第陸話-3

 美濃の国にある小野田村は、山の傾斜にある狩猟と農耕を中心とした生活をしている人口の少ない村だ。
 戦とは少々縁遠い場所に位置してはいるけれど、村では男も女も幼い頃から弓に触れさせられているため、皆その腕前は確かなものである。
 女が弓を持つのは村を守るため。男が弓を持つのは戦に出るためでもあるのだけど、鉄砲伝来以来その活躍の場は村の中だけに留まりつつある。
 それでもやはり戦に駆り出されないなんてこともなく、僕もまた昔のように弓を手に取る生活をしていた。
 実家には最初の一年居ただけで、後は自活をすべく、村はずれのボロ家を借りて生活をしている。
 自分で畑を耕すし、時折狩りに混ざることもある。
 忍たまだった頃と比べると、忙しいようで随分と長閑な生活をしている気がする。
 まあ裏で忍者間の伝言板や、情報屋みたいなことをやってる以外は、確かに平和と言えるのかもしれない。
「盛孝く〜ん!お客さんだよー!!」
 畦道から掛けられた声に鍬を振りおろし、汗を拭いながら視線を上げる。
 昔から村の入り口にある家に住んでいるおばちゃんが呼んだのだろう。手を大きく振りながら、おばちゃんは畦道を伝って僕の畑の方へとやってくる。
 少し隣には市女笠姿の女性が一人と、小さな女の子が一人。
 二人ともむしの垂れ布で顔はよくわからないけど、あの細身はとても忍には見えない。
 さて女性の知り合いなど僕にいただろうか。
 僕は首を傾げながら、鍬を肩に掛けておばちゃんの方へと歩き出した。
 就職してすぐの頃に、楠原先輩の悪ふざけで富松先輩が女装して遊びに来たことはあったけど、連れがあまりにも小さい。
 それこそくノ一教室の山本シナ先生ほどの腕前の変装術の持ち主でないと、身長までは誤魔化せないのが変装術だ。
「えっと……」
 心当たりのない僕が彼女たちに近づくと、女性の方がぺこりと僕に頭を下げた。
「お久しぶりです、小野田先輩。仙子です」
 やんわりと微笑み、むしの垂れ布をずらしたことで見えたその顔は、僕が忍術学園に居た頃の一つ年下の後輩―――立花仙蔵くんにそっくりな娘さんだった。
 いや、態々仙子なんて名乗ったのだから、彼女、いや彼は立花くん本人で間違いないだろうと思う。
 どうしても筋肉質になりやすい五年生の時期にこの腕前は、思わず舌を巻いてしまいそうなほど完璧だった。
「驚いた。本当に仙子ちゃん?」
「ええ。私も驚きました。怪我はもう大丈夫なのですね」
 ちらりと僕の首元にまで這う包帯を見つめ、立花くんはほっと息を吐いていた。
「まあ大分養生させてもらったしね。今じゃ自分で、こうして畑を持って耕すくらいには元気だよ。それより仙子ちゃんが訪ねてくるなんて珍しいね」
「ああそれは……」
 立花くんはちらりと後ろに視線を向けると、そこに居たはずの女の子は、おばちゃんと一緒に何故か僕たちから距離を取っていた。
「……ミキ、何をしているの?」
「あら、ばれてしまったわおばさま」
「残念ね。折角後は若いもんでって雰囲気になってきたと思ったのに」
「おばちゃん!折角来てくれた後輩に対して変な気を使わないでよ!」
「えー?」
 不服そうな声を上げるおばちゃんに、僕はがくりと肩を落とした。
 普通に仕事ができるようになった頃から、おばちゃんは僕に縁談話を持ってくるようになった。
 身を固める気のない僕に対して、おばちゃんは段々熱を上げて気合の入った縁談話を持ってくるから、今回僕を訪ねてきた初めての女の子に期待が高まっていたのだろう。
 だけど、見た目は女の子だろうと立花くんは男の子なので絶対にそんなことにはならない。
 忍術学園に居た頃のくのたまだって恐ろしかったのに、絶対ないよ!
「でも心配して来てくれたんだから、盛孝くんに気が……」
「ありません」
 きっぱりと立花くんは言いきった。
 ……あんまりにもきっぱりと言い切られて、それはそれでなんだか切ない気持ちになった。
「もう、お客さんの相手するから、おばちゃんまたね」
「はいよ、またね。ミキちゃん、お邪魔虫かなって思ったら、いつでもおばちゃんの所に遊びに来ていいからね」
「おばちゃん!」
 怒られた、とおばちゃんは早足で家へと戻っていき、僕は思わずため息を零すのだった。
「おばちゃんがごめんね。えっと……ミキちゃんは立花くんの後輩かな?はじめまして」
 そう女の子に声を掛けると、女の子―――ミキちゃんは、満足そうににこりと微笑んだ。
「いいえ、お久しぶりですが正解ですよ、小野田先輩。お元気そうで何よりです」
「?」
 誰だろうと首を傾げれば、ミキちゃんは小さく吹き出して笑った。
「私ですよ、小野田先輩」
 ミキちゃんは両手を顔に当て、ぱっと離した。
 無表情と言っても過言ではない能面に、特徴のある麻呂眉。顔だけだけど、それは間違いなく立花くんと同じく、僕の委員会での後輩だった片桐三喜之助くんの顔だった。
 僕はその顔に思わず目を見開き、固まってしまった。
 バクバクと激しい音を鳴らす胸を思わず押さえながら、背筋に走る悪寒に思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「……馬鹿ね」
 表情を変えず淡々とそう言うと、片桐くんは顔をミキちゃんの顔に戻した。
「後悔するくらいならあんなこと言わなきゃいいのに」
 ミキちゃん―――いや、片桐くんはそう言って僕の頬に手を伸ばし軽く抓った。
「本当、馬鹿ね」
 にこりと笑った片桐くんは、本当に気にしてなど居ない様子だった。
 きっと片桐くんの中で何かが吹っ切れたのだと思う。
 僕は思わずほっと息を吐き出した。
「痛いよ、片桐くん」
「あら、ちゃんと加減をしているでしょう?」
 こてりと首を傾げ、片桐くんは僕から手を離した。
 視線が随分と下にあるのが不思議で、じっと片桐くんを見ていると、片桐くんは笠を下ろして「ああ」と呟いた。
「身長、あれから一寸も伸びてませんよ」
「え?」
「嫌なんです。身長伸びるの」
「……成長って、気合で止められるもんだっけ?」
「気合と言うより、ある意味病気でしょうね。新野先生にも良く心配されます」
「びょ、病気!?」
「大したことじゃありませんよ。病は気から。ね?」
「ね?じゃないよ!?それって大したことだよ」
 なんでもないと言うように言う片桐くんだけど、立花くんも目を丸くして固まってるじゃない!
「それも含めて話したいから、こうして小野田先輩の所まで足を運んだんですよ。いつまで客に立ち話を強要するつもりですか?」
「それは謝るけど、もう……女装してても片桐くんは片桐くんだなあ」
「だって根は“私”ですもの」
 くすりと笑った片桐くんは、幼い少女の顔だと言うのにどこか色気を感じた。
 その表情に、僕の胸はちくりと痛んだ。


  *    *    *


「着替えないのか?」
 家の中に入ると、早々に女装から持参していた私服姿に着替えた立花に、私は首を横に振った。
「私からすればこっちの方が落ち着くのよ」
 小野田先輩が淹れてくれたお茶を口に運びながらそう答えれば、事情を知らない小野田先輩は首を傾げていた。
「鉢屋ミキ。それが実家での私の名です。まあ本来ならば、鉢屋三喜之助が正しいんでしょうけど、三つの時に女と育てられることが決まりましたので、それが私の通り名ですね」
「鉢屋って……学級委員長委員会に居た鉢屋三郎くんと何か関係あるのかな?」
「従兄弟です。あちらの方が格上なんですけど、学園では三郎と呼んでいます」
「従兄弟だから興味持ってたんだね」
「まあ基本的に、学園では三郎様と鬼桜丸しか興味がなかったのは確かですけど、前より視野は広がりましたよ」
 小野田先輩は目を一杯に開き、目を瞬かせた。
「小野田先輩が学園を去ってから、色々ありましたから」
「そっか」
 若干身体を強張らせる小野田先輩に苦笑しながら、私は湯呑をことりと置いた。
 立花も座って小野田先輩が出してくれたお茶に口を付ける。
「話すことが多いので、まずは立花が知りたがっていたことから話すことにします。小野田先輩は八森[やつもり]村をご存知ですか?」
「八森村?確か僕が小さい頃に焼き討ちにあった村だと思うけど……その話だったら、多分二人が会ったおばちゃんの方が詳しいと思うよ?この周辺の村々に顔が利くから」
「いえ、別に詳しい話が聞きたかったわけではないんです。もし叶うのならこれを」
 私は懐に仕舞っていた遺髪を取り出した。
「八森村に届けては戴けませんか?私たちは、明日には忍術学園に戻るべく発たねばなりませんので」
「これが誰のものか聞いても?」
 和紙に包まれているとはいえ、触れれば小野田先輩もそれが何かわかったのか、顔を顰めていた。
「八森吉武……小野田先輩の知る名で言えば美濃吉武先輩のものです」
「!?」
「八森村は忍の隠れ里を有した村でした。焼き討ちにあったのは、隠れ里を最後まで守ろうとしたためではないかと思います。もう十年以上前の話ですから、あそこに隠れ里があったことすら殆どの人が知らなかったみたいで、実家の伝手を使ってもあまり情報は得られませんでした」
「……美濃先輩はどうして」
 一年間だけとはいえ、同じ委員会に所属していたことのある小野田先輩は、美濃先輩の死に衝撃を受けているのか、遺髪を見つめ泣きそうに表情を歪めた。
 それでも少し落ち着いてそれを戻すと、そう問いかけてきた。
「私が殺めました。それが忍務でしたので」
「……そっか」
 小野田先輩はぎゅっとそれを握り締め、肩を震わせながら俯いた。
「昨年、クラマイタケ城とアブラタケ城との間で戦があったのはご存知ですか?」
「知ってるよ。僕も参加したからね。あの戦はどこかおかしかった。……それが関わってるのかな?」
 顔を上げた小野田先輩の表情は泣きそうではあったけど、泣いては居なかった。
「おかしかった、とは?」
 立花が問えば、小野田先輩はぽつぽつと思い出す様に当時の状況を語ってくれた。
「あの戦の終盤、今まで表舞台に出てこなかった、アブラタケ城次男の虻良岳良弌[あぶらたけよしいつ]様が突然現れて戦を終戦へと導いた。それからだよ」
 小野田先輩は目を細めて囲炉裏をじっと睨んだ。
「殿と若君の噂はぷつりと消えたのは」
「は?」
 小野田先輩の言葉に、立花は眉根を寄せる。
 近隣国とはいえ、情報が入ってこないわけではない。
 今でも尚、アブラタケ城は戦好きの城で、戦狂いの殿が仕切っている……はずなのだ。
「表向きはね。だけどこの土地に住む人間は皆、殿も若君も表舞台に出ることはないだろうって悟ってるんだよ」
「それは何故ですか?」
「今までなら、毎月と言っていいほど、僕ら平民は戦のために城に召集されてたんだ。だけどあれ以来戦があったのは一度きり。アブラタケ城が疲弊しているであろう隙を着け狙ったドクタケ城との戦だけなんだ」
「そう言えば実際に戦をしたと言う話は……」
「良弌様は実際よくやっていると思うよ。だけどどういう手を使ったのか、さっぱりわからないんだ。良弌様は側室の御子ではあるけど、その側室はとても身分の低い方だったんだ」
「それは恐らく美濃先輩が手を引いたためだと思います」
「美濃先輩が?」
「実際の所は私も聞いた話なので、それほど詳しいと言う訳ではないのですが、八森の忍はアブラタケ城とは別の城に仕えており、アブラタケ城からの勧誘を断り続けたことで焼き討ちに遭ったそうです」
「当時美濃先輩は七つ位?」
「ええ。火の手から逃れた美濃先輩は、崖から落ち、当時の記憶を忘れて、とある寺で孤児として過ごしていたそうです」
「だが、何かしらのきっかけがあって、記憶を取り戻し復讐を企てた。と、そう言う事か?」
「恐らくは。美濃先輩はその辺りの事を語らずに覚悟を決めてたみたいだから、八森の忍の事は私が後から調べたことよ」
「美濃先輩にそんな過去があったなんて……」
 小野田先輩の表情に、立花は開きかけた口を閉じた。
 恐らく大嵜先輩の事を言うべきか迷っているんだと思う。
 私が殺した忍こそ、大嵜先輩を殺した忍なのだと立花はもう知っている。
 だけど小野田先輩は知らない。
 別に無理にそこまで知らせる必要もないだろうと、私もそれ以上は口にしないことにした。
 恐らく、大嵜先輩が亡くなったことくらいは富松先輩が知らせている事だろう。
 仲の良い人たちだったのだから。



⇒あとがき
 長くなってきたのでこの辺りで一回切ります。
 それにしても夢主が超喋ってて気持ち悪いです。誰この子って感じがします。
 とりあえず美濃先輩のお話はここまで。次は中原先輩の話を突きつつ一番忘れちゃいけない本題に……入れたらいいな。
20101109 初稿
20221011 修正
    
res

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