第肆話-2

 長かった一か月間の夏休みが終わり、中原先輩の居ない新学期が始まった。
 夏休みが始まるぎりぎりまでに、どうにか座学を履修した中原先輩は、「またそのうち」と言って学園を去って行った。
 私は見送りにいかなかったから知らないけれど、中原先輩を慕っていた会計委員の時の後輩だとか、川畠先輩だとかは見送りをしたらしい。
 生憎夏休みは、実家からこちら方面に渡り歩いてくる一座に合流すべく、早めに学園を出た。だから私は、彼を見送ることなく新学期当日に学園へと戻ってきた。
 その事に対して葦原先輩は呆れていたけど、何となく二人らしいなと笑っている辺り、仲が悪かった癖に中原先輩のことをよくわかっていると思う。
 まあ元々葦原先輩と中原先輩の仲が悪かったのは、間に小野田先輩が居たからだから、小野田先輩の居ない時間が二人の間にあった壁を壊したんじゃないかなと思う。
「片桐先輩、遅くなりました」
「ん」
 補習の関係で少し遅れると聞いていた浦風が、煙硝蔵に駆け込む姿を見ると、私は適当に返事をしながら壷を持ち上げた。
「兵助。昨日、田村来た?」
「え?いえ……」
「減ってるんだけど」
「田村先輩なら、今朝、僕が出しました」
「記帳した?」
「……あ」
「忘れないで」
「はい、すいませんっ」
 壷を置いてしゅんと項垂れる浦風の頭を撫でれば、浦風はほっと息を吐き出す。
 兵助との距離は相変わらず微妙なところで、先ほどから事務的な会話以外、会話らしい会話は一切なかった。
 元々兵助が話しかけても、適当にしか相槌を打っていなかった私だけど、これは相当気まずかった。
 中原先輩が居なくなったとはいえ、それでまさか兵助が戻ってくるとは思っていなかったんだけど、こいつなんで戻って来たんだろう。
 こんな空気に毎度なってしまうから、浦風に補習があるなら休んでいい、と言えず、浦風が少し遅れてでも来てくれて少しほっとしている。
 浦風に持ち出し表に改めて記帳させ、私は再び作業に戻り、黙々と手を進めた。
 先ほどの壷以外に火薬壷の中身の量に変動はないようで、記帳通りに間違いなくて、これで委員会は終わりと用紙の最後の項目にチェックを入れた。
「兵助、浦風。終わった?」
「あと少しです」
「そう」
 それなら手伝う必要もないだろうと、煙硝蔵の外に向かう。
 戸口に手を当てて空を仰げば、ただ白い雲が泳いでいた。……日の光が、寝不足の所為か目に染みる。

「片桐ー!!」

 ぱたぱたと、卵とはいえ忍びらしからぬ……と言うよりも、お前本当に私と同じ年?と言いたくなるような足音を立てて駆けてくる姿があった。
 泣きそうな必死の形相の後ろに見えるのは、勢いのついた猪。
 あれは確か生物委員で預かっている暴れ猪じゃなかったかしら?
 私とそう変わらない小柄な彼―――い組の篠田六郎太は、生き物があまり得意ではなく、以前ジュンコを引き取りに行った日から生き物関係で何かあったら、私を頼ると言う事を覚えたらしい。
 そこで鬼桜丸の所に行かないのは正解だけど、どうして私の所に来るのかよくわからない。
 私はふうとため息を吐いて、足元に落ちている小石を拾って猪に向かってひょいと投げた。
「片桐ー!」
 足元に小石を投げられた猪は、ころんころんと進路を反れて転がっていき、勢いがついた篠田だけが私に向かって飛びついてきた。
 勢いづいた篠田の方が私よりも少し身長が高くて、足を踏ん張ったものの、よろめいてそのまま後ろ向きに尻餅をついた。
 運悪く石段の上にお尻を打ち付けた所為で、ずきんと痛みが背筋を走った。
 ……ああそう言えば昨日は容赦ない相手だったっけ。
 お尻と言うよりも、折角忘れていた痛みが全身に走ったようですぐには動けそうにない。
 ついに私にも伊作の強烈な不運が移ったのかしら?留三郎みたいに。
「うあああ助かったよ片桐!なんで俺あんなのに追われてたの!?」
「知らない」
 泣きながらぎゅうぎゅうと強く抱きついてくる篠田に、腰の痛みが強まる。
「おー、本当に煙硝蔵に居たー」
「呑気に言うな勘三郎。お前と川田が二人して小屋を壊したせいだろうが」
 呑気にこちらを見て言う吾滝の頭を、鬼桜丸が容赦なく拳骨で殴った。それほど強くなかったのか、呑気な吾滝にはあまり効いていないみたいだけど。
「勘三郎お前なあ……今日と言う今日は許さないからな!」
「そう言われてもなー。今回のって、主に宗次郎が悪いし」
「川田が悪かろうと、最終的に小屋壊したのはお前だろう!!この鳥頭!!」
「だって宗次郎が避けたし」
「避けたしじゃないよ!なんであんな暴れ猪が入れられてる丈夫なはずの小屋を壊すんだよ!誰が直すと思ってんだよ!」
「あの大きさは六郎太の管轄じゃないだろ?食満じゃねーの?」
「用具委員皆だ馬鹿野郎ー!!!」
 篠田の一方的な口喧嘩に鬼桜丸がため息を吐きながら、騒ぎを駆けつけてやってきたらしい宗次郎に、今のうちに気絶している猪を捕獲するよう指示を出していた。
 この喧嘩はいつになったら終わるのかは知らないけど、私のいないところでやってくれないかしら……。
 篠田のキンキンした騒ぎ声が耳に響いて、頭も痛くなってきた気がする。

「……あのっ!」

 意を決したかのように騒ぎに割り込んできたのは、兵助だった。
 思わずぱちりと瞬きをすれば、皆の視線が一斉に集まったからか、兵助はかあっと顔を赤くして俯いた。
「片桐先輩、体調が悪いようなので……別の所でやってください」
「え?片桐体調悪かったの!?」
 驚きながら慌てて離れる篠田に、私はようやく落ち着いて息が吐けると、深呼吸を一つした。
「そうは見えないけどな……」
「もしかして三喜之助、動かないんじゃなくて動けなかったのか?」
 のんきな吾滝と違い、鬼桜丸が慌てた様子で私に走り寄ってきた。
 少し離れた場所で、宗次郎が目を丸くして兵助を見ていた。
 宗次郎の言いたいことは何となくわかる。
 “皮”で隠されている私の顔色は人に読みづらく、瞳には感情が宿らない。
 元々表面に感情が出ない私は、自己申告しない限り、周りに体調不良を悟られることはなかった。
 気付くとすればよほど私を注意深く見ている様子の立花か、私の機敏を読み解くことのできる三郎様くらいのものだと思っていた。
「片桐先輩」
 すっと差し出された手がよくわからなくて、思わず首を傾げると、兵助は頬を赤く染めながら困ったように笑って、私の手を取った。
「立てます?」
「……平気」
 握られた手のひらは温かくて、不思議と肩の荷が下りたようなそんな感覚を覚えた。
「鍵は私が閉めますから。浦風、片桐先輩と保健室に行ってくれないか?」
「あ、はい」
「兵助、平気だから……いい」
「駄目です。片桐先輩は無茶しやすいんですから」
 ぎっと強く握られた手が熱くて、私は目を細めた。
「……片桐先輩、私はもう平気です」
 小さく紡がれた声に、私は目を丸くした。
「四年生、ですから」
 しっかりとした意思に、兵助はようやく自分の中で折り合いをつけたのだと感じ取った。
 意味が分からないらしい外野は首を傾げていたけど、私はふうと息をついて兵助の手を解いた。
「……保健室、一人で行く。わかってるんなら、その意味もわかるでしょう?」
「あ、はい。……そういう意味だったんですね」
 苦笑を浮かべる兵助に私は腰に下げていた鍵を押し付けるように渡した。
「後は任せた」
「はい。お大事に……で、いいんですかね?」
「いいんじゃない?」
 大分痛みを意識しなくてもよくなった私は、医務室に向かって歩き出した。
「……一局打ちたいよ、久々知」
 面倒な感情に思わず本音が零れ落ちた。


  *    *    *


 いつものように無言で医務室の戸を開ければ、保健委員三人が包帯に絡まって抜け出そうとしているところだった。
「……不運」
「入っていきなりそれ!?」
「でも否定できませんよ、善法寺先輩」
「うん、まあそうなんだけどさ……」
「お、解けた」
 苦笑する伊作を尻目に、葦原先輩がこんがらがった包帯から逃れ出ていた。
 医務室の中をぐるりと見渡しても、新野先生の姿は見当たらなかった。外出中かしら?
「出直す」
「出直さなくていいから!」
 身体を反転させようとした私の肩を葦原先輩が捕える。
「やっと治療に来たのに逃すと思うなよ」
「……助兵衛」
「そこは否定しないが安心しろ。私は男相手には一切勃たん」
 きっぱりと言い切った葦原先輩は、私の身体をひょいと俵持ちすると医務室の戸を閉めた。
「……痛い」
「すぐに医務室に来ないお前が悪い」
 姿勢を改める気はなく、葦原先輩は男らしくずんずんと医務室の奥へと向かうと、衝立を引っ張って伊作たちとの間に仕切りを作った。
 とんと床に下ろされると、ひんやりとした板の間が気持ちよくてぺとりと寝そべった。
「治療するんだから寝るなよ」
「……葦原先輩」
「何」
「決着、着いた」
「……そうか」
 葦原先輩の手が優しく髪を撫ぜる。
 綺麗に見える葦原先輩の手は剣蛸がものすごく硬くて、普通に撫でられると痛いのだけど、今日の手つきはとても優しい。
 痛みを忘れようと気を張っていたせいか、瞼が重い。
 そう言えば三日ほど眠っていなかった気もする。
「寝るな馬鹿」
 優しく撫でていた手が、私の頭を容赦なく叩く。
「……薬」
「脱いで待ってろ」
「ん」
 欠伸を一つ浮かべ、のろのろと結んでいる帯に手を掛ける。
「三喜之助、どこか怪我してたの?」
 ひょこっと衝立から顔を覗かせた伊作に、思わず解き終わった手が止まる。
「……伊作の助兵衛」
「えええ!?」
「二人とも上級生だから問題ないだろう。ほら、起きて脱げ」
「……嫌だ」
「だったら脱がすだけだ」
 男は抱けない癖によく言う。
 思わずため息を吐きながら、私は諦めて制服を脱いだ。
「……え?」
「福屋、お前も来い」
「へ?あ……はい」
 硬直する伊作の後姿を不審に思いながらも、福屋がこちらへと歩み寄ってきて私の姿を見て同じように固まる。
 前掛けを落として褌一枚と言う姿の私の身体は、お世辞にも綺麗とは言い難い細かな傷がある。これでもあれだけの修行をこなしてきたにしては綺麗な身体だと思う。
 色の白い肌には赤い鬱血痕が点々と広がり、それの上に不均等な細い線状の切り傷や擦り傷が目立つ肌は二人の眼には異常に映ったことだろう。
 本来ならこうしてひと肌を晒すのは好きではないけど、治療を兼ねた忍務の一環だと割り切れば堪えられないわけじゃない。
 過去、こうして葦原先輩も美濃先輩や、その上の先輩方から色の後の身体を覚えさせられているのだから。
「四年生は色の座学はもう始まっているだろう?」
「は、はい」
「これが鬱血痕。こっちは拷問の痕だな。手酷くされたと聞いていたが傷は少ないな」
「こっちの方が酷い」
 私は腕と足に当てていた布を外し、その下に巻いていた包帯をするりと解いた。
 手首と足首、それから膝の辺りにギチリと結ばれた荒縄の痕が半日以上経った今も綺麗に残っている。
 これじゃあしばらく色の忍務には着けそうにない。
「伊作、これ何の跡かわかる?」
「え?あ……えっと……」
 差し出した手をきょとんと見つめ返した伊作だったけど、はっと我に返って手首をじっと見つめる。
「麻縄、かな。擦り傷の痕とかもあるし」
「正解」
「麻縄の痕は下手なのを使われると後で結構痒くなるからな。痒み止めを出せばいい。組紐や髪紐みたいなやつは、痕の度合いを見て腫れを押さえるこっちの薬だな」
 葦原先輩が薬を並べながら説明していく。
 調合はまた後日でも教えられるからか、治療方法だけの話を進めていく。
「鬱血痕は内出血だからほっとけば消える。だからこう言う擦り傷を優先して治療する。傷の治療は普通の治療と変わらない。色事の治療の問題はこう言う外傷じゃない」
 葦原先輩はいつもの薬を手に取ると私の腰を取って引き寄せた。
 私からしてみれば伊作と福屋にお尻を向ける形になる。
 ぐらつく身体を葦原先輩の頭の後ろに手を伸ばして落ち着けると、息をゆっくりと吐き出した。
 葦原先輩は褌の帯をずらすと、私の後孔に薬を塗った指を這わせる。
「男同士だとこっちを使うんだが、普通入れるための穴じゃないから、慣らしてない状態で行為に至ると傷を作りやすい。薬を塗る時も丁寧にやらないと、爪で傷つけることになるから、爪は普段から気を付けておくように」
 周りに馴染ませるように一通り塗ると、再び薬を取って、指を穴の周辺を解すように動かす。
「……気持ち悪い」
「はあ……。これは初心者向けのやり方だから、片桐相手にはここまで丁寧にしなくていい」
 溜息を吐くと葦原先輩は指をそっと中へと忍ばせた。
 ぬるりと入ってくる感触に思わず身体がふるりと震え、飲んだ息をそっと吐き出した。
 丁寧に皺の筋に薬を塗りこむように指が動く。
「葦原先輩。だめ、勃つ」
「堪えろ」
「無理っ」
 ぞわぞわと粟立つ感覚に葦原先輩の肩に置いていた手で爪を立てた。
 ……と言ってもさして伸ばしていなかったので大したダメージにはなっていないだろうけれど。
 葦原先輩は眉間に皺を寄せて私の了承を得ずに褌を剥ぎ落した。
「……お前なあ」
 呆れたように葦原先輩の声に、私は羞恥心を誤魔化す様に目を瞑った。
「だから無理って言った」
「はっきり言えよ」
 根元に走る束縛痕に福屋と伊作は目を見開き、ぱっと視線を逸らした。
 根元を縛られるとイけなくてもどかしくて頭がどうにかなりそうになる。そうなるときゅうきゅうとお尻の穴が締まるから変態はこう言う行為が止められないんだろう。
 される身としてはたまったもんじゃないけれど。
「痒い」
「伊作。はい薬」
「へ?」
「私、男とはやらない主義なんだ」
「爽やかに笑顔で言う事ですか!?しっかり穴に指入れといて!」
「治療でも野郎の竿は握りたくない」
「だからって……」
 がくりと伊作は肩を落とし、顔を赤くしながら薬に手を伸ばして掬い取った。
 恐る恐る伊作の指先が根元の痕に触れると、ゆっくりと這うように動く。
「……伊作、最低」
「えええ!?」
 余計に勃ってきた上に下腹部が熱い。
 傷の手当と言うよりも、それじゃあただの愛撫だと思う。
「傷の手当なんだからそんな丁寧に触らないで」
「ご、ごめん」
「割り切ってやらなきゃ治療される側には毒だからなあ」
「説明を先にして」
 ぎりぎりと指を食い込ませれば、これは効くらしく葦原先輩の表情が痛みに歪む。
「何と言うか」
「何?」
「……治療って言うよりも乱交のノリですよね」
 ぽつっと零した福屋の言葉に場の空気が硬直して、お陰で私の気が萎えた。
「福屋、お前意外と言うのね」
「へ?……あっ……あははは」
 一番動揺するかと思った四年生が冷静に分析して感想を述べたのに対し、私と同じ五年生であるはずの伊作がパニックを起こして百面相をしている様はとても愉快だったので、都合の悪いことは忘れることにする。
 そう言えば三郎様が福屋は意地が悪いとか言っていたっけ?
 ……天然でこれなら確かに意地が悪い。



⇒あとがき
 保健上級生を出ばらせてみた\(^o^)/
 原作キャラは伊作だけだけど何故だろう……後半の方がいろいろみなぎってきたよ!←だから兵助を(以下略)
20100917 初稿
20220930 修正
    
res

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