第捨肆話-7

 くのたまと言えど、まだ十三の幼い娘なんだから、恋に溺れるなと言うのが無理な話だったのかもしれない。
 恋仲だった忍たまに別れを告げられたと言うその後輩は、ハツネちゃんの腕の中で泣いていた。
 これでも日を追うごとに人数は減ったけれど、彼女でもう何人目だろう。
 隙あらば忍たま長屋へ天女様を監視するために行こうとする僕を、ハツネちゃんは止める。
 ハツネちゃんが所用で外す時は同級生が数人がかりで僕の監視に付き、シナ先生までもが僕を警戒する。
 天女様が何をしようと、天女様の術に忍たまが惑わされようと、くのたまは静観の立場を取ると決めたのはハツネちゃんだ。
 ハツネちゃんは一年生の頃からしっかりした子で、当時の代表だった先輩に連れられていきなり忍務に立ち会わされて以来、自分がその後を継ぐのだと静かに受け止めていた。
 その忍務も、何があったかも知らない僕は、自分から隔てていた壁を崩した。
 僕が馬鹿をして、ハツネちゃんが止める。そんな関係。
 でも片桐くんと出会ってからの僕は少しずつ可笑しくなってしまった。
 小さい頃から感じていた自分の中の違和感が大きくなったのだ。
 その違和感をなんと言えばいいのかは良くわからないんだけど、最近は特に衝動的になって……我を忘れている気がする。

「天に二度と帰れないから、自分にも機会があるかもしれないなんて……そんな理由でっ」

 後輩の言葉にふと意識が戻り、目を見開いた。
 ハツネちゃんと彼女が何を話していたかは一応ぼんやりと聞いていたけど、天女様が天に帰れない?
「……それ、誰が言ったの?」
 僕の問いに彼女はびくりと肩を揺らす。
「誰って……何が……」
「天女様が天に二度と帰れないって。僕はここに居るのにどうしてそんなこと……」
「イロ、あなた何を知ってるの?」
 ハツネちゃんの警戒した声音に、慌てて口を押えた。
 以前、僕は片桐さんに言った。
 天女様の願いの対価として、僕たちは役目を押し付けられたんだって。
 僕は彼女を嫌うくのたま。片桐さんは成り行きを見守る傍観者に。
 だけどそのしばらく後に現れた事故の犯人―――藪ケ崎暁天先生こと、林原暁さん。
 彼が現れてからなのか、片桐さんが急に変わり始めてからか……原因は分からないけど、役割が変わり始めているのかもしれない。
 ハツネちゃんは忍たまで正気な一握りの人間の名前を教えてくれた。
 片桐さん、黒ノ江くん、尾浜くん、福屋くん、田村くん、伊賀崎くん。
 そして不明なのは学園長先生の命により忍務に出ていた樋屋奇王丸さん。彼は念のため再度忍務へと出ているらしい。
 元プロ忍が居なくともこの面々でも十分天女様を殺せる。
 でも、そんな事させちゃ駄目だ。それは僕の役目なんだから。
「イロ!」
 僕は立ち上がり後輩の身体を抱きしめていたハツネちゃんの横を通り過ぎ、くのたま長屋を飛び出した。
 早く、天女様を殺さなきゃ……“色葉”じゃなくて、“僕”が。


