26.兄妹

 毎日繰り返し通えば、大分慣れた食満家の玄関を前に私は深呼吸を一つした。
 駅まで少し迷った所為で電車に乗り遅れ、お母さんに夕飯に間に合わないってメールをしておいた。
 お母さんからは急に飲み会が入ったから食事の準備は出来てるってメールがあった。
 お父さんは出張中だから家の中には食満先輩が一人きり。
 緊張はしたけど、私は意を決して玄関の戸に手を掛けた。
「ただいま」
 玄関の戸を開ければ、テレビの音だけしか返ってこなかった。
 居ない……訳じゃないよね?食満先輩の靴、ちゃんとあるし。
 取り敢えず靴を脱いで玄関に上がり、外からも見えた明かりが零れるリビングへと向かった。
「ただいま」
 恐る恐るリビングを覗き込めば、食事をしていたのだろう手を止めて固まってしまっている食満先輩がいた。
「あの……ただいま」
「……お、お帰り」
 三度目のただいまでようやく食満先輩が返事をしてくれたことにほっとしながら、私はリビングの中へと足を進めた。
 どうやら今晩のメニューはポトフだったらしく、半分ほど減ったお皿の中でそっと人参が避けられているのが目に入った。
「……人参、嫌いなんですか?」
「あ、いや……嫌いじゃねえけど……」
 私は空いた席に鞄を置き、食満先輩の前に座った。
「……飯、食ってきたのか?」
「いえ」
「ポトフ……あっち、まだあるぞ」
 ちらりと食満先輩がキッチンの方に目配せするのを見て、私はこくりと頷いた。
 夕食には遅れるとは言ったけど、食べないとは言ってないし、池上家ではポトフを作る時は決まって翌日はミネストローネだったから沢山作ってあるだろうことは予想できた。
 案の定ガスコンロの上には、うちで一番大きな鍋が鎮座していた。
「ご飯はとりあえず置いておいて」
「……………」
「あの、中々に勇気が出ずに失礼な事をしていたと思いますが……月曜から食満姓で学校に通いたいと思うんですけど……いいでしょうか?」
「……は?」
 ぽろりと食満先輩の手から箸がぽろりと落ちる。
「あ、すいません」
 床に落ちてしまった箸を私は慌てて立ち上がり、テーブルの下に潜り込んで拾った。
「あいたっ」
 慌てた所為で後頭部をテーブルにぶつけ、拾った箸を手に頭を押さえた。
「お、おい、大丈夫か!?」
「大丈夫です。ちょっとドジをしましたっ」
 結構痛かった……。
 頭を擦りながらテーブルの下から出て、席に戻る。
「箸はとりあえず新しいの使ってください。こっちは後で洗いますんで」
「お、おう……」
「えっと、話を戻すんですけど……いいですか?」
「良いも何も、お前が望んでたことだろ?」
「まあそれもそうなんですけど……私、このままじゃ駄目だと思って」
「?」
「多分ご存じだとは思いますけど、私、今週、鉢屋くんの彼女にしてもらってるんです」
「……ああ。知ってる」
「実は私、別に鉢屋くんの事、好きでもなんでもなかったんです。鉢屋くんはただのクラスメートで、食満先輩と一緒で目立つ人だからあまり親しくなりたくない人でした」
「じゃあなんで付き合ったんだ?」
「……癒しが欲しかったんです」
「癒し?」
「ごめんなさい。正直、食満先輩との関係に疲れてました」
「……そうかよ」
 食満先輩は眉根を寄せ、不機嫌そうに横を向いた。
「でも、それは全部私が悪いんだと思います。人との関わりを出来るだけ避けたかったからって、食満先輩と仲良くなろうって自分から動きださなかったから……勇気が足りなかったんです」
「?」
「これからはちゃんと兄妹になりませんか?」
「ちゃんとって……」
「家族なのに食満先輩って呼ぶの変だし、食満先輩なんて私の名前呼んだことないです」
「そう、だっけか?」
「そうです!折角です。先輩が許してくれるなら私、美土里ちゃんみたいに留先輩って呼びたいです。あ、でも、家でも留先輩って変ですよね。留兄さん、とか?」
「なっ」
 食満先輩はがたっと椅子を揺らし、驚きに身を反らせる。
 顔が思いの他真っ赤で、食満先輩が照れてるんだってわかった。
「駄目ですか?」
「だ、駄目って言うか……お前、あー……もうっ」
 食満先輩は頭を抱え込み、少し長めの後ろ髪をガシガシと掻いた。
「降参だ。好きに呼べよ……美沙」
「!……ありがとう、留兄さん!」
「お、おう別に敬語とかも無理しなくていいからな?……兄妹、なんだからよ」
「うん。わかったよ留兄さん」
