だるそうに欠伸をしたサラリーマンが朝の朝礼に出勤する頃、芥辺探偵事務所は扉を開いた。
 所長のアクタベは事務所の鍵を開けて周りを確認したあと、扉を閉めた。
 革靴を鳴らし、ソファに座る。寝惚けて起きた名前がのろのろと、食事の支度を始める。
「おい。先に着替えろ。客が来たらどうする」
「どーにかするー」
 ふわ、と大きく欠伸をしながら眠そうに言った名前に、アクタベは物言いたげな目を向けた。
 不満げに訴えかけるアクタベの視線を受けながら、朝食の下ごしらえをした名前は、カタカタと鍋の湯が沸く前に着替えを始める。
 途中で終えた支度から取り掛かって頭を濡らし、ドライヤーで髪型を整えてから軽い化粧を施す。そうして人前に出ても恥ずかしくない格好をしたあと、名前は事務所に戻った。
 事務所にはアクタベの他に、同居人の光太郎がいた。諸々の事情があって、アクタベの養子となった少年だ。
「お。おはよー、名前さん。ところで、飯くれよ」
「言い方が一々なってないなぁ。あれだよ、あれ」
「あれってなんだよ、あれって。オレ、平成生まれだからわけわかんねーしー」
「私も平成生まれだよ。しかも、元年から二年経った」
「……平成三年?」
「残念。それよりはもうすこし後ろだ」
「おい。さっさとしろ」
 不満げに視線を投げてきたアクタベのお咎めを受けて、名前は朝食の支度に戻った。
 コトコトカタン、と言う支度の音を受けて、朝食は完成される。
 依頼人を迎えるテーブルに出来上がった朝食を並べ、名前とアクタベ、光太郎とそれに光太郎の従える悪魔、グシオンの三人と一匹は、食事を始めた。
 サラリーマンにとっては少し遅い朝食を終え、学生にとってはギリギリとも言える朝食を終えたあと、光太郎は慌てて学校へ向かう。
 名前は大きく閉ざされた扉の音を聞きながら、食器を片付け始める。
「貸せ。どーせ、また、落とすだろ」
「そうかなぁ。それはないと思うな。だって、あの時は、サーカスの仕業を真似しようと、しただけだもん」
「サーカスのピエロの真似だろ。お前は言い方が一々あれだな。分かりにくい」
 アクタベは名前の手にある食器を自分の方へ移しながら、呆れたように言う。
「もう少し、分かりやすく言ったらどうだ。ジャグリングの真似をした、とでも言ったらどうだ」
「……そうだね。確かに、少しはあれに近かったかも」
 背の高い棒を片手にピエロの真似事を行おうとしたことを思い出しながら、名前はクスリと笑う。
「そうだろう」と胸を張って頷いたアクタベに、名前は益々笑みを零した。
 名前が自身の言い方を真似していることに気付かないアクタベは、名前が皿を落とすと言う所業を防止したあと、自身のデスクに戻る。
 所長椅子に座ったアクタベは、深く背凭れに背を沈めながら、デスクに置いた本を手に取る。
 乱雑に開かれて下に置かれた本は、アクタベの手によって、人の目に触れられる。
 その正体が人であるのかそうでないのか。そのところが妙にはっきりと明かされていないアクタベは、黙々と本を読み始める。
 カチャカチャと食器を洗い、片付ける音がアクタベの耳に入る。
 アクタベが深く背を凭れて本を読んでいたとき、ガチャリと扉の開く音が聞こえた。
「おはよーございまーす」
「おはよー」
 事務所の仕事へ、自身の目的のためにも本腰を入れて働き始めたさくまの声が、アクタベの耳に届く。
 アクタベは小さく腰を浮かして背凭れから背を離したあと、軽く背を屈めて本を読み始めた。
 事務所に入ったさくまは自身のデスクに鞄を置き、パソコンの電源を入れる。
 ポチッとデスク型のパソコンに起動画面が浮かび上がると同時に、炊事を終えた名前が事務所へ戻る。
「いいなぁ。私も、ちゃんとやりたい」
「なに言ってるんですか。名前さんにはちゃんと立派な仕事があるじゃないですか。事務所の留守番と言う仕事が」
「それ、厭味で言ってる?」
 アクタベがわざと仕事を与えていないことを知らない名前は、さくまがさり気なく放った厭味に目敏く反応した。
 アクタベはそんなことをさり気なく言ったさくまから体を反らしながら、そっと本で顔を隠した。
 そんな名前がさくまから「立派な仕事の内に留守番も入る」と言うことを言い渡されてから暫く。名前の元に、奇妙な仕事が舞い込んだ。――名前にとっては、『漸く』舞い込んだ依頼であったが――
「……はぁ? 『嘘つきネイビー』を探してくれ、って?」
 そう名前が素っ頓狂な声を上げて聞き返すほどの、奇妙な依頼が舞い込んだのだ。
「はい、そうです。そいつは『妖精』なのですが。毎日毎日自分の周りを飛び回っており……」
「それ、ヤクの所為とちゃうん?」
 犬面をした二頭身のおっさんのような背格好をした悪魔、アザゼルが鼻を穿りながら呑気そうに言う。
 アザゼルと同じように、さくまから朝一で呼び出されて待機を命じられているベルゼブブは、名前の座るソファに行儀よく座りながら、依頼人の話を聞いた。
「いつも、縁起の悪いことを囁きかけるんです……」
「はぁ……それで?」
(もしかして、『インプ』とか、そう言った類かなぁ。一応、あれも『妖精』に入るっちゃぁ入るし……ギリギリだけど)
 とそう呟く名前に、アザゼルは慌てて食いついた。
「ちょいちょい! マジにとるんかい! コイツ、ヤクやっとるんとちゃう?! やって、悪魔の姿見えへんっつーのに、妖精が見えとると言うんやで!? 頭クルクルパーの天然とちゃうんか! これ!」
「いやぁ、そうは言ったってなぁ」
 袖を引っ張るアザゼルに辟易したように返す名前へ、くたびれた顔をした依頼人は首を傾げる。
 そう、悪魔アザゼルが言う通り、この依頼人には悪魔使いに必要な『人間として欠けている部分』がない。決定的に『人間として欠けている部分がない』のだ。
――それなのになぜ、『妖精が見える』だとでもぬかすのだろうか?
 アクタベは依頼人の話に、耳をそばだてた。
「まぁ、それはおいといて。それで? 一体、なにが起きたんですか?」
「起きたどうこうの問題じゃないですよ……! ソイツ、一番大事なものを持ち出してしまったんですよ……!」
「はぁ。その、大切なものとは?」
(ご愁傷さまだなぁ)と名前は依頼人の心中を察しながら、話を進める。
 額を押さえながら項垂れた依頼人は、サッとくしゃくしゃになった紙を名前へ渡した。
「古びた本です。これ、ヤツの姿です」
「は、はぁ……」
「はぁ……」
 名前と依頼人の様子に釣られてやってきたさくまが、名前に手渡されたクシャクシャの紙を見て、呟く。
(ぐちゃぐちゃだなぁ)
 とさくまが思うほどの稚拙な落書きを見せられた名前は、依頼人へ顔を上げる。
「そうですか。では、その大切な本と、『嘘つきネイビー』とやらの具体的な背格好を、教えてくれませんか?」
(これでは分からん)
 と名前は思いながら、呆れた顔で依頼人に尋ねる。
 目の前で名前が失礼な顔をしていることを見る余裕もないのか、依頼人は下を見ながら話を続ける。
「『嘘つきネイビー』は髪が紺色で、姿は……ピクシーとか。小説とかゲームとかに出てくるようなヤツです」
「ふむふむ」
「やっぱコイツ、ヤクやっとるとちゃうの?」
 横で鼻を穿りながら呆れたように呟くアザゼルを横に、名前は依頼人の話す『妖精』の特徴を手帳に記す。
「その妖精の羽や、姿に特徴は? 髪型以外に……」
「羽は……虫のような、感じでした」
(……ベルゼブブみたいに、かなぁ)
 と失礼なことを思いながら横目で見てきた名前の心中に気付いたのか、ベルゼブブがムッとした顔で返す。
「なんですか。失礼なやつですね」
「それで? その他には?」
「他には……あ。ニヤリと笑っていました」
「ふむふむ」
(『ニヤリと笑う顔が特徴』、と……)
 名前はそう手帳に書き残したあと、次に依頼人に尋ねることを考える。
『妖精』『身の丈は小説やゲームに出てくるピクシーのような小ささ』『髪型は紺色』加えて、正常な人間にとっては『現実であり得ない生物』だ。
 これらの条件があって、他にどう間違えようか?
