北欧神話に登場する光の妖精をご存知だろうか。
とても美しく若々しい外見を持ち、森や泉、井戸や地下などに住むと言われている。
また、不死或いは長命で、魔法の力を持っているとか。
それがかの有名なエルフである。
彼は気怠げな瞳を瞬き、その普段無表情に近い顔に驚きを露わにさせていた。
彼の目の前に突如として現れた、光輝く彼女から目が離せない。
純白のウェディングドレスに身を包み、その眩しすぎる真っ白に夕暮れの淡い太陽の光が柔らかく降り注がれる。
まるで、少女漫画に描かれているような何処かの国のお姫様のように彼には思えた。
いや、光の妖精というべきか。
兄の漫画の没ネタにされていたエルフという言葉がぴったりと当てはまる気がする。
校舎の二階の窓から飛び降り、重力に従うのように彼に向かって落ちてくる彼女に思わず両手を伸ばす。
ふわりとふわりと花びらが舞うように、彼女の身体はまっすぐに彼の腕の中に落ちてくる。
抱きとめた彼女の身体は華奢で細い。
それは彼の身体がその辺の男子より長身のせいでそう思うからなのかもしれない。

「名前ちゃん!逃げるなんて酷いよ!」

目の前の彼女に気を取られていると、先程彼女が飛び降りた二階の窓から端正な顔立ちの人物が顔を覗かせる。
その隠しきれない華やかさはまるで王子様という言葉が当てはまりそうだ。

「逃げるんじゃないの!私、とっくに部活の時間がすぎてて行かなきゃいけないし。それに、代役の話は聞いていたけど、ヒロインだなんて聞いてないわ!」

「ウェディングドレスが似合うお姫様は名前ちゃんしかいないんだよ!」

「知らないわよ!お世辞言ったって無理なものは無理よ!」

「そんなぁ…」

二階にいる王子様を冷たくあしらう彼女は、今の格好には似つかわしくない気がする。
見た目は見目麗しく儚い美女、それなのに、その彼女の表情は悪い魔女のようだ。
ふと、ハタと彼女の視線が彼に向けられる。
彼の長い腕に抱きかかえられている自分の姿にようやく彼女は気がついた。

「ごめんね。余所見していて気がつかなかったよ」

彼の腕の中から彼女がすり抜ける。
それから、彼女はもう一度二階にいる王子様に向かって声をかけた。

「そういえば、堀先輩が涙目で台本を読んでいたよ。もしかしたら、本当はお姫様役をやりたいのかもしれないね」

彼女の言葉に王子様の耳がピクリと反応する。
すると、彼女はふわりと花が開くような笑顔を見せながら言った。

「ねぇ鹿島、お願い、堀先輩の願いを叶えてあげてほしいの」

ガバッと王子様が顔を上げる。
その表情はきらきらと輝いていた。
それは彼女と一緒に二階を見上げていた彼も引くほど眩しいもの。

「名前ちゃん任せて!堀先輩の願い、私が必ず叶えてみせるから!」

それだけ告げて王子様は光の速さの如くその場からいなくなってしまう。
王子様のあまりの単純さに彼が呆然としている隣で、彼女はよいしょと言いながら純白のドレスの裾を持ち上げる。
それから彼に視線を向け、ひらひらと手を振ってから彼女もその場から走り去ってしまった。

「真由、こんなところで何やってるんだ?」

しばらくして、彼女と入れ違いになるように彼の兄である野崎がやって来る。
そこで彼は当初の目的を思い出した。

「鍵を忘れたから家に入れない。ここに来たらそこからお姫様が飛び降りてきた」

彼は二階の窓を指差しながら断片的に説明した。
極端に面倒くさがる彼の短い言葉に野崎は納得する。
伊達に兄弟はやっていないので、意味を理解するのは朝飯前だ。
それに、彼から送られてくるメールの内容に比べれば会話というのはずいぶん分かりやすい。
どうやら、彼は野崎のマンションの合鍵を忘れたため部屋に入れず、仕方がなく野崎の学校まで足を運んだのだろう。
面倒くさがりの彼が学校までちゃんと来たことはあとで褒めてやろう、野崎はそう思った。
しかし、それよりも先にすごく気になることがある。

「窓から飛び降りてきたお姫様の話を詳しく聞かせてくれ」

ネタ帳とペンを構えて瞳を輝かせる兄の姿に彼は多少なりとも表情を引きつらせていた。
少女漫画家というのは常にネタを探している、兄も色々大変なのだろうと彼は思う。
そんな二人を見て、たまたま側を通りかかった御子柴は思った。
女が二階の窓から校舎の外へ飛び降りることに誰かツッこんで、と。


あのあと、王子様の顔面に椅子が投げられて大怪我したとか、野崎が彼と彼女の出会いを短編のネタに使ったとか、とりあえず彼には知ったこっちゃない。
彼は今日も部員達に分かりやすいようにホワイトボードに技のかけ方を描く。
そのイラストの女の子が妙に色っぽいのは部員達へのサービスかどうかは分からないが。
それにしても、日が経つにつれてイラストの女の子が何処となく彼女に似てきてしまっていることに彼はまだ気づいていない。
そんなこんなでさらに時が経ち、柔道の地区大会が開催された日のことだった。
大会会場には中学の部と高校の部と二つがある。
午前一番に試合を終えた彼は部員達と共にあいた時間を試合観戦に使っていた。

