第捨肆話-4

 天女様が来てから色々と不便がある。例えば委員会だったり、授業だったり。
 別にそう言う事は些末な部類に入り、問題になるのは人間関係だと最初に言ったのはハツネだった。
 友人・恋人・師弟……まあ主に前二つが大問題。
 師弟関係は一部先生が寂しい思いをしているくらいで別段大きな問題はない。
 でも戸部先生の皆本を見る後姿はとても寂しそうだった。安藤先生も生徒たちが授業に集中してくれないと、最初は原因に対して怒った様子を見せていたけど、次第に寂しさの方が強くなったのか私たち正気な生徒を良く構うようになった。
 特に委員会を担当している先生たちが顕著で、解決策はないのかと私に問い合わせてくるけど、そんなこと知っていたらとっくに私は元の時代に戻って……。

「三喜之助ー」

「……何」
 楽しげな声を発しながら近づいてきた伊作に、私は眉根を寄せた。
 不運委員長が機嫌よく近づいてきた時はろくなことにならない。それはこの五年と八か月で身に染みて感じた事だ。
「くのいち教室のハツネちゃんと付き合うようになったんだって?もー水臭いなあ〜」
「……は?」
 ばしばしと背を叩く伊作は私の疑問の声など聞こえてないように「ハツネちゃんか〜」とため息交じりの声を零す。
「美人だし器量よし。良いんじゃない?」
「何で」
「夢美ちゃんが言ってたよ。ハツネちゃんが三喜之助に「忍たまでただ一人よ」って言てったとか、人の心配しない三喜之助がハツネちゃんには「無理しては駄目」って声かけてたとか〜」
 確かにそんなことを言っていたけれど、それがどうして付き合うに発展するの?良くわからない。
「しかも、去り際に接吻されてたって……もー!三喜之助、色忍志望の癖にやる事やってたんだね!」
 一人大盛り上がりしている伊作に、私は呆れて物が言えなくなった。
 あの女は一体何を考えているのだろう。
 伊作も伊作だ。証拠のない噂、しかも信用が置けるとは言えない女からの情報をペラペラと……この調子なら他の生徒も同じ情報を握らされているだろう。
 ここはただの学校ではなく忍術を学ぶための学校なのだから、噂は流れると早い。
 くのたまが静観を決めているからと言って情報が流れないわけでなく、これでくのたまの子たちにまた何されるのやら……頭が痛い。
 まあ、一年の時の危険な先輩たちのようなくのたまが残っていないだけマシだと思わなくては。
「伊作」
「何?」
「それ、違うから」
「えー?」
「ハツネも私も色忍志望よ?戯れで接吻位する」
「す、するの!?」
「する」
「うー……ライバル減ったーと思ったのにぃ」
「まずそこもおかしい。私、あの女に興味ない」
「こんな時に運良く三喜之助らしさが!!僕、ついて……ないよね。ライバル減っても多いのに変わりないし」
 がくりと項垂れた伊作に私は溜息を零した。
 ただ可愛いだけで仕事も大してできない、調和を乱すだけの少女のどこがいいんだか……“天女様の術”とやらは相当厄介なものみたいね。
「あ、片桐くーん」
 ぱたぱたと本当に忍を目指しているの?と言いたくなるような足音を立てて小松田さんがやってきた。
「よかった、長屋に居てくれて」
「何?」
「片桐くんにお客様だよ。学園長先生の庵で待ってるから早く行ってあげて」
 こんな時期に誰だろう。
「じゃあ僕は行くね!」
「ん」
 伊作は何事か思い出したかのように走りだし、小松田さんは一仕事終えたとばかりに嬉しそうに去って行った。
 それを横目で見ながら、私は下ろしていた足を上げて学園長先生の庵に向けて歩き出した。
 鉢屋の人間。これはない。しばらく学園が可笑しいから連絡しないでほしいと伝えてある。連絡するにしても馬借便を使うはず。
 依頼関係。海美の事があってからしばらく入ってない。
 雪乃姉様と月乃姉様。あの二人だったら直接私の所に乗り込んでくるはず。
 ……後は誰かいたかしら?
 首を傾げながらも庵に辿り着くと、戸の前で膝をついた。
「学園長先生。六年は組、片桐三喜之助、参りました」
「うむ。入りなさい」
 部屋の中に気配は三つ。学園長先生と、後は誰だろうと思いながら障子戸を開ける。
 室内居たのは、学園長先生とほぼ同年代と言っていいくらいの年老いた女性だった。
 ちらりとこちらに向けた顔には、貝で出来ているのであろう眼帯を左目に着けており、対の右目はぎょろりと少し飛び出ているように見える。その面立ちはとてもではないが美しいとは言えない、醜い老婆だった。
 けれど本城夢美よりも、よほど天女のように清い空気を纏った不思議な老婆だった。
 その横にはぺこりとこちらに頭を下げる田村が居り、もしかして彼女が田村の育ての親だろうかと何となく感じた。
 動揺を何一つ出さぬようにして、学園長先生に促されるまま室内に入り座った。
 それを見届けると、老婆は手を組み何かをブツブツと呟いた。
「ふむ、これでよかろう」
「結界ですな」
「うむ、そうじゃ」
 学園長先生の言葉に満足げに老婆が頷くと、醜い老婆は少しずつ年若い女性の姿へと変貌した。
 狐色の長い髪を床へと下ろす、病的なほど色の白い肌をした妙齢の女性には眼帯などなく、彼女こそ天女ではないかと言う程浮世離れをした美しさを持っていた。
 実際頭に尾浜と似たような感じで狐の耳が生えているので、人間でないことは一目でわかるのだけど。
「妾は豊宇賀能売神様にお仕えしておる神使・悠里[ゆうり]じゃ。普段は巫女として先ほどの老婆の顔をしておるが、三木ヱ門の母もしておる」
「お初にお目にかかります。ここでは片桐三喜之助と名乗っております」
「ふむ。面を上げよ」
 ゆっくりと揺蕩うような美しい声音が優しく告げる。
 悠里と言うこの時代には珍しい名を不思議に思いながらも私は彼女の言葉通りに顔を上げた。
「妾がここに来たのは豊宇賀能売神様の命あってじゃ」
「豊宇賀能売神様の?」
「うむ。先ほど三木ヱ門と学園長先生から聞いたが、生徒たちに天女様と呼ばれている娘は実に傲慢じゃのう。しかしそれ以上にその“美しい人”とやらも傲慢じゃ」
 ぺしぺしと悠里さんは畳を叩いた。
「神々には神々の領域と言うものがある。領域を、しかも次元を超えてまで犯すなど傲慢以外の何物じゃと言うのじゃ」
「まあそうですけど……私たちにも意図は見えませんのでなんとも」
「うむ。残念ながら豊宇賀能売神様にも縁あるようで縁無きことで、未だ解決には時間が掛かりそうじゃ」
「母上、人に手を貸すことは豊宇賀能売神様も領域を犯すことにはならないのですか?」
「三木ヱ門は心配性じゃのう。地に堕ち着いてしまった豊宇賀能売神様だからこそ人に手を貸せるのじゃぞ?」
「それはそうですけど……」
 きっと田村は悠里さんだけでなく豊宇賀能売神様も家族のように思っているのだろう。
 心配そうに顔を俯ける田村の額を「てい」と悠里さんは指で弾いた。
「手を貸すと言っても基本動くのはそなたらじゃ。まあ呪は解けんじゃろうからと妾が態々足を運んだわけじゃが」
「しゅ?」
「うむ。呪とは強いまじないのことじゃ。そなたが男として今世に生を受けたのも其の為じゃろう」
 宙に呪いと言う字を書いた悠里さんはぽんと私の頭の上に手を置いた。
「何、時間はかかるじゃろうがきちんと解いてやろうぞ」
「女として生きられる、と言う事?」
「それもあるが、そなたの本当の望みは違うじゃろう?」
 優しい眼差しが私を見下ろす。
 素直に言えと、慈愛に満ちた目が私を見つめる。
 この人は人ならざる者の前に本当に母親なのだと感じる。
「失くした羽衣を取り戻せばよい」
「羽衣伝説……?」
「うむ。羽衣があれば呪も早く解けるかもしれぬ」
 ぽんぽんと優しく頭を撫でる様に叩いた悠里さんを私は凝視する。
「帰れるの?……元の世に」
「そなたらはこの世理から外れておる。理から外れたものをそのままにしておくわけにもいかんし、そなた自身、母御に会いたいじゃろう?」
「母は……いないわ」
「でも他に家族が居るじゃろう?会いたいものが居るじゃろう?……そんな顔をしておるわ」
 そう言って悠里さんは、母と言う言葉に俯いて首を横に振った私の身体を引き寄せた。
「今までよく耐えて生きてきたのう。人の子にしては強い心を持っておる。じゃが人は弱くとも支え合えば生きていけるのじゃ。強がりだけは苦しかろうて」
 優しい声音と温もりに私の目から涙が零れ落ちた。
 おじいちゃんとおばあちゃんが大好きだった。中原先生、春彦、久々知……皆大好きだった。ううん、今でも大好き。
 不意に感じた懐かしさに、両手で顔を覆えば、よしよしと悠里さんが私の背をぽんぽんと宥める様に叩いた。
 私はこんなに泣き虫ではなかったのに、どうしてこんなにも涙が零れるのだろう。
 戻れるかもしれないことは嬉しい。
 でも、今の私がおじいちゃんとおばあちゃんに会うのかと思うととても怖い。
 いつもなら勝手に察して近づいてきてくれる立花も、教えを乞いたいと目を輝かせる藤内も、私を泣かせてくれる作兵衛も、私を欲しいと言ってくれた三郎様も、“久々知”と同じ言葉で私を縛る兵助も……誰も傍に居ない。
 背中合わせの鬼桜丸じゃ私を支え切れるはずもなくて、私は泣くほど寂しかったのだと改めて思った。
 天女様と呼ばれるあの女が嫌い。傍に居てくれない皆も嫌い。
 でも、鬼桜丸と出会わせてくれたのはあの女の我儘だし、傍に居てくれないから寂しいなんて思わせてくれたのも皆。
 本当に嫌いになんてなれやしない。

 嫌い嫌い大嫌い(嘘、大好き)



⇒あとがき
 好きの反対は無関心って考えて書いてきたので最初の兵助への嫌いでジャンプしてやっとここで着地した、みたいな?そんな気分です。
 拾えてない伏線が多すぎる。どうしたらいいんだこれ。←
20110202 初稿
20221106 修正
    
res

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