第捨肆話-6

「なーんとも拍子抜けじゃのう」

 詰まらなさそうに唇を尖らせる悠里さんの足元で暁天が転がっている。
 一体何をしたのだと思う程に、悠里さんを見た瞬間暁天は額を押さえて蹲った。
 呻き声を零し、痛みを堪えている様子だった暁天の頭を、悠里さんが「てい」と実に軽い掛け声で叩くと、暁天はあっさりと気を失って倒れてしまった。
 そしてこの台詞である。
「……良くわからないのだけど」
「ふむ、妾も自覚がなかったが、どうやら妾がこやつの羽衣だったようじゃ」
「?」
 つんつんと気を失っている暁天の頬を突く悠里さんは、いつの間にやら狐の姿で実に愛おしそうに暁天を見ていた。
「ふむ、“悠里”の記憶も悪くはないのう」
 一緒に居た田村も首を傾げ、隣に立つ福屋を見上げる。
 福屋も意味が分からず首を傾げていたけど、私は何となく辿り着いた答えに恐る恐る悠里さんに問うた。
「つまり暁天の……林原暁の近しい者の記憶?」
「うむ。“悠里”と言うのはこやつの恋人じゃ。こやつの教師になると言う夢を応援する、何とも健気な娘なのじゃ」
 まるで年頃の娘のような笑みを浮かべる悠里さんは、立ち上がると耳を仕舞い、平成の世の衣装を身に纏いくるりと回って見せた。
「どうじゃ。これが“悠里”じゃ」
「羽衣と言うのは、物ではなく人なんですか?」
「皆が皆そうとは限らぬかもしれぬが、恐らくそうじゃろう」
 うんうんと頷いた悠里さんは、暁天を見下ろしながら指を一つずつ折り曲げた。
「こやつで一人目。後はミキ坊に文坊……あの偽天女の呪は別物じゃから、残り二人か?」
「イロと言う娘がいる。事故を覚えてはいないけど、知っている。私とは逆に女の身体で生まれた自称元男」
「では残り三人か……ミキ坊に文坊、何か心当たりはないか?平成の世の知り合いじゃ」
「三人いる。一人は卒業して居ないけど、後二人は学園に居る」
 中原春彦先輩、久々知兵助、そしてくノ一教室のハツネ。この三人が私の記憶の中にある人と多少年齢は違えど同じ姿をしている。
「天女が来てからは会ったのか?」
「一人はさっきも会った。もう一人も一応会ったけど……何もなかったと思う」
「文坊は?」
「えっと、幼馴染くらいしか心当たりはないです」
「その幼馴染には会ったのか?」
「はい」
 福屋はこくりと頷く。その顔色はあまり良くないので、私と同じく何もなかったのだろう。
「ふむ……呪を解く鍵となっておる羽衣は順に会せねば意味がないのやもしれぬ。よし、そのイロと言う娘にも会おうぞ」
「その前に母上、その……」
 悠里さんから視線を逸らしながら、田村がその足元を指差した。
 この時代しか知らぬ人からすれば、天女様よりも短いスカート姿の女性―――しかもそれが母親となれば恥ずかしいのだろう。顔が赤い。
「うむ。すーすーするのう!」
 悠里さんは快活な笑みを浮かべた後、部屋を訪れる少し前の老婆の姿へと戻った。
「うっ……」
「おお、目が覚めたか若造」
「……っ!?」
 いきなり老婆姿の悠里さんの顔が目の前にあったことに驚いた暁天は、勢いよく後ろ向きに逃げて部屋の端の壁に張り付いた。
 相当驚いているのか、心臓の辺りを押さえ、口をぱくぱくと動かしている。
「学園長先生から少しは聞いているのでしょう?田村の御母上」
「き、聞いてたが……って、さっき“悠里”が居なかったか!?」
「“悠里”ならここにおるぞ」
 ほっほっほと笑い、自らの胸に手を添えた悠里さんに暁天は眉根を寄せる。
「……“悠里”?」
「そうじゃ。この醜女の姿でもわかるようになったと言う事は、お主は時が来れば戻れると言う事じゃ」
「戻れる?」
 首を傾げ、暁天は私を見る。
「私たちには呪―――何らかのまじないが掛けられている。だから戻れなかった。お前、今の自分の姿を鏡で見てみると良い」
「鏡?」
 不思議そうな顔をしながらも暁天は銅鏡を取り出し己の顔を確認する。
 さっきまでは見慣れた暁天の顔が知らない成人男性の顔になっている。恐らくそれが、林原暁さんの顔なのだろう。
「これは……本当に……?」
「それが林原暁の顔で間違いない?」
「あ、ああ……何がどうなってるんだ?」
「だから呪」
 私も福屋も暁天―――いや、もう林原さんか―――も、天女様と違って必ず異なった姿でここにいる。
 自分は男だったと言うイロもそうだと言う事……イロは本当良くわからない。事故で死んだのは私たち三人と事故を起こした車に乗っていた林原さんの四人のはずなのに……。
「元に戻れるってことは片桐先輩は女に戻れるってこと、ですよね?」
「そうなるわね」
 元の世界に戻ることで頭が一杯になっていたけど、悠里さんもそう言っていた。
 本当に戻れるかどうかは不安が募るばかりだけど……。
「俺の“悠里”が婆ちゃんっ」
「安心せい。これは仮の姿じゃ。わしの素顔は“悠里”と寸分変わらんぞ」
「いやいや、耳が違いますって!」
「耳?」
 慌てたように突っ込みを入れた福屋に、林原さんは首を傾げた。
「この世のわしは狐の神使じゃからな」
「……なっ!?」
 驚き過ぎて言葉にならないらしい林原さんを見て、悠里さんはけたけたと楽しそうに笑った。