  *    *    *


 私は望んでこの世界に来た。
 忍たまが好き!愛されたい!そう思っていて、その願いが叶ったから。
 でも、元居た場所が嫌いだったとかそんなわけじゃなくて、本当に純粋に来てみたいって、ただそれだけだった。
 あの綺麗な人が望みを叶えてくれるって言うから、つい調子にのって忍たまに愛されたいなんて言ったけど……帰れないなんてそんなのない。
 三木ヱ門くんのお母さんって言う気持ちの悪いおばあさんは、私は元の世界には帰れないって言うし、仙蔵くんまでそれを肯定した。
 仙蔵くんに代わって長次くんが色々諸説はあるけどって言って、羽衣伝説の話をしてくれたけど、難しくて良くわからなかった。
 でも私が知ってるのは、皆に愛されて楽しそうに生きてる天女様だ。そんな天に帰れなくなった天女様のお話じゃない。
 もしかして天女様が殺される筋書なんじゃないかって、眠れない夜に布団の中で震えながら考えが至ってしまった私は、今こうして一人にしてもらっている。
 誰かが裏切るんじゃないかって、そんな不安で一杯だった。
「……帰れない、か」
 ぽつりと言葉を発すると同時に溜息が零れた。
 安易にこの世界に来たいと、愛されたいと願ってしまった私には帰る為の羽衣はないのだろ。
 でも私は叶わないと思っていたから願っていただけだ。それなのにどうして私ばっかりこんな目に合わなくちゃいけないんだろう。
 じわりと滲み出てきた涙を拭い、目を開ければ、ふと下ろしていた視線に足袋が見えた。
 一人にしてってお願いしたのに誰だろうと思って顔を上げると、桃色の装束を身に纏った茶色い髪を高い位置で三つ編みにした綺麗なくのたまが、凍り付くほど怖い顔をして立っていた。
「天女様」
「ひっ」
 ぎゅっと苦無を握る彼女は、私の姿を認めると薄気味悪い笑みを浮かべていて、思わず恐怖に喉が引きつった。
 私は知らぬ間に恨みを買っていたのだと、それを証明するかのような綺麗な修羅が私を見下ろす。
「“あの子”には殺らせない……“僕”が……殺らなきゃ……“僕”が……」
 熱に浮かされる様にぶつぶつと呟きながら、彼女は一歩、また一歩と私に近づいてくる。
 私も一歩、一歩と後ろへと逃げるけど、すぐに壁に辿り着いて逃げ場を失った。
 あまりの恐ろしさに腰が抜け、ずるずると崩れ落ちる私に彼女は苦無を振り上げた。
「……や……いや……いや―――っ!」
 殺されたくない!
 そう思って頭を庇いながら強く目を瞑っていた私の頭上で、鉄を弾くキィンと甲高い音が鳴り響いた。
 恐る恐る目を開くと、私の身体に影が差しており、私を襲ったくのたまと同じくのたまの桃色の制服が目の前にあった。
 長く揺れる綺麗な黒髪に目を奪われていると、同じ黒髪の別のくのたまが私を庇うように苦無を構えて、私を殺そうとしたくのたまを警戒する。
「何をしてるの!」
「だって、“僕”が殺さないと……」
「くのたまはこの件一切動かず関与せずと言ったでしょう!これは私の命だけでなくシナ先生からの命でもあるのよ!」
 緊張した雰囲気の中、彼女は再び苦無を翳す。
「……“僕”の邪魔しないで!」
 私みたいになんの力もない人間が彼女たちの動きを目で追う事なんて出来るはずもなく、素早い動きに目を回しそうになっていた。
「怪我はしていませんか?」
 もう一人の黒髪のくのたまが私に問う。
「う、うん……」
 そう言えば初めてこの世界に来た翌日に会ったっきり、くのたまとは誰も会って居なかったと気付いた私は差し伸べられた手を取っていいものか迷った。
 だって彼女、目が笑ってない。
 ……怖いよっ!
「何の騒ぎだ!!」
 人気のない場所に現れた文次郎くんの姿にほっと息を零すと、目の前の少女の放つ空気が冷たくなった。
 思わずびくりと肩を揺らすと、無言でやってきた長次くんが私の手を引いてくれて、小平太くんが庇ってくれた。
「なんで……なんで皆邪魔するの!!」
 茶色い髪のくのたまがそう叫びながら、黒髪のくのたまの苦無を弾き飛ばす。
「落ち着きなさいイロ!」
「なんでわかってくれないの!?ハツネちゃんは“初音”でしょう!?」
「とにかく落ち着きなさい。イロ、あなたちょっと可笑しいわ」
「“僕”は可笑しくない!可笑しいのは天女さ……っ……って、お、と?……ひぎゃあ!」
 喚き散らす茶色い髪のくのたま―――イロちゃん?は突然現れた小さい影に蹴り飛ばされてよろめいたかと思うと、小石に躓いて転んで近くの木の根に後ろ頭をぶつけて気絶したみたい。
 もしかして彼女、くのたまの不運委員?
 ぽかんと見ていると、小さな影―――基、三喜之助くんが小さく溜息を零した。
「何の騒ぎかと思って寄ってみれば……イロは馬鹿なの?」
 目を細めてそう言う三喜之助くんに、誰もが言葉を失った。
 この場にさっきまであったはずの緊迫した空気はもうない。
 ……多分、イロちゃんの見事な不運っぷりの所為だろうけど。
「お手数をお掛けしました」
 私の側で小平太くんと睨みあっていたはずのもう一人のくのたまは、いつの間にか三喜之助くんの横に立って頭を下げていた。
「イロの様子が可笑しかったのは元々。ハナが気にすることじゃない」
 そう言って三喜之助くんはその頭にぽんと手を置いた。
 その手に嬉しそうにその子は頬を赤く染め、私には一切見せなかった笑みを両手を頬に添えて隠した。
 三喜之助くんって、眉毛がちょっと変だし、背も小さいけど……実はモテモテなの?
「それよりハツネ」
「何かしら」
「あの馬鹿、悠里さんの所に連れて行って」
「悠里さん?」
「田村の御母上。ご指名」
「?……良くわからないけど、わかったわ。何かされても困るから、ハナ」
「はい!」
「悪いけどイロが気絶してるうちに縛っちゃって」
「はい」
 ハナちゃんと呼ばれたくのたまは、懐から縄を取り出すと素早くイロちゃんに掛けた。
 指示を出すだけ出したハツネちゃんは三喜之助くんに歩み寄った。
「ねえ、三喜之助くん。三喜之助くんは“初音”さんと言う方ご存じ?」
「ハツネはお前でしょう?」
「いいえ、私じゃなくて“初音”さん。イロがさっき言ってたのよ。ハツネは“初音”でしょうって」
「……そう」
 三喜之助くんは、ふいっとハツネちゃんから視線を逸らした。
 その行動にハツネちゃんは溜息を零し、今度は私の方へと歩み寄ってきた。
 話の流れが良くわからない。
「今回のことはごめんなさい。完全に私の力不足だわ」
「あ、いえ……」
「当然そっちで責任もって独房に入れるんだろうな」
 文次郎くんの言葉に、ハツネちゃんは首を横に振った。
「それは私ではなくシナ先生に言って頂戴。私はくのたまの代表だけど、今回のイロの行動は制裁の対象にならないもの」
「何言ってるんだ。イロは夢美ちゃんを殺そうとしたんだぞ!?」
 ぐっとハツネちゃんの襟を掴んだ小平太くんに、ハツネちゃんはすっと目を細めた。
「イロを制裁の対象とするのなら、私はそちらの天女様にも制裁を与えなくちゃいけないわ」
「なんだと!?」
「それだけ天女様は私たちくのたまの怒りを買っていると言う事よ。それでも私が動かなかったのは、くのたまはこの事態を静観すると決めたからに過ぎないわ。事を荒立てたいと言うのならどうぞ」
「っ!?」
 不意に小平太くんはハツネちゃんから飛び退くように逃げた。
「男が女に勝てるなんて安易に思わない事ね。お馬鹿さん」
 くすりと笑ったハツネちゃんの手に握られた針に、文次郎くんたちが一気に警戒心を露わにする。
 何をしたんだろうと理解が追いつかなくて小平太くんをちらりと見れば、片腕を押さえて蹲り、その側に慌てて伊作くんが駆け寄って行った。
「―――ハツネ」
「わかってるわ。ハナ、イロは私が運ぶから、このことをシナ先生に報告して来てくれる?」
「はい。畏まりました」
 そう言うとハナちゃんはひょいっとイロちゃんを肩に担ぎ、ハツネちゃんの所まで平然と歩いてきた。
 女の子が女の子をあんな簡単に持ち上げられるものなの!?
「あらあら、ハナったら誰かさんに似て力持ちね」
「鍛え方が違うのでしょう」
 ハナちゃんからイロちゃんを受け取ったハツネちゃんは、三喜之助くんの答えにくすくすと笑いながらイロちゃんを引きずって歩きだした。
「……毎度思うけど、お前達本当に友達?」
 うふふと笑って誤魔化したハツネちゃんに、三喜之助くんはふうと溜息を零して後を追うように歩き出した。
「あ、あの!……三喜之助くん!」
 呼び止めても反応のない三喜之助くんに慌てて名前を呼んだ。
 名前に反応して三喜之助くんは足を止めると、ゆっくりと私を振り返った。
「……何」
「あの……ありがとう」
「……なんだ、言えるじゃない」
「え?」
「礼。昨日、悠里さんに指摘されたでしょう?」
 こてんと首を傾げた三喜之助くんに、食堂での出来事が脳裏を過る。
「誰にも指摘されたことなかった?」
「……うん」
「だったら知ると良い。元の世界に帰ることは出来ない分、生きる術は周りの人間が教えてくれる。多分、“それ”はそのための優しさ」
 そう言って三喜之助くんはくるりと背を向けて行ってしまった。
 三喜之助くんの言葉は良くわからなかったけど、何かが引っかかった。
 “それ”ってなんだろう。
 くるりと私の周りに居る忍たまたちを見る。
 私が願った通り私に優しい皆。
 無償で与えられるそれはあの綺麗な人が叶えてくれた通りなのに、三喜之助くんのどこか突き放すような言葉の方が優しいと感じてしまった。
「夢美?」
 どうしたと言うように問う留三郎くん。
 背は小さくても三喜之助くんだって六年生だ。
 なのに私が来てからきっと三喜之助くんは彼らの側に居られなくなってる。
 確か六年生は後一人、背の高い男の子も居た。だけど、私、彼とも喋ったことない。
 五年生の新キャラである勘ちゃんもそうだし、三郎くんたちと仲が良かったって言う私の知らない忍たまの福屋文右衛門くんもそう。
 後は三木ヱ門くんに、孫兵くん。
 私はきっと側に居ない、綺麗な人が叶えてくれた願いが届かなかった人たちを傷つけていたんだ。
「……私、何か間違ったんだと思う。ううん、色々わからないことがあるし、間違ってることもある」
 皆を見て私はそう言った。
「だから教えて下さい。私の甘い考えじゃわからない事……この世界で生きるために」
 そう、この世界で私は生きていく。



⇒あとがき
 天女様を悪者に出来ない……っ!
 多分これは去年の秋に出会ったある小学生の女の子の所為と言うかお陰と言うか……子どもと触れ合ってると色んなことを改めて学びます。
 ついでに癒されて疲れさせられますがね!!←
 次で羽衣関係の話はざくっと纏めて終わらせたいな、なんて思うんですけど……無謀かな。あははは。
20110205 初稿
20221106 修正
    
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