11.呼び方
『ドアが閉まります。駆け込み乗車はお止め下さい』
ホームに流れるアナウンスを聞きながら、私は人波を縫いながら歩く食満先輩の少し後ろを追いかける。
タンタンと階段を下りていると不意にマナーモードにしていた携帯が揺れる。
私は歩きながらポケットから携帯を取り出し、サブディスプレイを見る。
三郎と言う表示に首を傾げながらも、もう電車の中じゃないからいいかと思いながら携帯を開いて通話ボタンを押した。
「はい?」
『ハヨー』
「あ、おはよう。朝からどうしたの?」
『んー?今どこにいるかなーって。すぐに出たって事はもしかしてもう電車降りた?』
「うん。今改札抜けるところ」
『中央口と北口どっち?』
「えっと、中央口だよ」
ちらりと上にある表示を見上げながら答え、視線を下ろすと同時に食満先輩と目が合った。
やばいと一瞬思ったものの、向こうがぷいっと視線を逸らした。
その態度に思わずイラッとしながらも私は鉢屋くんの言葉を待った。
『だと思った。兵助も中央口使うからな。俺、その側の売店に立って……あ、見えた』
なんだか笑ってる鉢屋くんの顔が思い浮かべられ、その言葉通りに視線を動かすとこちらに向けてひらひらと手を振っている鉢屋くんの姿が見えた。
あの顔で、大会で優勝する腕前。
月曜日には毎回違う女の事一緒にいるのに誰からも恨まれない。
我儘で、身勝手で、軽い……私とは縁遠かった人。
「あら、鉢屋じゃない」
私が声を上げるよりも早く誰かが鉢屋くんに声を掛ける。
「ハヨ」
「おはよう。誰か待ってるの?」
「ああ」
「それって今週の彼女?」
「そ。な、池上」
「あ、うん……」
中途半端に距離を開けて立ち止まっていた私に鉢屋くんが笑みを浮かべる。
「え?」
向こうは驚いたように私を振り返り、その顔に覚えのあった私も同じように驚いた顔で彼女を見返した。
彼女は隣の二年は組の学級委員長の錫高野美土里ちゃんだ。
食満先輩の従妹で、錫高野先輩の妹。そして私の去年のクラスメート。
きつめの眼差しのクールな印象を覚える美少女で、背も高い美土里ちゃん。
はっきり言って鉢屋くんと並んでお似合いの印象のある彼女は私を見下ろしながら信じられないと言う顔を浮かべていた。
引っ越しの手伝いに来ていた錫高野先輩と違って、美土里ちゃんと私は去年クラスメートだったと言う接点位しかない。
そして今はお互い繋がりを知っていると言うだけの関係だ。
「池上って……あ、まあ、そうよね」
美土里ちゃんはどうやら私がなんで食満姓に変えずに学校に通っているのか理由を察してくれたようでそれ以上は言わないでいてくれた。
そのことに思わずほっとしていると、美土里ちゃんは優しげな眼差しを向けてくれた。
「三郎には苦労すると思うから気を付けてね」
「おい美土里。それはどういう意味だ」
「そのままの意味に決まってるじゃない」
にこりと微笑んだ美土里ちゃんは改めて私に向き直った。
「美沙ちゃん、メアド変わってない?」
「うん。変わってないよ」
「そう。じゃあまた今度ゆっくり話しましょうね」
ぽんぽんと私の肩を叩き、美土里ちゃんは去って行った。
「なんだ、お前達仲良かったのか?」
「え?」
「だって俺、池上の事名前で呼んでないだろ?それにメアド知ってるみたいだし」
「あ、うん、そうだよ。去年同じクラスだったから。は組は仲が良いから連絡網変わりにアドレス教えてたの」
思わずひやりとした感じを覚えながらそう答えると、鉢屋くんは「うーん」と唸った。
「よし、俺も美沙と呼ぶぞ!」
「え?」
「駄目か?」
「う、ううん」
「じゃあ決まりだ。行くぞ、美沙」
にかりと笑った鉢屋くんは昨日みたいに私の手を引いて歩き出した。
私の荒れた小さな手をすっぽりと覆ってしまう大きな手。
この手は食満先輩と同じ弓を引く手だ。
そう思うと、視線を逸らされた事が悲しくて仕方なかった。
嫌われてはいるけど、家族になったのだから多少は仲良くしたい。
なのに、食満先輩の姿は人ごみに紛れてもう見る事が出来ない。
* * *
おはようメールにおやすみメール。
一緒に食べ歩きして、買い物して、朝のお出迎え。
お昼ご飯を一緒に食べて、ついでにお弁当を作ったり。
誰かと付き合った事のない私には付き合うって事が良くわからない。
普通に付き合うってどんな感じなんだろう。
手を繋いだり、その先はどのくらいまでが一週間の境界線だろう。
休み時間と言う事で、こっそり取り出した携帯の送信欄に美土里ちゃんの名前を入れてみたものの、美土里ちゃんが鉢屋くんと付き合っていたなんて噂は聞いた事が無い。
「……はあ」
「どうしたの?」
「不破くん……」
心配そうに近くの席から問われ、私は顔を上げた。
「あっ、と……大した事じゃないんだけど……」
ちらりと教室の中を見渡すと、鉢屋くんの姿が見えないことに気づいた。
「三郎なら先生に呼ばれて地図取りに行かされてるよ」
私の視線に気づいたらしい不破くんは、安心させるようににこりと笑ってそう言った。
「……付き合ってる間の境界線がよく分からなくて。どこまでがありなのかなって」
思わず小声になりながら問えば、不破くんは大きな目を丸くさせた。
言葉の意味を理解した不破くんは少し頬を赤く染めながら苦笑を浮かべた。
「ちょっと美沙ちゃん。それ男子に聞くことじゃないよ」
私の後ろの席の子がこそこそと話に混ざってくる。
この距離じゃ聞こえちゃうししょうがないよね。
「まあでも美沙ちゃんが初心なのは良くわかったよ」
「はは、そうだね」
苦笑を浮かべながら、不破くんは彼女に同意するように頷いた。
「私も一週間付き合ってもらったことあるけど、肩とか手とか必要以上触ってこないよ」
「え?そうなの?」
「……っと言う事は美沙ちゃんはどこまで?」
ごくりとわざとらしく息を飲む彼女に私は首を横に振った。
「そ、そう言う訳じゃないけど……手を良く繋ぐ人だなとは思ったから……」
「お、これは期待できるか?」
にやにやと笑い、ワザとらしく言った彼女に段々恥ずかしくなって私は俯いた。
「鉢屋くんは色方面じゃ絶対落ちないって有名なんだよ?初心にやられた……って訳じゃないよね。確か四月の二週目の彼女も結構初心な子だったし」
「って言うか把握してるの?」
「女の子のネットワークを侮らないで下さーい。まあ鉢屋くんはある意味有名人だしね」
あっさりと言う彼女に不破くんは呆れ顔だ。
「まあその通りなんだけど。……って事は油断したら三郎は後ろからグサッて事だね」
「……不破くんは時々恐ろしい事言うよね」
「そうかな?」
「そうだよ」
呆れる彼女に、不破くんはこてりと首を傾げる。
天然で言ってるから不破くんって結構怖いかも。
思わず笑みが引きつりそうになりながらも私は笑った。
しばらくして地図を抱えた竹谷くんをからかいながら鉢屋くんが戻ってきた。
あれ?鉢屋くんが地図を取りに行かされたんじゃなかったけ?
私の視線に気づいた鉢屋くんがにやりと笑ってひらひらと手を振ってくる。
その姿に笑みを浮かべて手を振りかえすと、冷やかす様に竹谷くんが鉢屋くんに「何教室内でイチャついてんだよ」声を荒げ、その様を見下す様に笑い、鉢屋くんは「羨ましいだろう」と誇らしげに言った。
でも私は鉢屋くんに告白していない。
好きでもないのに付き合って、人より恐らく多く手を振れ合わせて……ああ、なんだかもやもやする。
⇒あとがき
美土里ちゃんの性格が『冬に咲く花』と違う感じになってます。
それはあっちではあったはずの幼少期のトラウマがこっちではないためです。
でも恋に臆病な所は相変わらずなので絶賛片想い中&竹谷気付いてないです。
ちなみにディフォ名で申し訳ないんですが、チヨちゃんは居ません。でも多分三郎と夢主の中が一段落ついても美土里ちゃんと竹谷はくっつかない気がします(^p^)
20110307 初稿
20220731 修正
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