第捨話-1

 水無月の中頃に行われた三年生の実習の後から片桐先輩は変わった。
 実習で監督をしていた関係からか、富松と浦風の二人と今までにはない親密さで接する片桐先輩は、外見的変化はないものの確実に口数が増えた。
 一寸前なら三郎だけの十八番だった入れ替わりを三年としては、けらけらと笑う片桐先輩を遠くから見ている私は、逆に変わっていないのかもしれない。
 日数はそう経っていないとはいえ、相変わらず背が伸びることのない片桐先輩は、支えに立花先輩を選んで、拠り所に三年の奴らを選んだのだろう。
 今まで親交が少なかったはずの、神崎や次屋と言った他の三年生とも共に居るようになった。
 相変わらず、片桐先輩は私を通じて誰かを見ている。それが変わらないことは悲しいけど、どこかほっとしていた。
 私に重ねている誰かが居る限り、片桐先輩はまだ私を見てくださる。
 だけど片桐先輩がその誰かを忘れようと決意したならば、その時私は―――

「兵助」

「!?」
 突然声を掛けられて私ははっと後ろを振り返る。
 そこにはきょとんとした顔の片桐先輩がいた。
「もしかして考え事してた?」
「あ、いえ。ちょっとボーっとしてただけなので……何か用でしょうか?」
 わざわざ五年生の長屋まで足を運んできたのだからと立ち上がろうとすると、片桐先輩が片手でそれを制した。
「少し相談したいことがあるのだけど、良い?」
「構いませんが……」
「ありがとう」
 片桐先輩はそう言うと、私の隣に腰を下ろした。
 普段委員会でしか隣に居ることを許してくれない片桐先輩の行動に驚いていると、片桐先輩は小さく笑った。
「そう緊張しなくていい。思えばこうしてのんびり座って話すことなんてなかったものね」
「そうですね。……それで、相談、とはなんでしょうか?」
 そう問えば、片桐先輩はちらりと辺りの気配を探るように視線を動かし、私を見上げた。
 委員会の活動で見慣れていた視線の位置が妙に気になって胸が騒ぐ。
「お前、色の実技授業、もう終わった?」
「え?」
「終わったの?終わってないの?」
「お、終わりました!」
 ずいっとにじり寄られて少し仰け反りながらそう答えると、片桐先輩は「そう」と答えてまた庭先を見た。
 思わずほっと息を吐き出し、片桐先輩の視線を追う。
「福屋の事、聞いたんだって?」
「あ、それは……はい」
 色の実技の話が上がった際、様子がおかしくなった文右衛門に八左ヱ門が問いただし、ほ組の事は出さなかったものの忍務で男に組み敷かれてからどうにも駄目なのだと聞いた。
 最初そんな事があったなんてと私たちは当然驚いたし、どうにか前向きになろうとしている文右衛門にも驚いた。
 私たちの中でも一番男臭い八左ヱ門と同じ布団で寝ると言う、良くわからない慣れの特訓をしようとしているらしいのだが、八左ヱ門は時折青あざを作ってるのが進歩のない証拠と言うか……。
 文右衛門、見た目に反して私たちの中で一番男前だしなあ……特に剣術の成績なんて学年で一位だし、体術の成績だって私たちの中じゃ一番だ。
 ……性格は八左ヱ門の所為か割と母親っぽい世話焼きけど。
「先生にも相談されて、褥の見学をさせたらどうかと思うんだけど、どう思う?」
「どう思うと言われても……」
「でも実際そう言う状況で情報収集する実習が多い」
 ほ組の事だろう話に、私はちらりと片桐先輩を見る。
 何を考えているのかはよくわからないけど、この小さな身体で見知らぬ男を銜えているのだろうかと思うと腹が煮えるように熱くなった。
 それが嫉妬なのだとわかっては居るのだけど、口にする事は出来ない。
 片桐先輩が色忍志望なのは、この間の実習以降に上級生の間では有名な話だ。流石に話題が話題なので下級生には伏せているが、知っている奴は知っている。
 中には片桐先輩を色忍志望だと嘲る奴も居るけど、流石に黒ノ江先輩の前でそんな態度を出すわけもない。そう言う訳で、黒ノ江先輩は上級生の間では珍しく、その話を知らないらしい。
「平にはまだ早いし、お前、代わりに福屋と一緒に見学する気はない?」
「ええ!?」
「お前なら気心知れているだろうし、事情も知っているでしょう?」
「それはそうですけど、でも……」
「嫌でもそう言う忍務、これから先増えてくる。実習が終わったなら尚の事」
「それはわかっています」
「だったら、引き受けてはもらえない?」
「……三郎だっているじゃないですか」
 喉が妙に乾いて言葉が上手く紡げない。
 三郎だってほ組の補助生徒だ。話が上がるなら私よりも先に三郎のはずだ。それなのに何故私に話が回ってきた?
 考えれば嫌でもわかる。もう私は幼いままではないのだから。
「三郎と私の褥を見せるのだもの。三郎が福屋と一緒に見学できるはずないじゃない」
 さも不思議だと言うように首を傾げる片桐先輩に、思わずかっと来た。
 片桐先輩には私の想いなど一欠けらも届いていなかったのだろうか。
 こんなに愛しいと思っても、あんなに悩み苦しんでも、片桐先輩の目に映る私が久々知兵助と同じ名で、同じ姿である限り駄目なのだろうか。
「……兵助?」
「何でっ……」
 私は名で呼ばれ、奴は久々知と呼ばれている。
 それなのに、何故私がこんなに劣情を抱かねばならないのだろう。
「へい……」
 私は片桐先輩の手を引き、腕の中へと閉じ込めた。
 私なんかよりも小さな体は簡単に腕の中に納まるのに、片桐先輩の瞳に私が映ることは少ない。
 こんなにも側に居るのは私の方なのに、片桐先輩の頭の中を占めるのは私の知らぬ“久々知”だ。
「片桐先輩は酷いですっ……私は貴方が一等好きなのに、三郎と?……貴方の前に居るのは私だ。“久々知”なんかじゃないっ」
 ぎくりと片桐先輩の身体が強張るのが嫌でもわかる。
「片桐先輩、お願いですから私を見てください」
 身体を離し、目を合わせると片桐先輩の大きく見開いた瞳が揺らぐ。
「貴方を愛してるのは私だ」
 片桐先輩は喉をひくりと鳴らすと、小さく呟く。
 止めてくれ……私は貴方の知ってる“久々知”なんかじゃない。貴方の後輩で、貴方を愛してる久々知兵助なんだ。
 そう想いながら重ねた唇に片桐先輩が身じろぎをする。
 誰が通るかわからない長屋の廊下だと言うのに、私は片桐先輩をその腕に閉じ込めることに精一杯になっていた。
 小さな唇を無理やりに開こうとすれば、片桐先輩は抵抗を見せる。身体が小さく震え、きゅうっと瞑り、睫毛を震わせる瞳すら愛しい。
 だけど片桐先輩は突然に私を突き飛ばし、自分でも感情を持て余しているのか、真っ赤な顔を隠す様に手の甲で唇を拭って走り去ってしまった。
 ……こんな風に想いを告げるつもりなんてなかったのに。最悪だ。


  *    *    *


「あれ?今のって……」
 外から五年生の長屋に戻ろうとしていた僕の横を誰かが走り抜けていった。
 深緑の制服であの背の小ささはただ一人、片桐先輩だけだと思うけど……なんで五年生の長屋の奥の方から駆けて行ったんだろう。
 確か三郎は補習で忍務を受けることになった体育委員の代わりに、明日のコースの下見に行かなきゃいけないとかで、授業が終わると同時に七松先輩に強制連行されていったはずだ。
 他に片桐先輩が五年生長屋に来る理由と言えば、僕と兵助位だけど……兵助に用事だった……にしてはなんか変だったなあ。
 片桐先輩が敷地内を走ってるところなんて殆ど見たことないから、なんだかもやもやとしたものが胸を過る。
 思わず立ち止まって首を傾げていると、今度は廊下の方から随分と軽い足音が聞こえてきた。
 振り返って見ると、小さな水色の井垳模様の制服を身に纏った小さな二人組が居た。
 確か一年は組の二郭伊助くんと黒木庄左ヱ門くんだ。
 二郭くんは、火薬委員で綺麗好きでお掃除上手な染物屋の子。黒木くんは学級委員長でいっつも冷静な炭屋の子。
 委員会繋がりで兵助、三郎、乱太郎の三人から聞いた話を総合して覚えたから間違いないと思う。
「あ、福屋先輩!」
「こんにちは」
「こんにちは、二郭くん、黒木くん。五年生長屋に何か用事?」
「片桐先輩を探してるんです。黒ノ江先輩が久々知先輩の所に行ったって仰ってたのでこちらに」
「委員会の用事?大変だね」
「あ、いえ……片桐先輩にお客さんが来てるんです」
「お客さん?」
「学園長先生の庵に居るんですけど、片桐先輩って委員会のない日って捕まらないことの方が多いから、は組の皆で協力して探してるんです」
「久々知先輩はいらっしゃいますか?」
「居ると思うけど……片桐先輩ならさっき走って向こうに……」
「えー?じゃあすれ違い?」
「でもすれ違わなかったよね」
「長屋の外を走って行かれたからね。二人じゃ追いつくのきついだろうし、僕が代わりに伝えておくよ。片桐先輩にお客さんが来てて、学園長先生の庵にいるんだよね?」
「はい。よろしくお願いします」
「お手数をおかけしますが、お願いします」
「いえいえ」
 乱太郎も丁寧な子だけど、この二人もしっかりした子たちだ。
 特に黒木くんなんて、とてもあの三郎の後輩には思えない!
 ……まあ、学級委員長委員会の委員長には忍たま一男前な黒ノ江先輩がいらっしゃってるけど。
「じゃあね」
 とりあえず早く追わないと追いつけなくなるだろう。
 僕は落とし穴に細心の注意を払いながら片桐先輩が走っていた方へと向かった。
 確かこの先には、乱太郎と同じく委員会の後輩である伏木蔵が、良く日陰ぼっこをしていると言う、一ろ出現スポットと言う微妙に心臓に悪い場所があるはずだ。
 あんまり言いふらしちゃだめなんですけどねーと伏木蔵が言っていた場所に向かうと、その手前の建物の陰で蹲っている小さな影を見つけて足を止めた。
「……片桐先輩?」
 恐る恐る声を掛けると、片桐先輩はびくりと肩を揺らし、ゆっくりと小さく頷いた。
 どうにも様子が可笑しくて歩み寄ろうとすると、片桐先輩が首を横に振った。
 近づくなと言う事だろうか。
 もう一度足を止め、僕はとりあえず伝言を伝えることにした。
「片桐先輩にお客様がいらっしゃってるそうです」
「……誰?」
「すいませんそこまでは……。ただ、学園長先生の庵の方にいらっしゃるそうなので、忍務関係かもしれません」
「……四半刻したら行くと伝えて」
「……はい」
 片桐先輩の声は、いつもの抑揚のなさとは違う沈み具合を感じながらも、僕は学園長先生の庵に向かうべく片桐先輩に背を向けた。
 途中、一ろの誰かに会えたなら、片桐先輩の所に行くように伝えられればいい。
 そう思いながら歩いていると、ちょうどこちらに向かってくる青白い顔をした一年生が居た。
「あ……」
 僕の姿を見ると思わず足を止めるその姿に僕は首を傾げた。
「こんにちはぁ」
「こんにちは。ろ組の子?」
「はいぃ……あのぉ……先輩は五年生の……」
「僕は五年ろ組の福屋文右衛門。伏木蔵と同じ保健委員だよ」
「ああ……えっとぉ……一年ろ組の下坂部平太ですぅ」
「丁度良かった。あのさ、君たちが日陰ぼっこしてるところに片桐先輩がいるんだけど、傍に居てくれる?」
「片桐先輩がですかぁ?」
「そう。何かあったみたいで、僕じゃ話しかけ辛かったし、僕これから用があるから……とりあえず傍に居てくれるだけでも十分だと思うからお願いしていいかな?」
「はいぃ」
 返事をしながら、片桐先輩が心配なのか下坂部くんはとことこと走り出した。
 さっきまでののんびりした足取りはどこへ行ったのやら……一人にしてとは言っていなかったから、誰かがついていた方がいいと思う。
 心細い時は誰かが居てくれた方が安心するから。
 僕は医務室で過ごした数日を思い出しながら再び歩き出した。


  *    *    *


「学園長先生。五年ろ組の福屋文右衛門です」
 障子の前で膝を付きそう声を掛けると、部屋の中で誰かが息を飲むのを感じた。
 学園長先生ではなく片桐先輩の客人だろうことはわかったけど、何故だろうと首を傾げるのを堪えた。
「……入りなさい」
「はい。失礼します」
 すっと障子を開き中へと入ると、先に戸を閉めて頭を下げた。
「して、どうしたのじゃ」
「片桐先輩が所用でこちらに来ることが遅れますのでご連絡に」
「ふむ……片桐は何か言っておったかの?」
「四半刻ほど待たせると」
「そうか」
 報告が終わり、ちらりと客人を見た。
 恐らく山田先生とそう変わらないくらいの年頃の男性で、何故か僕を驚いた表情でまじまじと見つめている。
 僕から口を開いていいものか思っていると、向こうがはっと先に我に返って謝罪を口にした。
「いや、すまないね。まさかあの時の子がこんなに大きくなってるとは思わなかったから……」
「……え?」
 僕は改めて客人の顔を見るけど、さっぱり記憶にない。
 思い出そうと米神に指を添えると、つきりと痛みが走った。
 ……まただ。
 目が覚めて善法寺先輩と話していた時と同じだ。
 混乱したままだった僕が叫んだ“海美”と言う人物が誰か聞かれても思い出せず、こんな頭痛を覚えた。
 この頭痛に僕は覚えがあった。
 小さい頃の事故が原因で記憶を失くしたらしい僕は、それ以前の事がどうしても思い出せない。
 思い出そうとすると、こんな風に頭痛がして、それ以上思い出さない方がいいのだろうと思わせる。
 記憶を失う以前の事は、両親も知らない。元々今の両親は、飽く迄僕を拾ってくれた人だから。
 だからもしかしたらこの人は僕の失われた記憶を知る人なのかもしれない。
 なんとなく、そんな予感がする。
 ここは忍たまらしく、探りを入れてみよう。
 僕は静かに決意して顔を上げた。
「すいません。ちょっと偏頭痛があって……えっと、お久しぶりです」

 その人との話で、僕はようやく記憶を取り戻し、にこりと装った笑みを崩すことになるのはそれからほんの少し後の事だった。



⇒あとがき
 はいきました兵助のターン!まだまだいくおー!!!
 本当は三郎と兵助を喧嘩させたかったんですが、それよりも平太出したい病が発病したんで引き継ぎに福屋くんに出張っていただきました。
 ……雷蔵だしゃよかったと思った私、超今更!
 まあでも雷蔵には雷蔵の役割ってものが後半に待ってますんでお楽しみに!……忘れたらごめんね!たまに伏線張って放置するから!!←
20101202 初稿
20221102 修正
    
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