25.決意

 鉢屋くんの家を飛び出したものの、帰り道が分からない。
 どうしようと思いながらも、とりあえず来る途中で見たはずの歩道橋へ上った。
 さっきから何度も着信を告げていた携帯を取り出し、画面を覗き込めば、着信履歴が“三郎”の名前で埋め尽くされていた。
 だけど電話を掛け直せなくて、私はずるずるとその場に座り込んだ。
 人を好きになると言う事がこんなに苦しい事だなんて、私は初めて知った。
 胸がぎゅうっと痛くなって、でも唇が触れ合うとあんなにドキドキした。
 確かに人間関係は複雑にはなるけど、それを乗り越えられるんだって思えるほどの幸福があのキスの瞬間、確かにあった。
 私は結局、人間関係から逃げてしまっていたんだと思う。
 お父さんが死んで、一人勝手に塞ぎ込んで、周りに合わせる良い子ちゃんになって、逃げた。
 心配してくれた尾浜くんも、付き合いが悪くなって離れて行った友達も、皆私が手放したのに、今は無性に会って泣きつきたい。
 どうして恋ってこんなに苦しいの?って、相談出来る人も私には居ない。
 逃げたのは友達関係だけじゃない。
 食満先輩の事だってそう。
 仲良くなりたいなんて思ってても実際に声を掛けきれなくて、あの鋭い三白眼で睨まれてすぐに口を閉じる。
 認められてないからって意地を張って、立花先輩相手に生意気な事も言ってしまった。
 そんな私が鉢屋くんに本当に好かれようなんて……虫のいい話だと思う。
 でも、鉢屋くんの彼女になりたい。一週間だけのウィークリー彼女じゃなくて、本当の彼女。
 どうたしたらそうなれるのかなんてわからないけど、もう殻に閉じこもるのは止めよう。
 鉢屋くんが好きだって言ってくれた私らしい私で居よう。
 そう思った時、携帯が着信を告げた。
 共通に設定された曲が始まってワンフレーズ歌い終わる前に私は携帯を再度開き、通話ボタンを押した。
 なんて切り出していいかわからなくて無言になってしまう私の耳に、電話越しに鉢屋くんの声が静かに響いた。
『美沙って……方向音痴なのによく一人で飛び出したよな』
 鉢屋くんの言葉に思わず目を丸くし、「え?」と返した。
『レンタルショップだって逆方向示したし、学校の地理にも明るくないって俺に案内頼んだし……そんな美沙が近所で迷子になってないか心配で電話したんだよ』
「あ、うん……はは。迷子って言うか、迷子にならないように見覚えのある場所で止まってるよ」
『やっぱり。そうじゃないかなって思ったぜ。……どこにいるんだ?』
 鉢屋くんの明るく振舞う声が優しい声音に変わり、私はほっと胸を撫で下ろして立ち上がった。
「家に行く途中の歩道橋の上」
『わかった。今行く』
「ねえ鉢屋くん」
『ん?』
「皆にそうだった?」
『え?』
「失礼な事かなって思うから電話越しで言うね。私、鉢屋くんに興味なかったの。でも噂で鉢屋くんの話を聞いた時、失礼な人だと思ってたの。付き合う相手を一週間でコロコロ変えるなんて身勝手だし、付き合ってる間はその彼女だけとは言ってもものすごくタフだなあとも思ってたなぁ……。私、恋って素敵だけど、面倒な事だって思ってたから。……でも、鉢屋くんが付き合った子、皆鉢屋くんの事悪く言う人居ないでしょ?だからどうしてだろうって不思議でもあったの。でも保健室で私の事心配してくれた時、なんとなくわかっちゃったの。この人は私の事、気分良くしてくれる。すごく優しい人なんだって。だからウィークリー彼女だった人たち、皆鉢屋くんに文句言わないんだって」
 私も、文句はない。
 鉢屋くんの愛は分かりやすい。
 全身で私を好きだと言ってくれる。
「鉢屋くんの愛は分かりやすい」
 その姿に私がどれほど救われたか、多分鉢屋くんは知らないだろうけど。
『……その割に美沙はよく俺の愛を躱してくれるよな』
「だって私、普通に生きたかったから」
『は?』
「鉢屋くん、格好良いし、目立つし……不破くんたちも含めて鉢屋くんたちの集団目立つんだよ」
 食満先輩はもっと目立つ集団に居るし、私は結局普通から抜け出さなきゃいけない運命だったんだろうけど。
「そんなに目立つか?」
 耳元と別の場所から同じ声が聞こえて、私は視線を動かす。
「目立ってるよ。折角日陰に居たのに、うっかり日向に出ちゃった気分」
 私はふふっと笑って携帯の通話を切った。
「日向に出たくないって、ずっと我儘通してたのももうお終い。こうなればとかああしてくれればとかって……全部考えてるだけで終わるのもお終いにする」
 受け身で終わらない。
「私、こう言うの向いてないんだろうけどね」
 人間関係を避けてきたツケが色々今になってやってきたんだと思う。
 食満先輩の事も、鉢屋くんの事も。
 私が避けずにきちんと向き合えば、私の世界は180度変わってしまうかもしれない。
 それでも、不変なんて存在しない。
「あの試写会の葉書、出して」
 手を差し出すと、鉢屋くんは困惑した表情で私を見下ろしながらもゆっくりと試写会の葉書を取り出した。
 二つに折られた皺くちゃな葉書。
 それを開き美土里ちゃんの名前を見下ろす。
 鉢屋くんが美土里ちゃんを本当に好きなら、鉢屋くんは私にこんなにもひたむきに愛を向けてくれない。
 そんなわかりきった事が分からないくらい、嫉妬して……馬鹿な私。
 思わず笑みが浮かんでしまうのを感じながら、私は葉書を破いた。
 美土里ちゃんにも錫高野先輩にも……食満先輩にも。悪い気はしたけど、ビリビリと細かく引きちぎった葉書が強い風に煽られて空へと舞った。
 塵を捨ててしまって申し訳ないとは思ったけど、そのまま持っているもの嫌だった。
「私、決めたの」
「なに、を……」
「この葉書は要らない」
 食満先輩と仲良くなるために必要なのは私の勇気。
 こんな葉書に頼ったってどうせ気まずいままなのは変わらない。
 鉢屋くんと仲良くなるために必要なのも私の勇気。
 鉢屋くんが私に対してどんな感情を抱いてくれているのかは分からないけど、一週間の終わりである明日、けじめをつけよう。
 この関係にも、私の想いにも。
 結果がどうなるかはわからないけど、動き出さないよりも動き出すことに意味があると思うから。
「道は人に聞くよ。駅まで行けばどうにかなるし。……またね、鉢屋くん」
 私は呆然とする鉢屋くんに背を向けて歩き出した。



⇒あとがき
 本当なら土曜日はこれでお終いなんですけど……食満先輩の話を入れ……たいな。なんて……
 そして日曜日に周り(主に六いコンビ)を混乱に貶めたいとうずく私がいます。
 でもやるぞー!!……と意気込んでみる。
20110407 初稿
20220813 修正
res

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