名前で呼んでの段(四年生)

 秋休みはそう長くないので、実家からの忍務を入れたことはあまりない。基本的に学園に残り、能楽堂を利用して稽古に励む。
 六年生は就職活動が本格化したこともあり、学園に残る生徒が夏休みよりもぐっと減った。
 就職が決まっているのは、鬼桜丸と私を除けば、実家の家業を継ぐと言う喜郎と吉村、七法寺くらいじゃないだろうか。
 少なくとも同じ組の中で就職が決まったと言う話は他に聞いていない。

「……あれえ?」
「あれえじゃない。単純に計算間違い」
「え?ど、どこ?」
「最初からやり直し」
 私は溜息を零し、いくつか×印の付いた解答用紙を斉藤へと返した。
 秋休みの貴重な時間の一部を、私はこうして斉藤に付き合って消化をしている。
 本来であれば鬼桜丸が引き受けた先生からの頼まれごとではあったのだけど、斉藤の存在に焚きつけられた中在家が勝手に断り、私にお鉢が回ってきたのだ。
 面倒な仕事ではあるのだけど、斉藤が問題を解くのに集中している間は、中在家に無理を言って買ってこさせた本を読んでいるから、別に退屈ではない。
 文句を言うのであれば、斉藤の勉強を見るなら自分たちも!と寄ってきた平と綾部にだと思う。
 問題自体は先生から預かっているものだからいいけど、答え合わせは全部私の仕事だから正直面倒くさい。
 まあ、一番手がかかるのは斉藤であって、他はそれほど迷惑を掛けていないからいいのだけど。
「そう言えば片桐先輩」
「何、綾部」
「ずっと気になっていたんですけど、何故立花先輩は名字で呼ぶのに豆腐先輩は名前と呼ぶんですか?」
「……むしろ、お前は何故兵助を豆腐先輩と呼んでいるの」
「豆腐先輩は豆腐先輩でーす」
 自分は間違っていないと言う様子の綾部に、私は小さく溜息を吐いた。
「そう言えば片桐先輩が名前で呼んでいるのは、同じ六年は組の先輩たちに、三年のいつも一緒に居る連中に、従弟である鉢屋三郎先輩と同室の黒ノ江先輩くらいですよね。多いようで少ないですね」
 指折り数えた平が首を傾げる。
「ねえ、片桐先輩。夏休みの間は“喜八”と呼んでくれてたのに何故ですか?」
「あれは忍務だったから」
「忍務が終わっても、藤内と富松の事は相変わらず名前呼びじゃないですか」
 唇を尖らせる綾部に私は首を傾げた。
「それはあの子たちがそう望んでいるから。それに、作兵衛は前から作兵衛と呼んでいた」
「じゃあ僕のことも喜八郎と呼んでください」
「何故」
「僕らの方が先に会ったのに、三年生たちが先に名前呼びされてるのは屈辱です」
「……わかった。呼べばいいんでしょう?喜八郎」
「はい」
 溜息を零して頷けば、喜八郎は嬉しそうににこりと笑った。
 綾部……じゃない、喜八郎の笑みとは貴重なものが見れたのかもしれない。今度立花に自慢してやろう。
「じゃあ僕もー。タカ丸って名前で呼んで?」
「わ、私も……滝、と呼んでくださって構いませんので……」
 ずいっと斉藤と平に迫られ、驚きに私はぱちりと瞬きをした。
「……お前たちなんなの。別にそれ位いいけど」
 何故突然名前呼びを強要されているのかよくわからないまま頷くと、「早速呼んで〜」とタカ丸が強請ってくる。
 面倒に思いながらも、彼らのタカ丸と滝の名をそれぞれ呼ぶと、嬉しそうな笑みが返ってくる。
 四年生はまだ笑みが幼く、何とも可愛いものだと思いながら、一人ずつ頭を撫でていく。
 タカ丸だって私よりは随分と年下だものね。中身だけの話をすれば。
 私も随分年を取ってしまったのだなと妙にしみじみ感じていると、戸が薄く開け、じっとこちらを見ている目があった。
 入っていいものかと悩んでいる様子の視線に私は小さく手招きをした。
 首を傾げるタカ丸たちの視線が向くと、観念したように戸が開き、三人と同じ四年生である田村が姿を現した。
「あの……わからないところがあったので教えてもらおうと……」
「今更一人増えても問題ない。入れば?」
「あ、はい……失礼します」
 おずおずとタカ丸の部屋へと入ってきた田村は、居心地が悪そうに私の正面に座った。
「どこが分からないの?」
「あの、これなんですけど……」
 四年ろ組の秋休みの課題らしいそれを覗き込めば、人体図を使った問題が並んでいた。
「こう言うのは私より伊作に聞けばいいのに」
「あ、いえ善法寺先輩に聞きに行こうと思ったんですが……学園に残られている潮江先輩と食満先輩のお二人が……」
「いつも通り喧嘩して、伊作が巻き込まれた?」
「……はい」
 こくりと頷いた田村に私は小さく溜息を零した。
 いつも仲裁に入る鬼桜丸も迩蔵も居ないから、仕方ないのか……でも馬鹿な連中だと思う。
 伊作を巻き込んだとあれば、当の伊作が怒っただろう。
 伊作が「次喧嘩したら新薬の実験台にするからね!」と言っていたというのに巻き込むなんて、あの二人には学習能力と言うものが足りないのだろうか。
「五年ろ組の福屋文右衛門先輩にお声を掛けたのですが、忙しかったようでここを教えてもらいました」
 そう言えば、福屋は秋休み中は課題に追われているのだった。一時期授業に出なかったし、ほ組の課題も容赦ない。
 上手く疲労を隠しているけれど、滝はそれに付き合っているから大変だろう。
「そう。まあ、こう言うのは苦手ではないから任せて」
「ありがとうございます。それで、わからないのがこことここなんですけど……」
 細かく問うてくる田村の横顔にふと何がが過った。
 小さく幼い少年の姿。さて、誰だっただろう。
 思わず首を傾げれば、顔を上げた田村が不思議そうに私を見上げてくる。
「片桐先輩?」
「何でもない。……ここからだけど、ここは……」
 首を横に振り、私は田村の質問に答えるべく課題のプリントに指を這わせた。
 ちらちらと過る少年は間違いなく今世ではなく前世での記憶だろう。
 あまり自分の記憶力を意識していなかった頃の記憶に、短い接触だったのだろうその残影は、何故か中々脳裏から離れてはくれなかった。



⇒あとがき
 出番のない四年生に愛の手を!と不意に思い立って書いてみました。
 三木ヱ門に関してはあえてフラグを立ててみました。さてこのフラグ、第四部で……拾えればいいな〜。←おい
20101229 初稿
20221105 修正
    
res

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