第壱話-3
白い狐の面をずらしては口に食事を運び、そわそわと居心地が悪そうな“彼”の隣に鬼桜丸は座っていた。
目が合うとひらひらと手を振ってくるあたり、鬼桜丸は気を使ってくれているんだろう。
別に鬼桜丸が“彼”と話をしているわけではないけど、鬼桜丸に視線を向ければ自然に入ってくる“彼”に胸が少し暖かくなったのを感じた。
「お前が鬼桜丸以外に目を向けるなんて珍しいな」
ぽつりと呟かれた言葉に私は思わずはっとして隣に座る立花を見た。
「まあ確かにあの狐面は気になるがな」
一人勝手に納得した立花は吸い物を啜った。
「……立花くん、片桐くんのこと良く見てるんだね。僕はてっきり、いつも通りに黒ノ江くんを見てるんだと思ったよ」
「ぐふっ……な、何て事を言うんですか小野田先輩!」
思わず吸い物を吹きそうになるのをどうにか堪えた立花は、正面に座る小野田先輩を睨んだ。
「どれどれっと」
そんな睨みを気にした様子もなく振り返る小野田先輩は“彼”に視線を向けた。
私の所為で火薬委員のほぼ全員が“彼”に視線を向けることとなり、“彼”はびくりと肩を震わせた。
これは人見知りじゃなくてもびっくりすると思う。
隣の異変に気付いた鬼桜丸がこちらを見てぎょっとした後隣を見ると、"彼"は机の下に隠れていた。
「……恥ずかしがり屋さんなんだね」
「人見知り」
「かもなー。って、久々知。お前は興味ないのか?」
「豆腐美味しいです」
「あー……そうか」
富松先輩に問われ、一人冷ややっこを堪能していた久々知兵助はへにゃりと笑った。
豆腐が好きなんて変なところまで久々知と一緒で気味が悪い。
私は溜息を吐きながら俯いて斜め下をじっと見つめそうになって顔を上げた。
「片桐どうした?」
「大嵜先輩、あげる」
「あげるって、なんか俺の嫌いなもの中心に残ってるんだが……ああでもデレられた!」
何か感動している大嵜先輩に溜息をつきながら食事を押しつければ、久々知兵助が私の制服の袖を引いた。
「豆腐は俺にください」
「……貰えば」
指を解き、私は久々知兵助に背を向けた。
* * *
大永八年、今が天文四年だから西暦で言えば1528年。私はその年の1月1日と言う日に生を受けた。
出雲の国―――平成の時代で言えば島根県辺りだと思う―――にある月山山麓の隠里。
与えられた名は三喜之助。間違いなく男児の名で、私の股の間には生前にはなかったものが今も存在を主張している。
十六年生きた片桐色葉だった頃の記憶が鮮明に残ったままの私にとって、過去の時代は酷く生きづらい世界だった。
息苦しくて、いっそもう一度死んだら楽なんだろうかと考えたこともあった。……だけどもう死にたくはなかった。
次死んだ時おじいちゃんとおばあちゃんの記憶がなくなりでもしたら……考えただけでぞっとした。
死んだ両親の代わりに愛情を目一杯に注いでくれたおじいちゃんとおばあちゃん。それから大好きな囲碁の棋譜。
脳裏に掛け巡るたびに頭痛や吐き気を覚えるのは、三喜之助として生まれてから今まで続いている。
堪えられないことはないから今まで誰にも気づかれなかったのに、“彼”だけが気付いた。
本家筋の一つ年下の従弟―――鉢屋三郎様だけが。
「ミキはなにをかかえているんだ?」
突然そう言われて心臓が跳ねた。
きょとりとした瞳が思わず竜笛から唇を離した私を見つめていた。
「たまに今みたいに泣きそうな目をしてるの、私知ってるんだからな」
私に隠し事をするなと言う三郎様に、私は目を見開いた。
お前の変姿の術は目に表情がないと言われるくらい目に表情がないと言われるのに、どうして三郎様はそう思ったのか。
あまりに驚いて言葉が出なかった。
「ミキの泣きそうな目はね、こんな感じ」
そう言って三郎様は私の顔にまだ拙い手つきで顔を変えると、溜息を吐きながら俯いて斜め下をじっと見つめた。
表情は変わらなかったけど、確かに私はそんな風に今していた。
三郎様は顔を元に戻すと、竜笛を膝の上に置いた私の手に自分の小さな手を重ねた。
「私以外だれも気づいてないけど、その後よく一人でどこかに行くから、一人になりたいんじゃなくて泣きたいんだって気づいたんだ」
私の心を読んだかなのように喋り続ける三郎様に、私の目からぽろりと涙が零れ落ちた。
