第参話-4

「黒ノ江先輩!」
 就寝前と言うことで少し油断をしていた私は、足音をさせなかった小さな侵入者に思わず身体を強張らせた。
 風呂上がりの所為か汗ばんだ身体を拭ってから寝ようとずらしていた夜着ではあるけれど、障子戸には背を向けていたために気付かれてはいないだろう。
 私は平静を装って夜着を整えて振り返った。
 同室である三喜之助の従弟である鉢屋三郎は、随分と切羽詰まった様子で部屋の中を見渡していた。
 どうやら私の身体のことは気付かなかったようだ。
 内心ほっと胸を撫で下ろしたけれど、あまりにも気づかれないこの身体に、気持ちはとても複雑だ。
「……やっぱり」
 ぽつりと呟かれた鉢屋の言葉に私は首を傾げた。
「どうした、鉢屋」
「黒ノ江先輩、片桐先輩はどこですか」
 その問いに思わず瞬きをしてしまった。
 それは半刻ほど前にも同じような質問を受けたばかりの所為なのだが、きっと鉢屋にはわからないだろう。
 鉢屋と久々知は同じ三年生ではあるが、長屋の部屋が近いわけではない。
 恐らくもう部屋には戻っている頃だろうが、お互いの部屋を行き来するような時間ではない。
 いつも飄々としているしいたずらが大好きな鉢屋だけど、変なところで真面目なのはきっと三喜之助の教育の賜物だろう。
「三喜之助なら皆が寝静まった頃には戻ってくるはずだ」
「何処に居るか黒ノ江先輩はご存知ですか?」
「いや」
 学園内か、学園の付近か。今居ないのは忍務ではないことは確かだろうが、そこまで鉢屋に教えてやるほど私は親切ではない。
 しかし何故鉢屋は突然三喜之助のことを?
「何かあったのか?」
 鉢屋はすっと辺りに視線を走らせ、部屋の中に静かに入ってきた。
 既に布団を敷いていたこともあり、その上にではあるが鉢屋を招いて座らせた。
「……兵助……三年い組の久々知兵助が倒れました」
「久々知が?」
 この部屋を訪れた時、久々知に別段変わりはなかった。それが突然?
「原因は恐らく片桐先輩だと私は推測してここに来ました」
「三喜之助が?三喜之助はあれで久々知を結構可愛がって」
「だからです」
 私の言葉を遮り断言した鉢屋の言葉の意味がよくわからずに、私は首を傾げた。
「……よくわかりました。黒ノ江先輩は事情をご存じないんですね」
 鉢屋は溜息を吐き出すと、腕を組み何かを考え始めた。
 久々知が倒れて、その原因が三喜之助。
 友人思い故に三喜之助を非難しに来たにしては、妙に真剣な顔をしている。
 まるで難しい任務に臨むかのような眼差しは、一度だけ会った鉢屋殿―――鉢屋のお父上が一瞬浮かべた、忍としての顔によく似ていた。流石は親子と言ったところだろうか。
 ……そう言えば三喜之助は実家で女装をしていたと言っていたな。
 鉢屋は従兄のミキが女だと信じて疑わなかったんだろう。今も疑ってはいないようだ。
「鉢屋」
「はい」
「目に見えるものが全てだと決めつけず、視野を広げてみろ。真実はまだ近くに見えてその実、遠いぞ」
「……黒ノ江先輩はご存じなのですか?」
「私とて全てを知っているわけではない。だが、鉢屋が今最も知りたい者の事に関しては、私は知っていると言えるだろう」
 ただの友である私に、三喜之助は全てを曝け出すことは出来ないだろう。
 ましてや私は一国一城の姫。
 汚してはいけないとでも三喜之助はどこかで思っているのだろうか、時折妙に近いようで遠い距離を感じる。
 だけど鉢屋ならその距離を取り払って向き合う事が出来るだろう。
 同じ鉢屋の人間として―――本当の意味でお互いを知る同士として。
「三喜之助に話があるのなら明日、起床の鐘が鳴る前に部屋に来るか、起床の鐘が鳴った後ならば食堂に来ると良い。私たちは起床の鐘が鳴る頃に食堂に向かっているからな」
「はい。ありがとうございました」
「おやすみ、鉢屋」
「おやすみなさい、黒ノ江先輩。失礼いたしました」
 鉢屋は軽く頭を下げると静かに部屋を後にした。
「……さて、私も寝るか」
 欠伸を一つ浮かべ、もぞもぞと布団の中にもぐりこんだ。
 早く寝ないと三喜之助が戻って来にくいだろうし、とうつらうつらと下がる瞼を閉じた。


