第参話-3

 最近、学園にとある城の忍がちょっかいをかけようとしていたらしい。
 そしてその討伐の忍務を引きうけていたのは、五年生ながらに保健委員長代理を務める、五年ろ組の葦原荘助先輩と、四年生一の変わり者と言われる片桐三喜之助先輩だったらしい。
 と言うのも、俺がその当事者ではなく、あくまでその噂を耳にした第三者だからだ。
 俺が噂の発信源である食堂に辿り着いた時、すでに葦原先輩は居なくて、そのことで同じくもう居なくなっていた五年い組の中原春彦先輩と口論になったらしい一年生三人が、片桐先輩と同じ組の善法寺伊作先輩に宥められているところだった。
 六年生は実習で出払っていたけど、先生方は居たわけで、先生方が何らかの手助けを……したかは定かではないけど、葦原先輩と片桐先輩が無事に帰って来たという話を、ろ組の保健委員である文ちゃんから聞いて、俺はほっと胸を撫で下ろした。
 でもなんだかこう納得できないと言うか……なんで片桐先輩だったんだろう。
 片桐先輩は別に成績が良い訳ではないし、何か特筆すべきことがあるわけでもない。
 強いて挙げるなら囲碁が強いと言うことくらいだけど、囲碁は今回の件に必要になってくる能力だとは思えない。
 実は実力を隠して過ごしている、とか?とてもそうは見えないけど。
「うーん……」
「どうかしたか?」
「いや、なんでもないよ」
 深く考えたところで片桐先輩の考えがわかるものでもないかと、俺は同室の勘ちゃんの言葉に首を横に振って視線を忍たまの友に戻した。
 そう言えば、戻ってきた片桐先輩は部屋に戻っていないらしい。風呂に行ったわけでもなく、食堂に行ったわけでもなく、あの人はどこへ行ったんだろう。
「……駄目だ」
「だからどうしたんだよ兵助」
「集中できない」
「散歩でもしてきたら?」
「そうする」
 忍たまの友を閉じると、勘ちゃんの言葉に従って少し外を歩くことにした。
 少し風に当たれば気も紛れるだろう。
 ……ついでに片桐先輩の無事を確認できればいいかな、なんて。
 灯を片手に長屋の廊下を下りて、片桐先輩が良く委員会をサボる時に向かう場所へと足を向けた。


 昼間よりは少し涼しい夜風に頬を撫でられながら、一つ一つと巡っていくけど、片桐先輩の姿は見当たらなかった。
 長屋の方は最初に寄ったけど、片桐先輩はまだ戻っていなくて、同室の黒ノ江先輩が言うには、戻ってくるのは生徒が寝静まってからだろうって。
 片桐先輩の考えてる事はやっぱり良くわからなくて、黒ノ江先輩も居場所は知らないけど、戻っては来るはずだと言っていた。
 きっと黒ノ江先輩にとって片桐先輩の行動はいつものことなんだろうな……。
 とりあえず最後に煙硝蔵の近くの木の上をと思い、俺は煙硝蔵の方へと足を向けた。
「―――」
 煙硝蔵に向けて歩く途中、風に乗って声が聴こえた気がして俺は一度足を止めた。
 何者かが煙硝蔵に侵入したんだろうか。
 制服ではない状態で生憎手持ちはないけれど、俺だってもう三年生だ。せめて敵が本当に居るのかどうか最低限調べてからではないと報告は出来ない。
 火の元を指で摘まんで静かに消すと足音を潜め、気配を殺しながら煙硝蔵へと近づく。
(水音と……何の音だ?)
 煙硝蔵の壁に背を預け、耳を欹てる。
「……前が……」
「……っ……て……き……」
「?」
 小さな声のやり取りは酷く聞き辛くて、俺はそろりと煙硝蔵の入り口を覗き見た。
 月明かりがないためにあまりはっきりとは見えないけれど、それが片桐先輩と中原先輩の影だってことは分かった。
 折り重なる二つの影に俺は飛び出しそうになった言葉を飲み込んで、その場に背を向けて早足で長屋に向かった。
 慣れた道のりだからこそどうにか辿り着いた三年生長屋の灯が見えた瞬間、俺はその場にしゃがみこんだ。
 心臓が嫌な位に跳ねて止まらない。
 それになんだかムカムカして、酷く気持ちが悪い。
「あれ?……兵助くん?」
「……文、ちゃん?」
 ちょうど風呂から戻ってきたらしい文ちゃんが、俺に気付いて慌てて廊下を飛び降りる。
「わひゃ!?」
「文ちゃん!?」
 飛び降りた瞬間、保健委員らしく不運に見舞われて滑りこけた文ちゃんの声に、ハチが部屋から飛び出してきた。
 自分の部屋に辿り着いたと思ったけど、どうやら少しずれてハチと文ちゃんの部屋に辿りついていたらしい。
 二人のいつも通りの様子に、俺はようやく息を吐き出した。
「おい、顔色悪いぞ?」
「……大丈夫」
「って顔じゃないから言ってんだよ。ほら文ちゃんも、医務室行くぞ」
 ハチが裸足のまま俺のところまで歩み寄ると、俺の背を撫でながら立ち上がらせようとしてくれた。
 騒ぎに気付いた他の奴らがわらわらと外に出てきたけど、文ちゃんがなんでもないからと部屋に帰していた。
「兵助!」
「勘ちゃん……」
「大丈夫か?一体何があったんだ?」
「……変、なんだ」
「は?」
「胸が痛い」
 喉の奥が痛い。
 腹が煮えるように熱い。
「……気持ち悪いっ」
 涙が溢れて止まらないんだ。


  *    *    *


「落ち着いたみたいだし、しばらくは大丈夫だろう」
 柔らかく微笑みながら兵助の髪を梳く葦原先輩に、文右衛門が「そうですね」と呟きながら頷いた。
 三年生長屋にある文右衛門と八左ヱ門の部屋の前に座り込んで青ざめた顔をしていた兵助は、今は落ち着いて医務室の布団の中で静かに寝息を立てている。
 鎮静作用があるからと葦原先輩に渡されたお茶を飲んで、ころりと眠ってしまった辺り、あれは眠り薬だったんだろう。
 作ったのは葦原先輩か、四年生ながらに薬草に強い善法寺先輩だろう。二人とも一年からずっと保健委員を続けているだけあって、妙なものを良く作る。
 だから皆、二人から与えられるものには迂闊に口にしない。
 保健医の新野先生は結構まともなものを作るけど、その裏でこの二人にいけないことを教えたのは間違いなく新野先生な訳で……やっぱり保健委員は敵に回したくないな、なんて。
「まだ少し顔色悪いな」
「仕方ないんじゃない?」
「でもなんで倒れたんだ?」
「さあ」
 寝入っている兵助の顔を覗きこみ、八左ヱ門と雷蔵の二人が顔を見合わせる。
「ハチも雷蔵も、あんまり傍で騒ぐと兵助が起きるよ」
「別に騒いでないぜ、文」
「もう!」
 頬を膨らませる文右衛門に八は苦笑しながら兵助から離れる。
「あの、葦原先輩」
「ん?」
「兵助は病気なんですか?」
「病気……か」
 葦原先輩は苦笑を浮かべ、言葉を選んでいるようだった。
 あまり動き回るとなにかしら問題を起こすと自覚している葦原先輩は、兵助の分と合わせて持ってきていたお茶を準備しはじめた。
 用意は八左ヱ門も手伝っているから何か盛られることはないだろう。
「忍者の三病と三禁はわかるか?」
「三病は恐怖を抱く、敵を侮る、あれこれ思い悩む。三禁は酒と欲と色です」
「尾浜はよく勉強しているな」
 やんわりと笑みを浮かべると、葦原先輩は自分の分の湯呑みを持ち静かに口を付けた。
「これらは一度溺れれば改善までの道のりは遠い。学園を卒業するまでに改善がなければプロになったとき命を失うだろう」
「兵助は三病の一つ、恐怖をいだいたということでしょうか」
「そうとも言えるし、そうとも言えない」
「え?」
「三病に落された、と言うところだろう。散歩に出た日と時間が悪かったな」
「葦原先輩は兵助がこうなった理由をご存じなんですか?」
「間接的に当事者だからな。一先ずは何も聞かず見守ってやると良い」
「でも、理由がわからなくては対処の仕様がありません」
 文右衛門の言葉に、葦原先輩はすっと医務室の戸に視線を移した。
 何かあるのだろうかと同じく視線を向けて気配を探るけれど、誰か居るような気配はない。
 上級生―――六年生は居ないから、五年生だと思う―――だろうか。
「……理由は、説明する気がないようだ」
 その言葉にやっと意味を察したらしい八左ヱ門が戸に向かって走ったが、間に合わなかったらしく戸の向こうには誰も居なかった。
「あいつの言い分には私も賛成だがな」
 ぽつっと葦原先輩は零し、ことりと湯呑みを置いた。
「これは久々知自身が何故そう思ったのかを気付いて乗り越えない限り、久々知は忍になれないだろう」
 理由のわからないそれを私はなんとなく“色”に“恐怖を抱いた”上に“あれこれ思い悩んだ”結果だと感じた。
 恐らくそれで当たりだと思う。
 葦原先輩は一人皆と違う感想を抱いている私を見て、困ったように微笑んだ。
 となれば兵助が見てしまった“色”と言うのは、淡白な性格をしている兵助がどういう感情でだかは分からないけど好いている、同じ委員会の片桐先輩と“誰か”だろう。
 葦原先輩と片桐先輩は今回の忍務以外にも一度組んで忍務に出かけたことを知っている身としては、この二人がそうだと言うのは想像し難い。
 だとすれば葦原先輩とも片桐先輩とも関係のある人――――とくれば、私には一人しか推測できない。

 中原春彦。

 私にはあの先輩がよくわからない。
 ずっと会計委員だった癖に去年突然火薬委員に立候補したらしいが、他の火薬委員の生徒との仲はすこぶる悪い。
 委員会の仕事はきっちりこなすらしいけど、片桐先輩に対する態度が一番酷いらしい。だから嫌いだと兵助が前に零していた事がある。
「葦原先輩」
「ん?」
「本当にこれは、兵助だけの問題で終わりますか?」
「……さあ」
 感情を読ませない笑みにぞくりと背筋に悪寒が走った。
 やっぱり保健委員は敵に回したくない。特に葦原先輩は―――。
「ほら、福屋たちは部屋に戻れ。後は私が見ているし、夜が明ければ新野先生もいらっしゃるから」
「え?でも葦原先輩は忍務があってお疲れじゃ……」
「お陰で明日の授業は免除されているから安心しろ」
「そうなんですね、じゃあ、おやすみなさい」
 納得したらしい文右衛門に従って、私たちは医務室を後にした。
 授業は休みだろうけど、きっと葦原先輩は片桐先輩を見舞うんだろうな。保健委員として。
「ねえ三郎」
「ん?」
 雷蔵が袖を引き問う声に歩きながら振り返る。
「兵助、何があったんだろう」
「さあな」
 少なくとも、好んでいる先輩と嫌っている先輩が恋仲―――かどうかは知らないけど、だったら倒れも……するものか?
 俺の立場で想像してみると、同じ委員会で好いている先輩と言えば黒ノ江先輩だけど、嫌っている先輩は特にいない。
 なんと言うか、黒ノ江先輩は皆のもの……みたいなところがあるからかな。
 結局のところ兵助の感情は兵助のものであって、私には理解できるはずもない。
 それでなくとも兵助の感情は分かりにくいのだから。兵助に変装するときはいつも困る。特にあの片桐先輩の前だと。
「ん?」
「どうしたの、三郎」
「あ、いや……」
 なんで私、片桐先輩の前だと緊張するんだろう。
 まさか片桐先輩がミキのはずないよな。ミキは女だし。
「……んん?」
「三郎、お前本当にどうした」
 ハチの言葉に私は表情を引きつらせて返すしかなかった。
 まさか片桐先輩が女だとか……そんな訳ないよな?
 確かにミキは年の割に小柄で、片桐先輩も年の割に小柄……と言うか二年生と同じくらい小さい。黒ノ江先輩と並ぶと更に小さく見える。
 ミキの変姿の術は、鉢屋の大人たちが認めるほどに十歳以前から完成度が高かった。
 そして片桐先輩は恐らく私以上に、誰よりも変姿の術に長けた先輩だ。
 化粧問屋の息子である文右衛門が偶然片桐先輩の変装に気付かなければ、私は彼の変装に一年の時から気づくことはなかった。
 もし仮に片桐先輩がミキだとすれば黒ノ江先輩との接点に説明がつく。
 黒ノ江先輩は同室だからミキが女だって知ってるんだ。だから仲のいいくのたまがいるんですかと言う質問に言葉を濁したんだ。
「……雷蔵」
「何?」
「ごめん、先に部屋に戻ってて」
「え?」
 最初に会ったあの日、片桐先輩は俯きそうになった顔を上げた。
 あれで俯いたらミキみたいだなって思った時点で私は気付くべきだったんだ。
 ミキが生まれる前の記憶を持っている事も、本当は寂しがり屋の癖に寂しいって言えないって事も、感情が表に出ないんじゃなくて出し方を知らないだけだって事も……私はミキのこと一杯知ってるのに気付けなかったなんて……。
「三郎!」
 止める雷蔵の声を背に私は黒ノ江先輩と片桐先輩の部屋に向かった。



⇒あとがき
 ざ・かんちがい(笑)
 鉢屋は本気で夢主を女だと勘違いしてる様がとっても愉快で仕方がありません。
 あ、私のポジションはどうぞ鉢屋のお頭でどうぞよしなに。←
20100613 初稿
20220926 修正
    
res

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