第捨話-2

 山田先生のご子息である利吉さんが来ていると言う事で、生徒の大半は食堂に集まっている。そんな中、作法室は実に静かなものだった。
 今日はそう言う気分なのか、大人しく化粧の実験台になっている喜八郎の唇に紅を乗せるのを、藤内はじっと見つめている。
 片桐との実習以来上級生の化粧の術を盗み取ろうと、日々努力を惜しまぬ藤内の姿を、私は特に咎めることなく薬指で紅を伸ばす。
 だが、静かな作法室の障子戸にさっと影が走ったことで、私は視線を喜八郎の肩越しにそちらに向ける。
 小さな影は何を言う訳でもなく立ち止まったまま、動こうとしない。
 足音無く現れた小さな影の犯人と言えば一人しか浮かばず、私は小さく溜息を吐いた。
「立花先輩?」
 なんですかと言うようにこてっと首を傾げた喜八郎に、私は何でもないと言うように笑みを浮かべると、障子戸を見つめ直した。
「何か用か?」
「……少し、良い?」
 帰ってきた声はどうにもか細い。
 力ない声に藤内は一瞬きょとんとしたものの、その声の主が片桐だと気付いたのだろう、慌てて立ち上がった。
 藤内が障子戸を開けると、少し困ったように微笑む片桐が居た。
 静かな作法室にまさか藤内まで居るとは思わなかったのだろうか。
 喜八郎はそのままぽてりと後ろ向きに倒れ、片桐を視界に入れると「おやまあ」といつもの声を上げていた。
「どうかされましたか?片桐先輩」
「立花に用があったのだけど……ちょうどいい……のかもしれない」
「?」
「藤内、夏休みの予定は決まっている?」
「いえ……残って予習でもしてようかと」
「実習、また行く気はある?」
「海美姉さんの所ですか?い、行きますっ」
 緊張しながらも答える藤内を見ながら、私は喜八郎の腕を引いて起き上がらせる。
 海美と言うのは、確か片桐が二月に一度くらいに忍務で行く、陰間の少年の名ではなかっただろうか。
「二人も、付き合う気はない?一月かかってしまうかもしれないけど、来るなら特別に単位を出していただけるそうよ」
「実習ですよね?夏休みなのにですか?」
「そう。と言っても、実習なのは藤内だけ。お前たちは忍務ね」
「……何かあったのか?」
 そう問えば、喜八郎の問いに答えていた片桐の表情が消え、斜め下を俯き加減に見つめた後、小さく首を横に振った。
「……片桐先輩?」
「藤内」
「はい」
「……海美が、殺された」
「っ」
 ひゅっと藤内が息を飲む。
 その様子を見て、片桐の手が藤内の頭を撫で、小さく「ごめん」と紡いだ。
 詳しく話をするためだろうか、片桐は室内に入ると障子戸を閉め、藤内の背を押しながら私たちの方に歩み寄った。
「海美と言うのは陰間とは言え一般人だろう。一体何があった」
「海美の客に忍が居る。どこの忍かは知らないけど、そいつ狙いの奴が海美から情報を得ようとして忍び込んだみたい。たまたま別件の忍務で店に来ていた利吉さんが間に入ったらしいけど……」
 首を横に振った片桐に背を撫でられながら、藤内が声を堪えながら小さく嗚咽を零す。
 片桐が演じた海美ではあったが、海美と言う少年は大らかで明るい少年だと思った。
 何故か関西の言葉を紡ぎ、陰間であることに誇りを持っているような、まだ年若い少年。
 私と違い実際に本人に会ったのであろう藤内が泣くのも仕方のない事なのかもしれない。
「海美の遺言で犯人を調べることになった。海美が死んだことはまだ公表されていないから、私が海美に変装して、夏休みの間に再び犯人を呼び寄せる」
「そんな危ない事に藤内を連れて行くんですか?」
「危ない事ではあるけれど、私は藤内を高く買っている。それに、この忍務には他にも六年ろ組の赤間景清と島津京司郎、六年は組の川田宗次郎、五年ろ組の福屋文右衛門も随行する」
「どういう組み合わせだ」
 赤間は確かほ組だと聞いたことがあるし、福屋もほ組に入ったと言うのは聞いた。だが残り二人はほ組ではない。
 それには組の川田と言えば勘三郎と良く委員会の最中に喧嘩をし、六郎太を泣かす常習犯の一人だ。
 体力馬鹿ではあるが……用心棒役か?
 島津は刀馬鹿だが、そこ以外は割とまともな奴だからいいとして、あの川田に用心棒役が務まるのか?
「忍務は飽く迄犯人を調べる事。捕えたり殺すためではないから、身を守る必要はあるけど深追いをする必要はない」
「何で調べるだけなんですか?その海美って人、よくわかんないです」
「喜八郎、その忍の狙いを聞いていたか?海美の客の忍だ。つまりは海美が懇意にしている客に危険を知らせたいのだろう」
「なーるほど。でも藤内が危ない事に変わりなくないですか?」
「片桐と一緒に行くんだ、そう問題はないだろう。川田は馬鹿だが実力があるのは認めよう。その忍務、人数はそれだけにするつもりか?」
「あまり情報を広げたくない。けど、最後の機会になるかもしれないから、藤内と作兵衛を連れて行くように言われてる。二人は本人たち次第だけど」
「ふむ。では私も行こう」
 そう言うと片桐は目を見開き、私を見上げる。
「春休みも帰らなかったのにいいの?」
「まだ秋休みも冬休みもあるから構わん。それより福屋は大丈夫なのか?忍務にはもう出ているようだが、連れて行けるほど安定はしているのか?」
「本人が希望したし、依頼主もそう希望している」
「……本人が?」
 詳しくは聞かなかったが、どうにも知りたがりの私は伊作から福屋の件を聞き出していた。
 自分の目の届かないところで気を使ってやってほしいと交換条件付きではあったが、福屋と仲の良い竹谷たちが中心となって少しずつ克服しようとしているのは見て取れる。
 だがいきなり陰間茶屋への忍務はどうなのだろう。
 恐らく赤間と共に隠密組か片桐と共に潜入組なのだろうが、どちらにせよ福屋が耐えられるのかどうか怪しい。
 福屋がそれでも克服しようと希望したのだろうと言う事はわかるとして、依頼主がそう希望したと言うのはどういう事だろう。
「じゃあ僕も行きまーす」
 問おうとしたところに片手を上げて宣言した喜八郎に思わず額を押さえた。
「三年生の藤内が行くんならいいでしょう?」
 片桐の横から藤内を奪うと、喜八郎は満足そうに藤内をその腕に抱え込んだ。
 ……お前、本当に藤内だけはお気に入りだな。そんなに毎度懲りずに迎えに行く藤内が好きかお前は。
「着いてくるのは構わないけど、新造として連れて行くけど良い?」
「陰間茶屋って行ったことないですけど大丈夫だと思いまーす」
「実技自体は五年以上の自由参加だからな……まあ、喜八郎なら問題ないだろう。それより片桐」
「何?」
「鉢屋はついてこないのか?」
「三郎はきり丸のバイトの手伝い。迩蔵にも同じ理由で断られてる」
「……ほう。それは面白いネタを貰ったな。しばらくはそれでからかってやろう」
「止めて」
 不機嫌そうに睨む片桐にからからと笑い、私は指に着いた紅を懐紙で拭い、道具を片付けてくる。
「喜八郎、続きはまた後日だ。明日からしばらくは作法委員の活動は休止して、最低限の茶屋での作法を教えてやろう」
「は〜い」
「藤内、お前は富松にこのことを後で伝えるように。今頃委員会の最中だろうから、決して食満に気取られるなよ」
「はい」
「……で、いいか?」
「ん」
 問題ないと言うように、片桐はこくりと頷いた。
「今日は解散だ。二人とももう戻りなさい」
「はーい」
「はい」
 二人が立ち上がり出ていくのを見送り、私は化粧箱を横に避けた。
「で、まだ話がありそうだが……どうした?」
 足音が去っていくのを目で追うように見つめた後、片桐はいつものように顔を“色葉”の顔に変えた。
 膝立ちになって私に方に寄ってきたかと思うと、片桐はぽすっと私の胸元に頭を押し付けてきた。
 抱きしめろとでも言うような催促に、思わず笑いを堪えながら片桐の背に手を伸ばせば、片桐は小さく息を吐き出した。
「疲れたのか?」
「そうかもしれないわ」
 何時になく気弱にそう言った片桐は、小さくふふと笑った。
「ねえ立花」
「なんだ」
「私、わからなくなったわ。どうして私は男として生まれてきたのかしら……あの子はちゃんと男として生まれていたのに」
「……誰の話だ?」
「海美」
「?」
「一人目は天女様。二人目が私。三人目は海美よ」
「待て。それは藪ケ崎先生が殺してしまったと言う順……だよな」
 何故そこで海美―――陰間の少年の名が挙がるのだ。
 三人目はくノ一教室のイロだと春休みに確かに片桐の口から聞いたはずだ。
「本名は紫藤海美……久々知と同じ年だと聞いたわ」
「では、イロは?」
「……わからない」
 片桐は小さく首を横に振った。
「海美もちゃんと記憶を思い出したわけではないと言っていたわ。それ以上は聞いてない」
「そうか」
 すべては闇の中と言う事か。
「立花……私は間違っている?」
「それは、何の事を指して言っているんだ」
「……兵助の事」
「告白でもされたか?」
「!」
 片桐はぱっと身を起こすと、驚いた顔で私を見上げた。
「私も最初はただ懐いているのだと思っていた。だがな、中原先輩の件で久々知は間違いなくお前への恋を自覚し始めた」
「……そう」
「それにな、あいつは言っていたよ。自分は片桐を好いていると。支えになりたいのだと……はっきりとな」
「でも私はそれを望まない」
「それは、久々知がお前の知る“久々知”とそっくりだからか?」
「……そうよ。そっくりすぎて、嫌になる。私は女ではないのだと言われているような気さえする」
「お前とお前の知る“久々知”はライバルだったのだろう?」
「ライバルよ……でも……“久々知”は……“久々知”が……同じ声で言うの」
 両耳を塞ぐように手を伸ばし、片桐は小さく震える。
「私の何を愛していると言うの?私は片桐三喜之助でも鉢屋三喜之助でもないのにっ」
「お前が何者を装っても、私も久々知もお前を愛しているよ」
「そんなの変だっ」
 じたばたと腕の中でもがき出した片桐の背を私はぽんぽんと撫でた。
 私よりも倍生きているはずだと言うのに、“色葉”は何も知らない子どものように癇癪持ちだ。
「変じゃない」
「お前がそう言おうと気持ち悪いじゃない!」
「それはお前がそう思っているからだ。お前が女だろうと男だろうと私はお前を愛しく思うし、この腕に閉じ込めておきたいと思う。お前の祖父母が与えてくれた愛が私に教えてくれる。……お前は優しい子だと」
「っ」
「お前の目に感情がないなんて、そんなことはない。お前は知っても納得していなかっただけだ。今のお前の瞳は、とてもよく感情を映しているぞ」
 両頬に手を添え、顔を持ち上げると、涙に潤んだ瞳が私を見上げる。
 その瞳に舌を這わせると片桐は身体をびくりと強張らせ、ぽかんと私を見つめる。
「お、お前、ば、馬鹿じゃないの!?」
「ふん。涙は引いたようだな」
「泣いてない!」
「ふ……はははっ」
「なにがおかしいのよっ」
「ほら、お前はこんなにも感情豊かだ。大丈夫、お前は何者でもないお前だ。存在を示すための名に縛られるな」
 今度は目尻に唇を落とすと、片桐は素直に目を閉じた。
「選ぶのはお前だが、私はお前を手放したいとは思っていない。それだけは忘れるな」
「……うん」
 こくりと頷く片桐に一先ずは満足して、ようやく唇を重ねる。
 “色葉”の知る“久々知”が、“色葉”にとってライバルでありながら、愛を語っていたのだとすれば、本当に久々知は強敵と言えるだろう。
 だが変わり始めた片桐に惹かれているのは、何も久々知だけではない。
 こんなに側に居てもすり抜けていくかもしれない少年の身体を持つ少女は、手放しがたいほどに愛しい。
 この私がこんな感情を抱く等……一年の頃からは想像出来ないな。
「……何が可笑しいの?」
「お前が愛しすぎるのだ」
「……意味が分からないっ」
 照れたらしくふいっと視線を逸らした片桐にくつくつと笑いながら、私は片桐の身体を畳みの上にそっと押し倒した。



⇒あとがき
 やっぱり出張る仙様。兵助もうちょっと頑張れっ。←お前ががんばれ
 とりあえずようやく出せた喜八郎ですが、なんか藤内に構いすぎですね。別にCPは意識してません。
 喜八郎=藤内だけは可愛がってると言う印象が何故かインプットされてるだけです。
 でもちゃんと兵太夫と伝七も可愛いんだよ。変わり者っ子は懐いてくる後輩が可愛いんだー!!みたいなのが私が書く話ではよく見られるパターンってことでお許しください。
20101207 初稿
20221104 修正
    
res

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