授業中、いつも以上に深く眠りこんでしまったわたしは授業が終わってもそのことに気づかず、だいぶ寝過ごしてしまった。そのせいか、授業の間にある些細な休み時間が減り、わたしは駅前で買ったパンを頬張りながら、授業の準備をした。最悪なことに次の授業は移動教室であり、しかも厳しいと生徒の間で定評のある先生だった。教科書を胸に抱えながら片手でパンを頬張りながら、廊下をかける。ちょうど曲がり角に差し掛かったとき、向かい側から人が来ているとは知らず、曲がろうとした。案の定人とぶつかり、驚いて目を丸くしたときにはすでに尻餅をついていた。鈍い痛みが尻に響き、片手にもっていたパンは廊下をすべるように転がった。胸に抱えていた教科書はなんとか床に落とさずにすんだけれど手に力がはいったのか、プリントに少し皺がついてしまった。わたしはすかさずぶつかってしまった人物に謝ろうと、顔を上げた。しかし、ぶつかった人物が誰なのかわかった瞬間、眉を盛大にしかめた。めんどくさいやつにぶつかってしまった。もしも時間を戻せるのなら、立ち止まるよりもまずこの場所を通らず別の道を通るだろう。わたしの目の前に聳え立つやつはいくらか屈みながら、優雅にわたしの手をとって、引っ張りあげた。そして屈んだときに落ちてきた藍色の髪の一房を手で後ろへと払う。そして軽くため息をつきながら、呆れた表情をした。



「もう少しおしとやかに過ごせないか」
「こっちは授業に急いでるんです。えっとパンは……」
「拾い食いははしたない」
「しょうがないでしょ。これがわたしのお昼ご飯なんだから」
「それならテラスなどにいって食べればいい」
「時間がないんだって」
「時間がない、か。その原因を作ったのは貴方だろう」
「あー!先急いでるんで失礼します。じゃあさよならエドガー」
「待て。スカートの丈が短すぎる。そんな美しくもない足を出して恥ずかしくないのか」
「だぁー!もううるさい!」
「廊下では騒がないように」



 毛を逆立てながら威嚇するネコのように、歯を食いしばり、溢れんばかりの苛つきを心の中で必死に抑えているわたし。それとは正反対にエドガーは涼しげな表情をして、青色の瞳でわたしを見下してきた。イギリスではプロマイドがでるほど人気で、王子様のようと称されているエドガーは何かとわたしにつっかかってきた。しかし、それはきっとわたしが学校でワースト3に入るほどはしたないと有名なせいかもしれない。でもそれはしょうがないと思う。この学校の女の子は清楚でおしとやかな子が多く、淑女として育てられるよう、小さい頃から教育係がお側にいそうな雰囲気がぷんぷんしている。それに比べてわたしは庶民生まれで野良猫のように自由奔放と育ってきた。なので可憐な薔薇が咲き誇る庭園でティーカップに唇をつけ、紅茶の香りを楽しむような人たちとは元々反りが合わないというか、一緒にいるとどうしても体がかゆくなってくる。

 どうして公立に入らなかったのだろうと考えるのだけれど、この学校の進学率や環境などに目が眩み、必死に勉強をして受けてしまった。友達もできて学校生活もいちお楽しいのけれど、どこか居心地の悪い空気にエドガー・バルチナスという存在がわたしの頭を悩ませていた。腕時計を見てみれば、授業開始の一分前だった。こんなところで油を売っている暇はない。わたしはエドガーを下から軽く睨みつけ、先を急いだ。わたしの後ろから聞こえる廊下は走らないように、というエドガーの声を無視して、廊下を走り続けた。結局授業は予想以上に早くに始まっており、しんと静まりかえる空気の中、自分の席まで肩身を狭くしながら歩み、肌を刺すような先生の視線にわたしは身を縮めながら耐えた。このごろてんでいいことがない、と改めて思った。




 それから数日後の昼休み、わたしは偶然にも廊下でフィリップと出会い、その流れで学校にあるテラスまで来た。テラスは学生たちの賑やかな話し声に溢れており、椅子がほぼ満席だった。視線を泳がして空いている席を探し、一番端にあった椅子に腰をかけた。しばらく他愛もない話をし、ふと前触れもなくフィリップが言った。


「パーティにはでるのか?」
「パーティ?」
「私たちの学年だけでやるものだ」
「ああ……たしかにあったねえ……」



 わたしは駅前で買ってきたパンを袋から取り出し、頬張った。白い粉砂糖のついたパンだったので唇に粉が少しついてしまった。それを舌で舐めとるとそれを見ていたフィリップは苦笑いをした。なんだかこいつもエドガーと同じようなにおいがするというか。でもフィリップは穏やかでエドガーのように鼻にかけるような言動はない。とても話しやすい人だった。



「それで、パーティって踊るの?」
「当たり前だろう」
「やっぱりか……踊るのね……ペア探すのめんどくさいな……あっフィリップ、よかったらわたしと組まない?」
「それなら私が組んでやろう」



 ふとエドガーの声がしたので、まさかと後ろを振り返ってみるとそこには口元に高慢な笑みを浮かべる彼の姿があった。わたしはびっくりして肩を震わせたが、すぐに目を平らにしてエドガーを見つめた。今、彼はなんていった?わたしと組むだって?頭の中で一人会話のキャッチボールをしているとエドガーはわたしの目の前に回り、手を差し出してきた。すぐさま目を点にしてエドガーとその手を交互に目配せすると、隣にいたフィリップにとりあえず手をとってと促された。わたしは食べかけのパンをベンチに置き、おずおずとその手をとる。するとエドガーは優美な手つきでわたしをいとも簡単にベンチからたたせ、そのままわたしの手をひっぱり、テラスの中央へと移動する。そしてわたしを胸元へとひっぱり、腰元に手を添え、ダンスの格好をとった。予期せぬ事態にわたしの頭は真っ白になり、冷や汗が滲んだ。こんな目立つところで踊ったりなんかしたら、このテラスにいる人たちの注目の的になってしまう。しかも相手はあのエドガーだ。知名度が高い人と踊るとなると、やっぱり他人の視線が気になる。

 そしてわたしは踊りが下手だった。メリーゴーランドのように優雅に踊れず、まるでロボットが踊るかのように間接が錆びついていた。そんなわたしが、エドガーと踊るなんて。この精神的屈辱、まさに公開処刑をされている気分だった。いやだと抵抗するよりも先にエドガーは踊りだす。わたしは慌ててエドガーに合わすが、踊りたくないという気持ちが心に残っているせいか、いつもよりも数倍ぎこちない踊りになる。肌に突き刺さるような視線が痛くして仕方がない。この前感じた先生の視線ぐらいだ。体を熱くする羞恥心に耐え切れなくなり、わたしはやめてとエドガーを制した。エドガーはすぐに足を止め、わたしを見つめる。そしてため息をついた。



「もっと練習する必要がありますね」
「練習とかいいから、わたしもういいです」
「貴方のような人を誘ってくれる方なんて、この学校に存在するかね」
「あー!もういい!わたしのことはほっといて!エドガーはいっぱい女の子いるからいいでしょ!」


 わたしはそう怒鳴るとエドガーの胸元を軽く突き飛ばし、急いでその場を後にした。テラスにはパンとフィリップをほったらかしたまんまだけど、恥ずかしすぎて、もうあの場所には戻れなかった。

 そのあと、そのパーティは学生が主催であるためスタッフとして参加してもいいということを知ったわたしはすぐさまスタッフとして参加することを決めた。あれからエドガーにちくちくと皮肉を言われながらも誘われるけど断っておいた。わたしはあの豪華なシャンデリアがつるされたダンスホールでエドガーと踊れる自信はなかった。