 笑みを浮かべれば、留兄さんは照れたように視線を彷徨わせた。
 その仕草が何となく女の子慣れしてないんだ、って感じで可愛かった。
 まあ私も男の子慣れしてるってほど男の子慣れはしてないけど。
「後……ごめんなさい留兄さん!」
「あ?」
「実は、美土里ちゃんから留兄さんと仲良くなるためにって言って映画の試写会の葉書貰ったんだけど……」
「映画の試写会!?」
 思いっきり話に食いついてきた留兄さんの目が輝いていて、私はこれから続けるべき言葉を一瞬飲み込みかけた。
「実は……破っちゃって」
「破ったぁ!?」
「ごめんっ。色々あってびりびりに破った後風にこうふわっと浚われて……」
「映画っ」
「代わりに今度一緒に映画見に行こう?」
「い、一緒にって鉢屋……は、そうか……明日日曜だもんな」
 顔を赤くした留兄さんはすぐに鉢屋くんの噂を思い出して眉間に皺を寄せた。
「でもね、私一週間で終わらせたくないの」
「?」
「それで決意を固めた訳なんだけど……協力してもらってもいい?映画はその見返り?みたいな感じで」
「……美沙は鉢屋が好きなのか?」
「……好きになっちゃいました」
 心配そうに問うてくる留兄さんに、私は赤くなりながら両手を軽く上げた。
 癒されたかっただけなのに気付いたら好きになっちゃってたんです。
 そう話したら留兄さんが呆れたように溜息を吐いた。
「協力つったって、明日一日でどうにかするつもりか?」
「どうにもならなかったらそれまでかな、って。明日は部活だよね?」
「ああ。全体練習だから鉢屋は大体午前か午後かに顔出してる」
「多分、鉢屋くんは朝から参加すると思うんだ。私、特に約束しなかったし、鉢屋くん、私が弓道部の活動日知ってるから、不真面目な人は嫌いって思いこんじゃってるみたいだし」
「こっちとしては助かるが……部活終わるの夕方だぞ?」
「ついでに部活見学の予行練習も兼ねて見学してもいいかな?」
「部活見学の予行練習?」
「無理のない範囲で部活しようかなって。土日は結局空いてるし、ある程度作り置きすれば少し手抜きも出来るでしょ?部活だって毎日あるわけじゃないし……」
「そりゃあ義母さんは喜ぶだろうけど、負担にならない程度にしろよ?」
「もちろん入るのは文化部で。いきなり運動部なんて無理だもん」
「そんなドジじゃ俺も心配だ。文化部……は良いが園芸部は止めとけ。あそこは地味に見えて意外にハードだ。毎日活動してるからな」
「へえ……」
「入るなら美術部か同好会辺りだな。無難な所の方が必須活動日以外活動あんましないところが多いし。吹奏楽部とかも園芸部と一緒で毎日やってるから外した方が良いな」
「流石留兄さん」
「つか美沙が興味なさすぎなんだよ。取り敢えず飯ついで来い」
「あ、うん」
 私はさっき落としてしまった箸を手にキッチンへと向かった。
 対面式のキッチンの流しの中にある洗い桶に箸を浸けると、食器棚からポトフ用とご飯用のお皿を取り出してそれぞれ食満先輩が残してた分くらいの量を注いだ。
「そう言えば美沙」
「んー?」
「お前仙蔵に何か言われたか?」
「……言われた。留兄さん、周りに本当に何も言ってなかったんだね」
「言ってねえよ。お前食満姓で学校通うのものすげえ拒否ってたじゃねえか。正直あれは傷ついた」
「うっ……それはすいませんでした」
 テーブルの上にポトフとご飯を置いて留兄さんに軽く頭を下げた。
「まあでも勇気がなかったのは俺も一緒だからな。与四郎とは結構遊んだけど美土里とは結局あんまり遊ばなかったから妹って感覚が良くわかんなかったんだよな……」
「私もお兄ちゃんってまだ良く実感できないけど……一緒に慣れて行けばいいよ」
「まあそうだな」
 にかりと笑う留兄さんに釣られて私も笑みを浮かべ、両手を合わせた。
「いただきます」



⇒あとがき
 仲直り……かな?です。←
 とりあえず女の子に慣れないけど、妹出来た。緊張するけど仲良くするぞ!と意気込んだのに全力で食満姓を名乗るのを拒否されて落ち込んでた留三郎を妄想するとにやにやが止まらなくなってこうなりました。
 お互い勇気が出せずに意地を張っていた……みたいな?
 二人は二人のペースで仲良くなればいいですよね?
20110410 初稿
20220814 修正
res

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