第参話-1
授業の復習に励む鬼桜丸の背に背を預けて考え事をしながら、いつの間にか居眠りをしていた私は、不意に聞こえた叫び声に目を開けた。
「三喜之助」
「ん」
緊張を走らせる鬼桜丸の後を追い、私たちは部屋を後にすることとなった。
学級委員長と言う立場上、四年生長屋での一切を任されている気さえする鬼桜丸は、何かと厄介事に首を突っ込むことが多い。
ろ組の委員長が四年に上がる前に学園を辞めたから、今の委員長は不慣れな奴だし、は組の委員長である喜郎は言うまでもなく補習組のお迎えに行っているために今はいない。
私は鬼桜丸について行く風を装いながら、鬼桜丸のフォローをしている。
それもこれも去年鬼桜丸の里帰りについて行ってしまったことが始まりなのかもしれない。
四年生長屋のい組の部屋が固まっている端の方の一室が現場らしく、私たちはその部屋に飛び込んだ。
「どうした!」
「鬼桜丸、あれをどうにかして!」
泣きながら訴えるい組の篠田六郎太が指さすのは部屋の奥、畳の上でちょんと立ちこちらを見上げる赤い色をした蝮。
明らかに毒を持っていそうなその蝮には、私も鬼桜丸も見覚えがあった。
「生物委員の伊賀崎孫兵が飼ってるジュンコか」
「俺、蛇ダメなんだよー!」
「ジュンコは蛇じゃなくて蝮だぞ、六郎太。……だが私もああいう小さい生き物は得意じゃないからな」
鬼桜丸の場合、生き物に触れることに慣れていないので、力加減が出来ないために触ることが怖いと言う意味で得意ではないと言っている。
間違っても篠田みたいにジュンコが怖くて怯えているわけではない。握りつぶしたら可哀想。そう思っての事だ。
「三喜之助、頼んでもいいか?」
「ん」
私は篠田の部屋に入ると、そのまままっすぐジュンコに近づいた。
「お前、迷惑」
「シャーッ」
「……怒るのは勝手。伊賀崎の所に連れて行かないだけ」
ジュンコは少し考えて、するすると私の足元まで来ると、またするすると私の身体を登って首に纏わりついた。
ひんやりとした感触は中々に気持ち良くて、私はその背を撫でた。
「ん、賢い子」
「六郎太、勘三郎は?」
「委員会に行った……けど頼りにならないぜ?」
「……勘三郎だからな」
不機嫌そうな篠田に鬼桜丸は苦笑を浮かべた。
篠田の同室である吾瀧勘三郎は運と勘で生きる自由な少年で、方向音痴を自覚しているのかしていないのか、よく迷子になり鬼桜丸に迷惑を掛けている。
と言っても時間は掛かっても自力で戻ってくる、帰巣本能と言うか、運だけはあるから一年の迷子コンビに比べればマシな方だと思う。
「鬼桜丸、私、ジュンコ届けてくる」
「一人で大丈夫か?」
「平気」
ひらひらと手を振って私は四年生長屋を後にした。
ジュンコの飼い主である伊賀崎孫兵は、生物委員所属の一年生。授業はどこも終わっているけど、彼は今頃長屋ではなく委員会の活動中だ。
それもこのジュンコ捜索の真っ最中なのは間違いないだろう。
だから飼育小屋に行ったところで居はしないだろうから、私は迷うことなく一年生の長屋へと足を向けた。
「だからなんで厠に行ってる間に居なくなれるんだー!!」
途中で頭を抱えながら叫ぶ少年を発見した。
伊賀崎がそんな叫ぶような子ではないのは私だって知ってる。ジュンコをここに連れてくるのは今日で二度目だし。
「何騒いでるの」
「あ、片桐先輩」
どこか懐かしいけど、知ってる顔より幼い顔をした少年―――富松作兵衛に私は歩み寄った。
彼は去年まで火薬委員の委員長を務めていた富松蔵之助先輩の弟で、富松先輩から私のことを聞いているらしく、本人が名前呼びを許してくれるほどには仲がいい。
「首のはい組の伊賀崎のペットじゃないですか?」
「そう。四年生長屋に居たから」
「そうなんすか。でも伊賀崎なら今委員会中みたいですよ?さっき厠に居た時に何か探してたみたいで……って、そいつ探してるのか」
作兵衛はがくりと肩を落とすと、ちらりと私に視線を移す。
「片桐先輩、伊賀崎探しついでに左門と三之助探すの手伝ってくれませんか?」
下げた眉と泣きそうな眼差しが切実さを訴えてくる。
今から二人を探すとなると夕食を食べ損ねるのは目に見えているからだろう。
「ミツ姉んとこの牡丹餅奢りますから」
「?」
首を傾げれば、作兵衛まで首を傾げてきてどうするべきか一瞬悩んだ。
「あ、すいません。えっと、ミツ姉って言うのは蔵兄と仲のいい近所の姉ちゃんで、今よし乃って甘味処で働いてるんすけど、そこの裏メニューにしかない牡丹餅が片桐先輩が好きだって聞いてて、そのっ」
「あれって裏メニューだったの?」
「……知らずに食ってたんすか?」
「だってくれるから……」
「蔵兄ぃ」
この場に居ない富松先輩に文句を言うが、届くはずもなく、作兵衛は仕方なく溜息を吐いた。
「とにかく、奢りますから手伝って下さい!今日だけでもう三回目なんすよ」
「いっそ縄で繋いだら?」
「へ?」
「迷子」
「ああ。でもそれはちょっと。……はあ、なんで俺、あいつらの面倒見てるんだろう」
作兵衛はげんなりした顔をすると、壁に手を当てて溜息を吐いた。
よっぽど疲れているんだろう作兵衛を放っておくわけにもいかないし、あの牡丹餅は魅力的だと思う。
砂糖が高価なこの時代、甘味は稀少だったりする。
時代としておかしい食べ物もちらほらとあったりはするけど、羊羹も最中もきんつばもこの時代にはない。
甘いものが大好きだったおじいちゃんの影響で甘いものには目がない私だけど、学園では甘いもの好きなのはあまり知られていない。
だってこんな風に釣られるのは分かってたもの。
だから知って居るのは富松先輩と三郎様と、今は作兵衛位。
「作兵衛」
「はい?」
「牡丹餅の話、内緒にしてて」
「へ?……もしかして甘いもの好きなことを、ですか?」
「そう。鬼桜丸も知らないから」
「……へへ。了解です!」
嬉しそうな作兵衛に首を傾げながらもよしよしと頭を撫で、私たちは伊賀崎と神崎と次屋の三人を探すべく歩き出した。
* * *
厠を目指して歩いている途中、突然背の高い草の間から出てきた紫の制服に俺は思わず目を瞬かせた。
紫の制服は交流の少ない四年生のものだけど、あまり見かけない先輩だった。
きょとりとした何を考えているのか良くわからない大きな目がじっと俺を見上げる。
……なんか変な眉してる先輩だなぁ。
しゃがんでるのかと思えばちゃんと立っていて、一年の中では背の高い俺とそう変わらない身長のようだった。むしろ少し低い。
「お前は次屋三之助?」
「へ?そうっすけど……」
「そう」
何を考えているのか良くわからない視線が反れると、先輩は歩き出した。俺の手を引きながら。
「あの、先輩?」
「作兵衛がお前探してる」
「作兵衛が?」
作兵衛のとこの先輩なのか?
首を傾げながら歩いていると、開けた道に出た。
あれ?俺道歩いてなかったのか?と言うか厠って遠いんだな……。
「あ、片桐先輩……って早っ!なんでそんなにあっさり見つけるんすか!」
「跡、探した」
「んなもん分かるはずねえしっ」
「跡って分かるもんなんですか?」
「この辺りは昨日来たから覚えてる」
「ほげー」
「俺には無理だな」
腰に縄を巻かれた左門と、その縄の先を握っている作兵衛は感心したように片桐先輩とやらを見ているが、俺には今一状況が理解できない。
この先輩誰だ?
「もしかして三之助は片桐先輩を知らないのか?」
「ん?ああ」
「はあ!?お前片桐先輩知らないって……見たことあんだろ!」
「そうだっけ?」
「ほら黒ノ江先輩といつもいるちっこい先輩だ!」
「馬鹿左門ちっこいは余計だ!」
「いてっ」
作兵衛は左門の頭を、気を使って注意した上殴ったけど、当の片桐先輩はぼんやりと空を見上げている。
黒ノ江先輩と言えば六年生とそう変わらない身長で、とても四年生には見えない大人っぽい先輩だ。
偉ぶらないし、面倒見がいいし、成績は教科・実技共に優秀で先生たちの評価も高い。
身近なお手本と言えば黒ノ江先輩!と言うくらいに俺たちの担任は黒ノ江先輩贔屓だし、学級委員長委員会に所属していることもあって黒ノ江先輩は結構目立つ。
その先輩の横に並ぶ先輩がいるのは知っていたけど、あまり気にして見たことはなかったし、話もぼんやりとしか聞いていなかったからこの先輩なんだくらいにしか思わなかった。
「……片桐先輩?」
ふと作兵衛が片桐先輩の様子に気づいて声を掛ける。
片桐先輩はすっと人差し指を立て、笛を取り出して鳴らした。
音は聞こえなかったけど、しばらくして木々の間から二頭の狼が飛び出してきたから犬笛なんだろう。
「うお!?」
「竜胆と牡丹。噛みはしない」
「片桐先輩のペットですか?」
「そんなところ。三人とも乗って」
「へ?」
「早く」
片桐先輩が大きな身体を持つ竜胆と呼んだ方の狼の背に、作兵衛と左門を乗せるのを横目に、俺も恐る恐る牡丹と呼ばれていた狼の背に乗った。
「学園に戻ったら五年ろ組の葦原荘助先輩にこれを渡して」
さっき鳴らした笛を作兵衛に渡すと、片桐先輩は竜胆と牡丹の二匹に走れと言うように指をさした。
「っ……片桐先輩!」
作兵衛が振り返るけど、喋ったら噛むと作兵衛はぐっと堪えて口を閉ざした。
一体何がどうなってんだ?
⇒あとがき
突然ですが三之助視点です。わお。←
富松先輩は作兵衛と仲良くするための複線でした。きゃっほい!
20100601 初稿
20220926 修正
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