第肆話-4

 それは保健室の出来事の翌日の事だった。
 授業終わりに食堂に足を延ばした私は、伊作と留三郎の二人と並んでいた足をふと止めた。
「三喜之助?」
「ミキちゃーん!!!
 不審に思った留三郎が数歩先で足を止めて振り返った瞬間、入り口で同じく立ち止まっていた伊作が潰れた。
 人為的に押し倒されたと言うのが正しい表現なのだけど、私はその光景に思わず目を細めた。
「あらやだ、本当に男の子らしく成長しちゃって!」
「ちょっ、いや、どこ触ってるんですか!?」
 ぺたぺたと伊作の身体を撫で回す、淡い橙色の小袖を身に纏った女性を見ながら、私はそっと留三郎の後ろに隠れた。
 明らかにくノ一教室とは別の意味で性質の悪そうな女性が、何故真っ先に股間に手を伸ばしたのかの理由がわかるからこその行動だ。
 伊作が泣きそうな顔でこちらに助けを求めてくるが、助けてほしいのはこちらの方なので、そのまま大人しく犠牲になって欲しい。
「ちょっと月乃姉様、それはミキ兄様じゃなくて善法寺先輩ですっ!」
「えー?でもさっきミキちゃんのこと聞いたら、茶髪のふわっ髪って言ってたじゃない!」
「いや、それは……」
 思わずと言うように視線を逸らしたハナが私に気付いて目を見開く。
「ミキ兄様!」
「ちっ」
「舌打ちしないで月乃姉様を止めてくださいよ!」
 ハナの言葉を聞いて、女性が振り返る。
「ミキちゃ……ん?やだ!何その可哀そうな麻呂眉!!お姉ちゃんはそんな変装認めません!」
「認めなくていい」
 私は溜息をついて、仕方なく二人の横を通って食堂に顔を出した。
 中には六人席に一人で居座り、堂々とお茶を啜る藍色の小袖を身に纏った女性が居る。
 ハナは、私の後ろで騒がしくしている女性を月乃と呼んでいたけど、中に居るのが本物の月乃姉様だと思う。
 堂々とお茶を啜ってはいるけれど、視線が若干彷徨っているんだもの。
 私は一度、伊作を解放した月乃姉様に変装している雪乃姉様を振り返ってから、食堂へと足を進めた。
「……久しぶりね、ミキ」
 湯呑を置くと、雪乃姉様らしい堂々とした佇まいで、月乃姉様はやんわりと微笑んだ。
 だけど種が分かってしまっている変装は面白くはない。
「何の用?―――月乃姉様」
「あー……もうバレちゃったか」
「あら、ちゃんと見てるのね」
「ええ!?」
 顔を片手で覆った月乃姉様に対し、雪乃姉様は関心関心と言うようにやんわりと微笑んだ。
 ハナはまったく気づいていなかったらしく、月乃姉様と雪乃姉様を交互に見つめ、目を丸めていた。
「なんでわかったの?」
「月乃姉様があんなこと出来るわけない」
「……うん、雪乃姉様はたしかにやり過ぎだよね」
 かあっと頬を赤く染める月乃姉様に、雪乃姉様は「そう?」と小首を傾げるだけだ。
 どちらかと言うと色事が苦手な月乃姉様は忍務であればそうではないけど、普段は恥じらいのある節度ある女性だ。
 弟かもしれないとはいえ突然威勢の股間に手を伸ばす堂々さはない。
 あ、ちなみにこの二人が私の実の姉で、雪乃姉様が長女、月乃姉様が次女で、二人とも女田楽に変装して全国を津々浦々巡っている。
「で、何の用?」
「相変わらず冷たいなあ、ミキちゃんは」
 苦笑しながら月乃姉様は雪乃姉様の変装を解き、同じように雪乃姉様も月乃姉様の変装を解いた。
 どうやら聞き耳を立てていた生徒たちが、二人の変装の変化に両手を叩き始めた。
「外野うるさい。……で?」
「はい、お手紙」
 すっと雪乃姉様から差し出された文は、手に取ると淡く香を焚いた香りが鼻に届いた。
「……嫌な予感しかしない」
「でしょうね」
 上等な用紙が使われたその文には、宛名も送り主の名前もない。
 ただ香りだけが送り主をクラマイタケ城の二の姫だと伝えていた。
 鬼桜丸―――桜姫の生家でもあるクラマイタケ城は、今、緊迫した状況にある。
 基本的に中立であるクラマイタケ城の二の姫―――菊姫はとても愛らしい顔だちをした、桜姫とは真逆のお姫様。
 三年生の夏にクラマイタケ城を訪れた私は、その菊ちゃんと対面する機会があったのだけど、ここだけの話、性格がお姫様らしいのは鬼桜丸の方で、案外中身は男前なのが菊ちゃんだ。
 そんな菊ちゃんを中身まで麗しいお姫様だと思い込んでいるらしい、美濃のアブラタケ城の若君が菊ちゃんを妻にと要求しているのだ。
 確かにクラマイタケ城を継ぐのは桜姫である鬼桜丸の方だけど、菊ちゃんはクラマイタケ城のためになるよういずれはどこかに嫁ぐだろう。
 それでもアブラタケ城だけはない。
 何しろアブラタケ城はドクタケ城と並ぶ悪名高く戦好き、数に任せた阿呆が多いと言う性質の悪い城である。
 そんなアブラタケ城の若様が菊ちゃんに一目惚れし、我が物にするべく動くとなれば当然戦を仕掛けてくるのは自然の流れと言うものだろう。そんなこと自然の流れであってほしくはないのだけど。
 遠い距離ではあるけど、鉢屋衆は全国にその手勢を分散して走らせているために、同盟国で唯一クラマイタケ城の援護に回りやすい。
 それを買っての応援要請であれば、この文は正式に学園に届くだろう。
 何しろクラマイタケ城は学園に多額の援助をしている城でもあるのだから。
 でもそれを私個人宛、しかも菊姫直々に送ってくるあたりに面倒臭さを感じる。
 あのじゃじゃ馬姫の事だ、避難と銘打ってここに乗り込んでくる可能性はまず間違いないだろう。
「じゃあ、手紙は渡したからね」
「お願いしたい忍務に関しては、時間もなかったし学園長先生に直接話してあるから後で聞きなさい」
「これ絡み?」
「うん、まあそんなとこ」
「こんなご時世ですからね、手が足りないんですよ。ハナにも早く手伝ってもらいたいくらいだわ」
「私まだ学園に居たいです」
「そう言うと思ってるから、伯父様も強くは言わないのよ」
「あー、まあそんな感じだからさ。学園長先生に後任せてあるから、頼んだよ」
「わかった。……気を付けて」
「うん。またそのうちね。会えてよかったよ」
 にかりと笑った月乃姉様は私の頭を撫でると立ち上がり、いつの間にか食堂のおばちゃんの元へと移動して挨拶をしている雪乃姉様と一緒に食堂を後にした。
「……面倒事ばっかり」
 ちらりと文に視線を向けて、仕方なく食堂内を見回すと、騒ぎなどなかったかとでもいうように呑気に昼食を満喫しているい組の七法寺の姿を見つけた。
 綺麗な面に似合わず豪快な食べ方をする七法寺を、周りが避けているのでよくわかる。
「七法寺、鬼桜丸はまだ教室?」
「そうだけど、昼食悩んでるの?」
「そこは別にいい。きっと今日はA」
 A定食には鬼桜丸の好きな焼き魚があるもの。
「……どうしよう」
 ここで封を開ける事の出来ない文で口元を覆い、宙を仰ぐ。
「なんだ?その文、鬼桜丸と関係あるのか?」
「鬼桜丸の許嫁から」
「へー……ってええ!?」
 留三郎の問いに答えると、ぎょっとした顔が集中して、私はふうと息を吐き出した。
 鬼桜丸の許嫁と言うのはまったくの嘘なのだけど、ここではその嘘を真実にしておく必要がある。
 敵を欺くにはまず味方から。
 元々そう言う設定ではあったけど、鬼桜丸自身大っぴらにしたことは一度としてない。
 ただ、くのたまの告白を断る際に、“故郷に許嫁がいるから”と断りを入れているので、鬼桜丸に告白したことのあるくのたまは、鬼桜丸に許嫁が居ることは知っている。
 その時にあまり口外はしないでほしいと言う約束を守る子が多いので、忍たまにその事実はあまり伝わってはいない。
 恐らくぎょっとした面々はその事実を知らなかった者と、鬼桜丸の許嫁と私が繋がっている事を驚いているものの半々と言ったところだろう。
「な、なんの騒ぎだ!?」
 食堂に入ってきた鬼桜丸が、急に他の生徒たちに囲まれ真偽を問われて、驚いた様子でこちらを見ていた。
 立花と潮江はあまり驚かず、なんだその話かと言った様子でいるのだから、おそらくい組は鬼桜丸の許嫁の話を知っているのだろう。
 吾滝とは別の意味でマイペースな七法寺はあまり基準にならないけど、二人がその反応ならまず間違いないと思う。
「鬼桜丸、菊ちゃんから文が来た」
「三喜之助にか?」
「なんとなく想像はしていたけど……ここに来ると思う」
「菊が学園に!?……夏休み前に届いた文には何も書いていなかったが」
 鬼桜丸の表情が険しくなり、私は鬼桜丸の手を取ってぎゅっと握った。
「大丈夫、悪いようにはならない」
「三喜之助……」
「私、学園長先生に話を伺ってくるから、先食べてて。戻ってこなかったらおにぎり貰ってくれてると助かる」
「……すまない。三喜之助には迷惑をかける」
 クラマイタケ城には桜姫の影武者が居る。
 鬼桜丸は鬼桜丸としての役割を果たすと同時に、本物の桜姫としてその命、危険に晒すわけにはいかないのだ。
 忍術学園の忍務などたかが知れている。努力を怠らなければ、多少死にそうな忍務を振り分けられても帰還することが出来る。
 それにまだ私たちは五年生―――死に近いようで、まだ遠い学年だ。
「平気。鬼桜丸のためなら頑張れる」
「……この場に留まらねばならぬ自分を口惜しく思うよ」
「鬼桜丸が戻ったところで、状況は悪化するだけ。菊ちゃんの無事を待っていて」
「ありがとう、三喜之助」
「ん」
 ぐっと拳を握る鬼桜丸に事情を何となく察したのか、立花が鬼桜丸の背をぽんと叩き、鬼桜丸の表情に笑みが少しだけ戻る。
 立花は本当周りをよく見ているな、と思う。今回はありがたい。私だけではきっと鬼桜丸の支えにはなれないから。
「ほら、ご飯を食べて元気をお出し。菊ちゃんだっけ?来たらおいしいもの作って歓迎してあげようじゃない!」
 どんと胸を叩くおばちゃんに鬼桜丸はくつりと笑った。
「はい。ありがとうございます、おばちゃん」
 微笑んだ鬼桜丸に許嫁と言う発言に落ち込んでいた忍たまたちが落ちた。
 ……相変わらずの男前の笑顔ね。中身はしっかり女の子なのに。
「三喜之助?」
「なんでもない」
 首を横に振って、鬼桜丸の横を通り過ぎて学園長先生の庵へと急いだ。

 数日の後に待ち受ける別れを、この時の私たちはまだ何も知らなかった。



⇒あとがき
 予兆終了!次の話で多分第一部から脱出できるはずです……が、さてどうしよう。
 最後がぐだぐだになりそうな……いやもうぐだぐだですね。失礼しました。←
20100926 初稿
20220930 修正
    
res

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -