第伍話-3

 雨に交じっていると言うのに、血の匂いを嗅ぎつけた野生の狼たちが、少し離れた場所からこちらを伺っていた。
 そのうちの一頭が、こちらに寄ってきて美濃先輩の身体に顔を寄せた。
「……食べては駄目」
 そう言えば、彼らは残念そうに帰っていく。
 恐らく彼らには私の言いたい事が理解できたのだと思う。
 美濃先輩は巻き込まれ型の不運ではあったため、二年生の時に保健委員に所属してから卒業まで保健委員を務めることになった。
 それは、美濃先輩の体質によるものも多い。
 美濃先輩が生まれた里は、忍の隠れ里だったらしい。そこでは、幼い頃から毒を口にし、身体を毒に慣れさせるのと同時に、己の身体を毒にするための訓練があった。
 だけど美濃先輩が七つの時に、里が何者かに襲われ、美濃先輩だけが生き残った。
 帰る場所を失った美濃先輩は、逃げる途中で崖から落ちたこともあり、その記憶を忘れ、人の手を借りながら辿り着いた寺で孤児として過ごしていたらしい。
 そんなある日、美濃先輩が世話になっていた寺が賊に襲われ、それをきっかけに美濃先輩は記憶を取り戻した。そして記憶を取り戻した美濃先輩は復讐を誓って忍術学園に入学した。
 復讐を成し遂げるための就職先にと選んだ城を、私は最後まで聞かなかった。
 死を選んだ美濃先輩は、復讐を成し遂げたんだろうか……それは私にはわからないけれど、美濃先輩の身体が毒に強く、また彼自身毒であることに変わりはない。
 毒に強い筈の美濃先輩を、此処まで疲弊させるほどの毒を調合した大嵜先輩に感謝すべきなのかもしれない。
 私はこうして生きているのだから。
「―――片桐!」
 ふと声を掛けられて視線を持ち上げた。
 流石は元プロと言うのか。どこから現れたのかはわからないけど、恐らく高所―――木の上辺りから現れた土井先生がそこに居た。
 今年教師の座に収まったばかりの土井先生だけど、現役上りと言う事で、教科担任ではあったけど今回の援護に回された教員の一人だ。
「……仕留めたのか?」
「それが忍務」
「葦原・片桐組に与えられたのは、二の姫の発見と保護だ。殺しの忍務は与えられていない」
「個人的に受けていた。問題ある?」
 土井先生はその言葉に眉根を寄せたけど、依頼した人物が大嵜先輩だとすぐに分かったのだろう。
 だけど納得できないと言うような顔をしている。
 ……この人は本当に去年まで本当にプロの忍だったのかしら?
「片桐、ここに居たのかっ」
 土井先生の後を追ってきたのか、厚木先生が現れ、美濃先輩の遺体を見て顔を顰めた。
 二人とも、恐らく竜胆が連れて行った葦原先輩から話を聞いて追いかけてきたんだろうと思う。
「……お前、わざと葦原を遠ざけたな?」
「邪魔をされては困るから」
「……毒のスペシャリストであるはずの大嵜がやられたんだ。嫌な予感はしてたさ」
「もしかして、彼も卒業生だったんですか?」
「二年前の卒業生です。毒の耐性が強い奴で、成績なんて保健委員でなければ、もっとも優秀な成績で卒業をしたであろう生徒です」
「毒の耐性に関しては私も強い。だから大嵜先輩は私にやれと言った」
「大嵜の奴……。だが終わったことをいつまで言っても仕方ない。死体はどうする?」
「埋めれない。美濃先輩の毒、強くなってる」
「……おいまさか」
「……やられた。動けない」
 厚木先生は深々とため息を吐くと、私に歩み寄って額に手を当てた。
「熱は出てないが冷えてきているな」
「ん」
「解毒は出来そうか?」
「無理。抜けるのを待つ」
「土井先生、すいませんが片桐をお願いします」
「あ、はい」
 話がついていけていないであろう土井先生は、厚木先生と同じように私に歩み寄る。
「その……大丈夫か?」
「どう言う意味で?」
 そう切り返せば土井先生は頬を引き攣らせながら、困ったように笑った。
「おい片桐、土井先生をからかうな」
「ん」
 厚木先生に怒られ、仕方なく私の身体を抱き上げた土井先生の胸元に身体を預けた。
 イロは土井先生が学園に来た時、土井先生を見て「初恋の人じゃないですか」と聞いてきた。
 その意味が分からずに首を傾げれば、イロは年代的にそうかなとほざいていたので殴っておいた。
 確かに私は教育番組くらいしか殆どテレビは見ないような人種ではあったけど、ブラウン管の内側の人間―――いや、土井先生の場合はキャラクターだった、よね―――に恋などする感覚などわからない。
 そもそも恋自体よくわからないし、興味もあまりない。
 でも土井先生は程々に気に入っている。
 初心な感じが可愛いし、こうして密着するとよくわかる。この人の腕の中に居ると、おじいちゃんに初めて抱きしめられた時のことを思い出す。
 温かくて、落ち着く。思わずおじいちゃんを思い出して、つんと鼻の奥が痛む気がする。
「―――土井先生」
「なんだ?」
 小柄とは言え、人ひとり抱えたまま、軽々と木々の上を伝い走る土井先生に、私はそっと声を掛けた。
 舌がもつれて喋り難いのに、土井先生はしっかりと言葉を拾ってくれた。
 そのことに思わず笑ってしまいながら、私は先ほどの答えを返すことにした。
「土井先生、私だって人間」
 びくりと土井先生の身体が震え、ぴたりと足が止まる。
「……何?」
「あ、いや……」
 土井先生は何か言葉を紡ごうとして、飲み込んだ。
 何処か迷っている様子に、仕方ないと土井先生の頭に手を伸ばした。
「優しい子」
「……私は、君よりも年上なんだけどな」
「知ってる」
 すりっと土井先生にすり寄ると、土井先生は困ったように笑った。
「意外と甘えたと言うか……はは」
 この人、本当に甘やかしいだわ……おじいちゃんと一緒に居るみたいで気が楽。
 強張っていた身体を落ち着かせるために、私はほっと息を吐き出すと、そのまま土井先生の温もりに包まれたまま目を伏せた。


  *    *    *


 もうすぐ学園に近づくと言うところで、私の腕の中で目を閉じて小さく寝息を立てていたはずの片桐が目を開けた。
「もう大丈夫なのか?」
「ん」
 いつものように返事をすると、片桐は身を捩り、降ろせと主張する。私は仕方なく片桐の身体を下ろした。
 片桐は両手を開いたり閉じたりして、身体の調子を簡単に確かめると、すたすたと無言で歩きだした。
「あ、おい」
「……何?」
 片桐は振り返って、何事もなかったかのように首を傾げるから、思わず脱力した。
 さっきまでの甘えてたお前はどこに行った!と思わず言いたくなるほどあっさりとした様子の片桐に何故だかくノ一に騙されたような気分になった。
「どうしたんだ、突然」
「鬼桜丸が心配する」
「あー……」
 片桐の一番は黒ノ江だもんな。
 思わず呆れて言葉を失っている間に、片桐はさっさと学園の門に向かって再び歩き出した。
 その後を追いかければ、片桐はペースを変えることなく歩いていたのですぐに追いつくことが出来た。
「なあ、片桐、さっきの……」
「土井先生、色事に弱い」
「!?」
「私、色忍志望」
 片桐は何事もないようにそう言うが、男で色忍志望と言うのは中々いない。
 忍術学園では色の授業もあるが、色忍でと言うよりは忍務に必要になってくるかもしれないから学ぶといった程度だ。
 授業そのものは彼の担任ではないから詳しくは知らないが、成績はは組の中でもあまりよくないが、個別忍務を割り当てられる事が多くて、妙だとは思っていた。
 本来個性が出てくると言うことで、授業が個別内容中心になるのは六年生からだ。
 五年生である片桐の場合、通常の授業も熟しながら、個別授業を受けていたと言う事になる。
 委員会の時に途中で抜けるのは、どこかで貴重な睡眠時間を得ていたと言う事だろうか。
 だとすれば、間違いなく、久々知はそのことを知っているんだろう。よく文句を言っている池田を、いつも宥めてるし、率先して当番を後退しようとしているからな。
「片桐!」
 学園の門を潜れば、そこで待機していたらしい葦原が片桐の姿を見てほっと息を吐き出した。
 だが、片桐の解けかけの変装と返り血を認めると、ぎょっと目を見開いた。
「お前、怪我っ」
「掠り傷」
 保健委員らしく、片桐を連れて行こうとした葦原の手を片桐はぺしりと叩いた。
「三郎に頼む」
「変装どうこう言ってる場合じゃないだろう」
「掠り傷」
 片桐はそう言うと、葦原を無視して長屋の方へと歩き出す。
「葦原」
「土井先生」
「片桐は大丈夫だ。鉢屋に任せておいた方がいいだろう」
「……わかってはいるんですけどね」
 葦原はふうとため息を吐き、ふと私に歩み寄った。
「?……どうした?」
「この臭い……」
 葦原の言葉にはっと厚木先生と片桐の会話を思い出す。
「これはただの返り血だから。着替えてくる」
 それだけ言うと、素早くその場から離れた。
 血が移った装束の一部を掴んですんと臭いを嗅いでみるも、別段普通の血の臭いしかわからない。
「……まずいなあ」
 それすら気づきかけた葦原を誤魔化すには、この装束は処分してしまった方がいいのかもしれない。
 直接の教え子ではないけれど、生徒と元生徒が殺しあったと言うのに、自分のこの冷静さは、片桐に指摘された通り、色事には確かに弱いが忍のそれで、私はそこに気付いて思わず眉を顰めた。



⇒あとがき
 突発的に土井先生を贔屓してみました。
 私確かに土井先生好きですけど、初恋の人じゃない派です。
 すまん、私の初恋の人は山田伝蔵さんと言うんだ。←
20101010 初稿
20220930 修正
    
res

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