08.通学電車

 朝食が終わると、一月経ってもまだ新婚の空気を醸し出す両親に見送られて私は食満先輩と一緒に家を出る。
 何処かで時間を潰してから追いかけるなんてこともせず、私は食満先輩と一定の距離を保ちながら駅へと向かう。
 電車に乗り込むと食満先輩はいつも通り弓道部の部活用の道具が邪魔にならないよう端の方に背を預け、ヘッドフォンを付けて周りを遮断するように目を伏せた。
 駅から大川高校の最寄駅までは二十分ほど掛かるけど、乗り換えの必要が無いので私は空いている座席を見つけて座る。
 タタンタタンと揺れる電車の音を聞きながら、私は鞄から取り出した文庫本にぼんやりと目を走らせる。
 通勤ラッシュにはまだ早いこの時間にこの電車に乗る人は少ない。
 それでも一駅ごとに人が乗ったり下りたりするのだから需要が全くないわけではない。
 一駅過ぎたところで「あ」と言う声が聞こえて本から視線を上げた。
 なんだろうと言う好奇心が読書を続けたいと言う欲にも勝った結果なんだけど、ふと見た乗り口に声を上げた主が居た。
 長い睫毛が印象的な美少年―――久々知兵助くん。
 そう言えば昨日初めて近くで見かけたかもしれないと思って見ていると、久々知くんがこちらを見ていることに気づいた。
「おい、邪魔になるぞ」
「あ、すいません」
 慌てて久々知くんは電車の中に入ると食満先輩の方を向いた。
「おはようございます」
「はよ」
 ぺこりと頭を下げた久々知くんは、食満先輩と会話するわけでもなく私の方へと歩み寄ってきた。
「おはよう、池上さん」
「え……おはよう」
「俺、い組の久々知兵助。勘右衛門の幼馴染なんだって?」
「幼馴染って言うか、腐れ縁?」
「ふーん……美土里と同じタイプ……じゃないよなぁ」
「?」
「いや、なんでもない」
 首を横に振った久々知くんは「隣いい?」と首を傾げて問うてきた。
 久々知くんは格好いいと思っていたけど、案外仕草が可愛い人なのかもしれない。
「どうぞ」
 断るのもなんだしと空いている隣を促せば、久々知くんは長い弓の入った袋を抱えながら隣に座った。
「勘右衛門の家と逆方向だけど、もしかして引っ越したの?」
「あ、うん。今年ね」
「それで一年の時は会ったことなかったんだな」
「え?」
「雷蔵の席の近くの子だってくらいの認識だったけどな」
「あ、うん……それで間違いないと思う」
「……はは。変な反応」
「そう?」
 電車の中と言う事で押さえたような笑いを発した久々知くんに私は首を傾げた。
「何読んでたの?」
「カラフル」
「森絵都だっけ?」
「知ってるの?」
「図書室に行ったときにおすすめコーナーにあったから読んだ」
「面白かった?」
「面白かった」
「それは良かった。あれ、中在家先輩が作ったんだよ」
「中在家先輩の作るおすすめコーナーってなんであんなに可愛いんだろうな」
「だって中在家先輩だもん」
「そんなものか?」
 こてりと首を傾げた久々知くんの姿が可愛くてくすくすと笑っていると、ふと食満先輩がこっちを睨んでいるのに気が付いた。
 その顔に思わず眉根を寄せて視線を逸らすと、久々知くんとまた目が合った。
「なあ、池上さんと食満先輩って知り合い?」
「知ってるけど知らない」
「……………」
 久々知くんは無言で長い睫毛をぱしぱしと揺らしながら瞬きをした。
「そう言えば久々知くん」
「何?」
「私と話すの面倒じゃない?」
「なんで?」
「いや、だって一週間だけの話でしょ?」
 鉢屋くんと私。
 食満先輩の手前、言外にそう言い含めて行ったんだけど、久々知くんは少し考えて理解したみたいで「ああ」と間の抜けた声を発した。
 来週の月曜日からはまた不破くんの席の近くの子で終わる関係に戻る。
 でも久々知くんはもう私を尾浜くんの腐れ縁で、鉢屋くんの彼女って言う認識になってると思う。
 本当、恋って面倒。昨日の私を今すぐ殴りたい……気もするけど、鉢屋くん関係の知り合いはお義父さん関係で増えた知り合い―――食満先輩よりは確実にマシだと思う。
「池上さんって、なんて言うか斜め上だな」
「それ尾浜くんにも言われるんだけど、そんなに変な事言ってないと思うよ?」
「十分変わってると思う」
「そうかなあ?」
 久々知くんが真面目な顔でうんうん頷いて言うので、私は首を傾げた。


  *    *    *


 久々知くんとはそのまま一緒に駅まで向かい、学校に着くと同時にすぐに別れた。
 食満先輩は駅に行くまでと同じく、一定の距離を保ちながら私たちの後ろを睨みつけるように見つめながら着いてきた。
 正直あまり気分が良くなくて、私は教室に着くと同時に盛大に溜息を吐いた。
 一人きりの教室はとても静かで、昨日終わらなかった宿題の続きをしようと鞄を開いた。
 静かな教室は中在家先輩のおかげで、常に静かな図書室と同じ位集中できたけど、一時間もしないうちに生徒が少しずつ登校してきたので、宿題が終わるとすぐに読書に切り替えた。
 中在家先輩おすすめの本は、はずれが少なくていつも頼りにさせてもらっている。
 本は好きだけど読むペースが人よりも遅いので、おすすめコーナーは本当重宝している。
「おはよう、池上さん」
「おはよう、不破くん」
「朝早いんだね」
「いつも弓道部の人たちと同じ位には学校来てるから」
「それすごく早いよ。八左ヱ門なんていっつも遅刻ギリギリだよ?」
「バレー部はバレー部で夜が遅いから仕方ないんじゃない?」
 不破くんの言葉に思わずくすくす笑った。
「三郎が今日は部活に行くって言ってたけど、池上さんが朝早いからなんだね」
「え?でも今日は普通に早起きだったみたいだよ?六時過ぎにはメール着たし」
「三郎にしては早起きだよ。もしかして池上さんのこと起こしちゃったとかって訳じゃない?」
「じゃないじゃない。私その時間にはもう支度終えてるもん」
「ええ!?それってすごく早くない?」
「普通だよ。電車通学だし、電車で三十分くらいかかるからね」
「へえ……僕は家が近いから自転車で十分くらいかな。八左ヱ門は電車で十分くらいって言ってたけど」
「同じ路線だから知ってるよ」
「え?池上さんって勘右衛門と同じ校区じゃないの?」
「……引っ越したんだ、私」
「そうなの?」
 失礼な事を聞いてしまったかなと言うような申し訳なさそうな不破くんに私はくすくすと笑った。
「何楽しそうに話してるんだ?」
「あ、三郎。おはよう」
「おはよう、鉢屋くん」
「おはよう池上、雷蔵」
 不破くんと同じ顔なのに笑顔だけでもこんなに違う。
 まるで食満先輩と錫高野先輩だ。
 食満先輩も鉢屋くんくらい可愛げがあればいいのにと思うのは仕方のない事だと思う。
「不破くんがね、久々知くんと同じこと聞いてくるから可笑しくて」
「え?それで間があったの!?」
「ごめん。変な意味じゃなかったんだけど」
「って言うか兵助と池上って接点ないよな?」
「今朝電車で一緒になったんだよ。私が乗るところから二駅先だから前から見たことあったんだって。今日は一緒に来たんだよ」
 そう話すと鉢屋くんは段々眉根を寄せてよき、私は首を傾げた。
 私はまた何か変な事を言っただろうか。
 普段誰かとこんな風に長々と話さないから尾浜くんや久々知くんみたいな評価は中々戴かない。
 そこまで斜め上の発言をした覚えはないんだけど、皆からしたら多分斜め上の発言をしているんだろう。
「池上」
「な、何?」
 ドキドキと不安に揺れる胸を押さえながら問い返せば、鉢屋くんはむっとした顔で続けた。
「それ浮気だ」
「え?何処が浮気?」
 そう答えれば鉢屋くんは唇を尖らせ、不破くんはその様子に一瞬虚を突かれたようだけど、すぐにくすくすと笑った。
「んー……まあ浮気は良くないね。気を付けます」
「解ればよし」
 そう言うと鉢屋くんは私の頭をぽんぽんと撫でた。
 私と違う大きな掌に何処か安心感を覚えて、ほっと胸を撫で下ろした。



⇒あとがき
 本当は水曜日のイベントを「それ浮気だ」を言わせたいがためだけに火曜日に持ってきました。
 三郎と夢主は同じクラスだから休み時間ごと通うとか無理ですからね。
 もう五年生って本当に可愛くて仕方ないですね!書いてて楽しい!!
20110301 初稿
20220728 修正
res

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