  *    *    *


 五年生と六年生の合同授業で黒ノ江先輩と組手をしたその少し後、稲光のような空を裂く強い光が差し込み、空から少女が一人舞い降りた。
 天女と呼ばれる彼女は、傷一つない綺麗な手をしたか弱い女性だった。
 脳裏にちらりと黒髪の別の女性の姿が過り、不思議だと思いながらも彼女の傍に居た。
 何か大事な事を忘れているのではないかと毎夜誰かが訴えているようで、目覚めた時は必ずと言って頭痛がするようになった。
 同室の勘右衛門は、冬場は特に寝汚いので覚られてはいないようだが、これは新野先生に相談した方が良いのだろうかとも思う。
「忘れていること……」
 机に肘を付いてぼんやりと考える。
 考えても忘れていたことをそう簡単に思い出せるはずもなく、小さく溜息を零した。
「あれ兵助、まだ教室にいたのか?」
 きょとんとした顔で教室に入ってきた勘右衛門に、私は首を傾げる。
「……変か?」
「あ、いや……天女様と一緒にいなくていいのかな、なんて……」
「うん……」
 なんでだろう。
 昨日の食堂での一件の後から、覚えていない夢の事の方が気になるようになった。
 そう言えば田村の母親は巫女だと言っていたな。新野先生よりも巫女である田村の母親に相談した方が良いのだろうか。
 彼女は伊賀崎の母親が傍に居るかのように言っていた。
 入学してすぐに少し噂になったけど、伊賀崎は母親が居なかったはずだ。
 入学する少し前に亡くなったのは事実らしく、級友たちに苛められてもケロッとしていた伊賀崎が気持ち悪いと苛めはすぐに止んだが、その情報はそのまま廻った。
 同じ委員会の先輩である八左ヱ門はそんな伊賀崎を心配しているらしく、良く構っていたけど、本人が気にしていないのだからそこまで気にする必要はないと思っていた。
 多分伊賀崎と私は良く似ている。だから、何となくわかる。
 彼は田村の母親に、自分の母が死してなおも側に居て見守ってくれているのだと言われてものすごく嬉しかったのだろう。
 いつもであれば言わないだろう指摘を天女様にきっぱりと言い放つと、僅かに機嫌の良さそうな足取りで去って行った。
 去年の今頃であれば首にジュンコが居ないと寂しがっていた姿と打って変わって、随分と強くなった背中には思わず感心してしまった。
 多分、先輩方や三郎たちはそんなこと思ってはいなかっただろうけど。
「もしかして兵助、正気に戻った?」
「正気?」
「あ、いや、違うんなら御免。なんでもないよ」
 首を横に振りながら勘右衛門は教室の中へと入ってきた。
「何か悩み?」
 私の正面へと座った勘右衛門はそう言ってくれた。
 恐らくは学級委員長委員会の用事で戻ってきたのだろうが……ん?
「……委員会中?」
「え?まあそうだけど……」
「委員会……っ!勘右衛門、私は委員会に何日行ってない!?」
 天女様が来てから一週間はすでに経っている。
 その間、私は一度も煙硝蔵に行くこともなく過ごしていた。
 私だけじゃない。三郎も、雷蔵も、八左ヱ門もそうだ。先輩方も、後輩も。皆、委員会活動を疎かにして天女様の傍に居なかったか?
「えっと、そろそろ十日、かな?片桐先輩は実技授業がないから、仕事もそうないし平気って言ってたけど……」
 勘右衛門の言葉に私は目を見開いた。
「片桐、先輩?」
「天女様が来てから委員会活動が停滞してる。こう言ったら怒るかもしれないけど、兵助たちが天女様に現を抜かしてる所為でね」
 勘右衛門はちらりと私が見ていた窓の外、あの日と同じ真っ青な空を見つめた。
「片桐先輩は火薬委員、田村は会計委員、文右衛門は保健委員、伊賀崎は生物委員。後の委員会は先生たちが多少は手伝ってくれるけど、基本は俺と黒ノ江先輩でどうにか回してる」
 厳しい眼差しの勘右衛門の目の下には隈が見て取れ、今更気づいたことに動揺した。
 どうして私はこの事に全く気付いてなかったのだと。
 天女様が来てからも勘右衛門と同室である事が変わるはずなくて、毎夜帰りが遅いのを何故だろうと思わなかったし、例年よりも更に寝汚い姿にも疑問を抱かなかった。
「なあ兵助、気づいたからって片桐先輩の所に行こうなんて思うなよ」
「え?」
「……そこまでは思い出してないんだなあ」
 後ろ頭を掻き、勘右衛門は言葉を探す様に「あー」と意味のない言葉を発した。
「なあ、私は何を忘れてる?」
「別に思い出さなくていい事……と言うか今は思い出さない方がいいんじゃないかって思う。片桐先輩、決めたみたいだし」
「決めたって何を……」
 急に頭痛が走り、私は額を押さえた。
「って、兵助?」
「くっ」
 毎朝の頭痛とは比べ物にならない痛みに米神を押さえて蹲ると、慌てたように勘右衛門が側による。
「兵助?兵助!?」
「天の簪……?」
 思い出した単語はつい最近聞き覚えがあった。
 火薬委員の年上の後輩、四年は組の斉藤タカ丸が口にしていたはずだ。
「くそっ」
 強い痛みに堪えきれず、私はそのまま気を失った。



⇒あとがき
 最近の伏線しか拾えてないっ。
 とりあえずハツネちゃんも兵助も簪が夢主の手元にあることを知りませんのでタカ丸さんの話が出てきました。あはははは。
 頑張れ私、終わりが見えてきたぞ!……多分。
20110203 初稿
20221106 修正
    
res

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