⇒久々知兵助

 艶やかなふわりとした柔らかそうな黒髪。
 きめ細やかそうな色の白い肌。
 少女めいた面立ちの癖にしっかり男の面も見せる少年の顔。
 普段は何を考えているのか良くわからない瞳は明らかに安堵の色を映していた。

 久々知兵助。

 私のライバルにして最大の壁。
 そしてまるで白昼夢のような、でもしっかりと私の脳裏に焼き付いた“鉢屋三喜之助”の人生の中で四年間後輩だった男と同じ顔。
「……間に合ったっ」
 そう言って抱きしめられるのとほぼ同時に、進行方向から声が聞こえた。
「いやー!信号変わっちゃうよー!!」
 明るい声音にぱっと少女を見ると、駆けていた筈の少女が不意に姿を消した。
 事故ではなく、ただ世界に溶ける様に、あまりにも突然に消えてしまった。
 目の前の光景に目を丸くしていると、コンビニから恐る恐る出てきた海美が携帯片手にこちらに気づいて声を上げる。
「あー!!」
 四車線挟んだ向こう側からの良く響く声に、近くを歩いていた数少ない人の視線がこちらに向かう。
 慌ててこちらに走ってくる海美は、信号が赤に変わっている事に気付いて足を止めた。
 携帯越しに何かを話しているみたいだけど、その隙にと言わんばかりに、久々知は私の身体をひょいっと抱え上げて走り出した。
「ちょ、ちょっと……」
「ごめんなさい!でも今、文……じゃない、海美に追いつかれると、ついでに面倒がついて来るんです」
 久々知は迷いなく走り出し、私は慌てて久々知の首に捕まった。
 しっかり着込んでる分、元々の体重がそこまで酷くないとは言え結構重たいはずだ。
 それなのにこうやってしっかりとした足取りで走れるのは、久々知が大川学園のSP科の生徒だからなのかしら。
 って言うか、大川学園って忍術学園と同じなの?春彦もSP科だし、SP科は一般入試では入れない特別なクラスだから、忍術学園の生徒が集められているとかそう言う……?
「ここまでくれば大丈夫だよな……」
 ふうと息を零し、久々知がようやく下ろしてくれたのは見知らぬ公園だった。
 ここから一人で帰れと言われても、久々知に縋りついて思わず意識を飛ばしかけていた私は、ここまでの道を覚えていないから無理な話だ。
 人気の少ない公園はこじんまりとしたもので、私は久々知に手を引かれてベンチに座った。
「あー……どこから話せばいいんでしょうか」
「私もよくわからないわ」
「ですよねー」
 苦笑を浮かべ、久々知は私を見下ろす。
「俺にとっては片桐さんだったのに、急に片桐さんが“片桐先輩”だって気づいて……なんかそしたら急がなきゃって……」
「?」
「俺、本当は今日、勘右衛門に幼馴染紹介される予定だったんです。でも対局終わってすぐに片桐さんの後を追い掛けました。俺が思い出したのは対局の終盤だったから、間に合うか不安だったんですけどね」
 目を細めた久々知に私は「そう」とだけ返した。
 久々知に最後追い詰められたのだろう相手は御気の毒だけど、あまり見知った棋士ではないからまあいいかななんて。
「変な話ですよね。昔の俺、ずっと来世の自分に嫉妬してたんですから」
「それは……仕方のない事ではないかしら」
 私は久々知と兵助を似ているとは思っても、出来るだけ別の存在だと思いたかった。
 だから私は決して兵助を久々知と呼ばなかったし、今だって彼の名を呼ぶ事を躊躇っている。
 海美がああ言わなかったら、私はまた兵助と久々知を分けて見て、また苦しんでいたかもしれない。
「……聞いてもいいかしら」
「はい?」
「お前はどっち?久々知?それとも“兵助”?」
 久々知は睫毛の長い目を瞬かせ、首を傾げた。
「うーん……俺としては久々知、かな?でもあの変な時代の久々知兵助の記憶も持ってます。片桐さんの事は元々好きだったし、足りなかった想いが戻ってきたって感じかな」
「……変なの」
「ですね」
 久々知は笑い、空を見上げた。
「片桐先輩たちがいなくなって、俺……兵助たちは悠里さんから片桐さんたちの事を聞きました。イロ先輩……と言うか竜野先輩は片桐さんの後を追ってすぐにこちらに戻って来たみたいですから」
「そう……あの後、結局どうなったの?」
「元通り、と言うんでしょうか……皆普段通りの生活に戻って、それぞれの道に進みました」
「鬼桜丸は?」
「卒業後にクラマイタケに戻られました。まさかあの黒ノ江先輩がクラマイタケの鬼姫様本人だとは、卒業後しばらく経っても気付きませんでしたけど」
「中在家も一緒?」
「はい。お幸せそうでした」
「お前、卒業後の二人に会ったの?」
「まあ……。卒業後は別の城に就職してたんですけど、戦に負けてしまったのでしばらくはフリーとして働いてました。その後色々あってクラマイタケに再就職したので」
「そう。他は?」
「先輩方の就職先にはあまり詳しくないんですけど、吾滝先輩と篠田先輩、それに富松はクラマイタケに就職してました。立花先輩と食満先輩は城付を経て学園に戻って教師をしていましたね」
 クラマイタケ城は忍術学園に資金援助をしていたからその関係で会う事もあったのだろう。
 二人の教師姿を思い浮かべ、何となく想像出来て逆に笑ってしまった。
「善法寺先輩は医者と兼業をされていたのでフリーの時に何度かお世話になりました」
「伊作、ちゃんと忍になれたの?」
「卒業してからは大分不運が減ったと言っていました。まあ自称だったんで結構怪しかったですけどね」
 釣られたように笑う久々知は指折り数を数える。
「そう言えば島津先輩も学園に戻りましたね。教師と言うか、戸部先生の後を継ぐ形で師範として」
「あれも刀馬鹿だものね。何となく想像つくわ。見た目通り結構世話焼きだし」
「あははそうですね。たまに葦原先輩も忍術学園にその関係で寄られていたようですよ?俺はあまり詳しくないですけど、食満先輩が怖い顔であの二人がまだ道場壊したってよく怒ってましたから」
「本当馬鹿ね、刀馬鹿」
「今は剣道馬鹿ですけどね」
 久々知の言葉に私の笑みが引っ込んだ。
 そう言えば久々知は勘右衛門と言った。今までは友達とか同じクラスの奴とか、そんな風にきちんと名前は出したことなかったのに、しっかりと……。
「大川学園のSP科には結構皆揃ってます。黒ノ江先輩は通っていませんけど」
 私の反応に苦笑しながら、久々知は申し訳なさそうに言った。
「でも、中在家先輩には幼馴染の婚約者が居ると言っていました。記憶がなかったのであまり接点はないんで詳しくはないですけど……」
「無理でも可能性があるなら約束付けてきて」
「……言うと思いました。いいですよ。でも代わりに見返りを求めてもいいですか?」
「求める必要はないでしょう?」
「?」
「……別に付き合ってやらないこともない」
 池田じゃあるまいし、変な言い方になってしまったのが恥ずかしくて私はそっぽを向いた。
「へ?」
「十二月の……あの時の返事」
「え、あ……ああ!」
 合点がいった久々知は、だらしなく表情を崩した。
「もう答えは大分分かってましたけど、言葉にしてもらうとやっぱりうれしいです」
「なにそれ、ムカつく」
「兵助の記憶にしっかり残ってますから。兵助は嫌いだけど久々知は大好きなんですっけ?」
「私、そんな事一切口にした覚えはないけどっ」
「態度に出てましたから」
 けろりとした顔で言った久々知に私は眉根を寄せた。
 久々知は私を見下ろし、くすりと笑うと、私の頬に手を伸ばした。
 少し骨張った白い手が頬を撫で、すうっと唇まで移動して撫でていく。
 春彦の時はそう感じる事のなかった胸の高まりを感じながら、私はそっと目を閉じた。
「……本当快楽弱いんですね」
「悪かったわね」
 優しく一度触れたかと思うと久々知はそんなことを口にした。
 再び眉根を寄せれば、久々知はそこに唇を一度落とした。
「兵助の記憶のおかげで少し余裕持てました。片桐さん、俺の事大好きなんだからもう浮気しちゃだめですよ」
 なんとなく感じた経験の差に私は眉根を寄せた。
「お前、結局いくつまで生きたのよっ」
「うーん……学園長よりは長生きしたかもしれないです」
 のんびりと言う久々知に私はがくりと肩を落とした。
 あちらで経験した十四年と少し等大した事ではないと言うような年数に思わず額に手を当てる。
 でも結局私はこんな久々知を恋しいと思ったのだ。
 おじいちゃんとおばあちゃんも確かに恋しい。だけど、それと同じくらいに久々知を恋しいと……。
 今は同じ位でも、もしかしたらいずれは……なんて、絶対に言ってやるものか。
「それじゃあまた場所を変えましょう」
 ふと久々知はそう言って立ち上がった。
「何故?」
「三郎からの着信がこんなに」
 サイレントモードにでもしていたのだろうか、久々知がポケットから取り出した携帯の画面には着信履歴がずらりと並んでいた。
 名前がすべて三郎様の辺り思わず笑ってしまう。
「あの子は本当に……」
「無意識に俺と片桐さんのキューピットしてた自分にムカついてると思いますから、しばらく放っておきましょう」
「キューピット?」
「俺に囲碁を教えてくれたのは三郎なんです。あいつも記憶なかったくせに……」
 久々知は唇を尖らせながら何事かメールを打った後、電源を切ってから携帯を閉じた。
「それじゃあ行きましょうか」
 手を差し伸べてくる久々知に私は眉根を寄せた。
「私、おばあちゃんと約束があるんだけど」
「今朝聞いたんで知ってます。だから駅に行きましょう。送りますよ」
 笑いながら私の手を取った久々知は強引に歩き出す。
 本当この男は変わらないっ。
「片桐さん」
「……何」
「俺、久々知より兵助って呼ばれる方が嬉しいです。だから色葉って呼んでいいですか?」
「……は?」
 言葉が繋がっていない気がする。
 思わず眉根を寄せれば、久々知はくすりと笑う。
「って言うか勝手に呼びますけど」
「お前、本当あの“兵助”とは思えないくらい強引よね」
「まあ、俺ですから」
 けろりと言ってのける久々……兵助はすたすたと歩く。
「本当、強引……」
「色葉さんは押しにも弱いですよね」
「……なんでさん付なのよ」
「一応年上ですし?」
「何それ。ムカつくから色葉でいいわよ」
「えー?いいんですか?」
 まるで豆腐を目の前にしたかのように、蕩けそうなほど甘い笑みで笑う兵助にむっとした私は、手に持っていたバッグで兵助を殴った。
「あいたっ」
「お前は本当……」
「でも色葉はこんな俺が好きなんだろ?」
「ああもう!お前のそう言うとこ本当嫌いっ」
「……天邪鬼」
「煩い!」
 唇を尖らせた兵助に私は再びバッグを振り上げた。


 ほんの数分前の私は、おじいちゃんとおばあちゃんの繋がりで出来た井の中に満足していた蛙だった。
 だけど私は、時間にしてほんの一瞬の間に大海を知った。
 目を閉じれば思い出す赤く染まった世界。
 差し出された手を上手く取れない私に、何度も手を差し伸べてくれた人たち。
 そんな手を振り払ってこの世界に戻ることを選んだ私に、その手を取ろうとする資格があるのかはわからない。
 だけど、私は会いに行く。兵助と共に―――皆に。

久々知兵助 HAPPY END




⇒あとがき
 長かった……でもやっと一区切り付きました。
 改めてここまでの話数を計算して、60を超えていたことに驚きました。
 全140話の『恋詩』の第一章と比べると一話一話も本当長くて、しかも考えていた話から何度も何度も反れて色々捏造設定が増えて吃驚です。
 それでも一年以内で作品に一区切りを付けられてほっとしています。
 でも拾い忘れたネタが多すぎるのでちまちまと番外と言う形で現代の二人の話を書いていこうと思います。
 ついでにアンケートで上位に食い込みました残り二名のEDも時間を見つけて書こうと思います。
 ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。この後の『いろはにほ!』もよろしくお願いします。
20110210 初稿
20221106 修正
    
res

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