他の誰でもない三郎様が私の中の“色葉”に気付いてくれたことが嬉しくて涙が零れ落ちていた。
「三郎様」
「ん?」
「私、記憶力がいいんです」
「うん、知ってる。さいしょの出会いから今日までいやみなくらいせんめーにおぼえてるんだろ?」
「だって三郎様が可愛いんですもの」
「私はかわいくない」
ぷくりと頬を膨らませる三郎様の頬をつんと突けば、三郎様は頬を赤くして目を逸らした。
「……それで?」
「覚えてるんです。ずっとずっと前……生まれる前の私を」
「辛いのか?」
「……寂しいんです」
おじいちゃんとおばあちゃん。会えるならもう一度会いたいのに、もう二度と会えない。
「生まれる前のミキは愛されていたんだな。なら私が代わりにミキを愛してあげる!」
飛びつくように抱きついてきた三郎様に私は目を瞬かせた。
「私はミキが大好きだし、ミキなら私の“よめ”になってもだれももんくは言わないとおもうんだ!」
な、いい考えだろう?と純粋な瞳が私を見上げてくる。
……そうだ、私、三郎様のお父上でもある頭領の命令で三郎様の前ではずっと女装してるんだった。
誤解を解くわけにもいかないし……この状況は一体どうすれば……。
「だめか?」
小首を傾げて問う三郎様に私は折れるしかなかった。
「そうですね……三郎様が立派になられましたら考えさせて頂きます」
「とうぜんだろ!私は鉢屋衆のとうりょうになるんだから」
「ではまずその人見知りを無くしましょうね」
「うっ……」
言葉に詰まる三郎様に私はくすくすと笑った。
* * *
もちろんあの後、三郎様が頭領に私を嫁にしたいと口にした瞬間、真実を知る誰もが閉口したのは言うまでもない。
頭領は面白がって許すとか言ってたけど、奥方様たちも重鎮たちも皆頭を抱えていたのもしっかり覚えているわ。
「落ち込んでるかと思ったら、楽しそうだな」
「鬼桜丸」
食堂から長屋に来た私を追ってきたのだろう鬼桜丸は、屋根の上まで私を追いかけてくれたらしい。
最初は危なげだったと言うのに、人気の少ない場所を好む私の影響か、随分と慣れた足取りで此方へとやってきた鬼桜丸は、そのまま私の横に腰を下ろした。
不思議なことに、鬼桜丸は私が泣きそうな気持ちになるとすぐに気付く。
三郎様みたいに癖に気付いてではないけれど、私を大事に思ってくれているからこそ気付くらしい。変な話だけど、それでも十分嬉しいと思う。
「大丈夫か?」
「少し、きつい」
「そうか」
鬼桜丸はふわりと笑うと、私の頭をそっと撫でた。
大きくて程よく温かい手のひらが気持ちよくて目を閉じると、少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
「久々知くんは苦手か?」
「嫌い」
「嫌い、か。三喜之助にしては珍しいな」
「ん」
顔も、声も、好きなものも似てる。
あいつの全てが“片桐色葉”を思い出させて、私を苦しめるから嫌い。
でも鬼桜丸にはそこまで話していないから、私はただ嫌いと答えた。
「あ、そうだ三喜之助」
「ん?」
「お前、男だよな」
「……何故?」
「いや、鉢屋が私に特別親しい、良いくのたまがいるのかって聞いてきたからな」
「ああ。……女装してた」
鉢屋衆は騙し討ちや奇襲を得意とする。
当然そのために必要な術は幼いころから叩きこまれ、私は変姿の術の中でも女装を得意としていた。
女だった頃の記憶があるから別に抵抗はなかったし、それを見込まれて常に女装をしながらと言う条件付きで三郎様の世話役に納まった。
頭領は面白い事が好きだから、三郎様が私を妻にしたいと宣言された時はとても満足そうだった。
「ずっと?」
「そう」
頷けば、鬼桜丸は苦笑を浮かべていた。
「鉢屋殿は昔からああなんだな」
「……否定しない」
⇒あとがき
うっかり仙ちゃんの話書きかけたけどちゃんと宣言通り三郎様のお話だ\(^o^)/
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20100406 初稿
20220918 修正
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