第捨肆話-5

 よたよたと歩く悠里さんの手を引きながら食堂へと入ると、鬼桜丸と尾浜と福屋の三人が本城夢美を中心にしている席から離れて座っていた。
「ふう……随分と歩かされたのう」
 大仰しく溜息をついた悠里さんに気づき、三人がこちらに視線を向ける。
 先ほどまでの口調はどこへやら、随分と老婆らしい口調と声音だ。
 とても先ほどまで美しい姿を見せていた狐の神使には見えない。
「あら片桐くんに田村くん。それにお客様?」
「私の母です」
「あら田村くんの?」
 驚いた様子のおばちゃんに、田村は照れたように頷いた。
「いつも息子がお世話になっております。田村悠里と申しますじゃ」
「いえいえこちらこそ」
 丁寧に頭を下げた悠里さんに、おばちゃんもお決まりの挨拶を返す。
「学園長先生の用事で数日滞在するんで、よろしくお願いします」
「学園長先生の?あら何かしら」
「それは内緒ですじゃ」
 ほほほと笑う悠里さんはよたよたと中へ歩み寄った。
「ほほー……食堂は広いのう」
「そりゃあ生徒数が多いですから。母上、先に席で待たれますか?」
「そうさせてもらおうかのう」
 私から引き継ぐように、田村が悠里さんを案内して席に座らせる。
 席は鬼桜丸たちの隣で、悠里さんは福屋を見て笑った。
「坊、さっきはすまんかったのう」
「いえ、田村くんの御母上とは思いませんでしたけど、会えてよかったですね」
 にこりと笑みを浮かべた福屋に、悠里さんは愉快だと言わんばかりに笑った。
 恐らく学園長の庵に行くまでに福屋に会ったのだろう。
「お前さんも随分と面妖じゃのう」
「狐に言われたくない台詞だあ」
 ぼそっと呟きながら福屋の隣で頬を引きつらせる尾浜に、悠里さんは顔を僅かに寄せる。
「ん?お前さん共食いなんぞ粋な事をしておるな」
「共食いってばあちゃんこれのどこがタヌキうどんに見えるのさ」
「そう言いながらも見事なうどん頭じゃぞ」
「うっ」
「尾浜」
 鬼桜丸が窘めるように声を掛けると、尾浜はちらりと周囲を見回すが特に気にした様子はない。
 大半が天女様に夢中なのだからそんなものだろう。
「ミキ坊」
「何」
 手招きされ、私は悠里さんに歩み寄った。
「他の坊を紹介せい」
 ちらりと田村を見れば、苦笑を浮かべながら頭を下げ、おばちゃんの方へと歩み寄り代わりに注文を取ってくれるらしい。
「五年ろ組福屋文右衛門、五年い組尾浜勘右衛門、六年い組黒ノ江鬼桜丸」
「ふむ。文坊にたぬ坊にきい殿じゃな」
「……また変な呼び名を」
 呆れながらもその理由は先ほど聞いていて分かるから深くは言わなかった。
 神使として力の強い悠里さんは、田村以外の名をまともに呼ぶ事はなく、呼ぶ気もないそうだ。
「文右衛門のはいいとして俺のたぬ坊ってのと黒ノ江先輩のきい殿ってなんだよー」
「間違うてなかろう?」
 けらけらと楽しそうに笑う悠里さんに尾浜は頬を膨らませる。
 同じ化け術を得意とする生き物同士の性なのか、あまり仲は良くならなさそうな二人だ。
 悠里さんはちらりと、奥に居る本城夢美とそれを囲む生徒たちを見る。
 今彼女の傍に居るのは五年生と六年生の上級生たち。それを遠巻きに他の下級生たちが囲んでいるような座席に、思わず溜息が零れそうになった。
「縁とは不思議なものじゃのう」
 ぽつりと呟いた悠里さんは戻ってきた田村に目を向ける。
「なんじゃ三木ヱ門、わしに共食いをせいと」
「そんなことを言って……母上の好きなものでしょう?」
 もうと言いながら田村は悠里さんの隣に座った。
 私は二人の対に座り、鬼桜丸と同じB定食を見下ろした。
「縁……さっきも言っていた」
「うむ。それに関しては後で話してやろう。今は先に飯じゃ」
 悠里さんは嬉しそうに「いただきます」と手を合わせ、早速御揚げに手を伸ばす。
 狐らしく御揚げが好きだったらしい。
 名前的には共食いだけど、確かに好きなもので選べばA定食の方が良いだろう。今日はA定食についているキツネうどんくらいしか御揚げはないのだから。

「はあ、今日もおいしかった」
「それはよかったな」

 本城夢美と立花の声に視線を向ければ、彼女たちが席を立つのが見えた。
 それに合わせる様に、先に食べ終わっていた様子の幾人かが同時に席を立つ。
 慌てて食事を掻き込むものの中に交じって、孫兵が一人友人たちと囲んでいた席でのんびりと自分のペースで食事を続ける。
 まるで連れ立つようにぞろぞろと食堂を出ていこうとする一団に目を向けることもなく、悠里さんは御揚げを堪能している。
 それを横目に田村は自分の分の御揚げを悠里さんのうどんの上に乗せた。
「母上、どうぞ」
「うむ。すまぬな三木ヱ門」
 美しい親子の姿を、まるで汚いものを見るような目で本城夢美がちらりと見ていた。
「礼儀も弁えぬ娘っ子とはえらい違いじゃ。流石我が息子!」
 わざとらしい悠里さんの言葉に、ぴくりと本城夢美が足を止める。
「悠里さん……」
 心配そうにおばちゃんが声を掛ける。
 おばちゃんには詳しい説明はされていないけど、御残し以外で彼女には必要に接触しないようにと言う指示は渡っている。
 生徒が一部を除いて様子が可笑しいのも、しばらくは見て見ぬふりをするようにと言われたおばちゃんが寂しそうだったと、夜食を貰いに行った鬼桜丸が零していた。
 正気な人間ばかり疲弊する、理不尽な“天女様の術”。
 だからと言って悠里さんの行動はどうなんだろう。荒波を立てても頭が痛くなるだけなので控えてほしかったのだけど……無理だろうなあ。
「……何が言いたいんですか?」
「言葉通りじゃろう。“ごちそうさま”の一言もなく席を立つなど、一体どういう教育を受けてきたのやら……宇迦之御魂神様に失礼じゃろうて」
 深々と溜息を吐きだしながら首を横に振る悠里さんに、本城夢美はかっとなって何かを言おうとしたが、それを察した食満が名を呼んで押さえる。
「こちらと天上では環境が違うでしょうから仕方がないと思いますが?」
「はて、天上と……そのようなただの小娘が?」
 本城夢美を庇うように言った潮江を悠里さんは鼻で笑う。
「天上の者であると言うのならば、それらしく振舞ってみんか。羽衣も持たぬそなたは地に堕ちるだけの運命じゃったのじゃよ」
 羽衣がない?
 眉根を寄せた私に気付くことなく、悠里さんは笑う。
「二度と天に昇れぬ者が生きられるほど、この世は甘くないからのう」
 けたけたと笑う悠里さんに本城夢美の顔色が悪くなる。
 この世界に来たいと願っても、帰ることに関しては何も考えていなかったのだろう。
 それとも容易に帰れるとでも思っていたのだろうか。
「婆ちゃん。いくら田村の母親だからって、言って良い事と悪い事があるだろうっ」
 怒れる七松をちらりと見上げた悠里さんはふんと鼻で笑った。
「事実じゃろうて。なんならお主らがその娘の羽衣を探してみるか?まあ無駄じゃろうがの」
「この……」
「落ち着いて、小平太」
 慌てて止めた中在家と伊作に七松は「でも」と反論する。
「お主はわしの言う事が信じられよう?なあ、立花の」
 視線を向けられた立花がそっと目を逸らす。
「……仙蔵くん?」
 不安そうな視線を向けられた立花はややあって口を開く。
「田村の母上は羽衣伝説の伝承者だ」
「羽衣伝説……?」
「羽衣によって天から降りてきた天女の伝説だ。実際に彼女は豊宇賀能売神に仕えている巫女でもある」
「とようけびめ?」
 聞き覚えのない単語に首を傾げるばかりの本城夢美に、私は視線を落とした。