『妖精』と同じように、『現実であり得ない生物』である悪魔二匹の姿をチラリと見ながら、名前は考える。
(絶対に、あり得ないことだな、うん)
 名前はこれら特徴で間違えることは絶対にない、との確信を得たあと、依頼人へ話を続けた。
「では。その古びた本とは? 具体的に、お願いしたいのですが……」
「……お願い、したいとは?」
「いや、その、その本の特徴についての説明を、具体的にして頂きたいなぁ、と」
「コイツ、エロいこと考えたとちゃいます?」
「脱糞死で知らしめてやりましょうか」
 のどかに会話を始める悪魔二匹を呆れた目でさくまは見たあと、名前と依頼人のやり取りを見る。
 アクタベは目尻をキツく上げて、名前と依頼人の様子を見ていた。
 依頼人は頭を支えながら、名前に話を続けた。
「はい……本の表紙は、なんて書いてあるか、読めなかったんですが……」
 アクタベの耳が、ピクリと動く。
「確か『プーカ』と、その本には書いてあったような気が……」
「……ちなみに、スペルにすると、どんな感じで?」
「え? スペルなんて……見たことのない文字でしたし。なんと言うか、直接脳に語り掛けてくるような……」
「やっぱヤクやっとるとちゃうの? コイツ」
「そうそう」
 うんうんと頷くベルゼブブを余所に、アクタベは更にピクピクと耳を動かす。
「そう、手放してはいけないような……」
「……もしかして。それ、表紙にこう、魔法陣みたいなぁもの……が、描いてありませんでしたか?」
「え? そうそう、それが描いてありました! でも、どうして……?」
「その要件は追々、お聞きいたしましょう。一先ずこの依頼、我々にお任せください。なぁに。貴方が追いかけると言う小汚い妖精……我々がすぐに、捕まえてご覧しめていたしましょう」
「え。えーっと……こ、この方は?」
「あ、アクタベさ……こ、ここの、所長、です」
 乱入してきたアクタベの突然の登場に驚いた依頼人にしどろもどろに説明した名前は、心の中でひっそりと汗を垂らした。


――『プーカ』。ケルトの神話・伝説に伝わる妖精(フェアリー)あるいは妖魔の一種と伝えられる。人間の言葉を話す能力があり、プーカを蔑ろにした、あるいは怒らせようとしたと思う相手を家から誘い出し、獲物として背中に乗せると言われている。プーカは恐ろしい力を持っており、もし相手となる獲物がおびき出されない場合は、柵を破る・家畜を切り裂くなどの破壊行為に及ぶ。


 それら情報をインプットし直した名前は、別の班となるさくまと光太郎に向かって、もう一度警告を放った。
「いい? 相手は何の能力を使うかもわからない……悪魔と思ったほうがいい。例え私たちの手にグリモアがあったとしても、相手は契約をしていない悪魔。なにされても可笑しくない、と思って」
 真剣な顔で話す名前に釣られて、さくまと光太郎は固唾を飲んで聞きこむ。アクタベは暇そうに携帯をなぶっていた。
「グリモアの契約に触れないように、気を付けて接触を図って。もしかしたら相手は……」
「おい。契約をしてない悪魔に向かって『契約』とかそう言うことはどうでもいいだろう。とにかく、ソイツらが行うことはその妖精の姿を見つけると言うことだけだ。もし見つけたら」
 右手をポケットに入れたまま、アクタベはパタンと携帯を閉じる。
「見失わないように追いかけろ。そしてオレたちに連絡を入れろ。それさえしてりゃ、なにも問題はねぇよ。……行くぞ」
「あ、待って。とにかく、伝承は伝承だから! 最悪、伝承の通りにその悪魔がその職能を持つこともあるから! 気を付けて!」
 矢継ぎ早に最後の警告を放ってアクタベの姿を追いかけた名前を、さくまと光太郎はポカンとした顔で見送る。
 さくまと光太郎、グシオンの班に分けられたベルゼブブは、眠そうな目で遠のく二人と一匹の姿を眺めていた。
「……ところで、ベルゼブブさん? 『ピクシー』と言う悪魔について、なにか知っていますか?」
「いいえ、全然」
(『プーカ』なら、聞き覚えがありますが)
 と、さくまと光太郎、ひいては名前とアクタベの依頼にとって重要なことを隠したまま、ベルゼブブは眠そうな目を伏せて、そう答えた。
 時と場所は打って変わって、名前とアクタベの班。
 元来悪魔使いとして知識と力に強い彼らは、人混みの間を器用に縫って、『嘘つきネイビー』とやらの姿を探していた。
「元来、『ピクシー』と言えばいたずらっこ妖精、と言うのが強いから……。こう、雑多な人混みに紛れれば、見つけられると思ったんだけどなぁ」
「人混みってゆーたかって、池袋ですやん、ここ」
「ほら、あれ見てよ。ガングロ」
「うわ、今時?! 今時、あれ?!」
「遅すぎだよねー。ま、池袋には池袋人と言う文化があって……」
「え? 池袋人? 池袋の文化? なにそれ。ちょっとわしには分からへんとこなんですけど」
「まぁ、こう雑多な文化が入り混じったり奇妙で奇抜なものが多いから、いたずらっこ妖精の『ピクシー』にとっちゃ、いいとこだと思ったんだけど……」
「そうでっか」
「ここでもいなかったら……秋葉原いってみる? 彼ら、人たちの大事なものを壊すのも趣味だから……きっと、そこに絶好の獲物がちゃんとたくさん、いると思うんだ」
「ただ単にお前の行きたいところとちゃうの」
「違うよ。ちゃんと理由があって……」
「おい。黙っていろ」
「え?」
 勝手に自分の班へ混ざってついてきたアザゼルと話をしていた名前は、声をかけたアクタベに振り向く。
 アクタベは眼光を鋭くして、ある一点を見ている。
 名前はアザゼルを肩に凭れさせたまま、アクタベの見ている方へ首を伸ばした。
「あ」
 そこに、アクタベと名前率いるアザゼルたちが探し出す『ピクシー』の姿があった。
「……どうする?」
「様子を見る」
「ピッ!」
 声を潜めて尋ねてきた名前に断言したアクタベの後ろで、アザゼルが電子音のような効果音を出す。アザゼルの手にするリモコンで、パーティの行動方針が決定した。
 名前とアクタベ率いるチームは、こっそりと『嘘つきネイビー』のあとを追う。『嘘つきネイビー』は携帯店に入った。店内から悲鳴が湧き起こる。『嘘つきネイビー』は「ケヒヒ」と笑って、店から出てきた。
「……典型的な、悪質なピクシーじゃん」
「あぁ」
「あれはまだぬるいな。わしが若い頃はなぁ」
 勝手に若い頃の武勇伝を話し始めたアザゼルを無視して、名前とアクタベは『嘘つきネイビー』のあとを更に追う。
『嘘つきネイビー』はファミリーレストランに入る。店内から黄色い悲鳴と口笛が湧き起こる。『嘘つきネイビー』は「ケヒヒ」と笑いながらファミリーレストランから出た。
「……一体、何が起こったの?」
「ありゃ、スカート捲りをやったな」
 うんうんと一人頷くアザゼルを余所に、アクタベはずんずん先を進む。それに釣られて名前も慌ててアクタベのあとを追う。優越感に浸って一人、取り残されたことに気付いたアザゼルは、鼻水を垂らしながら慌てて二人のあとを追った。
 アクタベはジグザグ飛行を繰り返すピクシーと距離を縮める。ずんずんと先を進むアクタベの距離を、名前は急ぎ足で縮める。そのあとを、ふわふわとアザゼルは羽を動かしながらあとを追う。
 アザゼルの飛行速度は遅く、名前の早足は速い。
 アクタベの手がジグザグ飛行を繰り返すピクシーの背中に伸び、名前の手がアクタベの背中に伸びる。
 必死に動かした羽でのろのろと飛行を続けるアザゼルは、流れる汗と気温の差で「ヘックション」とクシャミを一つした。
「あぐ?!」
 驚いて声を上げたピクシーが体を鷲掴みにされると同時に、アクタベの背中が名前に掴まった。
 ギロリとアクタベは名前を睨む。
 アクタベの不機嫌そうな視線に気付いた名前は、慌てて言い訳を述べた。
「あ、ごめん……つい」
「つい、じゃねぇよ。さて……喋ってもらおうか」
「ヒッ!」
 絶対零度の、悪魔すら凍え恐れるコキュートス並みの冷やかさを持つアクタベの目に見下ろされたピクシーは、情けない声を出す。
 その恐怖に囚われて体を震わせるピクシーに、名前とアザゼルは人並みの同情を寄せる。だが、所詮は「人として大切ななにかを欠けた」悪魔使いと「悪魔」である。そのような人並みの同情など、一体いつまでもつであろうか?
 名前はアクタベが鷲掴みにしたピクシーとの距離をズズッと詰め、アザゼルは横暴な警察官のコスチュームに早着替えした。
「お前、太った男からグリモアを盗んだじゃねぇか。その在りかはどこにある。吐け」
「え?」
「小太りの、腹が少し出た男の人だよ。確か、あなた。その周りにうろついてたと言うじゃない」
「あぁ……あの男か」
 殺すぞ、と暗に秘められたアクタベの絶対零度の人情の「に」の字もない無慈悲な殺気に当てられて凍えられたピクシーは、名前の一言で「あ」と思い出す。そして「ケヒヒ」と人の悪い笑みを浮かべながら、アクタベと名前に向かって言った。
「あのバカな男かぁ。オイラの一言一言でバカみたいに怯えまくってさぁ。いやぁ、見せたかった」
 聞いてもいない自慢話をベラベラと喋るピクシーを、アクタベと名前は冷めた目で見る。まるで、先ほどまでの怯えようが嘘である。
 アクタベが試しに、ギロリと殺気を放つと、ピクシーは「ヒッ!」と先ほどのような情けない悲鳴を上げて、縮み上がった。
 ポンポンと警棒を手に叩きながら割り込もうとするアザゼルを押しのけて、名前は話を進める。
「怯えてる暇があったら言って。あの依頼人の話しぶりと内容からして、それがグリモアであることには間違いないんだ。……グリモアの読めない一般人をたぶらかして、なにかしようしたんでしょう? ……言いなさいよ。痛い目には、合わせないから」
「ヒッ!」
「うっそやー! 名前がそう言うときは大抵、痛い目に合わすときやー! ってか、離してー、もう離してやぁ! アザゼルさんの立場なくなるやないー!」
「はいはい。もうすぐ立場が復活するからいいでしょ……活躍の場が復活すると言う。さて、今すぐ言わないと、アザゼルさんの警棒が、」
「火を噴くよ」と言いかけた名前は、アクタベの動きを咄嗟に見る。
 名前が「火を噴くよ」と言う前に、アクタベがアザゼルの手から警棒をひったくり、手近にあった壁に叩き付けた。
 アクタベの手にある警棒は叩き付けられた場所から飛散し、壁には大きいクレーターが出来上がった。
 わなわなと震えあがる悪魔とピクシーを余所に、アクタベはハタキのように幅の広がった警棒を、ポイッと投げ捨てる。
「ポイ捨て反対!」と思わず投げ捨てられた警棒のあとを追った名前が放つ一言に反応して、グイッと名前の頭を掴みながらアクタベは言った。
「さっさと言え。今みたいになりたくなかったらな」
 悲鳴も凍る無慈悲なアクタベの暴力を目の当たりにしたピクシーは、ベラベラと喋りだした。
「グリモアって、レプリカのグリモアのほうかい?! いやぁ、アンタらバカだなぁ! 悪魔のオイラがグリモアに触れるって? 精々グリモアの罰を受けるのがオチじゃないかぁ! それなのにオイラがグリモアを持ち出したって、アンタら、頭がどうにかしてるんじゃない?!」
 要らないことまで喋りだしたピクシーもとい、「悪魔」であるピクシーを、名前とアクタベは感情の籠らない目で見る。
 ロボットのようにピクリとも動かない四つの目を前にした悪魔は、「ヒッ」と情けない悲鳴を出しながら、話を続けた。
「だって、アイツの情けない顔を見たかったからさぁ! アンタらも知っているだろう?! オイラはいたずらピクシー、人間にいたずらをすることを生きがいにしているのさ!」
「え? でも、読めるってゆーとったで? アイツ。馬鹿な人間が読めるとこは」
「あー、あれ? オイラもあれを目にしたときはびっくりしたねー! あれ、グリモアで召喚するときに本領発揮するもんだよ?! ってか、オイラみたいな代表者でないやつを喚び出す代物でさー。よくもまぁ、あんなもんを作ったってもんだよ! 本当に!」
「あ!」
 いたずらピクシーの言葉で思い出したのか、口を押さえた名前は顔を青ざめる。
 金策で偽のグリモアを作って、闇市へ売り出した記憶が名前の脳裏に蘇る。
 その所業を目敏く発見したアクタベは、顔を青ざめる名前をギロリと見下ろした。
 そして、嘘つきの発見器とも言える名前の頭を鷲掴みにしながら、アクタベは淡々としていたずらピクシーに言った。
「つまり。お前があの男から持ち出したグリモアはレプリカで、本物のグリモアではないと?」
「あぁ、そうさ。真っ赤な偽物さ。なぁ、もういいだろう? オイラはただ人間界に出て悪さをしただけだ……なにも、人の一人も殺してないし、町の一個を壊したわけじゃないしさぁ。なぁ、見逃しておくれよぉ」
「チッ。おうおう、おどれよぉ! それで見逃してもらおーなんて、百億兆年も早いんとちゃうか?! え!?」
 下唇を突き出しながら突然つっかかってきたアザゼルに、いたずらピクシーは嫌そうな顔をする。
 無言を貫き通すアクタベの様子を、頭を鷲掴みにされた名前が、そうっと覗き込む。
 アクタベの目元には漆黒の闇が落ちている。アクタベの口は真一文字にきつく締まっていた。
「あ」となにかに気付いた名前は、なにかを期待した。
「いたずら妖精っつーったら、あれやろ? なんか、あれができるんやろ? あれや、あれ……えろいこともできるんやろ? えんろーいいたずらが……」
「え、えー……オイラのイメージダウンに繋がるようなことはしないよぉ。オイラがするのは、あくまで人間を困らせると言うだけのもので。なにも、人間にえろいことをするには……」
「あぁん?! この次期魔王のアザゼルさんの言うことが聞けんのかい?!」
「次期魔王の器でもねぇだろ」
 ピクシーから離した手でアザゼルを鷲掴みにしたアクタベは、罵詈を吐きながらアザゼルを壁へ叩き付けた。
 壁にトマト祭りの喜びが残った。
「なら、その代表者とやらでも教えてもらおうか。それで、見逃すことも考えてやるよ」
「ケッ! 誰が吐くもんか! たとえよわっちぃ妖魔の一種であっても、あくまでオイラはあく、」
 アクタベはピクシーに最後まで言わすことなく、壁に叩き付けた。
 壁に目も当てられないような無惨な光景を広がった。
 名前は目の前でできあがったお伽噺の崩壊を目の当たりにして、顔を歪めた。
 その崩壊を作ったアクタベは「フン」と鼻を鳴らしながら、手を叩いて言った。
「どうやら、本当のただの雑魚悪魔だったようだな」
「いや、疑ってたのかよ……」
「あぁ?」
「いや。目の前でこんな、こんな……お伽噺が実は憎々しい肉体関係の痴女の縺れを描きましただけでした、っつー、おどろおどろしい生々しいものだって、発表されたときと同じよーな複雑な、悲しさが……」
「フン。そんなもの、ただ幻想を抱いているからだろおが。……ま、お伽噺にはお伽噺なりの理由がある。ガキに好ましい単語や話を繋ぎ合わせて、わざと教訓めいたことを残すことだってあるんだ」
 名前の頭を鷲掴みにしたアクタベの手が、ポンと名前の頭に置かれる。
 わしゃわしゃと髪を撫でられた名前は、前髪の当たる瞼の方を瞑りながら、アクタベを見上げた。
 アクタベは、ほんの少しだけ、――親愛の情をほんの少しだけ、浮かしたように見えるような、――情を浮かべた瞳で、名前を見る。
 傍から見れば「感情の読めない」目で見下ろすアクタベを名前は見上げながら、黙ってアクタベの話を聞く。
「それで、ガキの頭に残り、次の子孫に伝えられる――それで、教訓としては十分じゃねぇか。……さて」
 遠い故郷を思い出したかのような哀愁を漂わせた目を伏せたアクタベは、一息ついたあと、名前の頭を撫でた手に力を込める。
 ガシッと、今までわしゃわしゃと撫でられてきた名前の頭蓋骨に鈍い痛みが走る。
「うっ」とほんの少しだけ痛みの涙を浮かべる名前に構わず、アクタベは無慈悲な一言を放った。
「手前ぇ……オレに、嘘をつきやがったな? ……洗いざらい吐いてもらおうか。全部、な」
 意味深に呟かれた低い声に、据わった目に、目元に落ちる影に、名前は恐怖と不安で胸を押しつぶされた。

   
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