  *    *    *


 厠から戻る道すがら、井戸に桶を落とす音が聞こえ、こんな時間に誰だと井戸の方へと足を伸ばした。
 開けた場所にある井戸の前には今朝食堂で姿を見かけたきり姿を見ていなかった片桐が居た。
 未だ制服姿のままの片桐は、井戸から引き揚げた桶の水を躊躇なく頭から被った。
「なっ……暑いからと制服のまま水を被るものがあるか!幾ら夏だからと言って風邪を引くだろうがっ」
 思わず片桐の元へと走り寄ると、嗅ぎなれない臭いがつんと鼻を刺激した。
 錆びた鉄の臭いは紫の制服を黒に染め上げそうな血の匂いだと分かるが、もう一つは何だ?青臭いような……。
「風呂、今、使えないから」
「まあこんな時間に入る奴はいないな」
「そんなところ」
 片桐は空になった桶を井戸の中へと落した。
「……立花は?」
「私は厠に行った帰りだ」
「そう」
 ぽつりと呟かれるような片桐の言葉を返せば、片桐は興味なさ気に縄を引きあげていく。
「こんな時間まで何処に居たんだ」
「煙硝蔵」
「その格好のまま委員会活動したのか、お前は」
「の近くの木の上」
「……ただの昼寝か。時間が経ったから血は落ちんだろう。その制服はもう使えないだろうな」
「予備がある」
「だが着回しが利かなくなるだろう」
 片桐は大きな目を見開いた後、僅かに水気を帯びた手のひらを私の額へと伸ばしてきた。
「か、勘違いするな!別にお前の心配などしては……」
「あー!」
 突然の乱入者の声に、私は思わずびくりと肩を揺らし、片桐はそっと手を離して行った。
 ぱたぱたと此方に向けて走ってくるのは、三年の鉢屋三郎だった。
「片桐先輩、今まで何処に居たんですか」
「煙硝蔵」
「正しくは煙硝蔵の近くの木の上で寝てたそうだ」
「あ、立花先輩居たんですか」
「……お前が後から来たんだ」
 どうやら片桐しか目に入っていなかったらしい鉢屋は、私の存在に今気付いたとばかりに目を丸くした。
 と言ってもこいつの顔は同室の不破雷蔵の顔だが。
「いや……片桐先輩にお話があって、つい」
「私に?」
「ちょっと失礼しますね」
 鉢屋は片桐の胸元に顔を近づけると、すんすんと鼻を鳴らした。
「片桐先輩、煙硝蔵にはお一人でいたんですか?」
 まるで誰と居たんだと問うような鉢屋の言葉に、片桐は目をぱちりと瞬かせ、鉢屋を凝視する。
「……見て、いたの?」
「正しくは私ではなく兵助ですけど」
 兵助と言えば片桐と同じ火薬委員の三年い組の久々知兵助だ。
 何故か“久々知”と呼ぶ事を嫌がった片桐に、妥協策として小野田先輩が“兵助”と呼ばせるようになったのは、私が最後に火薬委員を務めた二年の一学期のことだ。
 火薬委員を一年と少し務めたために、火薬に関しての知識は他の一年よりあったし、何より細身の自分の体格や己の両親を見て、将来の自分の成長具合を考えれば、文次郎や鬼桜丸のように力で上にのし上がるのは無理だと早々に判断し、私は火薬の道を究めることにした。
 そもそも火薬委員には火器を扱う事が得意なものは所属できないと言う暗黙のルールがある。
 来期は火薬委員になりませんと言った時の大嵜先輩のあの顔はよく覚えている。理由を話せば「ならいつでも来いよ」と片桐にいつもしているように頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。
 片桐は私よりも小さい体格だが、見た目に反する怪力の持ち主で、それに加えて身軽だ。
 火器に興味どころか、何故忍者を目指してるんだと言う位にやる気は見られないが。
 そんな片桐と鉢屋の接点は、鬼桜丸か久々知くらいのはずだ。
「……それで、何を言いに来たの?」
「そっちは別に右に置いておいていいです」
「?」
「黒ノ江先輩にさっき視野を広げてみろと言われたんですけど……もしかしてですから、意味がわからなかったら忘れてください」
「……ん」
 空気が張り詰めるのを感じながら、私は静かに鉢屋と片桐を見守る事にした。
 口を挟もうにも何の話をしているのかよくわからんからな。
「約束を守りたいんだけど、傍に居てもいい?」
 鉢屋は苦笑を浮かべながら片桐にそう言った。
 言われた片桐は瞬きを一つすると、ぽろりとその目から涙が零れ落ちた。
「わっ、ミキ泣くな!私はミキを泣かしたくてミキを見つけたんじゃないんだからな!」
 慌てる鉢屋はおろおろしながらも、片桐に手を伸ばして頭を優しく撫でた。
「遅くなってごめんな?ミキが忍たまの方にいると思わなかったんだ」
「私こそ、ずっと騙していて申し訳ありません」
 いつもより滑らかな声が片桐の口から紡がれる。
 その身なりによく似合った少年らしい高い声ではなく、落ち着いた少女のような柔らかい声音。
 それは親しいものに向ける特別なものだと思った。
「いや、どうせ全部親父の命令だろ?いいって!」
「しかし……」
「ここは鉢屋じゃないんだ。ミキと私はただの従姉弟!これでもう遠慮することはないだろう?」
 頭を下げようとした片桐を鉢屋は止め、にかりと笑った。
 従兄弟で、主従の関係なのだろう。
 鉢屋は出雲の方の出身だと聞いたが、出雲は遠方であまり詳しい事は知らん。また後日話を聞けばいい。
 片桐の泣き顔なんぞ初めて見たが、私には何もできないことはよくわかった。
 だから私は静かに二人に背を向けて歩き出した。

「立花!」

 はっと我に返ったらしい片桐が、私を呼び止める。
「あの……いつか話す。ありがとう」
「感謝される謂れはない……が、一応受け取っておく」
「ふふ、立花らしい」
 鈴を転がすような少女めいた笑みに、ふいっと視線を逸らし、私は長屋へと向けて歩き出した。
 声音が少女のようであろうと、片桐は間違いなく男だ。
 あいつは一年の頃から私たちと風呂に入る事を嫌っているだけで、二年の時に一度だけ切れた富松先輩に首根を捕まえられて風呂に放り込まれた時に見ている。
 透けるような肌に目を奪われていると、風呂の隅の方に早足で逃げていき、近づいてきた大嵜先輩に遠慮なく風呂桶を投げつけていた。
 大方実家では女装でもしていたのだろう。何しろ万年変装男なのだから。
 そう言えばあいつ、女子のように恥じらって抵抗していたが……女装の所為で人と風呂に入った事がなかった所為なのか?
 ……まさかな。



⇒あとがき
 そのまさかだ仙ちゃん\(^o^)/
 鉢屋本家での生活は常に女装の為にいつも一人でお風呂に入ってたので下級生の頃はかなり抵抗あったんじゃないかなーっていうネタをここで小出し(笑)
 さーて、次は……ようやく本題に入っていきます。
20100623 初稿
20220927 修正
    
res

×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -