第陸話-1

 春休みを明日に控えた教室では、残り五人の生徒がその姿を見せていない。
 机の上にだらりと上半身を預けて目を閉じている私の横で、留三郎がそわそわと忙しない。
 恐らくここに居ない五人のうちの一人、同室でもある伊作の無事を心配しているのだろう。
「ただ待つだけと言うのもキツイな」
「そうだな」
 ぽつっと風早が零し、宗次郎がぼんやりと相槌を打つ。
 ここに居るのは私、留三郎、風早、宗次郎の四人のみ。
 残りの生徒はまだ進級試験から戻ってきていない。
 それは恐らくろ組やい組も同じで、五年生の教室が並ぶ廊下からは物音一つしない。
 何しろ近くにあった六年生の教室はすでに空で、そこに生徒は居ないのだから仕方がない。
―――ガラッ
「なんだこの辛気臭い雰囲気は」
「喜郎!」
「我らが学級委員長様!遅いぜこの野郎!!」
「喧しい!!!」
「いってー!!」
「何故俺までっ?!」
 素直に喜んだだけの風早が巻き添えを食って、宗次郎と共に喜郎から拳骨を貰っていた。
 どうやら照れているようだ。
「……どうだった?」
「間一髪だった。……どこかの不運の所為でな」
「ってことは……伊作は、」
「あいつも間一髪だな。迩蔵は私より先に帰ったそうだが、矢傷を受けたから医務室に居るらしい。伊作はそれ聞いて医務室に走って行った」
 喜郎からの情報を聞くや否や、立ち上がった宗次郎の首元を腕で狙い、喜郎が捕まえた。
「ぐえっ」
「合格者は教室待機だ」
「無事ならそれでいいだろう。見舞いは後で行けばいいさ。な、宗次郎」
 咳き込み咽た涙目でこくりと宗次郎が頷き、大人しく座る。
「それで喜郎。残り二人は?」
 喜郎は小さく息を吐き出し、視線を落とした。
「利郎は途中で棄権したから後で来るそうだが、里に戻ると言っていた。豪太の方は……」
 横に振られた首に宗次郎の肩が落ちる。
 風早も目を伏せ、留三郎はぐっと拳を握った。
「豪太は残念だったが、またお前らの顔見れてほっとしたよ」
 そう零した喜郎は、すとんと座り込むと、泣くのを堪えるように呼吸を整えていた。
 四年から五年に上がる時もそうだったけど、最後の最後で入学した時の半分の人数になった。
 それでも過去の先輩方から見れば比較的よく残った方だと思う。
 今年卒業した葦原先輩たちの学年は一学年で十にようやく満たったと言うほどしか残らなかった。
 私たちの学年は入学した時の人数も若干多かったのもあるけど、本当よく残っている方だと思う。
 ずっと耳をそばだてて足音を聞いていれば大体各組六・七人位無事残ったのが分かっていた。
 試験そのものはもう締め切りを迎え、後は身を清めて教室に戻って来るのを待つだけだったから、その分各組の不安は大きかった。
 あと何人が戻ってこれるか、と言う不安を抱えながらの待機時間は酷く長く感じた。
「ところで三喜之助は寝てるのか?」
「……寝てた」
 大分落ち着いたらしい喜郎の声に視線を動かせば、皆がぎょっとした顔でこちらを見ている。
「お、俺寝てるかと思ったぞ!?」
「だから寝てたと言った」
 目を完全に開けて、生理的に零れる欠伸を噛み殺した。
「半分起きてたから話は聞いてた。返事したでしょ?」
「まあ……まるで寝言のようにだったが」
「そんなもの」
 留三郎の言葉に返事をし、ぐっと背を伸ばした。
 身体が全体的に重たくて、ひどい倦怠感を覚える上に、腰の痛みが酷い。
「級友が減ったのに相変わらずだな」
「全部、覚えてるからいい」
 眉根を顰めた喜郎は首を傾げ、宗次郎と風早は顔を見合わせていた。
「……訳せ留三郎」
「無茶振りするなっつの!……鬼桜丸か仙蔵呼んだ方が早くねえか?」
「と言うか三喜之助が自分で話してくれれば一番なんだけどね」
「まあ無理だろ」
「面倒」
「「「「言うと思ったよ」」」」
 見事に重なった言葉に私は瞬きを一つした。
「言葉通り取ればいいだろうが、アホのは組」
 呆れたように突っ込んだ声の主は、は組の教室の戸口に居た。
 い組で待機していたであろう立花だ。
「お、仙蔵。どうしたんだ?」
「作法委員の出番だが人手が足りん。手伝え片桐」
「わかった」
 私の答えに喜郎はぽかんと口を開き、その様子を見て立花はくすりと笑った。
「こいつは別に友の死を悼んでいないわけではないさ。単純にこいつは不器用なだけだ」
「喧しい」
「だが事実だろう。お前の泣き顔なんぞ、私はあの時の一度しか見たことないぞ」
 後は聞いた話で一回か?と言う立花に、級友たちはくわっと目を見開いて驚いていた。
 ……お前たち驚き過ぎ。
 けど、そう言えば他の誰かの前で涙を見せたことはなかった。
 まず泣くことが苦手だから仕様がない話だとは思うけど……。
「鬼の目にも雀?」
「それはねえだろ。犬だっけ?」
「いやいや、魚だ!」
「涙だ馬鹿どもが!!!」
 喜郎の拳が留三郎、風早、宗次郎の三人の脳天に振り落とされた。
 なんで六年にもなってそんな簡単なことわざが出てこないんだろう、こいつらは。
 進級試験が実技でよかったわね。おバカトリオめ。
「ほら、行くぞ」
 立花に腕を引かれ、無理やり歩かされながらちらりと覗いた、ろ組とい組の教室は未だ沈んだ空気ではあったけど、少しずつ穏やかな空気が漂い始めていた。
「立花」
「なんだ」
「おんぶ」
「お前の目には私の左肩の怪我は見えないのか?」
「見える」
「……はあ」
 立花は溜息を吐くと、怪我をしていない方の、私の手を引いていた左手で私の身体を俵持ちした。
「苦し」
「いのは我慢しろ」
「……ん」
 言葉を奪われながら、私はぷらぷらと立花の腕の中で大人しくなっていることにした。
 自分で歩かない分少し楽だ。
「立花」
「今度はなんだ」
「春休み、予定は決まってる?」
 春休みは半月ほどで、実家に帰れない遠方の生徒は学園に残ることが許されている。
 立花の実家はさほど遠くないため、実家に帰るかどうかを聞きたくてそう声を掛けた。
「特には決まっていないな。実家は今立て込んでいて帰れないから学園に残ろうと思っていたが……何かあるのか?」
「美濃の国に行くのだけど、一緒に行かない?」
「美濃の国?」
「そう。小野田先輩に会いに」
「……小野田先輩に?」
 一年生の頃の記憶が甦るのだろうか、酷く嫌そうな声が返ってきた。
 だけど立花は、ふと足を止め、私の顔を見下ろした。
「待て。小野田先輩は美濃の国の出だったのか?」
「そう」
「美濃先輩と同じ?」
「……ん」
「そうか」
 立花は納得したのか、再び歩き出した。
 去年の夏の事件。美濃先輩が死んだことを知る人は少ない。
 報告を受けた先生方を除けば、私と勘づいた葦原先輩。そして真相を嗅ぎつけた立花だけ。
 私も学園長先生から、作法委員会の正式な設立後に話を聞いて、初めて知ったのだけど、立花は私が美濃先輩を殺したことを嗅ぎつけていた。
 嗅ぎつけたとはいえ、事実を知っているのなら、立花も当事者の一人。
 ならば立花も知るべきかと思っていた。けど、どうしても声を掛けるのが今になってしまった。葦原先輩が在学中に言うべきことではないと思っていたから。
 あの人はまだ勘づいただけで、証拠がないために信じられない様子だったし、どうしてその道を選んだのかなんて、知らない方がいい。
「……上手なさようなら」
「ん?」
「私にも出来る?」
「ふん。片桐にはまだ当分先だな」
「……失礼ね」
「事実だろう。感情不器用が」
 どうしてこうも、心地よいのだろう。気が楽だ。
 思わず目を伏せ、ほうと息を零した。



⇒あとがき
 仙蔵贔屓だぜ畜生!!
 第一部で纏め忘れたことをこれから押し込んで行きます。
 美濃の国出身のたまごが居ないのが切ないっ。
 そう言えば近江の国の番外編はネタだけあって書いてないなってことに今気づいた。
 ……そろそろ番外編にも微量ながら力を注ぐべきか?
20101021 初稿
20221011 修正
    
res

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