神様がもし、俺にとびきりの幸せを与えたとしたら。


「…名前?」
「?」
「眠いのかい?」

所謂、お姫様だっこというやつだ。

俺の腕の中で小さく舟を漕ぎ始めた名前に、そっと囁き掛ける。
閉じかけていた瞼を重そうに上げて、名前と俺の視線が絡み合う。
きっと俺が名前を呼ぶ声は、はっきりと名前の耳まで届いていなかったのだろう。静かな空間に、聞き覚えのある声が響く、それに反応して名前は糸を引かれた操り人形のように俺を見たのだろう。
眠いのかと問い掛け、すっかり乾いた髪を梳きながら壁に掛けてある時計を見ると、もうそろそろ日付を超える時間だった。名前との時間はあまりに幸せで暖かくて、安心出来る時間だ。だけれど俺が手を離してしまったら、するりと名前は何処か遠くへ消えて行ってしまいそうで、怖い。

「ねむく、ないよ…ふあぁ」
「…ふふ、そんなに大きな欠伸をしながら言われても説得力に欠けるよ。ほら、ベッドで寝よう」
「……やだ」
確信の無い微かな恐怖に怯えていると、眠たそうに涙が浮かぶ目尻を擦りながら、名前が駄々を捏ねる。俺より年下だとは言え、駄々を捏ねるには少し年を取りすぎている。本来なら可笑しいと思うところなのだろうが、すっかり名前にべた惚れな俺には、そんな名前さえ可愛いと思ってしまうのであった。

しかし、それとこれとは別だ。
「ソファで寝るのは身体が辛いだろう?俺も一緒に寝るから、」
「……」
ぎゅう、と音が聞こえてきそうな程に俺の首に回された名前の腕の力が強くなる。心地良い。このまま首を絞める力を強めて、いっそ名前のその手で絞め殺してくれたら良いのに、と不満そうな顔をする名前を見ながら俺は思った。そうすれば、俺達は―――…。
「…離れたくないの」
「ん?」
「……ベッドに行くには、レンから離れないといけないでしょう」
「あまり可愛いことを言うんじゃないよ、名前。でも名前が俺と離れるのが嫌だと言うなら、ベッドまでこのままお連れしましょうか?お姫様」
「…ふふ、」
俺の上に座らせていた名前をそのまま抱き上げ、ちゅ、と額に口付けを贈ってから寝室へと足を進める。少しだけ冷えた俺の首には、しっかりと名前の腕が巻き付けられていた。もし、俺と名前を繋ぐものが目に見えたとしたのなら、こんな感じなのだろうか。俺と名前は、切っても切れない存在なのだ。名前は知らない、たったひとつの真実。変え難いの無い、真実。
「んん……」
寝室に着き、丁度扉を開けたところで、名前が身を捩る。どうやら俺のお姫様はベッドに辿り着く前に、夢の中へと行ってしまったようだ。俺ひとりを残して。
得体の知れない寂しさに襲われた俺は、名前を起こそうかとも思ったが、俺の腕の中で眠る名前の寝顔があまりに気持ち良さそうで、思わず手が止まった。
「……本当に、名前には叶わないよ」
羽が生えているのでは無いだろうかと疑いたくなるくらいに軽い身体を、真っ白の海に寝かせる。さらりと髪が海に溶け、白く透き通る肌はそっと受け止められた。
「…美しいね、名前は」
汚れひとつない俺の天使を眺め、無意識に言葉を紡ぐ。どうか、どうか美しいままの名前で居てくれ。汚く汚れた真実を知ってしまった俺のように、ならないで欲しい。
「ねえ、名前、」
真っ白の海に眠る名前の隣に腰を下ろし、顔に掛かった髪を指で払ってやり、答えが無いことを分かっていながらも、俺は話し掛ける。


「……名前と俺が、もし、同じひとから産まれたんだと言ったら、名前は、どんな顔をするんだろうね」


言ってしまいたい。
すべてを。

すべてを露わにしてしまえば、名前は俺の元から去ってしまうだろうか。


「…神は、俺の愛しいものすべてを取り上げてしまうつもりなのかな」


「ねえ、名前、」


少し力を込めたら折れてしまいそうなほど細い首に、そっと両手を回す。
ぽたり、名前の頬に一滴の雫が落ちた。

「…早く、早く俺を殺してくれよ。そうじゃないと、俺は、君を――……」



神様がもし、俺にとびきりの幸せととびきりの不幸を与えたとしたら。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -