打倒、目標!の段(潮江)

「……もう、駄目だっ」
 ふらふらとした足取りで忍術学園の門の柱に手を置き、鬼桜丸はずるずると座り込んだ。
「鬼桜丸、大げさ」
「全然、大げさ、じゃ、ないっ」
 呼吸を整えきれずに言う鬼桜丸に私は視線を逸らした。
 裏裏裏山までを普通に往復しただけでも鬼桜丸にはまだ少しきついだろうけど、前より余裕が出てきたように見えたからから、ちょっと攻撃を仕掛けてみただけ。
 面白かったから復路は戦いながらランニングになったんだけど、それが相当堪えたらしい。
 鬼桜丸が女の子だと分かってからしばらくして、毎日一緒に走り込みを続けてきたお陰で、ろ組の七松は規格外だから遠く及ばないけれど、他の一年生に比べれば鬼桜丸は十分体力がついて来たと思う。
 きっと今の鬼桜丸なら、誰も以前は引き篭もりの姫だったなんて思わないと思う。
「立てる?」
「どうにか」
 鬼桜丸は息を無理やり整えて、柱に手を掛けながら立ち上がると、ふらふらとした足取りで門を潜った。
「鬼桜丸は休んでて」
「わか、った」
 門の柱に背を預け座り込んだ鬼桜丸に、胸元に入れておいた入門表を取り出して見せて、私は背を向けて走り出した。
 向かうのは事務室だ。
 夜がどうしても遅くなってしまうランニングに毎日吉野先生を付き合わせるのも忍びなかったので、毎日こうして帰ってきたらすぐに事務室へと直接入門表を届けることにしている。
 いつもなら鬼桜丸も一緒に行くんだけど、流石に今日は無理そうなので置いてきた。
 事務室に入るとまだ仕事をしていたらしい吉野先生が部屋を片付けていた。
「おや、今日は遅かったですね」
「走るだけに飽きた」
「では、走る黒ノ江くんに攻撃でも仕掛けたんですか?それは黒ノ江くんにはさぞかしきつかったでしょうね」
「へばってる」
「ほほほ、やはりですか。片桐くんは身体が鈍って仕方ないと言ったところですか?」
「まあまあ」
「では潮江くんの所に行ってはどうですか?」
「……い組の?」
 潮江と言えば一年い組の潮江文次郎しかいないはず。
 立花と並んで鬼桜丸の口から聞く生徒の名前だから、一応知ってはいるけど、実際のところ話したことはない。
「今頃ギンギンに鍛錬していると思いますよ」
「……考えとく」
 ほほほと笑う吉野先生に適当に反応を返しながら、入門表を渡した。
 一年生は基本夜の鍛錬を禁止されている。その例外が特別に許可を申請をした私と鬼桜丸と潮江の三人。
 鬼桜丸から聞いた話だから私は知らないけど、申請すれば鍛錬できると知った潮江は一人で先生に交渉に行ったらしい。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい、片桐くん」
 私は事務室を後にすると、先に鬼桜丸の所に戻ることにした。
 ぐったりと背を預けていた鬼桜丸は私の気配に気づくと顔を上げた。
「おかえり」
「大丈夫?」
「どうにか……」
 苦笑しながら鬼桜丸は立ち上がった。
 さっきよりは少しましになったようだけど、やはり限界そうだ。さっさと風呂に入って寝させた方がいいと思う。
 あまり無理をさせるとい組の先生に私が怒られる。もちろん影でこっそりと。……考えるだけで気が滅入りそうだわ。
「時間掛かったみたいだけど何かあったのか?」
「潮江の所行ってきたらって」
「文次郎の所に?ああ、あいつも毎日鍛錬してるらしいな。行ってみるか?」
「でも鬼桜丸、疲れてる」
「見るのも勉強だ」
「……やりあえと?」
「駄目か?」
 首を傾げ、残念そうな声で言う鬼桜丸に私は思わず溜息を吐いた。
 どうも私は鬼桜丸のこの仕草に弱いらしい。三郎様もよく同じ仕草をしていたからかしら。
「……潮江次第」
「わかってるよ」
 ギンギンに鍛錬の意味がわからないけど、まあ身体動かせるなら問題はないか。


  *    *    *


 潮江の居場所は、鬼桜丸が知っていたのですぐに分かった。
 的に向けて手裏剣を投げていた潮江はこちらに気付くと、その手を止めて視線を向けてきた。
 くるりとこちらを向いた目の下の隈は、彼の顔をとても一年生らしくない顔立ちにさせていた。
「何か用か?」
「手合わせしてもらおうかなと思ってさ」
「鬼桜丸とか?望むところだ」
「いや、私とじゃなくて、三喜之助と」
「三喜之助?……ああ、鬼桜丸と同じ部屋の奴か」
 楽しげににやりと笑った潮江は、私を視界に入れると思いっきり眉間に皺を寄せた
 い組のプライドって奴かしら?立花と同じで面倒そうな子だ。
「実技に関しては補習の多いは組の方が成績が良いのは知っているだろう」
「手裏剣もまともに投げられん奴らが俺の相手になるとは思えん」
 まあ確かに、伊作は手裏剣を投げようとして何故か突然滑りこけたり、留三郎は手がすっぽ抜けて伊作に間違って投げたり。クラスの大半は何故か味方に向けて投げる。
 私は私で適度に外しているけど、基本的に他の皆のような、所謂“は組のお約束”は犯していない。
「大丈夫だ。三喜之助の強さは私が保証する」
「こんな腐抜けた面の奴のどこが」
「腐抜け?……いや、三喜之助は可愛い面構えだと思うが」
「知るかバカタレィ!!お前の目はどれだけ悪いんだ!!」
「喧しい」
 耳を塞ぎ、私は潮江から距離を取った。
 確かに潮江の指摘は最もだったりするので、私はそこに関してはあえて触れなかった。
 今の私は身長的な意味で言えば可愛いかもしれないけど、顔はキモ可愛いの部類だと思う。麻呂眉はない。
「私は三喜之助の本気を知らない。だけど強いのは知っている」
「ほう……学年一の成績を誇る鬼桜丸が言うんだ。さぞ強いんだろうな」
「鬼桜丸よりは」
 ぴくりと潮江が反応する。
 その目はまるで獲物を狙うかのような鋭いもので、潮江が鬼桜丸をライバル視していると言う話は間違いではないことを知った。
 鬼桜丸自身はそんなはずはないと何時も否定するけど、これはどう考えたってライバルより強い奴を倒す!と言う決意に燃えた目だと思う。
「制限時間は半刻。武器はなしの組み手だけでどうだ?」
「長い、四半刻」
「はいはい。じゃあ四半刻で」
 仕方ないなあと言う風に鬼桜丸は言うけど、あんまり長いと明日自分がきついってわかってるのかしら、この子。
 鬼桜丸が睡眠不足で潮江みたいに隈が出来るなんて、私は許さない。
 大体この後風呂に入る時間を考えたら四半刻だって長すぎる。
「潮江は?」
「問題ない。鬼桜丸が強いと言うのだから容赦はせんぞ」
「どうぞ」
 潮江の実力がどれほどかは知らないけど、身体が鈍ってないかの確認はしとかないと不味いわよね。
 後半年もしないで三郎様がご入学されるんだから。


  *    *    *


「なっ!」
 俺よりも小さな身体が俺の身体をいとも簡単に宙へと舞上げ、地面へと叩きつける。
 遠慮のない力技になす術もなく俺は地面に横向きに叩きつけられた。
 受け身を取ろうとしたが、それよりも先に叩きつけられてしまったと言うのが正しいだろう。
「四半刻きっかり」
 抑揚のない少女のように高い声がそう告げると、鬼桜丸が感心したように「おー」と力の抜けた声を零しながら小さく手を鳴らす。
「お前っ……反則だろうが!」
「?……武器は使ってない」
 きょとりとした丸い目が、呑気に俺を見下ろしているのが何だか腹が立って、俺は痛む身体に気合を入れて立ち上がった。
「その強さだバカタレ!」
 俺とは頭一つ、鬼桜丸とは頭二つほど小さな身体。
 ふざけたような麻呂眉とぱっちりとした大きな目が印象の、表情を変えない能面が俺を見上げる。
 アホのは組の中にあって、もっとも変わり者で、ただ一人異質な空気を放つ片桐を俺は前から知っていた。
 鬼桜丸と組が違うのに何故か同室で、火薬委員では俺と同室の仙蔵と一緒に活動をしている。
 鬼桜丸はあまり片桐の話はしないが、仙蔵は委員会が終わるたびに今日はどうしたこうしたと、苛立ちの勢いで放たれる愚痴を何度聞かされたかわからない。
 勘三郎とは別の意味で自由な片桐が、色々と問題のある生徒であることは知っていた。
 だからこそこんな奴が忍になれるとは思えずにいた。
 それでも学年一優秀な鬼桜丸が強いと言ったのだ。俺は忍者の三病のいましめを破ることなく全力で臨んだ。そして負けたのだからこいつの実力は本物だ。
「お前ほど実力がある者がなんでは組なんだ!」
 拳を交えたからこそわかる。こいつはまだ力を押さえている。俺は指導をされていたに過ぎないのだ、と。
 同じ年の、しかもこんな身体が小さい上に、常にふざけた奴に負けたことが悔しいのもあるが、何よりその実力を隠していたことに俺は腹が立った。
 長いようで短かく感じた四半刻の間、俺はこいつに良いようにからかわれていたような気がしてならない。
「……面倒」
「そんな理由で!?」
「そう」
 こくりと頷いた片桐に何故だか激しい頭痛に襲われた気がした。
「お前、腹立つ奴だなっ」
「そう?それより、また相手して」
「あ?別にいいが……」
「そう。助かる」
 僅かに片桐の口角が上がり、笑っているのだと一拍遅れて気づいた。
 珍しいものを見たと思っていると、片桐は鬼桜丸の袖を引っ張っていた。
「ん?ああ、風呂か。そうだな、そろそろ寝ないと明日もきついよな」
 ……鬼桜丸は、よくこの不思議な生き物を相手に出来ると思う。
 学級委員は誠四郎にでも任せて、勘三郎に変わって生物委員にでもなったら良かったんじゃないだろうか。
「じゃあ文次郎、おやすみ」
「ああ」
 鬼桜丸が微笑み、俺はただ頷いた。
 片桐はもう用は済んだとばかりに鬼桜丸の袖を引っ張ったままさっさと歩きだした。
 少しだけあの二人の見方が変わったが、何故かそれを仙蔵に話す気にはなれなかった。
「片桐三喜之助……か」
 実力は六年生と大差はないのではないだろうか。
 恐らく俺と違って根っからの忍の家系なんだろう。
 だがすぐに追い越して見せる。
「次は負けんぞ、片桐っ」



⇒あとがき
 潮江が好きです。でも潮江が恋愛の相手の夢は書けないのが現実……友情夢が精一杯だ!
 もう本当どうして潮江が落せないっ!!←
20100409 初稿
20220923 修正
    
res

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