「おい見ろよ!隣で高校の部も始まるぞ!」

ふと、部員の一人が大きな声をあげながら、今試合が始まろうとしている高校の部の方を指差す。
浪漫という夢が溢れていそうな学校名に彼は先日の出来事を思い出した。
あの日、あの場所で、きらきらと眩しい彼女に出会ったことを。
しかし、物思いに耽っていた彼は目の前の人物に思わず目を大きく見開く。
次の選手が会場に姿を現わす。
道着に身を包む、華奢で、眩しくて、お姫様のような人。
いや、光の妖精エルフのように美しいその人。
彼女は紛れもなくあの日、彼の腕の中に舞い落ちてきたお姫様に間違いなかった。

「……柔道部、だったんだ」

盛り上がる会場内のせいで、彼が小さく呟いた声は誰にも聞こえていない。
試合は彼女が綺麗な一本を取り、勿論勝利。
その彼女がふと、顔をあげる。
偶然にも目が合った彼に、彼女は唇に弧を描いて綺麗に微笑んでいた。


地区大会から数日後のこと。
彼は兄に会うという適当な口実をつけて再び高校へやって来ていた。
自然と足が向いてしまったのは、初めて彼女と出会った二階の窓が見える場所。
ここに来ればもう一度彼女に会える、何故かそう思った。

「あれ?この間の?」

鈴の美しい音色のような声が彼の鼓膜を揺らす。
表情には出さないが、彼の内心は心臓が破裂寸前のように緊張していた。

「……どうも」

彼女に向かってぺこりと頭を下げる。
すると、彼女は彼の側に足を進めてきた。

「あなたも柔道部だったのね。大会に出場していてびっくりしちゃった」

大きな瞳を細めて笑う彼女の姿に、彼は何を言っていいのか分からなくなる。
あの衝撃的な出会い方をしたせいなのか、或いは見た目に似合わず力強い技を出す選手として尊敬したのか、理由は分からないが彼は彼女を前にすると心臓がドクドクと煩く高鳴って仕方がないわけだ。

「あれ?それにしても、あなた確か中学生よね?誰か待っているの?」

彼女が首を傾げて問いてくる。
彼がゆっくりと口を開くのと同時に、何時ぞやも聞いた声が彼の言葉を遮った。

「名前ちゃん!今日こそはお姫様になってもらうからね!」

二階の窓から顔を覗かせる王子様。
それに対し、彼女は腕を組んで呆れたように王子様を見上げる。
あの日と同じ光景だと彼は思った。

「だから嫌だってば」

「柔道部には了承済みだから逃げ場はないよ!」

「堀先輩め。根回し早いんだから」

眉間に皺を寄せて溜息を吐く彼女に、王子様は勝ったと言わんばかりに声高々に笑う。
それからひらりと二階の窓から飛び降り、華やかな王子様はとうとう二人の目の前に姿を現してしまった。

「さぁ名前ちゃん、覚悟しな」

王子様が不気味に笑う。
いや、それだと王子様ではなく悪役にしか見えないのだが。

「嫌ったら嫌よ!」

拒む彼女に王子様の手が伸ばされる。
しかし、彼は何を思ったのか、咄嗟に彼女の膝裏と背中に腕を回して抱きかかえてしまう。

「……あの、えっと、」

彼女が困った表情を浮かべて彼を見つめる。
ずいぶんと近くなってしまった彼女との距離に、彼は少しだけ頬を赤く染めた。
ふと、そこにタイミングが良いのか悪のか、御子柴と佐倉が現れる。
佐倉は何故か彼以上に顔を真っ赤に染め、口をぱくぱく動かす。
同じく顔を赤らめていた御子柴だが、すぐに我に返って彼に向かって声をあげた。

「な、なな、何やってんだよ!?おまえは!?」

御子柴の声に弾かれたように彼は走り出す。
勿論、腕の中にいるお姫様を攫ったまま。


その後、二人はどうなったのか。
光輝く美しいお姫様は、彼女のことを攫った彼と恋に落ち、幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。


カリカリと音を立てながら原稿を描いていた野崎の手が止められる。
ふと、テレビの前にいる二人に視線を向けると、二人とも静かに寝息を立てながら眠っていた。
彼女の膝の上に頭を乗せて気持ち良さそうに眠る弟に、その彼の黒くさらさらした髪を撫でながら一緒に眠ってしまっている彼女。

「……いちゃつくなら他でやってくれ」

やれやれといった感じで野崎は立ち上がり、寝室から毛布を二枚持って来る。
一つは弟の身体に、もう一つは彼女の肩にかけ、それからテーブルの上に飲みかけになっているカモミールティーの入ったカップをキッチンに片づけた。
因みに、このカモミールティーは彼女が好きだと調べた弟がわざわざ買って来たものだ。
あの面倒くさがりな彼が、彼女のために意外とマメな行動する姿に兄としては思わずほっこりとしてしまう。
そんな野崎の心情を知らない二人の表情は本当に幸せそうだ。
ふと、ハッと閃いた野崎はネタ帳にメモを書く。
次の短編は彼と攫われた彼女のその後の話にしよう。
以前没ネタになった妖精の話は近いうちに復活するらしい。
そして、二人の恋が少女漫画化されていると知るのは、ずっとずーっとあとになってからのことでした。

   
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