第捌話-1

 四半刻も経ってはいないだろうが、先ほどから六年は組の教室の入り口に一人の少年が居る。
 どうしようどうしようと言った様子で、扉に隠れている少年の井垳模様の制服が微妙に見えるのを、は組の生徒全員でこっそり観察していた。
「……可愛いね」
「だろ?」
 気付かれないように小声で言葉を交わしたのは、伊作と留三郎の二人だ。
 隠れきれていない少年が、一年ろ組の下坂部平太であることはすでに判明しており、恐らくおつかいの一環だろうと皆自分から声を掛けていない。
「いい加減、声掛けてあげた方がいいんじゃない?」
「だが本当におつかいの一環だったらどうする」
「でももうすぐ始業の鐘鳴らない?」
 心配する伊作を喜郎が窘め、でもと風早が口を挟む。
 留三郎は委員会の可愛がっている後輩と言う事もあってか、一人可愛さに身悶えている。
 いつか留三郎が危ない道に走るんじゃないかと、迩蔵が憐れむ様に留三郎の背を見つめているが、言う気はない……と言うよりも眠いのかうとうとしている。
「平太ー」
「あ、三喜之助てめぇ!」
 私が声を掛けると、留三郎が即座に私に怒鳴る。
「三喜之助せんぱぁい」
 一瞬びくっとなったものの、呼んだのが私だと分かると、平太はぱたぱたと教室の中に走り込んできて私に体当たりするように抱きついてきた。
「三喜之助先輩っ」
 よしよしと背を撫でながら留三郎を見上げれば、留三郎が完全に固まっていた。
 伊作は目を丸くし、他の奴らは不思議そうに私と平太を見ている。
「日陰ぼっこ仲間」
「変な交友関係を作るなっ。紛らわしい!」
 喜郎が怒鳴ると、平太がびくっと怯え、留三郎が我に返って喜郎を怒鳴り返していた。
 委員会ではよくあるけれど、普段の教室ではしない留三郎の行動に喜郎は驚いた後、汚物でも見るような目で留三郎を見ていた。
 何気に喜郎が酷いのは、気のせいではないと思う。喜郎だから。
「私に用事?」
「いえ〜。おつかいですぅ」
「六年生の教室に来ることが?」
 伊作が問えば、平太はふるふると青い顔を横に振った。
「学園長先生が、各委員会の委員長を呼んでくるようにって……だから僕、三喜之助先輩を呼びたくて、六年は組の教室に立候補したんですぅ」
 伊作は苦笑しながら、平太の言葉に泣きそうに顔を歪ませた留三郎にちらりと視線を向けた。
 お前、慕われてないのね。
「い組とろ組には誰か行ったの?」
「い組は伏木蔵と孫次郎で、ろ組は怪士丸ですぅ」
「ほら留さん、僕の所の後輩も薄情だから立ち直ろうね」
「お前のところは元々薄情だろ。平太ー」
 留三郎はついに耐え切れなくなったのか、私ごと平太の身体を抱きしめると言う暴挙に出た。
「け、食満先輩!?」
「止めて、変態」
「誰が変態だ!……つか、お前平太より体温あったかいってどんだけガキ体質なんだよ」
「惚れるなよ、変態」
「だから変態じゃないし惚れるか!」
「はいはい二人とも。下坂部くんが怯えてるから、学園長先生の所に行こうね」
 喧嘩両成敗と伊作は私と留三郎の頭をこつんと叩いた。
「お前ら家族漫才はよそでやれ」
 呆れたような声が教室の入り口から響き、私は教室の入り口を見た。
 そこには柱にもたれかかる立花の姿があった。
 その後ろには苦笑する鬼桜丸と、眉間に皺を寄せて腕組みする潮江と、あらぬ方向を見ている吾滝の三人が居た。
 少し視線を下ろせば、青い顔だけどどこか楽しそうな伏木蔵の姿が鬼桜丸の隣にあり、孫次郎は吾滝の制服を逃すまいと必死に掴んでいる。
「いさっくんたち早く早くー!」
「小平太、二ノ坪くんが死にそうだから離してあげて!」
 ひょこっと顔を出した七松の腕の中で、すでに魂を飛ばしかけている怪士丸を、中在家が魂を回収して口の中に戻していた。
 最近の一年生は妙に器用な真似をすると、私はその動作を見なかったことにした。
「すっごいスリル〜」
 この状況を本気で楽しんでいるらしい伏木蔵は一種の病気なのかしらと思わずにはいられなかった。
「三喜之助先輩」
「何?」
「もう一回……さっき、の」
 もじもじとお願いしてくる平太に、私は平太の身体を抱きしめてぽんぽんと撫でた。
 ふと強い視線に気づいて鬼桜丸を見ると、鬼桜丸ははっと我に返って誤魔化す様に咳払いをしていた。
 そう、今の行動は可愛いもの好きな鬼桜丸的のドツボだったのね。今度平太を鬼桜丸が居るときに部屋に招いてあげようかしら。
「とりあえず学園長先生の庵に行くから、小平太と片桐は一年生を解放しろ」
「えー?」
「……平太」
「はぁい」
 しょんぼりする平太の身体を離し、私は立ち上がる。
 駄々を捏ねた七松には、中在家が小声で「一年生だって授業がある」と説得していた。
「じゃあね」
「三喜之助先輩、またいつものところで」
「ん」
 頷くのを確認すると、少し名残惜しそうではあるけれど、平太は他のろ組の子たちの所へと走って行った。
 七松に解放された怪士丸は、自分の身体よりも小さな伏木蔵の背中に隠れるようにして去って行った。
 よほど暴君と恐れられる七松が怖かったんだろう。
 孫次郎は鬼桜丸に掴んでいた裾を渡していく辺り、吾滝の迷子がどれほどか、まだ一月と少しだと言うのにしっかりと理解しているのだろう。
 吾滝、思いついた方向へと進もうとするからしっかりしてほしいものだと思う。
「……伏木蔵ってなんか大物だなあ」
 どこか遠い目をしながら、伊作がぽつりと呟いたので私はその背をポンと叩いた。
「だってろ組だもの。七松が悪い例」
「それって私を馬鹿にしてるの?」
「七松鬱陶しい」
「片桐は相変わらず辛辣だな!でも好きだ!」
「理解できない」
 にこにこする小平太に呆れながら、私は鬼桜丸の隣に寄り、袖を引いた。
「ああ、行くか」
「ん」
「そして勘三郎、お前は逆方向に進むんじゃない」
 袖から首根に持ち替え、鬼桜丸は吾滝を引きずるように歩き出した。
「鬼桜丸ずるーい。いいないいなー」
「煩い七松」
「小平太ー俺とこの状況変わるか?」
「断る!」
「えー?」
 きっぱりと即答した七松に、吾滝がのんびりとした声で不満を漏らす。
 七松は私に袖を引かれている鬼桜丸を羨んでるのであって、鬼桜丸に首根を掴まれて引きずられるお前を羨んでいるわけじゃないのだから当たり前じゃない。


  *    *    *


「それで、御用とは一体なんでしょうか」
 鬼桜丸が緊張した空気の中話を切り出した。
 学園長先生に突然呼び出された日は、必ずと言っていいほどろくなことにならないことを、皆もう身に沁みつくほど知っているから、正直話も切り出したくはなかった。
 だけど学級委員長委員会の委員長と言う事で、その場にいた全員の視線が鬼桜丸に向いたため、代表して鬼桜丸が話を切り出すしかなかった。
「うむ。突然じゃが、食堂のおばちゃんがぎっくり腰になってしまわれた。これが結構重傷で、二〜三日は最低でもゆっくり養生してもらおうと思っておる。そこで……」
 皆の顔がさっと蒼くなる。
 食堂のおばちゃんが不在の時は、忍者食研究家の黒古毛般蔵先生がやってきて忍者食と言う名のゲテモノ料理が出てくる。
 誰もそんな料理を好き好んで食べたいとは思わないのは当然だろう。
 潮江はブツブツと自分に言い聞かせるように、忍者は食材の多少を選ばず云々かんぬん呟いてるけど、やっぱり嫌らしい。
 その続きに出てくるであろう名前は出来る事なら聞きたくないと思いながらも、全員が学園長先生の言葉に耳を傾けていた。
「委員会対抗料理対決を行う!」
 やはりろくでもない学園長先生の思い付きだった。
 黒古毛先生も嫌だけど、変な所で委員会対抗競技をされても困る。
「何故委員会別なんですか!」
「学年別にすると恐ろしいじゃろうが。一年生とかの」
 全員の脳裏にまず間違いなく一年は組の良い子たちの姿が浮かんだことだろう。
 私の委員会の後輩である二郭はまだ恐らくマシな料理を作るだろう。しかし先日編入してきたばかりの山村や、絡繰り小僧たちがまともな料理を作れるとは思えない。
 それでなくてもトラブルほいほいな彼らを食堂に立たせでもしたら、おばちゃんが復帰しても食堂が使い物にならないなんてことが起こりそうで怖い。
 だけどそれ以上に恐ろしいのは、私たち六年生ではないだろうかと、私は同級生たちをぐるりと見回す。
 道具を壊しそうな七松。学園一の不運体質の伊作。男子厨房に立つべからずを地で行く潮江。辛党な立花。
 ……嫌な予感しかしない。
「どちらにしろ却下です」
「ならん。これは学園長命令じゃ!」
 私と同じ考えを抱いたであろう鬼桜丸の言葉を、学園長先生はあっさり却下する。
「そんなに不味いご飯を食べたいのであれば構いませんが、まず間違いなく体育委員などはおばちゃんの復帰後に食堂が使えなくなります」
「なんでだ?」
 首を傾げる七松に皆も納得したらしく、七松だけが意味が分からないと首を傾げ続け、中在家に「なんでもない」と首を横に振られていた。
「うぐぐ……確かに不味い料理が出来そうじゃし、体育委員は危険じゃが、くのいち教室に頼むと何を盛られるかわからんし……そうじゃ!」
 今度は何をひらめいたのか、まあ何となく予想がつく。
 何しろこの場には怪しげなものを盛らない女子が一人いるのだから。
「おばちゃんが復帰できるまでの食堂を黒ノ江鬼桜丸に頼むとしよう!」
「わ、私ですか!?」
「うむ。それで無事解決じゃ」
 よかったよかったと一人完結して、いつもの如く煙幕を使ってその場から逃げた学園長先生に私は溜息を吐いた。
「今回ばかりは逃げるなよ三喜之助っ」
「……言うと思った」
 さっきとは逆に袖をしっかりとつかまれ、私は宙を仰いだ。
 あからさまに聞き耳を立ててほっとしている先生方の嫌いなものは何だったかしら……嫌がらせの意味を込めて大量に持ってやろうかしら。
「二人とも料理は得意なのか?」
「いや、私はあまり得意ではないんだ」
 がくりと肩を落とす鬼桜丸の腕を、私はぽんと軽く叩いた。
「大丈夫。食べれる」
「慰めになっていないぞ三喜之助っ」
「そう言う三喜之助は料理上手いのか?」
「あれ?留三郎は三喜之助の料理食べたことないの?すごくおいしかったよ」
「前に作った時一緒に居たのは三郎でしょう」
「あ、そっか」
 しかもそれはほ組の課題中での話であって、学園での話ではない。
「片桐の料理ならば安心だな」
「なんだ仙蔵、お前も食ったことあるのか?」
「最近な。実家での片桐は女の頭数だったそうだからな。炊き出しの手伝いなど扱き使われていたそうだ」
「そう」
「でも二人で大丈夫?手伝……うと邪魔になりそうだけど、留三郎とか手伝ったら?」
「いや、俺ちゃんとした料理はあんまりしたことないから、役立たねえぞ?」
「大丈夫。ちゃんと助っ……走りを呼ぶ」
「そこ言い直すところじゃないよね!?」
 伊助の突っ込みを受け流し、私は近くに居た立花へと身体を密着させた。
「なっ!?」
「三喜之助!?」
 驚く立花と鬼桜丸の声を聞きながら立花の顔を見上げる。
 これくらいうろたえさせたら出てくるかと思ったのに、意外に敵はしぶといようだ。
 私は仕方なく立花の懐にそっと手を忍ばせた。
「真昼間から何をやっとるかバカタレィ!!」
「煩い潮江」
 私は目的の物を立花の懐から取り出して潮江に見せる。
「ま、紛らわしい真似をっ」
 額を押さえる潮江に見せたのは、立花お得意の宝禄火矢と火種。
 それを手に立花から離れると、開け放たれたままの庵の廊下へ出て草陰に向かって話しかけた。
「出てこないとこれで押入れの奥にある春画吹き飛ばす」
「片桐くんの鬼ー!!!!」
「くのたま!?」
「イロちゃん?」
「……誰だ?」
 それぞれイロの突然の登場に驚いたり首を傾げたりしているのを背に、私の手を掴んでえっぐえっぐと泣くイロを煩わしげに払った。
「DVなんて酷いです!私の大事な癒しを燃やすなんて鬼の所業です!酷い酷い酷い!」
「喧しい変態」
「うわーん!でも片桐くん好きー!萌えをありがとうございまーす!!!」
「鬱陶しい」
 抱きついてこようとしたイロを避ければ、イロは顔から畳の上に落ちた。
 ……馬鹿だ。
「状況がよくわかんねえけど、そのくのたま呼んでどうすんだ?」
「くのたまに手伝わせるなんて、怪しいもの入れられるかもしんねえだろ」
 思わずと言った様子で腹部を擦る吾滝と、ぞっとするぜと呟く潮江。
「大丈夫。その時はこれでイロの持ってる春画を木端微塵」
「私の萌えに誓って怪しいものは一切入れません!……って言うかあれ高かったんですから、勘弁してくださいよー」
「くのたま一美少女と名高いイロちゃんが春画ってなんの冗談?」
 僕は幻聴を聞いてるのかなと米神を押さえた伊作に、留三郎が現実を受け止めろと肩をぽんと叩いた。
「春画?今度貸してくれ!」
「それは止めておいた方がいいと思うぞ、小平太」
「なんでだ?鬼桜丸」
「イロちゃんの持ってる春画、多分小平太が想像してるものとは違うから」
「えー?私は文次郎みたいに鼻血ぶーってしないぞ?」
「誰が鼻血吹くか!!」
「はっ。春画を初めて見た時に鼻血を吹いたのは事実だろうが」
「ば、バカタレィ!!」
 口喧嘩をする立花と潮江を見ながら目を輝かせ始めたイロの足を、勢いをつけて踏みつけた。
「こいつの春画は全部衆道もの」
「「「「「「え?」」」」」」
「三喜之助の言ったことは本当だ。だから本当見ない方がいいと思うぞ。……あまり直視できるものでないからな」
 苦笑しながら鬼桜丸が言う様に、皆顔を引きつらせている。
 中在家はよくわからないけど、あまり良い顔色ではないのは確かだろう。
「うーん、でも城仕えになったらそう言うのあるって聞いたことあるし、一回見といたほうがいいかな、長次」
「……………」
 何故そこで中在家に振った、七松。
 中在家は微妙そうな顔で「好きにすればいい」ともそもそと呟いた。若干投げやりに聞こえる。
「だよな!やっぱり今度見せて!」
「是非ともお貸しさせていただきます!ところでその噂っての聞きたいんですけど……」
「何年か前の委員会の先輩が言って話だから詳しい内容は忘れた!」
 からからと笑う七松に、イロは残念そうに肩を落とした。
 私はろ組コンビを横目に火種と宝禄火矢を立花へと返した。
「ありがとう」
「お前のそれは天然なのか業となのか時々問いたくなるよ」
 ため息交じりの立花の言葉に私は首を傾げ、「下拵えをしなくてはならないな」と立ち上がった鬼桜丸の後を慌てて追った。
「うわーん!置いていかないでくださーい!」
 その後ろを慌てた様子のイロが追いかけてくる。
 足音がしないだけ前よりはまともに成長しているらしい。……変態の癖に。



⇒あとがき
 一ろと仲良し設定は趣味丸出しの結果です。ごめんなさい。一ろが大好きなんです。
 そして今まで顔を出さなかったショタコン氏……食満さんが顔を出しました。
 伊作は天然っぽいので食満の変態具合をただの後輩好きとしか見ていませんが、夢主と喜郎と迩蔵はだめだこいつとか思ってたらいいな……なんて。
 とりあえず仙ちゃんは夢主に振り回されればいいんだい!
20101118 初稿
20221016 修正
    
res

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