優しい気持ちの段(下坂部)

 十歳から十五歳までの青少年が集うこの学び舎で、心休まる場所は数少ない。
 その理由としては、ここが忍術を学ぶ忍術学園だからだろうか。それとも、学ぶ生徒たちの半数以上が、何かしら毎日騒ぎを起こさないと気が済まないからだろうか。
 ストレスがある程度最高潮に達し、一度土壁を殴って大破させてしまった時、当時の用具委員長は見る影もない土壁に涙を呑んでいた。
 当時忍術学園にやってきたばかりだった、極度の潔癖症であった斜堂先生がこっそり教えてくれた秘密の場所。それが薄暗いこの場所だった。
 日陰ぼっこに最適だとかで、斜堂先生が受け持ったため大人しいくなった生徒だけが知っているこの場所は、六年生が卒業した今、私の天下だった。
 ひんやりと冷たくて、程よく湿っぽいこの場所で一人寝転がっていると、小さな足音がこちらに向かって近づいてくるのが分かった。
 軽い足音からして、恐らく一年生だろうことはわかったけど、私は閉じたままの目を開けることなくだらりとしていた。
「誰かいるんですかぁ?」
 小さく掠れるような声が不安そうに問う。
「ん」
 その声に小さく返事をすれば、「ひゃ!」と可愛らしい驚く声が聞こえ、しばらくして恐る恐る近づいてくるのが分かった。
「……先輩、寝てますかぁ?」
「寝てる」
「ひええ〜、ごめんなさぁい」
「別に構わない」
 薄目を開けてみれば、恐らく斜堂先生受け持ちの一年ろ組の生徒だろうことが容易に想像できる青白い顔をした少年が、随分な逃げ腰でこちらを見下ろしていた。
 私が空いているスペースをぽんぽんと叩くと、少年はきょろきょろと辺りを見回した後、自分を指差した。
「僕ですかぁ?」
「他に誰かいる?」
「居ないですぅ」
 いいのかな?と言うように、迷いながらも少年は私に歩み寄ると、ひんやりとした床に座り込んだ。
 そわそわと落ち着きのない少年の身体に手を伸ばして引っ張ると、少年は再び慌てだす。
「せ、先輩!?」
「寒い」
 春とは言え、こう長い間日陰にずっといると、流石に身体が冷えてくる。
 思った通り少年の身体は温かくて、腕の中に閉じ込めるとますますその温もりを感じる。
「温い」
「そ、そうですかぁ?」
「お前、名前は?」
「一年ろ組の下坂部平太ですぅ……先輩は六年は組の片桐三喜之助先輩ですよね?」
「そう。何故?」
「?……あ、えっとぉ……同じ用具委員の食満先輩が、小さい六年生が、居たらそれがそうだ、って……黒ノ江先輩が有名だし……お名前だけ……」
 ぽつりぽつりと少しずつ答える下坂部は、どうやら一生懸命らしく、顔を赤くしたり蒼くしたり表情豊かだった。
「片桐先輩も日陰ぼっこですか?」
「ん」
 首を縦に動かすと、下坂部は不思議そうに私を見上げた。
「六年生でも日陰ぼっこするんですかぁ?」
「私だけ」
「へえぇ……」
 感心したような声を零す下坂部の身体は、私よりも小さくて丸っこい。
 未成熟な子どもの体温をじんわりと感じながら、私は目を閉じる。
 イロが思い出したかのように言ってきたけど、私ももう三十路突入してたのよね……向こうで人生をそのまま謳歌していたら、そのうち誰かと結婚して、おじいちゃんとおばあちゃんに曾孫を抱かせてあげられたかもしれない。
 孫の私が先に死ぬなんて、本当申し訳なくて仕方がないし、曾孫の成人式を見届けるまで死なん!と息巻いていたおじいちゃんを思うと胸が苦しくなる。
「……片桐先輩?」
「何?」
「あ、えっとぉ……えっとぉ……」
 なんと言おう、と言うように迷っている下坂部の背を、私はぽんぽんと撫でた。
 心音に合わせるようにそうしていると、下坂部は突然私の身体にしがみ付いてきた。
「下坂部?」
「ご、ごめ、なさ……急、に……涙が、止ま、な、くてぇ」
 ひっくひっくと嗚咽を零しながら泣く下坂部に、私は首を傾げながらも、下坂部の背をそっと撫で続けた。
 まだ数日とは言え、親元から離れた生活が寂しくなったのだろうか。
 所謂ホームシックと言うやつに私がなったのは、鉢屋に居た頃。それも大分幼い時の話だ。
 忍術学園に来ることはそう感傷的になる要因がなかったため、同級生たちが郷里を思って泣く姿を不思議に思ったこともあった。
 そう言えば迩蔵だけは泣くことはなかったっけ。
 戦争孤児だと迩蔵が明かしてくれたのは二年になってからの事で、その時は一人大人びた子だとしか思っていなかった。
 実家―――正確には世話になっている寺に恩返しの仕送りをするため、一年の頃からアルバイトをしていた所為だろうと思っていたけど、迩蔵には懐かしむべき家族がこの世にはいなかったからだった。
 私も、懐かしむべき最愛の家族はこの世に居なかった。だから迩蔵は、あの時の私の気持ちを理解して側に居てくれたのかもしれない。
 皆泣いて、当時から皆の中心だった鬼桜丸に寄り固まっているのに、一人外れた場所に居た私の側に。
「故郷が恋しい?」
「ううっ」
 私の胸に縋りついて泣き声を隠してしまっている下坂部は、「お母さん」と聞き取りにくい小さな声で呟きながら泣き続けた。
 やはり恋しいのだろう。
 母を恋しく思うその気持ちはわからないのに、何故だろう。酷く抱きしめてやりたいと思うのは。
 こう言うのを母性本能、とでも言うのだろうかと思いながら私は下坂部の耳に囁いた。
「平太」
 意識せず零れた声は甘い柔らかな女性の声だった。
 これは“色葉”の声だと、自分の声に後から気付いて、少し驚きながらも何度も名前を呼んでやった。
 しばらくして平太の泣き声は寝息に変わり、意識のない子どもの重みを腕に感じた。
 これは愛しいと言う気持ちだ。
 おじいちゃんやおばあちゃんが私に抱いてくれた、守ってあげたいと思う、愛しい気持ち。
 三郎様が教えてくれた、大事な私の優しい気持ち。
 込み上げる愛しさを表現するかのように、私は平太の身体を抱きしめたまま、そのまま眠りについた。
 随分と久しぶりに酷く穏やかな眠りだった。



⇒あとがき
 平太との初めての出会い妄想。
 この後じわじわと他の一ろっ子と仲良くなっていく夢主に懐く一ろっ子。
 ……うああああなんてパラダイスっ!!!
20101119 初稿
20221009 修正
    
res

×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -