第捨肆話-8

 イロを迎えに行って余計な手間を食った気がするけど、戻る頃には騒がしかった部屋は静かになかっていた。
「よう戻ってきたのうミキ坊」
「……何をしているの」
「暁殿の膝を堪能しておるのじゃ」
 にこにこと林原さんの太ももに頭を乗せ、膝を撫でる悠里さんと違い、林原さんは両手で顔を覆って泣いていた。
「もう俺、“悠里”に顔向けできない」
「じゃからわしと“悠里”は同じじゃと言うておるじゃろう」
 ぺしぺしと膝を叩く悠里さんに、私は小さく溜息を零した。
「三喜之助くん」
「何」
「私の見間違いかしら?……若い忍者の膝の上に、狐耳の巫女様がごろごろしているのは」
「見間違いじゃない」
「ちなみにこちら、藪ケ崎暁天先生です」
 ぐったりした様子の田村の補足に変装か何かだと思ったのか、ハツネはそれ以上言わずにイロを引きずったまま私の後に続いて部屋に入った。
「イロはその辺りに転がしたんでいいわよね」
 ハツネは「えい」と言葉通りその辺りにイロを転がした。
 引きずってここまで来たのでもう今更だけど、本当にハツネのイロの扱いは酷く雑だと思う。
「あ、あれ?ここ……って、なんで僕縛られてるのー!?」
「イロがおイタをしたからでしょ?」
 うふふと笑いながらハツネがイロを踏みつける。
「ちょっ、ハツネちゃん痛い!痛いって!!」
「お陰でシナ先生に許可を取らずにここまで来ちゃったじゃない。どうしてくれるの?ねえ」
「すいません!ごめんなさい!後生だから踏まないでー!」
 ふええと泣き出すイロに、私は小さく溜息を零した。
 さっきまで錯乱していたのは誰よ……まったく。
「何とも面妖な者じゃのう」
 けたけたと笑った悠里さんは、むくりと起き上がり、ハツネの足元に居るイロを見つめる。
「そなた随分と意識を他者に振り回されておるようじゃのう」
「ふえ?って狐耳の巫女様とか、なんてコスプレしてるのこの人!!」
「こすぷれ……ああ、こすちゅーむぷれいの略じゃな?しかしこれは実際に妾についておるものじゃから、そうは呼ばんぞ」
「んー?……あれー?これどういう状況?」
 器用に首を傾げたイロに悠里さんはまた笑った。
「妾は悠里。こちらの暁殿の恋人と同じ魂を持つ者と言ったところじゃな」
「暁……暁天さんの?」
 ちらりとイロが林原さんを見上げれば、林原さんはこくりと頷いた。
「お前たちが来るまでの間に散々確認した。今は俺の知ってる“悠里”の記憶も持ってる」
「そなたらにはいくつかの呪が掛けられておる。それを解くために妾はここに来たのじゃが、それを早く解くためにそなたらにとっての羽衣を見つけようと考えた。まさか妾自身が羽衣とは思わなんだがな」
 けたけたと笑う悠里さんにイロは眉根を寄せた。
「しゅ?羽衣?」
「うむ。中でもそなたの呪はとんでもないのう。しかしそなたも順番が違う。じゃろう?……そちらの踏みつけたままの娘」
「あら、私?」
「ってハツネちゃんいつまで僕のこと踏んでるの!?」
「ごめんなさいね。つい」
「ついって……ううっ」
 床に涙を零すイロを一瞥しながら、ハツネは福屋が用意した座布団に座った。
「イロにも呪が掛けられていたと言う事は、イロもあの事故を切っ掛けにここに来たと言う事?」
「いや、恐らくは違うじゃろう。そなた、事故を知っているが覚えてはいないのじゃろう?」
「え?……そう、なのかなあ?」
「そなた自身の事じゃろうに……まあそれも一つの呪じゃろう。恐らくこの娘、イロと申したか?イロは何か別の理由があってここに居るのじゃろう」
「あの……話が良くわからないんですけど……。後、縄を解いてハツネちゃん」
「い・や・よ」
「うううっ」
「少なくともイロとその娘の間に深い縁があるのは間違いないじゃろう。ここまで色濃く見えると言う事は、そなたらの縁は暁殿と“悠里”よりも強かったのじゃろう」
「あら、それは嫌ね」
「ハツネちゃん酷い!!そしてまた痛い!!!」
 ハツネは笑顔のままイロの足を抓り上げた。
 ……まあ仲が良い事に違いはないのだろうけど。
 “初音”にとっての縁深い人、か……。
「まあミキ坊か文坊のか……妾がそうであったように、羽衣の方が先に何かきっかけを覚えるじゃろうて」
「だとしたら今すぐにでもここに飛び込んできそうなんですけどね……」
 福屋が「うーん」と小さく声を零す。
「って事は次は片桐先輩?」
「……お前の幼馴染って、海美ではないの?」
「それはこっちでの話ですよ。向こうで幼馴染だったのは勘右衛門です」
「……尾浜?」
「はい」
 けろりと答えた福屋に、私は目を瞬かせた。
「片桐くん……福屋くんも向こうの人だったの?」
「お前が思い込んでいた人物が福屋。で、お前結局誰なの?」
「誰って……」
 イロは口を閉ざし考え込む様に目を伏せた。
「記憶そのものにも呪を掛けられておるから思い出そうとしても無駄じゃ。時に身を委ねるがよかろう。それよりもイロ」
「はい?」
「そなたしばらくそのまま縛られておれ」
「えええ!?」
「呪により操られ、いつ何時暴れ出すかわからんからのう……そこな娘が世話を焼いてやれ。なに、妾の見立て通りになれば数日で片が付くじゃろう」
「事情がよく把握し切れてないのですが、説明はしてくれなさそうですね」
「いや、その辺りは三木ヱ門、そなたが二人に説明をしてやりや。そなたが一番客観的に見ておったからのう」
「はい」
 悠里さんの指示に田村が頷くのを見て、福屋がちらりと私を見る。
「片桐先輩はどうしますか?」
「何が?」
「兵助じゃなかった場合です。後二人って誰なんですか?」
「中原先輩とハツネ」
「私……と言うか“初音”さんとやらは、三喜之助くんとも縁深いのかしら?」
「……そう言う事にしておく」
「あら、交わされちゃった」
 ハツネはわざとらしく肩を竦めて見せたけれど、大して気にして居なさそうだ。
「中原先輩は作兵衛経由なら連絡がつくけど、作兵衛が私の声を聞き届けてくれるかが問題。そっちは本当に尾浜だけ?」
「可能性としてはですけどね。でももう一人……」
「もう一人?」
「あの日、僕、人と会うはずだったんです。“勘ちゃん”の紹介で」
 思い出すかのように福屋は目を細める。
「その相手かもしれないと言う事?」
「こんなにもあちらとこちらの人の接点が多いから、もしかしたら八たちの誰かかもしれないし、海美かも知れないって思って……もし海美だったら、僕帰れなくなるんでしょうか?」
「ふむ……それはなかろう。うっすらとではあるが縁の糸は繋がっておる」
「縁の糸?」
「向こうでの縁が強ければ強いほど色濃く見えるようじゃが……何と言うかミキ坊の縁の糸は複雑じゃのう」
 眉根を寄せる悠里さんは、指を宙に遊ばせる。
 それ以上何も言わなくなった悠里さんに私は目を伏せた。
 複雑な縁の糸。ならばきっと、中原先輩でも兵助でもない気がするのだけど、心当たりが何一つない。


  *    *    *


 風が頬を撫でるのを感じながら、長屋の屋根の上、一人喧騒から外れて佇んでいた。
 昨日の食堂での一件で、私は天女様―――夢美に元の世界に帰れぬと告げた。
 何故私があの老婆を知っていたのか、何故あの老婆が私を知っていたのか……思い出せばそれに連鎖するように色々な事が脳裏を過った。
 私は何かに惑わされているのだろうか。
 表面上はそう考えていることなど覚られぬよう、ただ夢美を傷つけてしまったことを後悔するように思考を巡らせ、そして先ほどの頭痛だ。
「……はあ」
 思わず零れた溜息は誰に聞かれることもなく風に溶ける。
 皆、夢美の悲鳴に何事かと走って行ったが、私はこの場から動かなかった。
 左手に残る傷痕の本当の理由が、天から降りてきた彼女を警戒して武器を構えようとして失敗した所為などとはもう思わない。
 これは自我を保つためだけに自分で与えた傷だ。
「何と言う皮肉だろうな……」
 思わず呟き、立ち上がる。
 片桐たちは私たちの見えぬところで動き出し始めている。
 あの老婆―――否、田村悠里殿が私の文を受け取り態々この学園に足を運んでくれているのだから、もう何かしら変化があったのだろう。
 その証拠が、今の自分が正気に戻っていることだと思えない事もない。
 長屋の屋根の上から廊下へと降り立った私は、廊下を伝って医務室を目指すことにした。
 数日の間に片桐の行動範囲が変わっている可能性があるが、片桐と同じく過去世の記憶を持っている福屋の行動は読みやすい。
 保健委員長である伊作が夢美にべったりだったのだから十中八九保健委員の仕事を一人で熟している事だろう。
 先生方にも異変がなかったように思う所を見ると、新野先生と二人体制かもしれないが、それならそれで福屋の居場所を聞けばいい。
 後は悠里殿に何をしたのか確認を取って……。
「あ」
 ふと目の前で足を止めた存在に私も足を止める。
 ぼさぼさ頭の藍色の制服に身を包んだ男―――一つ年下の五年ろ組、竹谷八左ヱ門だ。
 何時もならば薄汚れた格好ばかりを見ていた竹谷だが、私と同じく委員会活動を行っていなかったのだろう彼は、妙に小奇麗に見えた。
 別に何か特別に整えている訳ではないはずなのだが、普段から考えれば小奇麗な方なのだ。
「立花先輩……」
 捨てられた犬のように不安そうな顔でこちらを見る竹谷に、私は眉根を寄せた。
「なんだ、お前は夢美の所に行かなかったのか?」
「……それ、立花先輩もですよね」
 困ったような笑みを浮かべる竹谷に違和感を覚え、思考を巡らせる。
「俺、馬鹿だから直球で聞きますね」
 私が口を開くよりも先に、竹谷が私に問う。
「立花先輩には“立花先生”の記憶は有りますか?」
 僅かに見下ろす視線は嘘偽りはないが、明らかに緊張を孕み、複雑そうな顔色をしている。
「ある」
 そう答えれば竹谷はあからさまに溜息を零した。
「よかった……これで違ったら俺もう誰に頼ればいいのかっ」
「お前は元々正気ではなかっただろう。私は先ほど覚えた頭痛の所為だが、竹谷もそうか?」
「はい。俺、三郎たちと夢美の事話し合ってたんですけど、厠に行くって抜けて……そのままこの辺りずっとうろうろしてました」
 苦笑を浮かべる竹谷に私は首を傾げた。
「同室の福屋を頼ればよかろう。あいつは元々正気だ」
「それには気付いたんですけど、もう一人の俺の記憶の所為で逆に会いにくいと言うか……」
「?」
「あ、えっと……立花先輩はどこへ?」
 恐らくあまり触れてほしくない話題なのだろう。
 話を逸らした竹谷に溜息を零しながらも私は答えた。
「医務室だ。恐らく福屋はそこに居るだろうからな。片桐は足取りが掴みにくい。それに鬼桜丸はこの事態に一人走り回っている事だろうし」
「正気って、勘右衛門と田村と孫兵もそうですよね?」
「鬼桜丸と尾浜が正気なのは不思議だが、田村は理由が分かっている。伊賀崎は……あいつも謎だが、恐らく田村の護符を借り受けているおかげだろう」
 昨日食堂でそんな話を悠里さんとしていたはずだ。
 どう言う状況で護符を渡したかは知らんが、確かあの日は三年と四年は合同授業ではなかったはずだ。
 伊賀崎の件も少し話を聞く必要があるかもしれんな。
「田村は御母上があの様子だったからな、十中八九彼女と行動をしているだろう。尾浜も足取りが分からんが、恐らく鬼桜丸の委員会の後輩と言う事で仕事を割り振られているだろう」
「二年の樋屋さんは確か姿を見ていなかった気がします」
「確か夢美が来る前に忍務を受けて学園から出ていたから学園長先生がそのまま学園から一時的に遠ざけたのやもしれん」
「流石立花先輩……他人の忍務状況まで詳しいんですね」
「ふん。私のはただの知りたがりだ。あまり度を過ぎれば身を滅ぼすだろう程のな」
 にやりと笑えば、竹谷は苦笑を浮かべた。
「あまり時間を掛けたくはない。行くぞ竹谷」
「はい」
 この“立花先生”とやらの記憶が確かならば、イロは“あいつ”だ。
 何故“あいつ”がここに居るのかは知らんが、何か事を起こされる前に悠里殿に協力してもらわねば―――



⇒あとがき
 ああ、思いの外終わりが遠のいている……ここで一旦話を区切って次行きます!!
 落ちアンケで三位だった仙蔵は羽衣ポジションで。
 倒れた兵助はどうしたって話ですよね。それに関しても次の話内で何が何でも纏めたいと思います。←
20110206 初稿
20221106 修正
    
res

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