第漆話-1

「あ、いたいた。片桐くー……あっ」
 ぶんぶんと大きく手を振りながら食堂に飛び込んできた、新人事務員の小松田さんは、びたんと床に顔面から転んだ。
 ……今日も見事なドジっぷりだこと。
 新学期が始まり、一年生が入学してから、後少しで一月ほどになるだろうか。
 アニメにあまり興味のない私でも覚えていた、猪名寺乱太郎・摂津のきり丸・福富しんべヱの三人組は僅か一ヶ月余りで、既に沢山のトラブルを巻き起こし、忍術学園で知らぬものは居ないだろうと言われる存在となっていた。
 床に顔面から転んだ小松田さんも、彼らの騒動がきっかけでこの忍術学園に就職したばかりだ。
 三郎様も、随分と一年生―――主に福富を可愛がっているらしく、二人がじゃれている姿を目撃した藪ケ崎先生が、「うわ、懐かしい」と年寄り臭くぼやいていた。
「いたた……」
「大丈夫ですか?小松田さん」
「うう、黒ノ江くんありがとう」
 鬼桜丸の手を借りながら立ち上がった小松田さんは、私の顔を見て首を傾げた。
「なんで走ってきたんだっけ?」
「……馬鹿?」
「うううっ」
「こらこら。三喜之助に用事だったんですよね?文ですか?」
「あ、そうそう!……って、あれ?ない!?」
 鬼桜丸の助け舟は無意味だったようで、小松田さんはぶんぶんと振っていた手を見つめる。
「やっぱり馬鹿」
「片桐くん酷いよ〜」

「小松田さ〜ん!」

 パタパタと走る足音が耳に届いたかと思うと、手紙を片手にした、泥だらけの少年がこちらに向かって来ていた。
「あ、乱太郎くん」
「小松田さん、はいこれ。落としましたよ」
 満面の笑みを浮かべ、少年は小松田さんに手紙を差し出した。
 丸眼鏡に、そばかすだらけの幼い少年。彼が主人公、乱太郎だと気付くのに時間はかからなかった。
 伊作が、委員会の後輩が可愛い可愛いと自慢するから、猪名寺の事は間接的にではあるけどもう知っていた。
「ありがとう乱太郎く〜ん!助かったよ〜」
「それはよかったです」
 猪名寺は、私と鬼桜丸の存在に気づき、一瞬驚いた顔をした後、「はじめまして!」と元気に挨拶をしてきた。
「私は、一年は組の猪名寺乱太郎です」
「ああ、庄左エ門から聞いているぞ。私は六年い組の黒ノ江鬼桜丸だ」
「私も知ってまーす!」
 良い子のノリで返事をした猪名寺は、少ししか身長の変わらない私を見上げてにこっと笑った。
 先輩は?とでも言うような純粋な瞳に、私は特に教えない必要もないかと口を開いた。
「六年は組、片桐三喜之助」
「先輩が片桐先輩だったんですね!善法寺先輩からよくお話を聞いています!」
 元気一杯に答えた猪名寺は、じいっと私の顔を見つめる。
 その表情がとても輝いていた。
 だからと言って何をするわけでもなく、私は小松田さんから文を奪い取り、差出人を確認した。
「……あ」
「菊から……じゃなさそうだな。実家からか?」
「雪乃姉様」
 恐らく忍務か、表向きの女田楽の助っ人のどちらかだろうとは思う。
 裏だろうが表だろうが、内容は間違いなく暗号で書かれてあるだろうから、今読んでも差し支えないだろう。
 文に軽く目を通し、再び紙を折って懐に仕舞った。
「鬼桜丸、ごめん」
「すぐに発つのか?」
「急務。三日……四日ほどで戻れるとは思う」
「そうか」
 残念そうな鬼桜丸には申し訳ないけど、立花に早速頼んでおかないといけないな。
 もしかしたら、編入生が来る前に一人目が来るかもしれない、と言う可能性がないわけではないのだから。
「猪名寺、これいる?」
「いただきまーす!」
 猪名寺に差し出したはずの食券は、勢いよく現れた少年に浚われていった。
 ちょっと油断していたとはいえ、私が気付けないなんて一年生なのに出来る……と思ったけどその顔を見て金銭絡みの時だけと思わず付け足してしまった。
「ちょっときり丸!?駄目だよ!」
「別に貰ってくれるならだれでもいい」
「じゃあいいっすよね!」
「でも、お前誰?」
「あ、すいません。俺は摂津のきり丸です」
「そう……で、その後ろのは?」
 私は、すっと食堂の入り口の柱に捕まって、ぜいぜいと息をしている小太りの少年を指差した。
「「しんべヱ!」」
「ふ、二人とも、早いよぉ」
「こいつは福富しんべヱです。俺もしんべヱも乱太郎と同じ一年は組でーす!」
「……元気ね」
 ものすごく自分の年齢を改めて感じた気がした。
 そう言えば前の年齢十六歳足す、今の年齢十五歳。……合算すると、いつの間にか三十路過ぎてたのね。
「ご飯食べずに行くつもりか?」
「支度も必要」
「それもそうか」
「片桐くん出かけるんだ。じゃあ出門票準備して待ってるね!」
 ぱたぱたと走っていく小松田さんの背を見ながら、一年生と同レベルだなあと思わず遠くを見てしまった。
「いってらっしゃい、三喜之助」
「「「いってらっしゃーい!」」」
 鬼桜丸の声に習い、元気よく送り出そうとする猪名寺たちを、私は思わずじっと見つめていた。
 “一年は組の良い子”と言う単語がふっと脳裏をよぎったのは、きっと気のせいではないだろう。
「ちょっと片桐くん!」
「ん?」
「おにぎり作っとくから、出る前に一回寄りなさい。食べないで出るなんて駄目だよ」
「ん」
 私は了承と言うようにこくりと頷くと、一旦自室へと戻るべく、折角来た食堂を後にすることにした。


  *    *    *


 平成の鏡とは違う、随分とお粗末な鏡に映るのは旅装束姿の“私”。
 雪乃姉様の呼び出しと言う事で、実家での装いと同じを心掛けているこの姿を学園でするのは、そう言えば初めてかもしれない。
「あ、委員会のこと忘れてたわ」
 おかしなところはないか確認をしていたところ、ふと土井先生に頼まれて委員会の召集をしていたことを思い出した。
「……兵助に頼めばいっか」
 さっきは居なかったけど、一旦席を外した間に食堂に来ていれば、用事が一度に済むな、と思いながら私は食堂へと足を向けた。
 まあ、兵助が居なければ、他の火薬委員の誰かにでも伝えられればいい。
 時間はあまりないので、ぱたぱたと忍らしからぬ軽い足音を立てて食堂の入り口を潜ると、短い間に随分人が増えたようで、昼食を摂りに来た生徒たちでごった返していた。
「おばちゃん、おにぎりを取りに来たんだけど、もう出来てるかしら?」
「おやまあ、今日は随分と可愛らしくめかし込んだんだね。はい、おにぎりだよ」
「おばちゃんありがとう。道中おいしく食べさせてもらうわね」
「普段からそのくらい喋ってくれると、私も助かるんだけどね」
「考えとく」
 そう答えると、私は荷物の中におにぎりを詰めて、食堂の中をぐるっと見渡した。
 目的の人物は、見慣れない少女と言う存在に興味はないのか、目の前の豆腐に集中をしている。
 代わりに、その正面に座っていた三郎様が目を大きく見開いて私を凝視していた。
「今日は一段と可愛いんだな。道中気を付けるんだぞ」
 近くの席で、先ほどの三人と一緒に座っていたらしい鬼桜丸が、そう私に声を掛けてきた。
「あら、心配してくれるのね。でも何かあったら返り討ちにするから大丈夫よ」
「そこはらしい恰好をしているんだから逃げておけよ」
「中身は“私”だもの」
 “色葉”だった頃も、女の子だから何かあったらいけないと、痴漢対策程度の護身術は習っていたけど、今は忍者としての術もある。
 見た目は弱そうな“私”でも、元になってる身体は、インドアな“色葉”ではなくて、鉢屋三喜之助なのだからしょうがないだろう。
「流石黒ノ江先輩。くのたまの先輩とも仲良しなんですね」
「くのたま?……はは、違うぞ」
 きょとんとした鬼桜丸は猪名寺の言葉をすぐに理解し、笑った。
「ついさっき会ったのに、もう忘れたなんて、鳥頭なの?」
「とっ……黒ノ江せんぱぁい」
「こらこら。後輩をからかうんじゃない」
「まあこの格好じゃ分かれと言う方が酷よね」
 完璧な女装姿をちらりと確認し、私は用を思い出して鬼桜丸から離れる。
 猪名寺たちには鬼桜丸が説明するでしょう。
「ねえ」
「……なんでしょうか?」
 上級生の探るような視線がとてもわかりやすいと言うのに、兵助は一人豆腐に集中し過ぎだと思う。
 ここは忍らしくきちんと警戒すべきだと思う。もう五年生になるのだから。
「土井先生が、明日授業で使う火薬を準備しておくようにと言っていたわ」
「はあ、そうですか」
「ちなみに明日授業で使うのは、六年い組だから立花の事考えて余分によろしくね?」
 生返事で返していた兵助は、ようやく気付いたのか、ぽろりと箸を落として目を丸くした。
「片桐、先、輩?……えええー!?」
 兵助にしては珍しく大きな声を上げて驚く。
 鬼桜丸には何度かこの姿を見せているので、さして驚きはしなかったけれど、学園ではこの顔を知らないものの方が多いのだから、兵助の驚き様を見て、“私”の正体いて驚きの声を上げる生徒たちがどうにも愉快でたまらない。
「実家に戻るのか?」
「雪乃姉様の所の助っ人よ」
 そう言うと三郎様の表情が陰った。
 別に心配するほどの事ではないと言うのにと苦笑した後、三郎様の頭を撫でた。
「三郎はいい子に育ったわね」
「私ももう十四なんだから、そう子ども扱いするな」
「はいはい。では、行ってまいります」
「ああ」
 ぺこりと三郎様に頭を下げると、私は食堂を後にすべく背を向けた。
「あ、片桐先輩!」
「何?」
 呼び止められたので振り返る。
 まだ混乱した様子の兵助は、何かを言おうとしたけれども、言葉を飲み込んだ。
「……いえ、なんでもありません」
「そう?」
 なんでもないと言う顔には見えなかったけど、まあいいかと私は食堂を出るとすぐに校門の方へと向かった。


  *    *    *


「……あれ、マジで片桐先輩なのか?」
 驚き声を上げた時に立ち上がっていた八左ヱ門は、すとんと椅子に座ると、信じられないと言った様子でぽつりと呟いた。
「信じてないのか?」
「だってどこからどうみても普通に女の子だったし……」
「箸を噛むのは行儀悪いよ、ハチ」
 めっと文右衛門が八左ヱ門を叱る。
 この二人の関係が親子や夫婦みたいに見えるのは、きっと文右衛門のこういった行動によるものが多いだろう。
「変装に関しては私よりミキの方が上だからな」
「そうなのか?」
「私に変装術を教えたのはミキだ。ミキは実家で幼い頃から変装術―――特に女装が得意だったからな」
「三郎もそれに騙された口でしょ?」
「経験者は語ると言うやつだ。諦めろ八左ヱ門」
「……マジでかあ」
 がくりと肩を落とした八左ヱ門に私は首を傾げた。
「何をそんなに落ち込む必要があるんだ?」
「野郎の女装にときめいたなんて、落胆以外に抱く感想あるか?」
「敗北感とか?」
「んなもん上級生にはいつだって抱いてらぁ!」
「ハチ、昨日七松先輩と組手組まされてるから、あんまり触れないでやって」
「そう言う文ちゃんが一番触れてるから!」
 文ちゃん酷ぇ!と八左ヱ門は両手で顔を覆って嘘泣きをする。
 お前ら仲良いな、本当。
「それより兵助」
「なんだ?」
 ずいっと三郎が身を乗り出して顔を近づけてくる。
 思わず仰け反った私の耳を三郎が掴む。
「痛っ!」
「ミキは私のものだからな」
「……は?」
 それ以上言う事はないとばかりに、三郎はぱっと手を離したかと思うと、不機嫌そうに昼食を再開した。
 その横では雷蔵が首を傾げ三郎を見ていた。
 三郎の意図は良くわからないが、実家絡み……なんだろうか。
 私は視線を落とし、半分に減った豆腐を見た。
 胸がつきんと痛んだのは、決して減ってしまった豆腐の所為ではなく、三郎の言葉の所為だろう。
 私は片桐先輩が一等好きなのに、片桐先輩の目に映る私は、誰かの身代わりでしかないのが悔しくて溜まらない。
 本当の意味で必要される三郎が羨ましいのは、私の方だと言うのに……三郎は我儘で、狡い。



⇒あとがき
 主人公が登場したと言うのにさらっと流しちゃいました。すいません。
 一ははまだ全員集合していないためどう書くべきか考えあぐねている最中です。
 兵助は三郎に嫉妬しながらも喧嘩できません。下手に機嫌損ねたら夢主も怒るだろうと考えられる敏い子な兵助。
 ……兵助を心の底から苛めたいっ。
20101116 初稿
20221013 修正
    
res

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