放課後の教室。
夕陽が窓から差し、白い壁がオレンジ色に染まる。

私は自席の上に積んだ教科書の束を、持参したスーツケースに詰め込んだ。こんなに置き勉していたのかと、我がことながら心の中で苦笑せざるを得ない。


『テスト前に一気に持ち帰る?そんなもん、日頃から復習してりゃあ必要ねーだろ、アーン?』


テスト二週間前に彼にボヤいたら、当たり前のように返事をされて反応に困ったのを記憶している。 ヒーヒー言ってる私を見兼ねてか、勉強にも付き合ってくれて散々面倒見てもらっていたっけ。

けれど、スポーツ、勉強、容姿、何をとってみても輝いている彼にとって、何を見ても平凡である私が不相応であることは、自分が一番良く分かっていた。


『似合わないにも程があるわ、アンタみたいな凡人。』

『消えなさいよ、私たちの跡部様の前から。』


他人に言われるまでもない。
それでも彼に惹かれていて、近しい存在で、彼といる時間は思うよりずっと幸せだった。だから今まで耐えて来られた。

しかし現実という名の悪夢は容赦なく、私の心を疲れさせる。その幸せな夢でさえ、激しい現実との落差はついに、埋められない程になっていた。



「…おい、」

「あれ、跡部…」

「俺様がわざわざ来てやったのに、ツレないじゃねーの。」


あーあ、綺麗な御顔、その眉間に皺が寄ってしまわれる。
教室にひょっこり現れた彼におどけて言ったら、茶化すなと一蹴された。


「何てことない、跡部のこと考えてたの。」

「ほぉ、奇遇だな、俺も俺様のことを考えていたぜ。」


私の手荷物を一瞥して、目を細める彼は、跡部景吾。窓際のこの席に近付くにつれ、女子顔負けのサラサラな金髪が、窓からの日を浴びて輝きを増す。


「…名前、どこに行く気だ。」

「家に帰るだけだよ。」

「フーン、テメェの家は海外にでもあんのか。なかなかの大荷物だな。」

「そうだね。」


嘘。家に帰るのは確かだけど、帰ったら最後、この机に座ることも、この教室に踏み入ることもない。

海外なんて大袈裟なところじゃないけれど、県を超えた向こう側の学校に行くことになっているから。


「ほら、天下の跡部様はそろそろ部活のお時間でしょう。私めにお構いなく、参ったらいかがです?」

「はっ。その言い方変わらねーな。本当は行って欲しくないんだろ。アーン?」

「まさかまさか。人魚が王子を引き留めるなんて、なんとも恐れ多い。」


駄目だよ私は。だって貴方を好きになってしまったから。

どう足掻いたって、お城に住む姫様にはなれないから。王子と釣り合いなんかとれるはずがない。
ひとときの幸福を感じても、打たれた頬が現実へと引き戻す。好きになったら最後、泡となって消えるしかないの。

だから、貴方の邪魔にならないうちに、消えた方がいいでしょう。


…なんて詩的に言えば、逃げることも許されるかな。

空になったロッカーを見つめて目を伏せると、頭の上から呆れたような声が降ってきた。


「…何を言うかと思えばくだらねェ。」


吐き捨てるような物言いに、心の中を読み取られてしまったのかと肩が跳ねる。


「お前が人魚で、俺様が王子だと?笑えない冗談だな。」

「冗談で終わらせられるほど、余裕があるわけじゃないんだよ。私はね。」

「俺様はキングだ。自分の相手は自分で決める。」

「跡部…、っ!」


ぐんと近くなる顔の距離。スーツケースを引ったくられて、手首を痛いくらいに掴まれた。


「それでお前はそのキングが選ぶ、この世で唯一のクイーンだ。人魚なんかじゃねェ。…泡になんて、させるかよ。」


最後の言葉は、彼らしくもなく小声だった。掠れた声が切なくて、その瞳が哀しそうで、見つめ合うと鼻の奥がツンとする。


「荷物はほどけ。転校は撤回させる。」

「何それ…知ってたの…?」

「お前のことで、俺様が知らないことがあると思ったか?」


酷いな、プライベートが皆無ですか。跡部様の頭の中には、個人情報についての定義付けが今一度求められているようだ。


「…いや、違うな。知らないこともあった。」

「何?」

「お前の心だ。」

「なら、跡部の心も。」

「分かってんだろ?お前に惹かれてる。お前だって俺様に惹かれてる、違うか。」


違わないよ。違わないけど。


「だから?」

「…何だと?」

「私に惹かれてる。だから、何なの?」


意地悪な女だと自覚はしていても、貴方の言葉が欲しい。重たくて仕方ないのに。どうか解けませんようにと願ってやまない楔が欲しい。

舌打ちが聞こえたと思ったら腕を引かれ、身体ごと彼に倒れた。


「ちょ、」

「愛してる。」


私も愛してる。


口を開こうとしたが、つい閉じた。

彼の肩越しに見えてしまったから。
廊下から教室を伺っていた女子生徒がいた。その視線に怯えるなんて馬鹿みたいだけど。明日からの仕打ちを考えると、また身を竦めそうになるんだもの。


「この俺に、愛してるなんて言わせたのは、世の中でテメェくらいだぜ。」


アイスブルーの澄んだ瞳の奥の熱情に射抜かれて、今度こそ頬を涙が伝う。

ごめんなさい。欲張ってごめんなさい。与えられてばかりでごめんなさい。愛していると、この口で伝えられない臆病な私でごめんなさい。

けれど今は全て忘れて、この甘い熱に溺れていたい。雁字搦めの貴方の愛に凭れてもいいですか。


「愛してる、名前。」


囁かれるこの愛を、私は耳の奥に閉じ込めた。

   
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -