第参話-5

 いつものように日の昇らぬ時間に目が覚めると、誰かの腕に抱かれていることに気がついた。
「んっ」
 小さく身じろぎする声に視線を動かせば、三郎様の顔があって私は思わずほっと胸を撫でおろした。
 昨夜はあの足で四年生長屋の空き部屋の一つで一夜を明かした。
 三郎様は同室の不破に事情を説明していないと言っていたから、起こして部屋に戻らないと騒がしい事になるだろう。
 私は三郎様に手を伸ばしてその身体を揺すった。
「三郎様、夜が明けます。起きてください」
 一組しかない布団の中で強く抱きしめられているために、あまり身動きが取れない。
 声を出し過ぎれば、勘のいい奴らが起きかねないので、そっと耳元に届けばいい程度の声で三郎様の鼓膜を揺らす。
「ん……ミキ?」
「おはようございます三郎様。時期に夜が開けます。お部屋にお戻りください」
「んー」
 三郎様は嫌がるように私の身体をぎゅっと強く抱きしめる。
 中原先輩に無理やり温めてもらっていた時とは違う温かな温もりに、心がじんわりと温められる気がした。
「不破が不審に思う前にお戻りください」
「黒ノ江先輩も心配するし?」
「鬼桜丸は私たちの事情をご存知です。それに、起床の鐘が鳴る前まで、私はいつも出ておりますので、さして気にはしないでしょう」
「そう?」
 仕方ないと言うように、三郎様はゆっくりと起き上ると、欠伸を一つ浮かべた。
 眠る間も変装を続けていたことで襲う疲労感を肌に感じるのか、眉間の皺を深くした三郎様は首をコキリッと鳴らした。
 鬼桜丸のことは三郎様には詳しくは話さなかった。一応鬼桜丸の件も忍務である以上、そうやすやすと秘密を明かすわけにはいかない。
 簡単に鬼桜丸の表向きの素性―――クラマイタケ城の二の姫の婚約者であることは告げた。
 久良舞家と、鉢屋が仕える尼子家は現在同盟を結んでいる関係であることは三郎様もご存じだから、そういうことかと納得わされていたから大丈夫でしょう。
「後は私が片付けますのでどうぞお戻りください」
「頼んだ」
「かしこまりました」
 深々と頭を下げ、私は部屋を後にする三郎様を見送った。
 四年生にもなってくると、一人になりたいときも出てくる。その為こう言った空き部屋であっても、普段から手を入れているために、簡素ではあるがきちんと使えるようになっている。
 一組しか使わなかったその布団を静かに畳み、押し入れに片づけ、部屋の中をぐるりと見回して落していたらしい犬笛をそっと拾い上げる。
 竜胆と牡丹も三郎様が懐かしいだろうから、そのうち会わせてあげなくちゃと思いながら、犬笛を首に下げ直して自室へと戻った。
 夜中に一度戻った室内では、鬼桜丸が静かに寝息を立てており、私は鬼桜丸を起こさないように静かに替えの制服を引っ張りだして、袖を通して変装を整えると、いつもの日課のため部屋の外へと出かけるのだった。


  *    *    *


 朝、起床の鐘の音を耳にするよりも少し早くに目が覚めるのは、学園に来てからの習慣と言っていい。
「……ふわっ」
 自然と浮かんできた欠伸をしながら、強張っていた身体を伸ばした。
 左隣の布団の中ではすやすやと気持ち良さそうに眠っているハチの姿があった。
「んっ」
 僕が起きたことで目覚めが訪れたんだろうハチは、もぞりと身を捩ってゆっくりと目を明けた。
「おはよう、ハチ」
「……おー」
 まだ眠そうな声が返って来て、僕はくすりと笑う。
 のろのろと起き上ると、ハチは目を擦りながら小さく唸る。

「それってくのたま長屋に行ってたの!?」
「ちょっ、雷蔵声大きい!」

 不意に聞こえた隣の部屋からの声で一気に目が覚めたらしいハチが、ぱちくりと瞬きをして隣の部屋を見る。
 僕も隣の部屋に思わず視線を向けるけど、それ以上会話は届かなかった。
 僕たちの部屋の隣は、同じろ組の雷蔵と三郎の二人で、今の会話を簡単に取れば、昨日戻ってこなかった様子の三郎が、くのたま長屋に行っていたと言うことになる。
「……文」
「何、ハチ」
「ここは襲撃すべきだろう!」
「……ほどほどにね」
 呆れながら僕は部屋を飛び出して行くハチを見送った。
 スパーンッと勢いよく戸の開く音を聞きながら、溜息をついて立ち上がると、僕も雷蔵と三郎の部屋へと向かった。
「だから誤解だって!」
 部屋の前に立つと、言い訳を口にする三郎の声と起床の鐘の音が重なった。
「……あ」
「あ?」
「私、約束があるんだった」
「は?何だよそれ」
「学園長の庵にも行かなきゃいけないから、私はもう行くからな!」
 言うが早いか、問いつめようと拘束していたハチの腕をすり抜け、既に身支度が整っていた三郎は部屋の外へと消えて行った。
 早足に駆けて行った三郎の姿に瞬きをして、首を傾げる
「あの調子じゃ兵助の見舞いは頭から抜けてるんだろうなあ……」
「うわ!」
 背後から聞こえた声に思わず声を上げて振り返れば、勘ちゃんが立っていて、驚いたあまり後ろ向きに倒れそうになった。
 ……いや、実際膝がかくんとなって尻もちをついたんだけどね。
「文ちゃんは相変わらずだなあ」
 そう言いながら手を伸ばしてくれた勘ちゃんの手を取り立ち上がる。
 認めたくはないけど、僕って不運なんだろうなあ。なにせ保健委員だし。
「で、三郎はどうしたんだ?」
「昨日“ミキ”ってくのたまと会ってたみたいなんだけど、三人は知ってる?」
「ミキ?……さあ。学級委員長委員会にはいないけど?」
「くのたま自体そこまで仲良くないからな……文は?」
「うーん」
 僕の実家が化粧問屋と言うことで、くのたまの一部が贔屓にしてくれているけど、全員の名前を把握しているわけじゃない。
「少なくとも僕が知ってる中には居ないかな」
「そっか……」
 誰なんだろうと悩みはじめた雷蔵に僕はくすりと笑った。
「安心しなよ、雷蔵。三郎のことだから、きっと雷蔵にはそのミキちゃん?紹介してくれると思うよ?」
「そうかな?」
「そうだって。三郎は雷蔵にべったりだからな」
「俺たちだって散々世話焼いたのにな!」
「いや、八っちゃんはひっかきまわしてたのが正しいし、文ちゃんはそれを眺めて笑ってただけだろ」
「「いやー……はは」」
「……息合ってるよな、二人って」
 苦笑する僕らを見て勘ちゃんは溜息をついて肩を落とした。
 思わずハチと目を合わせて、くすくすと笑いあった。


  *    *    *


 遠くで聞こえる小さな鐘の音に、閉じていた瞼をそっと持ちあげた。
 薄暗い部屋の中にあるのは、途切れそうになる仄かな灯火のみ。
 己以外人気のない静かで暗いその部屋、僅かに身を捩ればギチッと肌に食い込む縄が音を立てる。
 死なないようにと咥えせられたのであろう猿轡の所為で、唾液がぽたりと床を汚す。
 ここはどこだっただろうとぼんやりとする頭で思い出すが、思い出せない。
 まだ頭がぼんやりと霞むような感覚に目を細める。
 どのくらい気を失っていたかは知らないが、気を失う前はこんなところに居なかった事だけは確かだ。
 派遣忍者である俺が所属する忍部隊は、殿の命令で忍術学園を調べていた。
 一部俺のように雇われ忍者が混じっているとはいえ、仮にも精鋭ぞろいの忍部隊を蹴散らしにやってきたのは、恐ろしいまでに静かで鋭い剣術の腕を持つ少年と、二匹の山犬……じゃないな、狼か?を操る小柄な少年の二人だけだった。
 教師は手を出すつもりはないようだったが、数人木々の間から此方を覗き見ているのが見えたから、俺たちは授業の一環にと利用されたのだろう。
 どうせ雇い主と言うか、あの殿さまはろくな奴じゃなかったから、別に不在のはずの六年生に殺されていようが興味はない。所詮俺は雇われ忍者だ。
 それより気になるのは、少年二人のうちの一人。狼を操っていた少年だ。
 俺が思わず零した台詞に、あの少年は大きく動揺をしてみせた。つまりあの少年は俺と同じ人間だと言うわけで、当然俺もその事実に驚いた。
 様子がおかしいと感じたもう一人の刀を持った少年に危うく殺されかけたが、あの少年はそれを許さず、俺は生きている。
 ずきずきと背中と後頭部が痛むのは、助けるために蹴り飛ばされた揚句、木に強く頭をぶつけた所為だろう。
「……ひひゃひ」
 猿轡を銜えているのをうっかり忘れて零した声は、間抜けな音になって静まり返った空気に溶け込んだ。
 思わずがくりと肩を落とし、視線を落とす。
 目の前を飛び散る赤に、あの少年たちは躊躇いがなかった。
 躊躇いだらけで、いつか死ぬぞと言われ続ける俺とは大違いな少年。
 俺は二年前のある日、気付いたように記憶が混濁した。
 紫の制服を纏っていたと言うことは、あの少年は忍術学園の四年生―――数え年で十三歳のはずだ。そう見えないくらいには小さかったが。
 気付いた時、俺はもう元服を済ませて、プロの忍として活躍していた。身体が日常生活や、忍としての仕事を覚えていたから、今もどうにか忍者を続けていられるが、覚悟はこの二年でようやく付いてきはじめたばかりだ。
 じゃあ。あの少年はいつから記憶を持っている?
 背筋をぞっと冷たい何かが走……
―――ピチョンッ
「ひょおー!?」
 武器がないか確認ついでに脱がされたであろう、肌を守るための装束のない素肌に水滴が落ちた。
 どうして俺はこういつもシリアスが決まらないんだ!
―――ぐぎゅるるるる……。
 ……腹まで間抜けな音を立てやがった。畜生!
「……ふぁふぇふぁほへーはあ。ふぁあへっふぁ」
 思わず泣きそうになりながらもそもそと呟くものの、人が来るのはこの二刻ほど後の事であると今の俺は知るよしもなかった。



⇒あとがき
 ……あれ?本題に入らなかった。ま、いっか。
 最後に登場したプロ忍も転生組なオリ忍さんです。もっとこうカッコいい人にしよう!と決めてたんですが、段々扱いがくのたまのイロちゃんと同じ感じに(笑)
 でもこの人は腐とか関係ない人なんで!←そりゃそうだろう
 さて、今度こそ本題に入るぞ!
20100624 初稿
20220927 修正
    
res

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