机に向かっているとき、背後に何か視線を感じるのは日常茶飯事だ。
しかし私はその視線に反応することもせず、ただペンを動かす。
なぜって、一度関わったらいつまたこの机に戻ってこられるか。
いつまたこのペンを握ってノートに課題を書すことができるか。
そんなことを心配しなくてはならないからです。
しかし、その視線を贈っている本人は、そんなこと、知りもしないのでしょうが。
「ねーねートキヤ。何やってんの?」
ほら。
視線で訴えても私がこうして無視をすると、今度は声に出して直接入り込もうとする。
だからこの男は危険なのです。
ここでまた無視をすると、返ってややこしいことになります。
「見ればわかるでしょう。課題をやっているんです。わかったら私の背中に視線を贈らず声も掛けず静かにしていてください。できないのなら部屋から出て行ってください。」
端から見ればかなりキツい言い方と思う人もいるかもしれません。
同じクラスのレンや翔、その同室の聖川さんや四ノ宮さん方を例に挙げてもいいでしょう。
しかしこの男、これしきの言葉ではまったく怯まないのです。
「もー。ここは俺の部屋でもあるんだよー。そんな冷たいこと言わないでさあ〜」
このコネコネしたような言い方。
こんなもので私が折れるとでも思っているんでしょうか。
否、彼は恐らく私が折れることを予想してやっているのではなく、ごく普通に、自然にしているのです。
そっちの方が、計算してやられるよりも遥かに面倒だというのに。
「ひっ!?」
「あ、ごめんごめん。フーってやったら、トキヤどんな反応するかなあって」
束の間。
左耳に何か風が吹き掛けられた。
もちろんそれはいつの間にか私の真後ろに来ていたこの男の息だったのですが、そんなことされるなんて夢にも思っていなかったものですから、体から力が抜けるような感覚と共に、なんとも間抜けな声を発してしまいました。
私としたことが。
真後ろに来ていたとも分からなかったとは、不覚です。
しかし今はそんなことはどうでもいい。
「な、何するんですか!」
「いや。だから、トキヤどんな反応するかなって。油断してたでしょ〜?間抜けな声出たね!ちょっとかわいかったよ」
ニコニコと笑顔で淡々と試してみた感想を話す。
恐ろしい。
しかし一つ、聞き捨てならない単語が混ざっていたような気が。
かわいいという単語は、少なくとも男子高校生が男子高校生に言うようなものではないと思うのですが。
いえ、男子高校生に限らず、男性が男性に言うこと事態おかしいでしょう。
仮に言ったとしても、私とこの男の場合、言われるとしたらこの男の方だと少なからず思うのですが。
「あれ?トキヤ?おーい。どうしたの?」
勢いよく振り返り、持っていたペンをその男の目の前に突き出すと、わずかに体を後ろに引いてヒィ、と小さく悲鳴を上げた。
それ以上私に近づかないでください。迷惑です。
「それに、かわいいなんて単語を私に向けて使わないでください。虫酸が走ります」
「えーなんで。だってかわいかったんだもん。というか、トキヤはいつでもかわいいよ。かっこいいけどかわいい」
私は危うく突き出したペンを落としてしまうところだった。
まるで好いている女性に向けるかのような言葉と表情。
何を動揺しているのか。
「トキヤー?おーい。もしかしてかわいいって言われて動揺してる?」
「してません」
「そうだよねー。トキヤが言われるならどっちかというとかっこいいだもんね!」
「してないと言っているでしょう…」
「もっと言ってあげよっか?トキヤ」
ペンを持ち突き出していた右手をふいに捕まれ、心がびくりと揺れた。
この男は一体何を言っているのか。
私は男です。同じ男のあなたに言われたって全くどうでもいいですし、
「トキヤ、知ってる?今、トキヤの顔すごい真っ赤だよ」
だから違います、と言いだす間もなかった。
掴まれた腕を引かれたと思うと、ほんの一瞬だけ頬に温もりを感じたのです。
…?
今、一体何が?
「トキヤがかわいいからキスしたくなっちゃった!あ、お先に風呂いただくね〜」
笑顔で話すと、準備していたらしいタオルやら部屋着やらを片手に脱衣室へ消えてしまいました。
計画的?確信犯?
人にこんなことまでして恥ずかしい思いをさせて、自分だけ逃げる気ですか。
という前に、どうして私の心臓は早まるのか謎です。
「っ……!音也!待ちなさい!」
とにかく、悪いのはあの男です。
自分でも珍しいと思いつつ声を荒げながら、脱衣室の扉を乱暴に開けるのでした。
油断大敵
(全てあなたのせいですよ)
2011.10.07