第肆話-3

「……はあ」
 先に湯船に浸かっていた文ちゃんが、どこか艶めいた溜息を吐くのを聞いた瞬間、一緒に風呂に来ていた俺たちの視線が一斉に文ちゃんに向かった。
「どうしたの文ちゃん」
 ぎょっとした顔で、思わずと言った様子で問う雷蔵に文ちゃんは苦笑した。
「なんて言うか、上級生ってすごいなあって」
「私たちも一応そんな上級生に入るが……何かあったか?」
「うん、ちょっとね」
 三郎の言葉に、文ちゃんは頬を赤く染めながら口元まで湯船に浸かった。
「溺れるぞ」
「……うん」
 すぐに浮上した文ちゃんは、何を思い出したのか両手で顔を覆うと、色っぽい溜息を零した。
 あまりにも突然出てきた文ちゃんの色気にどうしたもんかと視線を彷徨わせると、文ちゃんと同室のハチは呆れたようにぽかんと文ちゃんを見ていた。
 日頃から夫婦夫婦と言われているハチも、流石に文ちゃんのこんな様子を見るのは初めてらしい。
「僕って女っぽいって言われるけどさ、基本的に思考は普通に男の子じゃない?」
「まあ、ついてるものはついてる訳だしな」
「でもいけるかもって思ったんだ」
「男が、ってことか?」
「うん。だって色っぽいんだもん。片桐先輩だったら、僕、抱けるかも」
「はあ!?」
 ハチが大きな声を上げて驚き、兵ちゃんは目を見開いて固まっている。
 雷蔵は意味がすぐに理解できなかったのかきょとんとしたけど、すぐにかあっと頬を赤く染めた。
 三郎はと言えば、目を瞬かせた後くつくつと笑いだした。
 俺はと言えば、驚きで言葉が出なかった。まさか文ちゃんの口からそんな言葉が出てくるなんて!と言った感じだ。
「なんだミキの奴、観念して医務室に行ったのか?」
「うん。片桐先輩、可愛かった」
「まあミキが可愛いのは認めるが、ミキは駄目だからな」
「別に片桐先輩に懸想なんてしないよ。やっぱり女の子がいいもん。……でも三郎って片桐先輩の事になると過保護と言うかなんと言うか……」
「何を言う、ミキに恋人が出来たら困るじゃないか!」
「いや、いずれは出来るだろう」
「出来ても卒業を期に別れるんだぞ?面倒以外の何物でもないだろう」
「それって絶対、なのか?」
 兵ちゃんの言葉に三郎は目を丸くして首を傾げた。
「何故付き合い続けなくちゃいけないんだ?」
「何故って……好きあってるんなら、祝言を上げて一緒になっても問題はないでしょう?」
 雷蔵の言葉に三郎は「ああ」と呟いて笑った。
「ミキの祝言相手なら決まってるからな」
「ええ!?」
「嘘だろ!」
「あの片桐先輩に許嫁!?」
「三郎、それ嘘とかじゃないよな?」
「八つの時に決まったことだからな。長いぞ」
 にやにやと笑う三郎は随分と楽しそうで、驚く俺たちに胸を張って誇る。
 ……いや、お前の話じゃないだろう。
「片桐先輩って中原先輩と恋仲なんじゃないのか?」
 兵ちゃんの言葉に空気が凍りつき、三郎はふと真顔に戻って目を瞬かせていた。
 兵ちゃんの前で中原先輩の話題は禁句だったから、今まで誰も触れなかったのに、まさか本人からその話題に触れてくるとは思ってもみなかった。
 しかも触れてきたかと思えば二人が恋仲だったって?初耳だよ!
「なんだ、もう平気なのか?」
「ああ。三郎はやっぱり気付いてたんだな」
「まあな。兵助が倒れて、葦原先輩は兵助が三病に落とされたと言った。とくればそこから関連付けるべき人物はミキ、それから小野田先輩絡みで中原先輩しかいないだろう」
「そうだな」
 兵ちゃんは苦笑して頷いた。
 と言う事は、去年兵ちゃんが倒れた原因は片桐先輩で、原因を話さなかった先輩は中原先輩だった……ってことか?
「まあ認めたんなら話は早いが、あの二人は恋仲じゃないぞ?」
「そうなのか?」
「煙硝蔵の爆発事故の後に小野田先輩の見舞いに中原先輩が来てたらしいんだが、あの人一度も医務室には入らなかったそうだ」
「おい三郎。なんで話がいきなりそこに飛ぶんだよ」
「まあ待てハチ。話はこの前後が大事なんだ」
「はあ?」
「一番最初にそれを目撃したのはミキで、ミキは不審に思いながらもあの無関心だからな。普通に放置していたらしい」
「まあ、元々接点って小野田先輩しかないよね、あの二人」
 文ちゃんが二人を思い出すように宙を仰ぎ見た。
 まあ確かにあの二人、煙硝蔵の爆発事故前の接点は本当に小野田先輩くらいしかない。
「でも小野田先輩と中原先輩って仲が悪いよね?」
「雷蔵いいところついた!」
「?」
「私もそこは疑問に思っているんだが、小野田先輩と中原先輩も恋仲ではないそうだ」
「ええ!?じゃあなんで中原先輩は小野田先輩の見舞いに行ったんだよ」
「いや、中入ってないから見舞いしようとしただけでしょ」
「だから私も疑問に思っていると言っただろう?」
「中原先輩が小野田先輩を好いていた、とか?じゃないと当番を変わって無事だった片桐先輩にきつく当たってた理由が……いや、そこまで別にきつく当たってはないな?」
「な?色々と可笑しい所があるだろ?」
 首を傾げた兵ちゃんに三郎はにやりと笑った。
 小野田先輩と中原先輩は恋仲ではなく、一方的ではあったけど良好ではなかったのは周知の事実。それなのにあの中原先輩が小野田先輩の見舞いに行った。いや、行きかけただけだけど。これが逆なら分かるんだけど、中原先輩がって所がまずおかしい。
 だけど見舞いには行かなかった。更に、事件が一段落した後、何故か突然火薬委員になった。
 兵ちゃんはあの事があったから火薬委員から用具委員に移った。でも片桐先輩と中原先輩の仲が良くない噂は俺だって耳にしてたけど、兵ちゃんの言う通り仲が悪いだけできつく当たっていたと言う事もない。
 中原先輩が片桐先輩にきつく当たるのは、小野田先輩と片桐先輩が当番を変わったせいで忍の道を絶たれたからだと思われていたけど、兵ちゃんの目から見てもそこまできつく当たってない。
 思い返すと、確かにと思う。言い方がきついだけで、片桐先輩に掛けてた言葉は歴代の火薬委員の先輩たちと変わらないんだ。
 だったらなんで中原先輩は片桐先輩と恋仲に思われること―――おそらく性交を行っていたところを兵ちゃんは目撃したんだと思う―――をしたんだろう。
 性的な暴力を振るっていたなら、兵ちゃんが二人を恋仲と誤解することもないだろうし……うーん、じゃあやっぱり中原先輩が小野田先輩を好いていた?
 だとすればなんで小野田先輩の見舞いに行かなかったり、片桐先輩とそういう事をしたんだ?
 って言うか、事故のそもそもの原因は当時一年生だった浦安が、火種を持ったまま煙硝蔵に居たせいだろう?片桐先輩だけが悪者になるのは変だ。その原因の浦安と当番を変わったのは兵ちゃんなんだから。
「そう言えば、中原先輩が医務室来たことないな」
 ふと思い出したように文ちゃんが口を開いた。
「生徒は全員一度は医務室で会ってるんだ。名簿チェックしてるから間違いないよ。でも中原先輩だけは医務室に来たことないんだ」
「それって変じゃないか?」
「だよね。どんなに優秀ない組だって怪我はするもんだよ」
「……いけなかったんじゃないかな?」
「だからなんで?」
「多分、だけど……中原先輩、血が駄目なんじゃないかな?」
「そう言えば、中原先輩って肉類食べれないって聞いたことある」
「は?前食ってたの見たぞ?」
 皆で揃って首を傾げていると、誰かが風呂場に入ってくる音が聞こえた。
「……そろそろ上がるか」
「あんまり考えてても逆上せるだけだもんね」
 三郎の言葉に雷蔵がこくりと頷いた。
 皆が浴槽から上がる中、兵ちゃんだけがじっと揺れる水面をじっと見つめていた。
「兵ちゃん?」
「あ……今いく」
 ぱっと顔を上げた兵ちゃんは、まだ思案を続けているようで、若干ぼうっとしながら風呂を出た。
 まあ兵ちゃんの場合、いつもぼうっとしたような顔はしてるんだけどね。
「やっぱり片桐先輩のことだから気になる?」
「あー……うん。……許嫁って女だよな」
「それが普通じゃない?」
「女装してたのに?」
「……あ」
 兵ちゃんの言葉に、片桐先輩と三郎の昔話を思い出す。
 実際本人から聞いたと言うよりも、人づてに聞いたのが正しいんだけど。それでもずっと女装していた人に、どうやって許嫁が出来ると言うんだろう。
 片桐先輩の妹らしいハナちゃんも、片桐先輩の事はずっと女だと思ってたって言うくらいだから、まず間違いなく周りの大人たちくらいしか知らない事実だろう。
 確か片桐先輩は、長期の休みでも実家に帰ってないと言ってたはずだ。……本当どうやって?
「おーい、勘右衛門、兵助!置いてくぞー」
 ハチの声に俺はぱっと後ろを振り返る。
 すでに脱衣所に居る四人と入れ替わりに、用具委員の川畠先輩と食満先輩と富松の三人が丁度入ってくるところだった。
「今いくー」
「四年生は仲良いな」
「わ、食満先輩。いきなり頭撫でないで下さいよ」
「気にしない気にしない」
 けらけら笑いながら、食満先輩は今度は兵ちゃんの頭をくしゃりと掻き混ぜた。
「しっかり水気とれよ」
「はい。あの」
「ん?」
「えっと、川畠先輩」
「おう、なんだ?」
「中原先輩と連絡付きますか?」
「は?」
 何を言われたのか分からなかったらしい川畠先輩は、一瞬呆けたが、すぐに理解したらしく口を開いた。
「俺はあいつの進路は知らないんだ。恐らく先生方しかご存じないと思うぞ」
「中原先輩に連絡取りたいんですか?」
「少し聞きたいことがあったんだが、無理ならいいんだ」
 富松の問いかけに兵ちゃんは苦笑してその頭を撫でた。
 用具委員って本当仲良いよな。後輩に甘い人多いし。
「俺、連絡付きますよ?」
「え?」
 富松の言葉に兵ちゃんは目を丸くし、川畠先輩はぎょっと目を見開いた。
 富松も片桐先輩贔屓だったから中原先輩と仲悪かったよな?兵ちゃんとは別の理由で。
「なんで!?」
「いや、俺も理由は知らないんですけど、兄貴が中原先輩に会ったって、この間教えてくれて」
「富松先輩と同じ城に就職したってことか?」
「なんか全然違う仕事らしいっすよ?」
「じゃあ敵だとか?」
「でも連絡付くから、片桐先輩に伝えとけって言われて一応伝えたんで」
「なんで片桐がそこで出てくるんだ?」
 首を傾げた川畠先輩に、俺と兵ちゃんは思わず顔を見合わせた。
 同室だった筈の川畠先輩はもしかして何も知らないのか?
「委員会の後輩だからじゃないですか?」
「でもあいつ見送りに来なかっただろ」
「三喜之助はそういうやつです」
「ふーん」
 食満先輩の言葉に川畠先輩は曖昧に返事を返した。
 川畠先輩と片桐先輩なんて、中原先輩以上に接点がないから仕方ない話だと思う。
「それじゃあ、失礼します」
「おう。風邪引くなよ」
「「はい」」
 川畠先輩の言葉に頷くと、すでに着替え終わって待っている三郎たちの元へと走ったのだった。



⇒あとがき
 富松先輩活用中……大きい富松と小さい富松、並んだらきっとパラダイスが待っていると思うのは私だけでしょうか?
 とりあえず富松が妄想してないので惜しいことした!と思ってます。←
 あと一つ書いたら第四話終わるかな?
20100925 初稿
20220930 修正
    
res

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