前はその腐った頭を叩き直さなあかんな。明日から朝のロードワークに志摩、お前は強制参加や」――
……そんな会話を思い出した。悪魔がいるんだから、天使もいるんだろうとは思う。今このタイミングでどうして僕は思い出したのだろうか。名前さんは確かに優しい、いつもにこにこ笑っているし、あの人見知りなしえみさんがすぐに打ち解けたくらいには。でも、天使には、どうしても思えない。
「……名前さんはふわふわしてて掴み所がないですよね」
「え?そうかな?掴む所はいっぱいあるでしょ?」
「……はい?」
「ほら、手とか腕とか!あとは、うーんと肩、とか?」
いや、そういうわけではなくと説明したところで、きっと名前さんは不思議そうな顔をするだけなんだろうと思う。彼女はしえみさんと同じ手騎士志望で才能もきちんとある候補の一人だ。けれど天使と称した志摩くんには悪いけど、僕には天使ではなく、イタズラをして困らせる妖精にしか思えない。
だってほら、こんなにも僕を振り回してる。ふわふわと掴み所のないところも、風に吹かれて飛ばされそうなところも、小さな背も……まるで小さなイタズラ好きな妖精みたいだ。
「名前さんは僕が兄さんみたいに悪魔の血を引いていてもそう思いますか?」
「?雪男くんは雪男くんだもん。変わらないし、そう思うよ?」
「そう…そっか、ありがとう」
「うん?なんかよく分かんないけど、どういたしまして?」
疑問符を付けてそう口にした名前さんに寮まで送るよと声を掛けて部屋を後にする。今ほど兄さんがいなくて良かったと思うことはない。
心は無重力
(まるで重さなんて関係ないくらいふわふわしている、君の存在がすでに僕限定のイタズラ妖精みたいだと思うよ)