第伍話-1

 その日、竜胆と牡丹の遠吠えに、学園の狼たちが騒ぎ出したことがそもそもの始まりだった。
 忍術学園の門の外、そこに辿り着いたものの力尽きて倒れた血塗れの忍。
 発見したのは、生物委員の朝の餌やり当番だったため異変を一番に察知した五年生の竹谷と、それに付き合った同室の福屋だった。
 息も絶え絶えだったその忍を、福屋は迷いながらも保健委員として医務室へと運び込み、そこでようやく彼がこの忍術学園に縁のある忍であることが判明した。
 三年前に学園を巣立っていった、元火薬委員委員長、大嵜伝六先輩。
 まだ他の生徒たちには伝わっていないけれど、クラマイタケ城の忍者隊に就職をしていたらしく、クラマイタケの焦げ茶色の忍服は赤く染まって使い物にならなくなっていた。
「……すいません、大嵜くん」
「いえ、大分楽になりましたから」
 包帯にぐるぐる巻きにされながら力なく笑う大嵜先輩の顔色は芳しくなく、新野先生の力でもってしても延命するのがやっとと言う状態だった。
 それ故にせめて安静にと、この場には葦原先輩、伊作、福屋以外の保健委員は辞して、関わりのある鬼桜丸と私。それから火薬委員で付き合いのあった立花と兵助だけがこの場に居る。
「……すまん、黒ノ江。俺は囮にしかなれなかった」
「いえ、私の方こそ申し訳なく思います。菊のために尽力してくださった大嵜先輩に何も出来ず……」
「はは。俺はクラマイタケに仕えると決めてからこれほどまで幸せに思ったことはないぞ」
 へらりと笑い、大嵜先輩は必死に手を伸ばして、鬼桜丸の膝に手を乗せた。
「菊姫様には護衛が後二人ついてる。二人とも俺なんかより優秀だ。だから安心しろ」
「大嵜先輩っ」
「……片桐」
「はい」
「小野田の分も、頑張ってるんだってな」
「今言う?」
「今言わなきゃ、もう言えないだろう」
 その言葉に思わずぐっと言葉につまり、大嵜先輩の近くに寄る。
「気をつけろ、敵にほ組の奴がいる。俺を逃がしてくれた先輩との相性を考えれば、そいつは生き残ってるだろう」
 その言葉に葦原先輩が目を見張る。
「ほ組って……大嵜先輩はご存じだったのですか?」
「基本的にほ組の目付は火薬委員が多い。俺もそうだったから知ってる」
「そう、だったのですか」
「「ほ組?」」
 意味が分からないらしい福屋と兵助は目を合わせ、立花は静かに聞いている。恐らく立花も意味は分かっていないだろう。
「葦原先輩、ほ組って確か……」
「いろは組の中でも実習経験の少ない生徒のために二重に用意された組。それがほ組だ」
「そんな組があるんですか?」
 鬼桜丸の言葉に葦原先輩はこくりと頷いた。
「いろはと続けば本来に組になるんだが、生徒の殆どが保健委員のため、保健のほを取ってほ組になったと聞く。元々保健委員は実習訓練の際その特殊技能から見て、後方支援に回されることが多い。五年生にもなれば、六年次の委員会はほぼ決まったようなものだから、深まるであろう技術差を埋めるため生徒の殆どが保健委員だ」
「と言う事は善法寺先輩もですか?」
「うん。まだまだ皆に追いつけてる気はしないけどね」
「だから保健委員は影の実力者と言われてる。見分け方はないが、ある種癖がある」
「まさか……不運、ですか?」
「うつるからな……不運は」
 葦原先輩の言葉を引き継いで、大嵜先輩が肯定する言葉を紡いだため、福屋は頬を引きつらせた。
 恐らく福屋も、この先保健委員として巻き込まれていくことだろうことが自分で予想が出来たからだろう。
 私は特にそれを指摘することなく、言葉を紡ぎだした葦原先輩に視線を向けた。
「大嵜先輩と関わりのあるほ組と言えば……」
「いや」
「え?」
「菊姫の護衛に残った二人と、親しいや、っ……げほっ」
 大嵜先輩の呼吸が乱れ、大きく咳き込むと僅かに血を吐き出した。
 葦原先輩が慌てて拭い、大嵜先輩は困ったように笑った。
「あいつらには恐らく奴は殺せない。……片桐、お前が殺れ」
「なっ……大嵜先輩っ!」
「立花」
 声を上げて思わず立ち上がった立花に声を掛け、視線を大嵜先輩に戻した。
「ほ組が本当に保健委員だけだったら死んでる」
「さっきも言ったが、殆どが保健委員なだけであって保健委員ではない生徒もいる。それに加えて保健委員の不運を補える、実力のある補助生徒が事前に選抜されている」
「葦原先輩は三喜之助が。僕には鉢屋が基本的についててくれてるんだ」
「なん、だと?」
 驚く立花に、伊作は苦笑を浮かべる。
「だから僕らはもう殺しの忍務に抵抗ないんだ。本当は奪わない方が一番いいんだけど……今回みたいなのは、仕方ないから」
「大嵜先輩も言ったが、ほ組の補佐には火薬委員の生徒が付くことが多い。火薬委員の生徒は地味に運がいい奴が多いからな」
「地味は余計。……でも忍務は受ける」
「頼んだ」
「ん」
「……ところで、片桐。小野田だけずるいと思うんだが」
 もう危うい癖ににやりと笑う。
 どこで嗅ぎつけたのか……恐らく小野田先輩本人から聞いたのだと思う。
 まるで秘密だとでも言うように唇に指を乗せた大嵜先輩に皆首を傾げる中、私だけは静かに溜息を零した。
「我儘」
「最期、だしな」
 私は仕方なく身を乗り出し、大嵜先輩の顔の横に手を置き、死の近づいている唇にそっと触れた。
 薄く開いたくちびるから舌を絡ませれば弱弱しい反応が返って来るばかりで、恐ろしく感じた。
 いや、それ以上に恐ろしいのは舌先に乗った痺れる感覚かもしれない。
 ただ血の味がした小野田先輩の時よりも確実に大嵜先輩の死はすぐそばにあった。
 そして大嵜先輩を此処まで追い詰められるほ組の生徒が誰か、私には分かってしまった。
 こんなふざけた振りで私にだけそれを伝えたと言う事は、葦原先輩に言うなと言う事だろう。
「……最期は嫌い」
「すまんな。ありがとう」
 へにゃりと笑い、大嵜先輩は大きく息を吐き出すとそのまま静かに息を引き取った。
 想像できない痛みがあっただろうに、大嵜先輩は穏やかな笑みで逝った。
 身を離し、再び鬼桜丸の横で正座をしたけど、身体がどっと重たくなったように感じた。
 人の命をこの手で奪ったことがある。幼い子どもから床に伏した老人まで年齢問わず、気付けば幾人殺したか記憶を辿って数え直さねばわからぬほど。
 私以外の人が奪った命の最後に触れるのも初めてではないのに妙にぞっとした。それほどまでに大嵜先輩の死は、不気味なほど穏やかだった。
 犯人があの人なのだから仕方ないと言えば仕方ないのだろう。
 出血量の多さもそうだけど、よく限界まで大嵜先輩は目を開けてくれていたと思う。
 どうか、このままゆっくり休んで欲しい。
「……三喜之助、大丈夫か?」
 鬼桜丸の問いに思わず素になって首を横に振ってしまい、鬼桜丸の手がおずおずと私の身体を抱きしめてきた。
 女人にあるまじき、広く硬い胸板が温かく私を包み込む。
 再誕したときに初めて感じた母の温もりに触れた時のような温かさは、再誕したときと同じように、私の背に宿る悪寒を取り払うように優しく撫でてくれる。
 その手はとても女人らしくない大きくて硬い手だと言うのに、温もりが怖くて鬼桜丸に縋った。
「……鬼桜丸」
「ごめん、三喜之助。ごめんっ」
 鬼桜丸の手が僅かに震えている。
 本来鬼桜丸の―――桜姫の護る手は、大嵜先輩に伸びるはずなのだ。
 私などではなく、護るべき民の一人、クラマイタケの臣となった大嵜先輩を。
 私は鬼桜丸の背に手を伸ばし、鬼桜丸と同じように撫でた。
 男の中で生活していようと鬼桜丸は女人で、まだ十四歳―――平成の世で言えば十三歳、中学生なのだから。
「菊ちゃん、助ける」
「ああ」
「わかっているが……その……菊殿と言うのは、クラマイタケ城の二の姫で間違いないか?」
「そう。敵はアブラダケ。筆頭は若君。殿はただの戦狂い」
「……そうか。伊作、今回の忍務はほ組ではなく六年生に振られるだろうが、お前も来い」
「はい、覚悟は決めています」
「福屋、すまないが斜堂先生を呼んできてくれ。死化粧をしてもらわないとな」
「っ……はい」
 すんと鼻を鳴らし、福屋が頷く。
 福屋と大嵜先輩なんて接点がないのに本当、保健委員は甘い。
「黒ノ江、立花、久々知の三人は、すまないがあまり情報が廻らないようにしながら学園の護りを頼む。まあ私が言わなくとも先生方がそう手を回すだろうが」
「……はい」
「お気をつけて」
「ああ」
「新野先生、後はお願いします」
「三人とも気を付けてくださいね」
「「はい」」
「ん」
 私は鬼桜丸の背を一度ぎゅっと抱きしめて離れた。
 名残惜しげな鬼桜丸の額をそっと撫で、動きにくい面ではあるけど少し笑みを浮かべた。
「いってくる」
「いってらっしゃい」


  *    *    *


 三人と福屋が去った後、新野先生が濡れた手拭いで大嵜先輩の身体を拭き始めたのを見て、私は咄嗟に手伝いに名乗り出た。
 鬼桜丸は学園長に指示を仰ぎに行かなくてはいけないと、目尻の涙を拭って出て行った。
 クラマイタケ城の二の姫の許嫁と言う立場が、鬼桜丸の行動を制限しないと良いが……。
「久々知くんは驚きませんでしたね」
「え?」
 若干青ざめてはいるものの、きょとんとした顔で久々知は苦笑して言った新野先生を見つめた。
「片桐くんが大嵜くんに口吸いをしたことです。以前なら倒れていたでしょう」
「うっ」
「……皆、成長するものです。そして、生徒の多くは、私より早くこの世を去っていきます」
 寂しそうに、新野先生は大嵜先輩の額に手を伸ばす。
「大嵜くんはまだ十八でしたね……生徒同士の戦ほど辛いものはない。大嵜くんは詳しく触れませんでしたが、片桐くんには恐らく辛い忍務になるでしょう」
 ふと新野先生は自分の胸に手を当てた。
「片桐くんは、此処にとても大きな病を抱えています」
 それが人体の意味ではなく、心の意味だと分かり、私は眉根を寄せた。
「私も最初はまったく気づきませんでした。しかし学年を重ねるごとに不思議に思ったんです。どうして片桐くんの成長は遅いのか、と」
 その言葉にはっと片桐の目線を思い出した。
 気付けばどんどん低くなる視線は、今の三年生とそう変わらない、人によってはそれよりも低いかもしれない。
 元々背が低かったのでそうは思ってはいなかったが、三年の頃までは恐らく普通に成長をしていた。
 だがいつからかぴたりと背が伸びるのが止まり、気付けば一年の頃の片桐と鬼桜丸ほどの身長差が皆と出来ていた気がする。
「その原因が、すべて片桐くんの心にあります。片桐くんは自分をさらけ出す事を知らない。最近はようやく従弟である鉢屋くんとの交流で、僅かに吐露をしているようですが、それでも先ほどの片桐くんを見ていると、心配でたまらない」
 新野先生は居住まいを正し、私と久々知の二人をそれぞれ見つめ、まっすぐな視線で言葉を続けた。
「黒ノ江くんは、今回でわかったと思いますが、どうしても立場がある。だから真の意味で片桐くんの支えとなることはできません。君たち二人は、比較的片桐くんが心を許していると見込んでお願いです。片桐くんの支えになってはくれませんか?」
「私でできるかはわかりません。でも、私は片桐先輩を好いています。支えになれるなら、なりたいです」
「そうですか」
 はっきりと言った久々知の背が妙に大きく見えた気がして驚いた。
 中原先輩の一件で酷く落ち込んでいた時が嘘のようなその姿は、その一件があってこその姿だろうが、私ではかなわないような何かを感じた。
「私は……片桐がそれを望むのであれば、それに応えるまでです」
 嘘偽りのない、ただ感情に名をつけるのはまだ早計ではある気がする想いに、素直に従うのは嫌ではない。
「ありがとう。私には出来ないことを押し付けるようで申し訳ありませんが、お願いします」
 頭を下げる新野先生に私たちは慌てて頭を下げるのだった。




⇒あとがき
 大嵜先輩、再登場していきなり再退場です。
 最初に考えていたオリキャラ忍たちの動きとは大きく異なってきていたため、初死亡キャラがこんなところで……。
 す、すまんかった大嵜先輩。そんなあなたが大好きでしたっ。
 兵助夢にするする言ってましたが、途中で上級生夢と言う事で私の中で進路変更が始まってしまったので仙ちゃん参戦です。
 この時期はまだ作法委員はないという設定ですので斜堂先生を呼んできてと言う話になってます。作法委員結成までまだしばらくかかるかな……あはは。
20100926 初稿
20220930 修正
    
res

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