 彼女は私が十四年かけてゆっくり得た、帰れないと言う事実を一気に知り、絶望の淵に居る事だろう。
 だけどそれを救う術はない。
 羽衣がない彼女は元の世界に戻れない。
 羽衣が見つかっていない私も、福屋も……似たようなものだ。
「世の理を歪めた者に、平穏などないと知るが良い。この微温湯がどれほど温かく見えているだけだと言う事ものう」
 がくがくと震える本城夢美の背を、三郎様がそっと撫でる。
「悠里さん」
「なんじゃミキ坊」
「もう止めてあげて」
「事実じゃろうて。一番腹立たしく思ってるのはそなたの癖に何を言う」
「っ」
「お主は我儘がなくて困る。きっとお主を育てた祖父母も同じことを思っておるじゃろうて」
 悠里さんの言葉に俯いた私に、誰かしらの視線が向けられるのが分かる。
 本当、もうどうしてこう……イキヅライ。
「ごちそうさまでした」
 ふと一人黙々と食事を続けていた孫兵が両手を合わせてそう言った。
 まだ残っていた誰もが箸を止めていたと言うのに、彼は黙々と食事を続けていたのだろう。
「先に行くよ」
 さっきまで勢いよく食事を掻きこんでいたはずの左門たちを残し、孫兵は立ち上がる。
 緊張の糸が切れた不思議な空気の中、孫兵はおばちゃんに食べ終わった食器を渡す。
「ごちそうさまでした」
「はいよ」
「ほう、感心な坊だ。お前さんの母御も誇らしそうじゃ」
「え?」
 振り返った孫兵の目が驚愕に見開かれる。
 私ほどではないけれど、毒虫のこと以外では滅多に表情を変えることのない孫兵が、明らかな驚きを見せている。
「良き母御、良き家族に囲まれておるようじゃのう。護符も大事に使っておるようで感心じゃ」
「いえ、お陰で助かっています。ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げた孫兵に、悠里さんは嬉しそうにうんうん頷いた。
「わしは田村悠里じゃ。お主はなんという名じゃ?」
「伊賀崎孫兵です。田村先輩の一つ下の三年い組です」
「そうか。三木ヱ門、こう言う後輩は大事にするんじゃぞ」
「えー?……うっ、はい」
 微妙そうな顔をした田村は悠里さんに睨まれ頷いた。
「では、予習があるので失礼します」
 ぺこりと頭を下げた孫兵は、入り口で固まったままで居る上級生たちを見上げた。
「邪魔になってるんですけど」
「え、あ、ごめん、ね?」
 戸惑った様子で横にずれた本城夢美を見上げ、孫兵は首を横に振った。
「戸惑うのは分かりますが、人の迷惑を少しは考えて動いた方が良いと思います。そのくらい僕にでもわかりますよ」
 辛辣な台詞を告げた孫兵は「では」と静かに食堂を去って行った。
 それを見送った後、「行こう」と伊作に背を押され本城夢美は食堂を去って行った。
 哀れな彼女は加害者なのか被害者なのか……。
「……彼女は本当に帰れないの?」
「縁がないからのう」
 先ほどの事など忘れたとでも言うように食事を再開する悠里さんは、あっけらかんとそう言った。
 縁……私の縁とは何なのだろう。
 目を閉じた私の脳裏に浮かんだのは小憎らしいくらいにのんびりとした“久々知”の顔だった。



⇒あとがき
 天女様が上手く書けない。誰だこの話のメイン天女編だって言ってたやつ。……私か。
20110203 初稿
20221106 修正
    
res

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