 パーティの日がやってきた。わたしはできた食事をダンスホールへと持っていく役となった。ターコイズやローズといった鮮やかな色のドレスに身を包む女の子に黒や白のタキシードをきた男の子の合間を縫うようにしてわたしは黙々と食事やグラスにはいったノンアルコールのシャンパンなどを運んだ。人が多すぎて、エドガーの姿は見えなかったけれど、きれいな女性とでも組んでいるんだろう。エドガーの場合、下手したらそこらへんの女の子よりも異性からのお誘いが多そうだ。まったく、モテる男はいいな。そんなことを頭の隅に考えながら空になったグラスを運んでいると、タキシードに身を包んだ男の子とぶつかりそうになった。寸前で避け、お盆の上に乗っかっていたグラスもなんとか持ち応えた。しかしエドガーのことを考えて失敗を犯してしまったことが悔しくてたまらなく、頭を抱えたい気持ちでいっぱいになった。


 そしてわたしのシフトも終わり、簡単に設けられた休憩所で休んでいたときだった。休憩所に誰かが入ってきたのに気づき、流し目で見てみるとそこにはフィリップの姿があった。ボーイの姿をしていることからフィリップはスタッフとして参加したらしい。わたしは驚きのあまり開いた口がふさがらなかった。


「フィリップ……!スタッフとして参加してたんだ!でもどうして踊らないの?」
「踊りたい人にはすでに約束された人がいてね。誰だって、踊りたい人とペアを組みたいだろ」
「へえ……フィリップの踊りたい人って誰?」
「それは秘密だ」
「えぇー」


 肩を落として不満の声を上げたとき、ちょうどホールから音楽が響いてきた。バイオリンの音を機にどんどん曲が盛り上がっていく。休憩室に届いてくる美しい弦楽器の音色にうっとりと聞き入っていると突然、フィリップが顔を覗き込んできた。



「一緒に踊らないか?」
「え?どこで?」
「ここでだ」
「でもわたし踊り下手だし……見たでしょ?あの悲惨な踊りを」
「ここだと誰も見ていない。好き勝手踊れるだろう?」



 フィリップはわたしの目の前に手を差し出してきた。たしかにこの休憩室はわたしとフィリップ以外誰もいなかった。フィリップの顔を伺いながらその手をとるとすくっと簡単に椅子からたたされ、フィリップはわたしの手を自分の肩へとおき、私の腰元に手を添えた。思った以上に密着していることに恥ずかしくなったわたしはだんだんと頬が上気していくのを感じた。フィリップは音楽に合わせ、優雅にステップを踏み始めた。わたしはワンテンポ遅れながらもフィリップに合わせた。ゆっくりだけれどリズムよくステップを踏む。微弱だけれど、いつもより上手く踊れている気がした。音楽が中盤に差し掛かったころ、ふと顔を上げるとフィリップと目が合った。灰色がかった淡いグリーンの瞳がわたしを虜にし、その瞳が軽く細められたときには胸がとくんと高鳴った。そのときだった。突然休憩室のドアが勢いよく開いた。びっくりしてすぐさまドアのほうへと視線を向けると、そこには白いタキシードに身をつつんだエドガーの姿があった。かすかに息の荒いエドガーは大またでわたしたちまで歩み寄ると、フィリップに借りますよといい、わたしの手首を掴んだ。そしてそのままずいずいと歩んでいく。突然手首を掴まれ、引っ張られたことに足が絡まりそうになったがなんとか耐えた。フィリップのほうを向いてみると、フィリップは眉を若干ハの字にして笑っていた。苦笑いだ。一方エドガーはどんどん歩み、休憩室を抜けた。わき目も振らず廊下を直進するエドガーにわたしはエドガーと声を荒げた。しかしエドガーはわたしのほうをまったく振り返らず、前だけを見据えて声を張り上げた。


「ドレスと靴は用意できる。髪の毛も大丈夫だろう」
「まさか……踊るの!?」
「フィリップとは踊っていたのに、どうして私は駄目なのか?」
「いやでもどうしてこんなことを?紳士がすることなの?」


 嫌味をたっぷりと含んだ声をつむいだとき、エドガーがわたしのほうへと振り向いた。透き通った青い瞳がわたしを射抜く。エドガーは口元にきれいな笑みを浮かべていった。


「こうして殻をやぶらなければ、貴方を捕まえられないでしょう」



 エドガーはそういうと、再び歩き始めた。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -