27.一箭有心

 パンッと綺麗な音が鳴り、射位から28メートル先にある直径36センチの的に皆中した矢を見つめていると、他の人の拍手が聞こえて、私も慌てて手を叩いた。
 弓道用語自体さっきまで隣に座っていた留兄さんに教えてもらっていたから、それがとても素晴らしい射?だったのだとわかる。
 目を伏せている鉢屋くん以外、皆一様に顔が明るかったのだから、多分そう。
「いい射だ。今日は心にぶれがないようだな」
「はい。ありがとうございます」
 顧問の木下先生に褒められ、留兄さんは笑みを浮かべて木下先生に頭を下げた。
「次、一年から的前!」
 木下先生の声を聞きながら、留兄さんが静かに私の隣に座る。
 隣ではないけど、近くに座った立花先輩と潮江先輩の二人がこちらを訝しげにちらりと見る。
 月曜日に周りを驚かしてやろうと言う、主に立花先輩に対する腹癒せで今日まで池上姓でと決めたから、弓道場に来てから何度も同じ視線を受けた。
 多少事情を察していた立花先輩はそうでもないだろうけど、殆どの人からすれば私と留兄さんの接点などさっぱりわからないんだろう。
 去年の私だってまさか留兄さんが兄になるなんて思ってもみなかったんだから、当然と言えば当然だろうと思う。
 木下先生だって私たちの事情は知らないから、最初は首を傾げていたけど、弓道場に来る前に明日からの事をお願いしに行った担任の先生だって、今更だけど突然の事に目を丸くしてたくらいなんだから。
 事情がサッパリ呑み込めない他の人たちからすれば、なんで居るんだろう。あれって確か鉢屋くんの今週の今週の彼女じゃない?とか無言の威圧感に最初は思わずたじろいだけど、私って意外と度胸が据わっているのかもしれない。
 まだ部活が始まって二時間程度だけど、もうこの視線に慣れて、大して気にした風を見せずに受け流せるようになった。
 その視線でじっと的前に立った一年生の背を見つめる。
 的前に立った一年生の中には社貢部で一緒の斉藤さんと仲の良い綾部くんと田村くんの姿もあって、私はとりあえず知っている顔と言う事で二人の様子を見る事にした。
 私語は厳禁らしいので留兄さんも弓を引いている間は静かに一年生たちを見守り、一段落したところで簡単に説明をしてくれた。
 弓道部の事は練習日以外本当に詳しくなかったからすごく勉強になった。
「次、二年的前!始め!」
 喝!とでも言うような木下先生の声に、少し知った顔が多い二年生たちが動き出す。
 鉢屋くんも二年生だから出番だと思って見ていたけど、鉢屋くんは未だ目を伏せたままだった。
「どうした鉢屋!早くせんか!」
 木下先生に名前を呼ばれ、鉢屋くんがはっと我に返り、木下先生を見上げる。
「……すいません」
 気分の悪そうな顔で頭を下げた鉢屋くんも、久々知くんたち同様に弓を準備し、それぞれ的の前で構えた。
 静かな時間が流れていたはずなのに、不意に空気がざわめいた。
 なんだろうと首を傾げていると留兄さんが小さく「早気だな」と呟いた。
 他の部員たちもそう思ったのだろう。小さな声で同じような単語が聞こえた。
「早気って?」
「会を十分に持てずに弓を放ってしまう事だ」
 会って言うのは確か射法八節……足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引分け、会、離れ、残身の内の一つ。
 弓を一杯に引いた状態のまま弓を放つタイミングを計ってる事……だったはず。
「一箭有心!」
 木下先生の厳しい声に鉢屋くんは視線を俯け、私が見ても分かるくらいに固い動作で再び弓を構えた。
 周りより僅かに遅れて放たれた弓は的に中ったものの、的の中心からは大分反れていた。
「……今度は会が長かったな」
 鉢屋くんの弓……弓道に対する姿勢が気に入らないんだろう人が陰口を叩き、潮江先輩に「私語!」と怒られていた。
「弓は射手の心を映す鏡だ。いかなる時でも平常心を持って的と向き合えるかどうか……それが出来ないのはあいつの心がまだまだ未熟な証拠だ」
 幼い頃から弓をやってきたと言う鉢屋くんにとって中学から弓を始めた留兄さんや立花先輩たちは練習量ではかなわないだろう。
 でもその分鉢屋くんは挫折を知らない。
 私が周りの人に合わせて自分を押さえてきたように、鉢屋くんは周りの人に合わせようと、辛い事から目を反らしてきたんだろう。
 心乱されている鉢屋くんは自分の弓を保てない。
「弓は射手の心を映す鏡……」
 鉢屋くんは一体何に心を乱されているんだろう。
 私は一度もこちらに視線を向けようとしない鉢屋くんに眉根を寄せながら視線を俯けた。
「足痺れたか?」
「……それはとっくの昔に」
 小声で心配そうに問う留兄さんに、私は小さく溜息吐いた。
 ぴりぴりと痛む足を無視して、改めて鉢屋くんが弓を射た的を見た。
 的に当たったのは僅か一本の弓。残りの三つは矢が痛まないように斜めに盛られた土―――安土に刺さっていた。
 もう一度見た鉢屋くんはさっきまでと同じように目を伏せ、床板をじっと見つめていた。
 いくら弓道場だからって、今までの態度と比べると随分と冷たくてよそよそしい態度に胸が痛んだ。
 もしかして私たちはもう別れたと言う事になるのかな?
 でも、そんなはずない。
 鉢屋くんは週の終わりに必ずこう言うはずなんだから。

「好きになれなかった。別れよう」

 ……好きになれなかった、は正直きつい。
 どうせ言われるなら私から「一週間ありがとう」って言いたい。
 でも、本音を言えば……そんな事すら言いたくない。
 くだらないことを考えるのは止めよう。
 私はもう決めたんだ。
 鉢屋くんにちゃんと伝えようって―――。



⇒あとがき
 意外とお茶目な食満兄妹。
 描写少ないですけど立花さんと潮江さん微妙に混乱中。
 久々知さんに置いては無言でもんもんと混乱してそうだけど、弓引いている間は頭空っぽになってそう。
 的の半分は豆腐色、くわっ!!……みたいな?
 ……なんだ、久々知さんは結局豆腐狂なのか。←

 ついでに補足……になってないのですが、一箭の箭と言うのは矢の事です。
20110410 初稿
20220813 修正
res

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