「そこ座っていいよ。」

「あ、ありがとうございます。」

とても困ったことになった。何故だろう、私何か悪いことしたのかな。そんな八百万の神々に一斉に嫌われるような悪行を働いてしまったのだろうか?

「なーに考えてんの?」

「ひぃっ、ごめんなさい!」

「そんな怯えなくたって……」

目の前の少年・原一哉は苦笑いを浮かべた。ラベンダーのような薄い紫の髪と長い前髪で見えない目元、常に口のなかにあるガム。今まで平和に暮らしてきた私にとって、彼を不良と認識するには十分な要素だ。大体初対面のナンパした女の子を自宅に連れ込む時点でどうかしている。しかも何で一人暮らしでこんな豪勢なマンションに住んでるの?!不良だ、不良の極みだ!

「……後半、悪口にもなってないけど。」

「え?」

「全部声に出てたよ。」

ガムをティッシュに吐き出してごみ箱に捨てている彼の後ろ姿を見ながらも、顔から血の気が引いていくのがわかった。

「ごめんなさい、ごめんなさい!お願いだから食べないでくださいお願いします!」

だめだ、怖い。元々の人見知りも相まって何が何だかわからなくなってる。

「あ、えーと、とりあえず…泣かないで?」

泣き出した私の目元を優しく拭ってくれるのはもちろん私の前の原くん。

「怖がらせちゃったね、ごめん。」

申し訳なさそうな顔をしたのがわかった。気を遣わせてしまったらしい。

「名前ちゃんは人魚姫って知ってる?」

「まあ…。あれ、今私の名前…」

おかしい、私この人に名前教えてないはずなのに…。そんな私の様子には一切触れず、原くんは続ける。

「あの話、好きな人と結ばれないで終わってるじゃん?俺、それが嫌なんだよね。」

何を言っているんだろう、この人は。というか、段々顔の距離が近づいてる気が……。

「あの話の王子と人魚姫の出会い、覚えてる?」

「確か、人魚姫が王子に一目惚れするんじゃ…?」

「そ。んで、俺今人魚姫状態な訳。」

ますます意味がわからない。何で男の彼が人魚姫なら、私を拉致する意味があるのだろう?

「花宮真、覚えてる?」

「あ、中学でずっと同じクラスでした。」

「俺、今の花宮のチームメイト。んで、卒業アルバム見せてもらって、あんたに一目惚れしちった。」

その言葉を聞いた瞬間、私の顔は一気に熱を帯びる。え、もしかして今私告白されてる?

「で、今日たまたま見つけたから連れてきちゃった。ねえ、俺と付き合ってみない?後悔はさせない。」

ドキドキと高鳴る心臓は、私に警告を与えているのか、ときめきを与えているのか。すごく軟派な人に見えるけど、でも少なくとも、この人が私に害を働くとは思えなかった。ただの直感でしかないけど。

「わ、私…鈍臭いから嫌になるかもしれない。それに、今時の女の子みたいな格好もあまりしないし……」

口を開くと、否定的な言葉しか出てこない。こんな私の何がいいのかもよくわからない。悶々としていると原くんが私の髪をそっと撫でた。

「名前ちゃんがいい子だってのは花宮から聞いてるし、格好に関しては、俺清楚が好みだから多分問題ない。俺がコーディネートするのも面白そうだし。」

原くんは再びにひひっと笑った。髪に隠れた頬が少しだけ赤かった。ちょっと気になったから原くんの胸に触れると、私と同じくらい速い鼓動が伝わってきた。それを認識すると同時に、原くんはすごい勢いで後ずさった。

「っ、いきなりそういうの、反則……。」

照れたように前髪をかき上げる原くん。髪と似たような色素の薄い紫の両目が見えたとき、思わず息を飲んだ。

「前髪避けると、光が反射して綺麗ですね。」

「……意識してそれやってんなら、この場で犯すよ?」

「えっ、な、何か気に障ること言いました?!」

聞き慣れない単語、しかし内容がわかってしまった私がおろおろとしていると、原くんが近づいてきて私を抱き締めた。

「あー、もう…天然とか一番怖い。誘惑強すぎでしょ。」

爽やかなシトラスの香りが私の鼻腔をくすぐった。それが何とも言えず緊張して、思わず彼の服の裾を捕まえると一際大きな音を立てる彼の心音が聞こえた。

「くっ……言ってる傍から……!今日は我慢しようと思ってたのに!」

ちゅ、とおでこに柔らかな感触を覚えた。続いて耳に熱い吐息が触れる。

「今日はこれで許したげる。」

その後に前髪越しに合わせた目は少し揺れていたけどやはり綺麗で、私はもう、人魚姫の歌声に誘われた船乗りよろしく、彼の虜になって溺れてしまったようでした。


『くちびるはルビー、涙はパール』


それなら貴方の瞳はきっと水晶。


企画恋に溺れた人魚姫様提出

   
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